7.約束
お相手の名前変更
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──調子が狂う、参ったな。
斎藤は咳払いした手で口を覆い隠した。らしからぬ動きに斎藤の袖がずり落ちて、骨ばった腕が覗く。雄々しい腕は不釣り合いに美しく滑らかな肌で、目にした時尾は驚き、思わず顔を背けた。
恥じらいで目を伏せる時尾の姿態が、斎藤にはやけに悩ましく見える。斎藤も時尾から視線を外した。
戦場に向かう身で誰かの心を縛るまいと、斎藤は日々己への戒めを忘れなかった。色恋なんざ一夜の遊びで十分だ。それなのに、会津に来てからは調子が狂いっぱなしだ。
盛之助に任せるはずが、自ら時尾を説き伏せてしまい、それだけに飽き足らず、時尾を縛る言葉を口走りそうになった。いや、それでいいのかもしれない。
斎藤が横目で時尾を見れば、淡い期待を浮かべた瞳で、ちらちらと何度もこちらを窺っている。時尾の瞳は戦の恐れを忘れたように、優しい色をしていた。
斎藤はフッと笑みを漏らした。
時尾が希望を託すものが社詣ではなく、己の生還になれば良い。生きて戻る自信と覚悟があるならば、約束をすれば良い。約束を枷ではなく、希望にしてやれば良いだけのこと。そう思い至ると、課してきた戒めが、抑制が弱まっていく。
「そう言う、事とは……」
小さいけれど、高揚した声で言った時尾は、怖々と斎藤を見上げた。
──ここまで言っておいて逃げては男じゃあない、か。
斎藤が口元から手を外して時尾を真っ直ぐ見つめ返すと、時尾は耐えきれずに再び目を伏せてしまった。
「もう暫く、この地に」
こっちを見ろと、誘うように間を置くと、時尾の瞳が斎藤を捉えた。答えを待つ目は、期待しても良いのですかと、問い掛けを重ねている。
「もう暫くこの地にいられたならばと。らしくもなく、考えた」
お前が望んだ通り戦が起きなければ、叶ったんだがな。斎藤は闘いに生きる身には皮肉な考えを口にした。
「会津を……お気に召したのですか」
「そうじゃないだろ」
分かっていて言っているのか。斎藤は一瞬、口角をニッと上げた。
「この地で、お前の傍で過ごしたら、始まっていたんじゃないかと思っただけさ」
「始まる……」
分からないのか。ニヤリとする斎藤に、時尾は頬を染めた。
「闘いに生きるからには誰かを縛ってはならん、そう思って生きてきたが」
時尾に向け斎藤が手を伸ばすと、黒い袖がはらりと開いた。
「戒めを解く気になった」
「斎藤様……」
斎藤の手が、今にも時尾の頬に触れそうだ。近付く手に、時尾の頬がむずつく。
「時尾、お前をもっと知りたい。他人への興味なんざ、無いんだがな。お前は違うらしい。知りたい、それから」
斎藤の手が時尾の頬を掠めて、落ちた。真っ赤な時尾を余所に、斎藤は手を隠すように腕を組む。袖の中の手は自ずと拳になっていた。ふと町に目を向ければ、どこもかしこも鮮やかな夕陽に染まっている。
「俺はすべき事を成す為に何処へでも行った。これからもそれは変わらないが」
袖の中で握られた拳に筋が浮かぶ。言葉は取り消せない、覚悟を持って口にせよ。斎藤は誰にも分からぬほど小さく頷いた。
「帰るべき場所を持つのも、悪くない」
見事な会津城下から時尾に視線を戻した斎藤は、ゆっくりと腕組みを解いた。
「時尾、俺を待ってくれるか。共に暮らす為に」
戦が終わったら家の皆に挨拶を。それから、俺と所帯を持ってくれるか。
「俺の妻になれ」
強引な言葉とは裏腹な優しい声は、乞い願うように響いた。時尾には涙が浮かび、声にまで滲み出る。
「はい」
潤んだ声で一言、絞り出すのが精一杯だった。
時尾は斎藤への想いの大きさを自覚した。あんなに感じていた黒い淀みはすっかり消えて、笑ってしまいたいほど嬉しくて、どうして良いか分からない。
静かに喜び戸惑う様子の時尾を、斎藤はそっと引き寄せた。また突っぱねられるかと内心案じながら、そっと、時尾の体を包み込んだ。腕の中におさめると、時尾は安堵したように身を預けてきた。
「斎藤様が、旦那様に、本当ですか……」
「あぁ。お前と周りが許してくれるならな」
斎藤が冗談を言うと、時尾はふふふと素直な笑い声を上げた。
「自信しかないくせに、斎藤様ったら」
「そうか」
時尾の愛くるしい笑い声に、そうかもしれんなと言ってククッと笑う斎藤の声が重なる。
気を許して微笑む時尾に、斎藤の戒めが解かれていった。恐れを与えたくなくて躊躇った、時尾に触れたい想いも、今なら受け入れてくれるか。斎藤は時尾を包み込む手を片方ふっと離し、幸せに色づく頬に触れた。
俄かに驚いて、あっと息を呑む時尾だが、逃げはしなかった。照れ隠しなのか、一瞬目を合わせると、すぐに俯いた。口元は緩んで微笑みが絶えず、伏せた目は瞬く度に滲んだ涙がきらきらと艶めいて見える。斎藤の胸元に添えられた手に、力みが見えた。
まだ尚早か。斎藤はフッと密かに笑んで手を下ろすと、元のように時尾を包み込んだ。
「ち、父の話を聞かせてくださいますか、京で貴方が見た父を」
「あぁ」
斎藤は長い話だぞと時尾を社の隅の程よい石に座らせて、自らも並んで腰を下ろした。
記憶の限り詳らかに語り聞かせよう。しかし、空の様子を見れば、全てを語るには時が足りないだろう。高木小十郎について、斎藤は時尾が好みそうな話から語っていった。
斎藤は咳払いした手で口を覆い隠した。らしからぬ動きに斎藤の袖がずり落ちて、骨ばった腕が覗く。雄々しい腕は不釣り合いに美しく滑らかな肌で、目にした時尾は驚き、思わず顔を背けた。
恥じらいで目を伏せる時尾の姿態が、斎藤にはやけに悩ましく見える。斎藤も時尾から視線を外した。
戦場に向かう身で誰かの心を縛るまいと、斎藤は日々己への戒めを忘れなかった。色恋なんざ一夜の遊びで十分だ。それなのに、会津に来てからは調子が狂いっぱなしだ。
盛之助に任せるはずが、自ら時尾を説き伏せてしまい、それだけに飽き足らず、時尾を縛る言葉を口走りそうになった。いや、それでいいのかもしれない。
斎藤が横目で時尾を見れば、淡い期待を浮かべた瞳で、ちらちらと何度もこちらを窺っている。時尾の瞳は戦の恐れを忘れたように、優しい色をしていた。
斎藤はフッと笑みを漏らした。
時尾が希望を託すものが社詣ではなく、己の生還になれば良い。生きて戻る自信と覚悟があるならば、約束をすれば良い。約束を枷ではなく、希望にしてやれば良いだけのこと。そう思い至ると、課してきた戒めが、抑制が弱まっていく。
「そう言う、事とは……」
小さいけれど、高揚した声で言った時尾は、怖々と斎藤を見上げた。
──ここまで言っておいて逃げては男じゃあない、か。
斎藤が口元から手を外して時尾を真っ直ぐ見つめ返すと、時尾は耐えきれずに再び目を伏せてしまった。
「もう暫く、この地に」
こっちを見ろと、誘うように間を置くと、時尾の瞳が斎藤を捉えた。答えを待つ目は、期待しても良いのですかと、問い掛けを重ねている。
「もう暫くこの地にいられたならばと。らしくもなく、考えた」
お前が望んだ通り戦が起きなければ、叶ったんだがな。斎藤は闘いに生きる身には皮肉な考えを口にした。
「会津を……お気に召したのですか」
「そうじゃないだろ」
分かっていて言っているのか。斎藤は一瞬、口角をニッと上げた。
「この地で、お前の傍で過ごしたら、始まっていたんじゃないかと思っただけさ」
「始まる……」
分からないのか。ニヤリとする斎藤に、時尾は頬を染めた。
「闘いに生きるからには誰かを縛ってはならん、そう思って生きてきたが」
時尾に向け斎藤が手を伸ばすと、黒い袖がはらりと開いた。
「戒めを解く気になった」
「斎藤様……」
斎藤の手が、今にも時尾の頬に触れそうだ。近付く手に、時尾の頬がむずつく。
「時尾、お前をもっと知りたい。他人への興味なんざ、無いんだがな。お前は違うらしい。知りたい、それから」
斎藤の手が時尾の頬を掠めて、落ちた。真っ赤な時尾を余所に、斎藤は手を隠すように腕を組む。袖の中の手は自ずと拳になっていた。ふと町に目を向ければ、どこもかしこも鮮やかな夕陽に染まっている。
「俺はすべき事を成す為に何処へでも行った。これからもそれは変わらないが」
袖の中で握られた拳に筋が浮かぶ。言葉は取り消せない、覚悟を持って口にせよ。斎藤は誰にも分からぬほど小さく頷いた。
「帰るべき場所を持つのも、悪くない」
見事な会津城下から時尾に視線を戻した斎藤は、ゆっくりと腕組みを解いた。
「時尾、俺を待ってくれるか。共に暮らす為に」
戦が終わったら家の皆に挨拶を。それから、俺と所帯を持ってくれるか。
「俺の妻になれ」
強引な言葉とは裏腹な優しい声は、乞い願うように響いた。時尾には涙が浮かび、声にまで滲み出る。
「はい」
潤んだ声で一言、絞り出すのが精一杯だった。
時尾は斎藤への想いの大きさを自覚した。あんなに感じていた黒い淀みはすっかり消えて、笑ってしまいたいほど嬉しくて、どうして良いか分からない。
静かに喜び戸惑う様子の時尾を、斎藤はそっと引き寄せた。また突っぱねられるかと内心案じながら、そっと、時尾の体を包み込んだ。腕の中におさめると、時尾は安堵したように身を預けてきた。
「斎藤様が、旦那様に、本当ですか……」
「あぁ。お前と周りが許してくれるならな」
斎藤が冗談を言うと、時尾はふふふと素直な笑い声を上げた。
「自信しかないくせに、斎藤様ったら」
「そうか」
時尾の愛くるしい笑い声に、そうかもしれんなと言ってククッと笑う斎藤の声が重なる。
気を許して微笑む時尾に、斎藤の戒めが解かれていった。恐れを与えたくなくて躊躇った、時尾に触れたい想いも、今なら受け入れてくれるか。斎藤は時尾を包み込む手を片方ふっと離し、幸せに色づく頬に触れた。
俄かに驚いて、あっと息を呑む時尾だが、逃げはしなかった。照れ隠しなのか、一瞬目を合わせると、すぐに俯いた。口元は緩んで微笑みが絶えず、伏せた目は瞬く度に滲んだ涙がきらきらと艶めいて見える。斎藤の胸元に添えられた手に、力みが見えた。
まだ尚早か。斎藤はフッと密かに笑んで手を下ろすと、元のように時尾を包み込んだ。
「ち、父の話を聞かせてくださいますか、京で貴方が見た父を」
「あぁ」
斎藤は長い話だぞと時尾を社の隅の程よい石に座らせて、自らも並んで腰を下ろした。
記憶の限り詳らかに語り聞かせよう。しかし、空の様子を見れば、全てを語るには時が足りないだろう。高木小十郎について、斎藤は時尾が好みそうな話から語っていった。