燃えない夏に恋をしていた

 昔から意味不明なことばかり起きていた。

 なぜか彼氏持ちの女子しか好きになれないとか、その恋愛観について不倫した母親が説教するとか。そんな人生だから『幼馴染を紹介したい』と連絡してきた希美のぞみが遅刻するのも気にしていたらキリがない。

 希美の部屋にはしわだらけの洋服が散乱して、とても初対面の人間を歓迎する空気ではない。俺はスマホで麻雀をプレイしているし、蓮児れんじも昼からビールを飲んでいるし。

 ベッドに寝転んだまま牌を切ると、扇風機が頼りない風を届けてきた。

「なあ大牙たいが。希美が連れてくる幼馴染は女なんけ」

彩目あやめちゃんのことだろ? そうらしいけどな」

「ふうん。そんならそれなりに遊べるんか」

 ベッドの端で蓮児がロング缶を傾ける。もう三本目なのに、麦茶と変わらぬ勢いで喉に流し込まれていた。それでも潤えるなら効率がいい体だと思う。酒も、女も。安い味しか知らないのは俺も同じで、だからこそ中学時代から縁が切れていない。

 画面の中で鳴きまくる対面にエモートを連打していると、玄関から物音が聞こえてきた。スマホを伏せた俺は、扉に意識を向ける。

 しばらくしてドアがコンコンと叩かれ、その意味が理解できずに蓮児と顔を合わせた。

 俺たちが知る希美は、そんなことをしない。トイレに先客がいてもドアノブを鳴らしてくるようなやつだし、それが希美自身の住んでいるアパートの部屋ならなおさらだ。

 違和感を覚えていると、扉が開かれた。

「もう、希美。いるなら出てくれたらいいのに。お土産があるんだけどね……」

 最初に見えたのはモノクロの紙袋だった。ゆらゆらと揺れる袋から覗いた顔は、落ち着きがあるのに柔らかい。彩目ちゃんと思われる女子は、眠そうな瞼を持ち上げると、俺たちを見て紙袋を落とした。

 隣からゴクリと聞こえたのは、ビールのそれではない。ストレートアイロンを通したような黒髪が胸元で揺れ、スキニーパンツが腰から太ももまでのラインを拾う。露出しているわけでもないのに目につくというか——。

 それよりも気になるのは希美のことで、幼馴染を連れて登場するのかと思えば、ドアの向こうには薄暗い廊下が伸びていた。彩目ちゃんも状況を理解していないのか、瞬きをしながら立ち尽くしている。

 そのまましばらく扇風機だけが動いていた。どうにかしてこの空気を変えようと羽根を回しているのが余計に居心地を悪くする。ブリーチで傷んだ髪をかきむしると、蓮児が咳払いをひとつした。

「とりあえず入りんさい。扉開けたままは暑くなるけえ」

 蓮児は彩目ちゃんを招き入れた。とはいえマトモに座れる場所はベッドくらいで、さすがに男二人で寝床に誘導するわけにもいかず、床に放置された服たちを端に移動させる。

 家主でもないのに。そうぼやいていると、彩目ちゃんが会釈した。

「いきなりごめんね、希美だと勘違いして。久しぶりだから楽しみにしてたんだけどなあ」

 彩目ちゃんは独り言みたいに漏らすと、フローリングにぺたんと座り込み、紙袋からお土産の箱を取り出した。包装紙をビリビリと剥がしながら、チョコレートが溶けそうだと、関係のないことを気にしている。

「二人とも甘いもの平気かな? よければどうぞ」

「どうも。それよりもさ。彩目ちゃん……でいいんだよな?」

 差し出された個包装のチョコレートを蓮児にも放り投げる。

 彩目ちゃんは訝しむように眉をひそめた。

「そうだけど……。二人の名前も聞いていいかな」

「これが大牙で、わしが蓮児。希美の彼氏と元彼みたいなもんよ」

 蓮児が笑いながら座り直すと、スプリングがガタンと軋む。

 余計なことまで言わなくてもいいだろ。

 思いきり蓮児に肩をぶつけると、日焼けした腕で押し返してくる。そんな俺たちに苦笑いする彩目ちゃんを見て、テキトーに話題を変えることにした。

「彩目ちゃんはそういう相手いねえの? 彼氏とか」

「バイトが忙しいからね。夏休みも一人だよ」

「へえ。ほんなら大牙の専門外になるんか」

 俺をからかおうとする蓮児に反論しようとしてやめる。

 誰のものでもないなら、それだけでもう終わり。それがいつものパターンなのに、彩目ちゃんが首を傾げるたび、どうしてか目が離せないままでいた。

 それからしばらく三人でやりとりをしていると、玄関から「誰か助けてくれないかなあ。荷物が大量にあるんだよねえ」と希美の声が聞こえてきた。すぐさま立ち上がろうとした彩目ちゃんを見かねた蓮児は、

「座りんさい。どうせ重いもん運ばされるで」

 と、扉を開けたまま廊下に消えていく。

 彩目ちゃんは座り直して、大きなため息をついた。

「そら疲れるよな。いきなりこんなところに放置されて」

「少しだけね。大牙くんは私のこと聞いてたの?」

「名前と年齢はな。俺らも二十歳なんだわ。大学生」

 彩目ちゃんは「私はなにも伝えられてなくて。どうしたんだろう」と困惑している。彩目ちゃんを困らせたいのか、俺たちのことを試したいのか。そんな疑問を浮かべていると、足音がバタバタと近づいてきた。

「彩目、大牙! ごめんねえ。買い物してたら遅れてさあ」

 へらりと笑いながら部屋まで侵入してきたのは希美で、愛嬌を振りまいていれば許されると信じていそうなのが憎たらしい。こちらに歩いてくるたびに、美容室で染めたという茶髪が、肩の辺りでピョンピョンと跳ねている。

「遅いよ希美。チョコレートがあるけど溶けてるかも」

「わあい。それならフォンデュパーティーにできるねえ」

 希美は彩目ちゃんの隣に勢いよく座り込んだ。その拍子に滑り落ちたキャミソールの紐を、彩目ちゃんが当たり前のように直してあげている。まるで親子だなと眺めていると、希美が「そういえば」と声を上げた。

「彩目にも紹介しとくねえ。うちの彼氏の大牙だよ」

 唇を噛み締めると、八重歯が突き刺さり、じくじくと痛んだ。交際した経緯なんて、とても話せないくせに。

 そんな経緯まで知るはずもない彩目ちゃんは、

「そうなんだ。それなら最初から教えてくれたらいいのに」

 と、チョコレートから銀紙を剥がしている。言いたいことはあるだろうにと考えているうちに、蓮児がぶつくさ文句を垂れながら戻ってきた。

「荷物くらい自分で片付けんさいや。希美は」

「えー、ケチ。蓮児そういうの得意なんだからさあ」

 彼氏の大牙に頼めばいいだの、蓮児の方が近くにいたからだの。

 ただでさえ暑いというのに、口論するせいで部屋の温度がじわじわと高まる。それでも止めようと思えないのは、この関係を歪ませた原因が、自分のついた嘘にあるせいだ。
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