21.警部補中毒
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医者による活力検査、いわゆる健康診断を受けた沖舂次、親しみやすい女医を相手に話すうち、余計なことまで喋っていた。
身近に喫煙者がおり、嫌いだった煙草の臭い。最近、少し好きになってしまったかもしれないと相談したのだ。
「それはただの中毒よ」
「中毒?!」
「あまり知られていないけど煙草には中毒性があるのよ。自分で吸っていなくても近くにいる人がずっと吸っているんでしょう、きっと貴女もその影響で軽い中毒なのよ」
気を付けなさいと助言をした女医に、沖舂次は素直に頷いた。
診察室に入った時は、初見で凛とした美しさに見惚れてしまった、長い黒髪の女医。
健診を終え、改めてその姿に見惚れた。
「何か気になるコトでもあるのかしら」
「すみません、お綺麗なので見惚れてしまって」
「あらぁ、嬉しいわね、ありがとう」
ふふっと笑った女医は、困ったことがあったらいつでも来てと伝え、沖舂次を見送った。
医者の所見では沖舂次は健康そのものだった。心置きなく長期任務に挑める。
気分爽快のはずだが、沖舂次は引っかかりを感じていた。
「中毒……」
医者の説明は沖舂次には初耳だった。
説明を反芻しながら、斎藤が行ってしまった時の感覚を思い出す。あの不思議な感覚、嫌いな煙草が恋しかったのは何故か。部屋に一人残されて感じたのは──
「淋しさ? 私、警部補中毒? 警部補の……煙草が原因で?」
沖舂次は静かな川べりで足を止めた。
近頃、妙に斎藤の存在が気になる。
全て煙草のせいなのか。
煙草中毒のせいで、嫌いな煙草を体が求めた。煙草は全て斎藤の煙草。煙草は斎藤。
沖舂次は首を傾げた。
「警部補がいなくなって淋しかったなんて」
張と別れるのも淋しいと感じた。
斎藤が出て行った時の感覚も同じ淋しさなのでは。
自分は人恋しい性格なのか。常に傍にいた兄が去って以来、知らず知らず人の存在を求めているのか。
煙草のせいか、自分のせいか。
沖舂次は暫くの間、静かな川の流れを見つめていた。
「戻りました警部補。異常なしです!」
沖舂次は資料室に戻るなり、開口一番、結果を報告した。
「健康体そのものでした!」
「ほぉ、見るからにそうだが、その通りだったか」
「もうちょっと言い方ありませんか、良かったなとか、斎藤さんらしいと言えばそれまでですけど」
「嬉しいぞ、部下が健康ならば幾らでもこき使える」
「ひぇっ、あぁ、でも一つ気になるお話がありました」
問題があるのか。
病で早世した同じ顔の男が、嫌でも思い浮ぶ。話を促した斎藤は、表情筋の強張りを悟られぬよう煙草を咥えた。
「それです、その煙草かもしれません」
怪訝な顔で斎藤が沖舂次を睨んだ。
「私、警部補中毒かもしれません」
「……妙な投薬でも受けたか」
「違いますよ、真面目な話です。煙草には中毒性があるってお医者さんが言ってました。斎藤さんがいなくなると、やけに物淋しいんです。それが煙草のせいかもしれないって……斎藤さん?」
「いや、何でもない」
斎藤は指先に煙草を挟んだ状態で、口元を覆っていた。
予期せぬ話にある種の困惑を覚える。もう一つ、中途半端に人恋しさを自覚した沖舂次に溜め息を吐きたい気分だった。
「大丈夫ですか、煙草の中毒ですから、斎藤さんも気を付けてくださいね」
「あぁ、俺なら心配無用だ」
「斎藤さんが部屋を出て行くと煙草の臭いがしなくなって、淋しく思うのが煙草の影響だそうで、嫌いだった臭いも恋しくなっちゃうんですね」
「あぁそうだな、医者が言うならそうなんだろう」
斎藤は「やれやれ」と目尻を細めた。
恋しいのは煙草の煙臭。何とやらの病は医者も治せぬと言うが、面白いことを吹き込んでくれたものだ。面倒臭さを可笑しさが上回り、斎藤はククッと声を漏らした。
「中毒を回避したいなら俺を避けるか、煙草を吸っている俺に近寄らんことだ」
「斎藤さんが吸わなければ良いんですよ」
「阿呆、やめるかよ」
斎藤はこれ見よがしに煙草を大きく吹かし、沖舂次に紫煙を届けた。
「うわぁ、やめてくださいよ!」
「嫌ならさっさと外回りに行ってこい。まぁ、戻った時に俺が吸っていない保証はないがな」
「最初は気を使ってくれてたのに、最近遠慮なしですね」
「そりゃそうだろう、長期任務も控えている。遠慮し続ける訳にはいかん。お前が慣れろ」
「慣れなくて中毒になっちゃったんですよ!」
本当に中毒なのか、言い掛けた斎藤は煙草で己の口を塞いだ。
面倒を回避するには煙草中毒はいい口実だ。
「嫌いな煙草を恋しく思うほどの中毒は確かに厄介だが、いいんじゃぁないか、俺が傍にいれば途切れることもあるまい」
俺の傍にいればいい。なかなかどうして危うい言葉だ。
今の沖舂次には通じまいと、斎藤は軽く口にした。
「……それって、いいんでしょうか」
「お前は今どんな気分だ。腹立ちや鬱憤を感じているか」
「……どちらかと言えば、落ち着いてて、心地良くて……少し楽しい? 気がします」
「ならば問題あるまい」
「そんなものですか……」
沖舂次は唸り声を上げて首を捻っている。
斎藤は笑い出したい感情を堪えていた。心地よく楽しいとはまた得も言われぬ感想を貰ったものだ。口元が歪んでしまう。
疎まれ避けられる、恐れられて距離を取る、そんな周囲の反応が常である斎藤には、可笑しくてならなかった。
「沖」
「はいっ」
斎藤が指を折って"くいくい"と誘うと、沖舂次は素直に斎藤の前に進み、姿勢を正した。
「ならば今はどうだ。何を感じる」
「えぇと……」
問われると間近で目を合わせ、沖舂次が何かに弾かれたように目をしばしばと瞬かせた。
斎藤の目の周りは深く窪み、瞼は切れ長の目を作り上げている。
大きな瞳で見つめられる訳でもないのに、強い視線を感じて、全てを見透かされる感覚に陥る。
そして、よく見れば色素が薄く綺麗な瞳をしている。初めて、上司に対して「綺麗」という言葉が思い浮かんだ。
沖舂次は目を逸らして良いものか、分からず瞳を左右に泳がせる。
だが、ついには見つめ続けるのを諦めて俯いてしまった。
「あぁぁあの、正直に言いますと、少し照れ臭いです」
「ほぅ。まぁ通常の反応だろう、大抵の人間は至近距離の見合いには緊張するからな。ならばこれはどうだ」
そう言うと斎藤は、何ですかと顔を上げた沖舂次に対して、紫煙を吹きかけた。
まともに食らった沖舂次は目を瞑って咳き込んだ。
「ぷわッ、ゴホっ、あのっ、目が痛いです」
「身体的反応はいい、見れば分かる阿呆が。心理的反応を言え」
「えぇと、何も思い浮かびません! 強いて言えば、何するんですかって怒りです、申し訳ありませんが、ちょっと怒ってます!」
「ハハッ、正しい反応じゃないのか、すまんすまん。まぁ、中毒と言っても煙に対する反応は変わらんのだ、これまで通りでいいんじゃないか」
「分かりました、って言うと思いますか? 全く警部補は! 二度としないでくださいね、顔に煙吹きかけるの! 何度目ですか!」
「何だかんだで嬉しそうじゃないか、これが中毒の効果ってやつか」
「違いますよ! 中毒の症状はっ」
淋しいとか、恋しいとか。
言い掛けた沖舂次は、我に返って口を閉ざした。
まるで警部補が恋しい淋しいと伝える気がして、むしゃくしゃしたのだ。
「なんか恥ずかしいのでもういいです、中毒って言うのは煙草の煙のコトですから」
「それ以外に何かあるのか」
「ぁあああありません!!」
墓穴を掘りかけて、沖舂次は大きく否定した。先刻、警部補中毒などと口にしたことを後悔した。
斎藤の存在に反応して中毒症状を起こしているわけではない。やけに惹かれて物恋しいのは紫煙が故。
沖舂次は珍しく斎藤を睨み上げた。
「いい顔をしてくれるな」
その顔は懐かしいぞ。
ゾクリとする好戦的な眼差しに混在する敬意と敵意。斎藤は懐かしさは伏せて、沖舂次を笑った。
笑われた沖舂次は睨みを強めた。前触れもなく見せられた斎藤のフッと緩んだ顔に、いやに顔が熱くなる。
「不本意ですっ」
「ククッ、そうか不本意か」
俺も不本意だぞと、斎藤は目尻を吊り上げニヤリとした。
部下の顔色一つで懐かしさと昂ぶりを感じるとは不本意だ。不本意で、実に愉快。
斎藤の歪んだ笑みに対して、沖舂次は無邪気な怒りを爆発させて荒れていた。
沖舂次が怒れば怒るほど、斎藤はその姿を笑い、沖舂次の熱を上げていく。
怒り疲れて沖舂次が鎮まるまで、斎藤は煙草を咥えて静かに何度も笑っていた。
身近に喫煙者がおり、嫌いだった煙草の臭い。最近、少し好きになってしまったかもしれないと相談したのだ。
「それはただの中毒よ」
「中毒?!」
「あまり知られていないけど煙草には中毒性があるのよ。自分で吸っていなくても近くにいる人がずっと吸っているんでしょう、きっと貴女もその影響で軽い中毒なのよ」
気を付けなさいと助言をした女医に、沖舂次は素直に頷いた。
診察室に入った時は、初見で凛とした美しさに見惚れてしまった、長い黒髪の女医。
健診を終え、改めてその姿に見惚れた。
「何か気になるコトでもあるのかしら」
「すみません、お綺麗なので見惚れてしまって」
「あらぁ、嬉しいわね、ありがとう」
ふふっと笑った女医は、困ったことがあったらいつでも来てと伝え、沖舂次を見送った。
医者の所見では沖舂次は健康そのものだった。心置きなく長期任務に挑める。
気分爽快のはずだが、沖舂次は引っかかりを感じていた。
「中毒……」
医者の説明は沖舂次には初耳だった。
説明を反芻しながら、斎藤が行ってしまった時の感覚を思い出す。あの不思議な感覚、嫌いな煙草が恋しかったのは何故か。部屋に一人残されて感じたのは──
「淋しさ? 私、警部補中毒? 警部補の……煙草が原因で?」
沖舂次は静かな川べりで足を止めた。
近頃、妙に斎藤の存在が気になる。
全て煙草のせいなのか。
煙草中毒のせいで、嫌いな煙草を体が求めた。煙草は全て斎藤の煙草。煙草は斎藤。
沖舂次は首を傾げた。
「警部補がいなくなって淋しかったなんて」
張と別れるのも淋しいと感じた。
斎藤が出て行った時の感覚も同じ淋しさなのでは。
自分は人恋しい性格なのか。常に傍にいた兄が去って以来、知らず知らず人の存在を求めているのか。
煙草のせいか、自分のせいか。
沖舂次は暫くの間、静かな川の流れを見つめていた。
「戻りました警部補。異常なしです!」
沖舂次は資料室に戻るなり、開口一番、結果を報告した。
「健康体そのものでした!」
「ほぉ、見るからにそうだが、その通りだったか」
「もうちょっと言い方ありませんか、良かったなとか、斎藤さんらしいと言えばそれまでですけど」
「嬉しいぞ、部下が健康ならば幾らでもこき使える」
「ひぇっ、あぁ、でも一つ気になるお話がありました」
問題があるのか。
病で早世した同じ顔の男が、嫌でも思い浮ぶ。話を促した斎藤は、表情筋の強張りを悟られぬよう煙草を咥えた。
「それです、その煙草かもしれません」
怪訝な顔で斎藤が沖舂次を睨んだ。
「私、警部補中毒かもしれません」
「……妙な投薬でも受けたか」
「違いますよ、真面目な話です。煙草には中毒性があるってお医者さんが言ってました。斎藤さんがいなくなると、やけに物淋しいんです。それが煙草のせいかもしれないって……斎藤さん?」
「いや、何でもない」
斎藤は指先に煙草を挟んだ状態で、口元を覆っていた。
予期せぬ話にある種の困惑を覚える。もう一つ、中途半端に人恋しさを自覚した沖舂次に溜め息を吐きたい気分だった。
「大丈夫ですか、煙草の中毒ですから、斎藤さんも気を付けてくださいね」
「あぁ、俺なら心配無用だ」
「斎藤さんが部屋を出て行くと煙草の臭いがしなくなって、淋しく思うのが煙草の影響だそうで、嫌いだった臭いも恋しくなっちゃうんですね」
「あぁそうだな、医者が言うならそうなんだろう」
斎藤は「やれやれ」と目尻を細めた。
恋しいのは煙草の煙臭。何とやらの病は医者も治せぬと言うが、面白いことを吹き込んでくれたものだ。面倒臭さを可笑しさが上回り、斎藤はククッと声を漏らした。
「中毒を回避したいなら俺を避けるか、煙草を吸っている俺に近寄らんことだ」
「斎藤さんが吸わなければ良いんですよ」
「阿呆、やめるかよ」
斎藤はこれ見よがしに煙草を大きく吹かし、沖舂次に紫煙を届けた。
「うわぁ、やめてくださいよ!」
「嫌ならさっさと外回りに行ってこい。まぁ、戻った時に俺が吸っていない保証はないがな」
「最初は気を使ってくれてたのに、最近遠慮なしですね」
「そりゃそうだろう、長期任務も控えている。遠慮し続ける訳にはいかん。お前が慣れろ」
「慣れなくて中毒になっちゃったんですよ!」
本当に中毒なのか、言い掛けた斎藤は煙草で己の口を塞いだ。
面倒を回避するには煙草中毒はいい口実だ。
「嫌いな煙草を恋しく思うほどの中毒は確かに厄介だが、いいんじゃぁないか、俺が傍にいれば途切れることもあるまい」
俺の傍にいればいい。なかなかどうして危うい言葉だ。
今の沖舂次には通じまいと、斎藤は軽く口にした。
「……それって、いいんでしょうか」
「お前は今どんな気分だ。腹立ちや鬱憤を感じているか」
「……どちらかと言えば、落ち着いてて、心地良くて……少し楽しい? 気がします」
「ならば問題あるまい」
「そんなものですか……」
沖舂次は唸り声を上げて首を捻っている。
斎藤は笑い出したい感情を堪えていた。心地よく楽しいとはまた得も言われぬ感想を貰ったものだ。口元が歪んでしまう。
疎まれ避けられる、恐れられて距離を取る、そんな周囲の反応が常である斎藤には、可笑しくてならなかった。
「沖」
「はいっ」
斎藤が指を折って"くいくい"と誘うと、沖舂次は素直に斎藤の前に進み、姿勢を正した。
「ならば今はどうだ。何を感じる」
「えぇと……」
問われると間近で目を合わせ、沖舂次が何かに弾かれたように目をしばしばと瞬かせた。
斎藤の目の周りは深く窪み、瞼は切れ長の目を作り上げている。
大きな瞳で見つめられる訳でもないのに、強い視線を感じて、全てを見透かされる感覚に陥る。
そして、よく見れば色素が薄く綺麗な瞳をしている。初めて、上司に対して「綺麗」という言葉が思い浮かんだ。
沖舂次は目を逸らして良いものか、分からず瞳を左右に泳がせる。
だが、ついには見つめ続けるのを諦めて俯いてしまった。
「あぁぁあの、正直に言いますと、少し照れ臭いです」
「ほぅ。まぁ通常の反応だろう、大抵の人間は至近距離の見合いには緊張するからな。ならばこれはどうだ」
そう言うと斎藤は、何ですかと顔を上げた沖舂次に対して、紫煙を吹きかけた。
まともに食らった沖舂次は目を瞑って咳き込んだ。
「ぷわッ、ゴホっ、あのっ、目が痛いです」
「身体的反応はいい、見れば分かる阿呆が。心理的反応を言え」
「えぇと、何も思い浮かびません! 強いて言えば、何するんですかって怒りです、申し訳ありませんが、ちょっと怒ってます!」
「ハハッ、正しい反応じゃないのか、すまんすまん。まぁ、中毒と言っても煙に対する反応は変わらんのだ、これまで通りでいいんじゃないか」
「分かりました、って言うと思いますか? 全く警部補は! 二度としないでくださいね、顔に煙吹きかけるの! 何度目ですか!」
「何だかんだで嬉しそうじゃないか、これが中毒の効果ってやつか」
「違いますよ! 中毒の症状はっ」
淋しいとか、恋しいとか。
言い掛けた沖舂次は、我に返って口を閉ざした。
まるで警部補が恋しい淋しいと伝える気がして、むしゃくしゃしたのだ。
「なんか恥ずかしいのでもういいです、中毒って言うのは煙草の煙のコトですから」
「それ以外に何かあるのか」
「ぁあああありません!!」
墓穴を掘りかけて、沖舂次は大きく否定した。先刻、警部補中毒などと口にしたことを後悔した。
斎藤の存在に反応して中毒症状を起こしているわけではない。やけに惹かれて物恋しいのは紫煙が故。
沖舂次は珍しく斎藤を睨み上げた。
「いい顔をしてくれるな」
その顔は懐かしいぞ。
ゾクリとする好戦的な眼差しに混在する敬意と敵意。斎藤は懐かしさは伏せて、沖舂次を笑った。
笑われた沖舂次は睨みを強めた。前触れもなく見せられた斎藤のフッと緩んだ顔に、いやに顔が熱くなる。
「不本意ですっ」
「ククッ、そうか不本意か」
俺も不本意だぞと、斎藤は目尻を吊り上げニヤリとした。
部下の顔色一つで懐かしさと昂ぶりを感じるとは不本意だ。不本意で、実に愉快。
斎藤の歪んだ笑みに対して、沖舂次は無邪気な怒りを爆発させて荒れていた。
沖舂次が怒れば怒るほど、斎藤はその姿を笑い、沖舂次の熱を上げていく。
怒り疲れて沖舂次が鎮まるまで、斎藤は煙草を咥えて静かに何度も笑っていた。
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