◆沖田総司に似た密偵の部下
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4.斎藤さん
さて、馬鹿な二等巡査達に絡まれて、俺の部下は初めての屈辱を味わったようだ。
いい歳して随分と泣き喚く。
だが泣くなとも言えなかった。
上着が一枚汚れるだけで済むなら、まぁいいだろう。
部下を甘やかす気はないが、放置も出来まい。
沖舂次に何をしてやるべきか。
二つの考えが浮かんだ俺は、手っ取り早い策に打って出た。
針と糸と共に持ってきた、予備の上着を沖舂次に渡す。
「飯に行くぞ」
「飯……でもまだ着いたばかりで」
「俺は朝飯を食い損ねた。ついて来い」
俺が行きたいんだと強引に誘うと、沖舂次は黙って頷いた。
この場を離れたかっただろう。
外を歩き、何か腹に入れて気分転換すれば、元気も出る。
二人で資料室を出ると、人が増えていた。
沖舂次を連れて警視庁内を歩くと、必ずと言っていいほど、ひそひそ囁く声が聞こえる。
こいつはこんな声をいつも聞いて歩いているのか。
まぁ、俺が京にいた頃の新選組に対する囁きも様々だったが。
「気になるか」
「気にしていませんよ、大丈夫です」
「そうか」
強がっているのか、弱い自分を見せまいと堪える所が沖田君に似ているとは、本人には言えんな。
本人に気付かれないよう横目に入れて歩いていると、警視庁を出て暫く行ったところで沖舂次が口を開いた。
「私って……そんなに似ているんですか」
「んっ?」
「沖田総司さんに……」
あんな事の後だ、似ていないと言うべきか。
だがここまで周りから言われているのだ。
偽りの答えより、真実を伝えて受け入れさせるしかあるまい。
「あぁ。俺が言うのも何だが、似ている」
「そうですか……そっか、一緒にいた藤田警部補がそう思うんなら本当にそうですよね。……藤田警部補も今とは違う名前だったんですよね」
名前は幾つか持っている。
その中でも、あの頃名乗っていた名前に一番思い入れがあるとは、伝える気になれない。
「昔の話だ」
「斎藤……さん」
「っ!」
勘付かれただろうか。
俺の心臓が強く跳ねたことを。
驚いた、本当に沖田君に呼ばれた感覚がした。
もう一度この声を聞けるとは思わなかった。
いや、違う、これは沖舂次の声、沖田君ではない。
分かっているが、体に染みついた記憶は勝手に反応してしまう。
「言ってはいけない名前でしたか、すみません」
「いや、構わん。今でも斎藤と呼ぶ人間は多い」
「そうですか、良かった」
まずい発言だったかと眉根を寄せた沖舂次が、ほぅっと安堵して力を抜いた。
随分と気を張っているな。
「斎藤さん……私が知らない藤田警部補ですね」
まただ、胸の奥がぐらついた。
不意を突かれて俺の記憶が幻聴を、錯覚を引き起こす。
目の前の女が、あの男に見える。
「藤田警部補?」
「いや……なんでもない。今日は屋台ではなく、座れる店に行くぞ」
落ち着いて座りたい気分だ。
俺が動揺していては沖舂次が余計に困惑する。
悟られないよう深い呼吸を繰り返し、俺は気持ちを静めた。
沖舂次はずっと傍に置いておきたいような、いっそ遠ざけてしまいたいような、心を乱す存在。
だが私情で異動させるなどしてはならない。良く働くいい部下だ。
至らないのは懐かしさで動揺する愚かな上司、俺の方だ。
「藤田警部補、具合でも悪いのですか」
「平気だ、着いたぞ」
「わぁ、私もやっぱり頼んでいいですか、なんだかお腹空いちゃいました。香りには勝てませんね」
暖簾をくぐって見せる屈託の無い笑顔。
──あぁ……
認めざるを得ないのは己だと理解した。
沖舂次が受け入れているように、俺も受け入れねばなるまい。
沖田君に似ているこいつを。
それに、似ているせいかはどうでもいい、名前を呼ばれると何故か嬉しく感じる自分を、楽しそうな姿に自分まで楽しくなっている事を。
自信を喪失してしょげていた顔は、すっかりいつもの元気を取り戻していた。
部下が元気に走り回って任務に励む、いいことだ。
今は難しい仕事を一人でこなせるよう成長させる、それが俺の立場で成すべきこと。
俺は自分を戒めるつもりで、沖舂次の笑顔を己の目に焼き付けた。
さて、馬鹿な二等巡査達に絡まれて、俺の部下は初めての屈辱を味わったようだ。
いい歳して随分と泣き喚く。
だが泣くなとも言えなかった。
上着が一枚汚れるだけで済むなら、まぁいいだろう。
部下を甘やかす気はないが、放置も出来まい。
沖舂次に何をしてやるべきか。
二つの考えが浮かんだ俺は、手っ取り早い策に打って出た。
針と糸と共に持ってきた、予備の上着を沖舂次に渡す。
「飯に行くぞ」
「飯……でもまだ着いたばかりで」
「俺は朝飯を食い損ねた。ついて来い」
俺が行きたいんだと強引に誘うと、沖舂次は黙って頷いた。
この場を離れたかっただろう。
外を歩き、何か腹に入れて気分転換すれば、元気も出る。
二人で資料室を出ると、人が増えていた。
沖舂次を連れて警視庁内を歩くと、必ずと言っていいほど、ひそひそ囁く声が聞こえる。
こいつはこんな声をいつも聞いて歩いているのか。
まぁ、俺が京にいた頃の新選組に対する囁きも様々だったが。
「気になるか」
「気にしていませんよ、大丈夫です」
「そうか」
強がっているのか、弱い自分を見せまいと堪える所が沖田君に似ているとは、本人には言えんな。
本人に気付かれないよう横目に入れて歩いていると、警視庁を出て暫く行ったところで沖舂次が口を開いた。
「私って……そんなに似ているんですか」
「んっ?」
「沖田総司さんに……」
あんな事の後だ、似ていないと言うべきか。
だがここまで周りから言われているのだ。
偽りの答えより、真実を伝えて受け入れさせるしかあるまい。
「あぁ。俺が言うのも何だが、似ている」
「そうですか……そっか、一緒にいた藤田警部補がそう思うんなら本当にそうですよね。……藤田警部補も今とは違う名前だったんですよね」
名前は幾つか持っている。
その中でも、あの頃名乗っていた名前に一番思い入れがあるとは、伝える気になれない。
「昔の話だ」
「斎藤……さん」
「っ!」
勘付かれただろうか。
俺の心臓が強く跳ねたことを。
驚いた、本当に沖田君に呼ばれた感覚がした。
もう一度この声を聞けるとは思わなかった。
いや、違う、これは沖舂次の声、沖田君ではない。
分かっているが、体に染みついた記憶は勝手に反応してしまう。
「言ってはいけない名前でしたか、すみません」
「いや、構わん。今でも斎藤と呼ぶ人間は多い」
「そうですか、良かった」
まずい発言だったかと眉根を寄せた沖舂次が、ほぅっと安堵して力を抜いた。
随分と気を張っているな。
「斎藤さん……私が知らない藤田警部補ですね」
まただ、胸の奥がぐらついた。
不意を突かれて俺の記憶が幻聴を、錯覚を引き起こす。
目の前の女が、あの男に見える。
「藤田警部補?」
「いや……なんでもない。今日は屋台ではなく、座れる店に行くぞ」
落ち着いて座りたい気分だ。
俺が動揺していては沖舂次が余計に困惑する。
悟られないよう深い呼吸を繰り返し、俺は気持ちを静めた。
沖舂次はずっと傍に置いておきたいような、いっそ遠ざけてしまいたいような、心を乱す存在。
だが私情で異動させるなどしてはならない。良く働くいい部下だ。
至らないのは懐かしさで動揺する愚かな上司、俺の方だ。
「藤田警部補、具合でも悪いのですか」
「平気だ、着いたぞ」
「わぁ、私もやっぱり頼んでいいですか、なんだかお腹空いちゃいました。香りには勝てませんね」
暖簾をくぐって見せる屈託の無い笑顔。
──あぁ……
認めざるを得ないのは己だと理解した。
沖舂次が受け入れているように、俺も受け入れねばなるまい。
沖田君に似ているこいつを。
それに、似ているせいかはどうでもいい、名前を呼ばれると何故か嬉しく感じる自分を、楽しそうな姿に自分まで楽しくなっている事を。
自信を喪失してしょげていた顔は、すっかりいつもの元気を取り戻していた。
部下が元気に走り回って任務に励む、いいことだ。
今は難しい仕事を一人でこなせるよう成長させる、それが俺の立場で成すべきこと。
俺は自分を戒めるつもりで、沖舂次の笑顔を己の目に焼き付けた。