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初日(1.2話)


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第二話「謎解き」



「せーつー!こっち!!はやくはやく!」
軽快に踊るような足音が木々のざわめきの中に響いていた。
いつかの記憶。それは私の数少ない宝物のひとつだ。

草の芽が出始め、春の始めやわらかな日差しが湿った土の香りを際立たせる。そんな香りを鼻腔で感じると、かつての子どもの頃の記憶が鮮明に蘇る。自分と全く同じ色の髪、はちみつ色の瞳は木漏れ日を受けてきらきらと輝いていた。

高いところが好きで、活発な菩陽は子どものころから小さな怪我が絶えなった。その日も木に登っていく彼を恐る恐る木の根元で見守っていた。
同じ母胎から生まれたはずなのに、負けん気も強く度胸もある。高く綺麗な空を眺め
「せつも登って来いよ!いい景色だぞ。」
とこちらに笑いかける。

きっと、この方は大人になったら上へ上へと上り詰めるだろう。子どもながらにそう思った。
私は臆病だし、こうして後ろで見ている方が性に合っている。―――何よりも家族から嫌われている。
理由は自分でも分かっている。仕方がないと潔く諦めてしまっているのは、菩陽だけは自分に居場所を与えてくれているからという救いがあるからかもしれない。
他の者に後ろ指を指されようと、この方だけは私を太陽のように温かく照らして導いてくれる。だから、私が菩陽の役に立てるなら、そのために努力を惜しまない。
私は跡継ぎにはなれないから医学や薬学を学ばせてはもらえない。しかしこういった遊びの中で菩陽の身に危険が及んだら…そう考えこっそりと野山に生える薬草の判別程度はできるように家の書庫で夜な夜な学んだ。

「菩陽様!危ないです!!どうか下りてはくれませんか」
「せつー。”あき”でいいって。前からそう言ってるだろ!そう呼ぶまで下りないからな」

私たちは双子の兄と弟であるのに、気軽に屋敷の中で話すことすら許されない。
だからこそ、私たちは隙を見て裏山へと遊びに行った。

かつての日の思い出に浸ってしまっていたのか、あの日々と同じように見えた背姿は今は背丈も伸び洋装も様になるような立派な青年のものだ。視線の高さは変わらないはずなのに彼の視線の先には何があるのだろうか。今もきっと高い空の向こうを見上げている。

「ん?どうしたんだ。せつ?」
思い出の光景が目に浮かび、そんな光景を懐かしんでいたらいつの間にか歩みが止まっていた。心配そうに菩陽が振り返った。

「いいえ、あき。ちょっと躓いただけです。」
「ん?まあ、せつが笑ってるなら、それでいいや。探検再開するぞ!」
そう言って連れ立って歩きだす。
いつの間に無自覚に笑っていたのだろうか。指摘されるまで気づかなかった。
屋敷で笑いでもしたら気味悪がられ、ひどい仕打ちを受ける。久々に二人で外出できたことや多くの自然に囲まれた美しい庭園がそれほど凍てついた心を解かしていったのだろうか。

そんな風にほっとしていると菩陽の姿が視界から消えていた。
まさかと思って上を見上げると27にもなって木に登る菩陽と、その体重を支えるにはいささか心もとない木の枝。
「やめてください!!あき!!」
菩陽が登った木の方へと駆け出し、必死にそれを咎めるものの言うことを聞き入れてくれない様子だった。

「何か高いところから見たほうが分かるかもしれないだろ!ん?なんだあれ・・・って、うわっ」
バランスを崩してずるずると木から落ちた菩陽は「いてて・・・」と尻をさすっているが、怪我は無いようだった。
「ほら、もう気を付けてくださいよ。本当に…」

その場に駆けよって気づいた。
菩陽が登ったこの木の奥あたりは何か嫌な気配がすることに。

「せつ、あっちの木の奥に何か見えた。」
嫌な予感がする方向と菩陽が指さした方向は一致する。

ただ菩陽の好奇心はすぐさま行動にあらわれた。がさがさと茂みやら低木をかきわけ進む。その後ろをなるべく服を傷つけないよう慎重についていくしかなかった。
木々をよけ獣道のような道を進むと―――

「なんだよ・・・これ―――」

木々をくぐって抜けた道の先に広がる異様な光景に私たち二人は絶句していた。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


数刻ほど前に遡る―――

お連れ様がまだ到着されないという景平様をご主人がいる応接室へ案内し謎解きの交渉を行う姿を見届けた後、栃子は自分の仕事にとりかかった。

「うん。いい感じ!」
この館の女中である栃子は経験も浅く、今までにこんなに大人数の客人を相手に雑用をこなしたことはなかった。張り切ってはいたものの、まだ山積みの仕事の量に焦りを感じていた。
探索で客人が来るかもしれないことも考え、普段あまり出入りしない蔵やお手洗いのすみまで蜘蛛の巣をとったり、汚れがないか見回り確認した。風呂場や脱衣所の掃除も済ませ、外へ出て風呂を焚くための薪の準備も終わらせたところだった。
「薪よし!水よし!!」
失敗できないこの大役を前に、指さし確認、大きな声で自分を奮い立たせる。

次の仕事をと屋敷の玄関口へ振り返るとそこにはあの躑躅ヶ崎宗一郎がいた。きっと中庭や屋外を探索していたのだろう。
「・・・あ」
栃子の動きが指さしの姿勢のまま止まる。

「・・・・・・」
さっと血の気が引いて寒くなった直後、自分の行いを思い出し、一気に血流が良くなる。急に顔が赤くなったのだろう。
そんな反応に、今更躑躅ヶ崎も気まずくなったらしく目を逸らしたが、その反応も沈黙の時間すらも痛い。

「し、失礼しました…!」
そう言ってぱたぱたと走って玄関口から本館へ。恥ずかしさから逃げるように小走りでホールへ駆け出そうとした時に誰かとぶつかり尻もちを打ってしまった。
「おっと。ごめん!大丈夫?」
目の前に手を差し出される。
「菩陽様、しっかり前を見て歩いてください。ああ、山桐様大丈夫ですか?」
さらに覗き込んでくる顔を見る。
前髪をあげた菩陽様、長い前髪が片目を隠す刹月様。
確かにこう間近にお二人のお顔立ちを見ると、深い血のつながりを感じた。顔の作りだけでなく、心配そうに眉を下げるその表情の作り方など瓜二つだった。

「申し訳ありません。菩陽様こそお怪我は!」
うっかりと失敗をひとつしてしまうとその後は二つ三つとそういうことが続いてしまう。
客人への非礼を詫び、怪我がないことを確認すると二人は「気にしないで」と去っていった。

配膳室に着くと今までの失態を洗い流せるようにと昼食の皿の洗い物の片づけにとりかかる。ガチャガチャと音を立ててせわしなく片づけをこなしていった。
幸い何か聞きに訪れる方もおらず。皿の片づけが終わり、ほっと息をついた。

掃除にお客様の対応、皿洗いに風呂の準備・・・そこまで済ませ残りは夕食の支度が残っていた。これも大きな仕事である。お客様に満足していただけるよう丁寧に仕上げるために今までの仕事を大急ぎでこなしていた。
「夕食は和食で」という主人のいい加減な指示で、メニューには悩んだが旬のタケノコを使った煮物やみそ汁、焼き魚などごくごく一般的な献立にした。洋食を食べなれない方は昼食の時すら緊張もしていただろう。そんな方もほっと落ち着くような食べ慣れたものにしようと思い至ったのだった。

あく抜きに使う米糠を蔵に置いていたことを思い出し衣服を整え栃子は廊下へ出る。
そんな時、半開きになった書斎の扉の奥から
「お嬢様!!!菖蒲お嬢様!!」と慌てた屋久様の声が聞こえた。

そういえば不知火様は体調が優れないことも多い――そう聞いていたので、栃子の脳内にも不安がよぎり書斎へ向かう。


「不知火様、屋久様。物音がしましたので、伺いました。どうかされましたか?」
扉の外から声をかけると
「少し無理をしたのか体調が優れないようでね。」
どうやら大事には至ってないようだ。そう感じさせる屋久様の平静を取り戻した声にほっとする。

「失礼します」と一声かけて室内に入ると、やはり顔色はよくない。きっと無理されているのだろう。それでも、きれいな姿勢で椅子に座る不知火様とその傍らには屋久様がいた。
お二人を見ていると、主人と使用人の理想的なあり方というものを再度認識させられるようだった。

私とご主人はどのように映っているのだろうか・・・。
途端に恥ずかしさや悔しさに似た感情で心を濁らせるかのように沈殿していく。自分のまだまだ至らぬ点が次々に頭に浮かびもするが、精進せねばと気を引き締めようとぎゅっと拳を握りった。

「借りた本は濡らさないよう十分気をつけるので部屋まで水を用意してもらえないだろうか。」
先ほどの狼狽えた声から一変、冷静な声色で最低限のことを述べる。さすがは不知火家の使用人。
眼光の鋭さや背丈の大きさに栃子は萎縮しながらも、見習うべき使用人としての姿を見た。

「は、はい!お待ちくださいっ」
水差しと病人でも持ちやすい湯呑かコップ…と頭の中で整理しながら小走りで配膳室へと栃子は急いだ。

その後、客室に水差しとコップを届け夕食の準備を進めた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


日もとっくに沈み、夕食を客人たちが済ませた後は自由時間となった。

庭園などは庭師の道具も置きっぱなしで転んでしまうと危ないからという理由で本館のみでの行動を許可していた。
集めた情報を整理する者や談話室へ移動し、ご主人と話す者がほとんどだった。舶来品のワインを振舞うご主人は上機嫌だった。寝室へ下りる際に酔って階段を踏み外さないといいけれど・・・。

食堂に残る者は少ない。風呂へ行った楓小路様、食卓に残っているのは景平様。ベランダで夜の庭を眺めながら暗号に向き合う躑躅ヶ崎様。
配膳室と食堂を行き来し、夕食の片付けに取り掛かる。その際に何度か視線を感じたので、ひと段落ついたところで景平様に声をかける。
「新しいお茶でもお持ちいたしましょうか?」

「いや、大丈夫だよ。ありがとう。」

昼間にご主人と暗号について交渉したようだったが、やはりお連れの方に配られる暗号は本人が来てから…ということで、暗号の解読は諦めているようだった。
「センセがいらっしゃるまではお手上げですね。まァセンセが一目見れば暗号なんてすぐ解けてしまうでしょうし…ハンデってやつでしょう。」
”お手上げ”なんて言っているものの余裕がありそうな景平様。探偵の助手なんだし、それでも解けないものなのだろうか…と思っていると思考を読んだのか
「ほら、見てください。僕に配られた暗号文。きれいに真ん中で・・・」
綺麗な所作で懐から何かを取り出す。目の前にあらわれたのは一枚の紙をちょうど真ん中で引き裂いたかのような紙片。いくつかの数字が並んでおり、確かにこれだけでは何もわからないだろう。もう半分なければ解読は難しそうだ。

ぱっと顔を上げると、景平様はこちらの瞳をじっと覗き込んでいるようだった。
「私は暗号の解読法も隠し場所も知らされてはいません。」
きっぱりと私は言い切った。

「うん。貴方の様子を見ればわかるよ。何か知っていそうならキャラメルで釣ってみようかと思ったのですが。」と年相応の表情で冗談めかして笑う。
背丈は私の方が高いのもあり、女中とお客様という立場でなければむっとした表情をしていたかもしれない。

「不知火さんともお話をと思ったが、あまり体調が優れないご様子で――何より屋久さんがあまり近づかせないようにするだろうし・・・」
ひとり言のようにつぶやいた後、こちらには興味をなくしたのか食堂から去っていった。

食器の片づけをすませるとまだベランダに大きな背中があった。
3月初旬、春の訪れを感じる時期ではあるものの夜風にあたるのは身体が冷え切ってしまうだろう。
「躑躅ヶ崎様、そろそろ室内へ戻られてはいかがですか…?寒いですし風邪をひかれるかもしれません。」
夜闇の中振り返るその顔には大きな傷跡がある。
「使用人か・・・」
相当に集中していたのか時刻を私に尋ねる。
「楓小路様もそろそろお風呂から上がられる頃かと」
「美鶴は長風呂だ。部下想いのあいつは自分が長風呂だったら部下も風呂に充分につかれると思って習慣になってる。後の者がつかえているなら声をかけてくるが。」
「そうでしたか。お優しい方なんですね。」
二言三言交わすと軍人の方と何を話せばいいか栃子は困ってしまったようだ。

躑躅ヶ崎様はため息をつくと
「使用人。貴様はどこまで知っている?」
尋問するかのような言葉の重み。先ほどまでぱたぱたと夕食の片づけをしていて暖かささえ感じていたのに、ぐっと背筋から冷えていくような圧力だった。
「いえ、何も・・・」
「助手殿とのおしゃべりでは”暗号の解読方法と隠し場所”については知らないと言っていたな。」
赤い瞳が獲物を見定めたかのようにギラリと光る。先ほどの景平様の軽口を交えた聞き方とは違う。それに背丈や眼力の威圧感が桁違いだ。

「・・・・・・。」

「感情を隠すのは上手いようだが、つつけばボロが出やすいようだな。主人殿よりは扱いやすいようだ。」

「躑躅ヶ崎殿。何をなさっているのです。」
間一髪。取って食われると覚悟していたところに楓小路様がいらした。本当にこの方には救われているばかりだ。後で好物を聞いて差し入れしようと誓った。
躑躅ヶ崎様は舌打ちをして去っていったが軍人というのはこうも高圧的で恐ろしい生き物なのだろうか。

先ほどの恐ろしさとついつい国家の権力に屈しそうになった自分に喝を入れる。この後風呂に入る躑躅ヶ崎様の時は薪の追加をやめた。楓小路様の長風呂で少しだけ冷えた湯につかればいいの!とふんふんと明日の朝食の仕込みに取り掛かった。
途中、不知火様にと換えの水差しを持って二階に上がると談話室で酒盛りをしている安居院家のお二人と景平様、ご主人が見えた。主に酒を飲んでるのはご主人と菩陽様だろう。
その後も支度を進める。途中物音がどこからかしたが、ご主人が大笑いすると足をじたばたさせるいつもの癖だろう。きっとあの長い足で机を蹴り上げもしたのだろう。そう考えていると「ワインを零したので、何か拭くものを」と刹月様がいらっしゃった。

夜はさらに更け、足取りの覚束ないご主人を一階に下ろす。
菩陽様もしっかりした足取りでなぜか客室ではなく物置の扉を開けて刹月様に「菩陽様!客室はこっちですよ!」と引っ張られていたりした。
長身のご主人を寝室へ支えながら運ぶ。寝間着に着替えさせベッドへ投げ込むように下ろした。こうして私の長い一日の仕事は終わったのだった。

1階の明かりも消し、2階の自室となっている女中室へ向かう。明日も気を抜かずにしっかりこなそう。そう重たい瞼をこすりながら決意した。

――――今日以上に長い一日が待ち受けていることを、今の私は知らなかった。


――2話終了――
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