男子校であった怖い話
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おねがい!吉村くん
現代軸/催眠アプリ/安心の全年齢
静かにしているならいいよ、なんて条件付きでお許しを得たので、私と吉村くんは喫茶店の隅っこのテーブル席で向かい合って一緒に勉強をしていた。
ぐうたらと夏休みを過ごしていたら始業式まであと一週間。そろそろ何とかしないと、そう思いつつも私はあまったれなので家で一人で勉強するなんて出来ず、昔からの友達の吉村くんに声をかけてみたのだった。断られると思っていたけど、案外すんなりとオーケーしてくれた。自分で誘っておいてなんだけど、彼の考えていることはよく分からない。
場所は彼が指定してきた喫茶店にした。コーヒーが美味しくて、吉村くんのお気に入りのお店らしい。
店内は夏休みだというのに人はまばらで、私たちと同じくらいの年頃の人はいなかった。それもそのはず、このお店のコーヒーは一杯850円する。高校生には中々手を出し辛いお値段だ。でもここ以外だと嫌だって吉村くんがいうからしょうがない。
雰囲気はいいな。昭和の時代から続いてきたのを思わせるレトロな内装と、穏やかなマスター、落ち着いた他のお客さんたち。確かに吉村くんが気にいるのも頷ける。ここならまた来たいなあ、お金に余裕がある時だけ。
持ち込んだ教材を机に広げ、各々勉強に取り掛かる。私は溜まりに溜まった夏休みの課題をとりあえず全部持ってきてみた。気分に合わせてやってみようなんて、この後に及んで無計画なスタートを切ろうとしている。まだ一週間はあるんだし、なるようになるよ、多分。
そう思いとりあえず数学のテキストを出して、ページをめくってみる。……ああ、なんか一学期にこんな内容をやった気がするけど、もう忘れちゃったなあ。遠い彼方に記憶が追いやられ、ぼんやりとしか思い出せない。いいや、次。やっぱり英語の課題にしよう。えーと、この文法は……。
悪戦苦闘しながらも、何とかキリのいいところまで終わらせた。一息つこうと頼んでいたアイスコーヒーをグイッと一気に飲み込む。氷が溶けてちょっと薄くなったコーヒーが喉を通り抜けていく。知らないうちに結構汗をかいていたのか、飲み物がとても美味しく感じられた。
完全に集中力が切れてしまった。向かい合う吉村くんを見ると、私に一切気を払うことなく問題集とノートとにらめっこしながら問題を解いていく。彼のことだから高校の課題分なんてとっくの昔に片付けて、今やってる分は予習とか応用とか、そんな先の先の先を行くようなものだろう。この勤勉さは素直にすごいなと思う。
もうちょっとだけ休憩しよう。あと5分、いや10分だけ。そう思い私はスマホを取り出し画面を見た。
「あれ……?」
思わずひとりごとがもれてしまった。外に居たのを思い出しあわてて周囲を見渡すも、小さな声だったからか誰も私のことを気にとめていなかった。吉村くんも私の様子に気づかず、相変わらず集中している。
スマホの待ち受け画面に見覚えのないアプリが入っていた。ピンクの文字で『催眠』とだけかかれたアイコンが増えている。なんだろう、これ。こんなの入れた覚えないけど。
危ないものかもと思いつつも、私は好奇心につられてアプリを起動してみた。タップするとすぐアプリは立ち上がり、画面に文字が表示された。
催眠アプリへようこそ!
当アプリでは、任意の人物に催眠をかけることが出来ます。
使い方はかんたん、アプリを起動してスマホの画面と対象者の視線を合わせ『催眠開始』ボタンを押すだけ。
スマホから一番近い位置にいる人物に催眠がかかります。
催眠状態になったら口頭で指示しましょう。あなたのお願いごとを何でも聞いてくれますよ!
催眠を終了させるには『催眠終了』ボタンを押します。
それ以外にも、一定の距離を離れても催眠は解除されます。
それでは良き催眠ライフを!
何これ……。今度は口には出さずに心の中で盛大にツッコミを入れた。良き催眠ライフを!じゃないよ。
大体催眠アプリって何? アプリで催眠術なんて出来るわけないでしょ。私、寝ぼけて間違ってインストールしちゃったのかな。夜寝る前は必ずスマホいじるし、朝目が覚めてから起きるまでもスマホ触るし。容量のムダだし早いところ消そう。
そうは思ったものの、なぜか私はそのアプリのことが気になってしまった。
吉村くんをチラと見、目線だけで様子を観察する。さっきから私のことを気にもとめずにいる彼に、ちょっとだけいたずらしたくなって、まあようするに構って欲しくて、気付けば言葉を口にしていた。
「吉村くん……ねえ、ちょっとこっち見てもらっていい?」
深く集中して一心不乱にノートにペンを走らせていた彼が顔を上げる。
「何?」
「これをよく見て、よーく見て…………」
私はスマホをずいっと彼の方へと近づける。えいっ、今だ。彼が画面を見ていることを確認して『催眠開始』ボタンを押す。その画面にはショッキングピンクを基調とした毒々しいデザインで、大きな文字で『催眠中』と表示されていた。
彼の様子をこっそりとうかがってみる。吉村くんは最初は怪訝そうな表情をしていたけど、徐々に警戒心が薄れてゆき、次第にぼうっとした表情になっていった。え、うそ。これってもしかして、本当に効いてるの?
「吉村くん……?」
「…………」
どこか心ここに在らずな状態で彼はぼうっとスマホの画面を見続けている。普段常に何かを考えているような知性に満ちた瞳は、今はただぼんやりとした光を宿すのみだった。まるで寝起きのような状態の彼はどこか幼さを感じさせ、そんな様子を見ていると私の中でいけない気持ちがわき上がってくる。
「私の方、向いて……?」
アプリを起動した時に表示された文字列を思い出す。
『催眠状態になったら口頭で指示をしてくたさい』
ぼんやりと画面を見ていた彼が、私の方へ顔を向けた。
「吉村くん……、私のおねがい何でも聞く?」
そんなはずはないと思いながらも、私ははやる心を抑えながら彼に問いかける。
「何でも聞く」
「本当に?」
「本当に」
まるでおうむ返しだ。私の言った言葉をそのまま繰り返す。理解しているのかしていないのか、それとも悪ノリしているだけなのか。でも吉村くんってこういう冗談に乗るタイプじゃないと思うから、じゃあ本当に……?
「…………吉村くんおねがい! 私の代わりに課題やって!」
私はイチかバチかで目下の悩み──夏休みの課題の協力を仰いだ。さすがに催眠にかかっているフリをしているなら、乗っかるのはここまでじゃない?
「分かった」
そんな私の思いとは裏腹に、机に広げてあった課題を手に取ると彼はスラスラと答えを書いていった。
先程まではぼんやりとしていたが、私が指示を下した直後から、水を得た魚のように動き出す。
す、すごい! 答えを写すより速い!? 私の百倍のスピードで問題を解いていく……!
「ふん、こんな問題造作もないね。復習にもならないよ」
「すごいよ! 吉村くん!」
私の褒め言葉に対して彼は得意げな表情のままスラスラと問題を解いていき、やがて一教科分の課題をあっという間に終わらせた。
「……で、次は?」
「お願いします!!」
私はカバンの中から別の教科の課題を取り出すと、吉村くんに賞状を授与するみたいにして差し出した。彼は片手でそれを受け取ると、パラパラとめくって全体を把握したのち、先ほどと同じようなスピードで問題を解き始めた。特にやることのない私は、カバンからうちわを取り出すと彼をあおいであげた。男の子にしては長めの髪の毛が風にそよぎ、白い首筋が露わになる。普段は見れないものを見てしまったような、不思議な色気にちょっとした背徳感を感じながらも、真剣に問題を解く彼の姿に私は長いこと見惚れていた。
「こんなものかな」
「すごい……! 全部終わった!」
あれから数時間して吉村くんは見事に全部の課題を片付けてしまった。喫茶店には長居させてもらったので何回かオーダーを追加させてもらった。私のお小遣いはすっからかんになったけど、でも得たものの方が大きい。残りの夏休みも遊べる! 今日ここに来た時には鉛が沈んだような心持ちだったけど、今はすっかり心の重しが取り除かれてまるで飛び立ちそうな気分だ。
吉村くん、よく頑張ってくれたね。それじゃあそろそろ催眠を解除しようか。テーブルの上に置いたままのスマホを手に取ると思いのほか熱くなっていて驚いた。催眠アプリってバッテリーくうんだ。新しい発見だ。
残り10%にまで充電が減ったスマホを見て少し肝が冷えた。これって、催眠かけたまま電池が切れたらどうなるんだろう。いや、怖いから試さないけどね。
よし、それじゃあ『催眠解除』!
解除をする時も対象者とスマホ画面の目線を合わせた方がいいのか分からなかったので、催眠をかけた時と同じように吉村くんに画面を見せた。すると、さっきまでキビキビと問題を解いていた彼は、次第にまたぼんやりとしてきて、睡魔に抗うようにうつらうつらしていたかと思うと、いきなりテーブルに突っ伏してしまった。
「…………」
「吉村くん、ちょっと、大丈夫?」
彼の肩を軽くゆすってみる。最初は反応がなかったが、少しすると「うぅん……」といううめき声をあげ、ゆっくりと顔を上げた。
「…………何か、ぼんやりする……」
「吉村くん、寝ちゃってたのよ」
「今何時?」
「もうすぐ5時になるところ」
「そんなに? 寝る前の記憶が無いな……」
「大丈夫? 疲れがたまっていたんじゃない?」
まだ意識がはっきりとしないのか、吉村くんはぼーっと虚空を見つめぼんやりとしている。
「ねえ、吉村くん、もしかして軽い熱中症なんじゃない? さっきからぼんやりしているよ」
「いや、そうではないと思うけど……」
「自分では気づかないうちに結構汗かいてたりするって。室内にいても熱中症になるんだから。もう、真夏なのにカーディガンなんて着て。ほら脱いで脱いで」
催眠がバレないようにと適当に話したけど、脱がせたカーディガンに触れると思いのほか湿っていて、私の言ったことはあながち間違っていないのかもしれない。
「あ、すみませーん。ちょっとソファお借りしていいですか? 彼を横にして少し休ませたいんです」
喫茶店のマスターに声をかけると、快く許可してくださったし、何なら経口補水液を持って来るねと言い裏に消えていってしまった。何ていい人なんだろう。マスター、私このお店また来ます。
「いいって、夢野さん……」
渋る吉村くんをソファへ運ぼうと腰に手を回したら、「い、いいっ! 自分で歩く!」と慌てて私から逃げてしまった。
吉村くんはソファに仰向けになって一息つくと、目を閉じて力を抜いた。私は先ほど使ったうちわを持ってきて、彼をあおいであげる。長めの前髪が汗でおでこに張り付いて邪魔そうだったので、そっと耳の方へ流してあげた。
「涼しい?」
「うん……」
催眠状態とはまた違う、リラックスした声音が返ってきた。
「吉村くん、根を詰めすぎだよ。たまにはリラックスしなくちゃ、ね? 私みたいに」
「君は常に気が抜けてるけど……そうだね。うん」
珍しく素直に肯定したのに驚いてしまった。いつもなら皮肉の一つや二つ返ってくるはずだが今日はない。やっぱり知らない間に吉村くんも疲れがたまっていたのかもね。
彼をあおいで涼ませていると、マスターが戻ってきて経口補水液を持ってきてくれた。お礼を言い、キャップを開けて吉村くんに手渡す。彼は受け取ると一気に半分くらい飲んでしまった。
小さく息を吐くとまた目を閉じて休む。彼が落ち着くまで私はしばらくうちわであおいであげたり、汗をふいてあげたりした。吉村くんは眠っているように穏やかで、私の前でそんな顔をしてくれたのがちょっぴり嬉しかった。
「夢野さん、送っていくよ」
あれから少し休んで元気を取り戻した吉村くんは、マスターにお礼を言うと荷物をまとめ帰ろうと声をかけてきた。喫茶店から出て駅に向かって歩いている最中、今の送っていくという言葉が彼の口から出たのを不思議に感じた。いつもなら現地解散か最寄駅まで一緒に行くか、そんなところなんだけど今日に限ってどうしたんだろう?
「いや、大丈夫だよ。まだ6時だし」
「もう夜だよ。君がよく近道するルートはあまり治安が良くない。そこを通るなら自分も一緒に行くよ」
めずらしく食い下がってくる。本当にどうしたんだろう。家に帰りたくないとか? いや、それはないな。何たって吉村くんはヒッキーだから。
「吉村くんこそまた体調崩すと悪いし、私のことは気にしないで早めに帰った方がいいよ」
「それは、そうだけど……」
おや! めずらしい。吉村くんが言葉に詰まることもあるんだ。
「大丈夫だって。近道ルートは最近はもう使ってないから」
それでも渋る吉村くんを何とか言いくるめ、私は一人で家に帰ってきた。何か今日の吉村くんは少し変だったな。体調を崩して心細くなったのかな。私も風邪ひいたときとか、熱が下がらないときに心細くなるからわかるな、その気持ち。吉村くんも案外かわいいところあるじゃない。
友人の新たな一面を発見して微笑ましい気分になっていたところ、スマホの通知音が鳴った。
画面を見てみると、『催眠アプリ』から何やら通知がきている。
催眠アプリはいかがでしたか?
催眠アプリを使用した対象者は、一回ごとにあなたへの好感度が上昇します。
これは、催眠状態を解除しても継続されます。
嘘も突き通せば真実になる。
よき催眠ライフを!
「んん……?」
何か恐ろしいことが書いてないか? 私は目を凝らしてもう一回文面を読もうとした。
とその瞬間、メッセージアプリのLIMEから通知が来て不意打ちでちょっと驚いてしまった。
吉村賢太郎
今日は君に迷惑をかけたね。あれから家で休んでいるけど別状はないよ。
君も熱中症には気をつけて。
それから、今日の埋め合わせをしたい。
また会えないかな。出来れば夏休み中に。
自分は⚪︎日・△日・×日なら予定が空いている。
「んんん…………??」
いつもの彼よりも殊勝だし、優しい気もする。それより何より埋め合わせをしたいだなんて。これは、本当に催眠アプリの効果なの……? 帰り際に送ってくれようとしたのも、もしかして?
まあ、もう使う気はないし、嫌われるならまだしも多少好かれるくらいなら問題ないでしょ。…………ないよね?
私は少し戸惑いながらも、彼に日時の返信をすべくスマホを操作していった。
*
「夢野、夏休みの課題だが、どういうことだこれは」
夏休み明け早々に私は職員室に呼び出されていた。英語担当の植野先生は机の前に私を立たせ、苦々しげな顔をしながらため息をついた。
「全く、珍しく期日通りに課題を提出したと思ったら……。夢野、友達と協力してやるのはいいが、まるきり人任せはダメだ」
「何言ってるんですか先生。私、ちゃんと自分でやりましたよ」
植野先生は机の上にあったプリントを手に取ると、私の前に突きつけた。
「二年A組 吉村賢太郎って誰だ」
そのプリントの名前欄のところには『吉村賢太郎』と吉村くんの字で書いてあった。
「あ゛」
「大体、字が全然違うだろ。むしろ何でこれで大丈夫だと思ったんだ」
「違うんです! 先生!」
「夢野、お前には課題の追加だ。それと明日から補習に参加しなさい」
「そ、そんな! 先生〜! 話を聞いてください!」
植野先生は私の申し開きにも聞く耳を持たず、今日は帰っていいぞと職員室を追い出されてしまった。仕方なく荷物を取りに教室へと向かう。誰もいなくなった教室で、私は深く息を吸い込むと
「吉村くんのばかーーーー!!」
ありったけの思いをこめてグラウンドに向かって叫んだ。運動部の連中が一瞬こちらを見たが、すぐに意識を戻して練習打ち込む。
私の心とは裏腹に、青々とした空は眩い太陽の輝きを引き立たせ、これ以上ないほどさわやかな景色を映し出している。
生ぬるい風が一筋吹き、私の身体にまとわり付く。
夏は、まだまだ終わりそうにない。
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