◆沖田総司に似た密偵の部下
夢主名前設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
3.切れた糸
今日の任務は資料室から始まる。
奥まった場所にある資料室を目指して廊下を進むと、突き当たりの壁で男が二人、雑談をしている。
袖章、線の太さと数で分かる、新米の私より官等が上の二等巡査二人だ。
嫌な予感がする。
近付きたくないが、男達の手前にあるのが私が入りたい部屋。
目を合わせないように廊下を行くが、男達がこちらへ来るのを感じた。
「よぉ、新米で特務担当だってな。随分な抜擢じゃねぇか」
思った通り、どうでもいい話で足を止められた。
「私は選ばれる立場でしたので、何も言うことはありません」
男達は私の言葉が癪に障ったようだ。
無駄話してないでさっさと持ち場に戻れ、そう言いたかっただけなのに。
いや、もともと私に言い掛かりをつける気で待っていたのかもしれない。
明かな悪意を向けられ、私は身構えた。
「お前、噂通り沖田総司にそっくりだな」
「よく言われますが、私は沖田総司を知りません」
呼び止めてきた男に気を取られていると、いつの間にか後ろに回ったもう一人に揶揄われ、慌てて振り返った。
何だかんだで動きが速い。
「いやぁ、実によく似てるぜ、顔も声も、その生意気な目もそっくりだ」
「あぁ、見ていると腹が立つな。似過ぎだぜ、本人なんじゃねぇのか」
「沖田総司は生きていたってな、ありえない話じゃねぇよなぁ」
前と後から交互に話しかけて来る。
至近距離で双方どちらも警戒しなきゃいけないなんて不利だ。
私はなんとか二人を同時に視界に入れようと、じりじり後退した。敢えて壁から離れ、廊下の中央で二人を睨む。
「馬鹿なことを言いますね、気になるなら上官に確認してください」
「面倒臭ぇじゃねぇか、それより手っ取り早くこういうのはどうだ」
一人がいきなり殴り掛かって来た。
危なかった、壁際に退いていたら追い詰められていた。
「何をするんですか! ここは警視庁、警官同士ですよ!」
拳を避けて怒鳴るが話を聞く気が無いらしく、二発目の拳が飛んできた。
「くっ、いい加減にしてください! っあ」
「よしっ、掴まえたぜ!」
「離せっ!」
殴り掛かる男に気を取られた隙に、もう一人が後ろから私を羽交い絞めにした。
警官同士、警視庁の中だと思って油断した自分が恨めしい。
「貴方達は馬鹿ですか、こんな事をして処罰の対象になりますよ!」
「なんとでもなるんだよぉ、新米ちゃんは知らねぇだろうなぁ、ククク」
「っち、ふざけないでください!!」
「沖田総司じゃねぇって確認したら離してやるぜ、だから大人しくしろ」
「うっ……ぐっ、貴様らっ」
私の身を封じる腕に力が籠り、情けない声を上げてしまった。
なんて力なの。
「お前胸がねぇけど潰してんだろ、それを確認したら離してやるさ。まぁ見ちまったら別の気が起こるかもしれねぇがなぁ」
「何を、言ってるのっ……」
「まどろっこしいぜ、さっさとしろ、早くしねぇと人が来ちまう」
「分かった、ホラよ!」
「っ、ひぁっ!!」
馬鹿力が私の胸元を掴み、制服を強引に開いた。
釦が吹き飛ぶ。上着の釦も、その下の白いシャツの釦までも、一斉に生地から離れて床に転がった。
開かれた胸元の晒を見て、男の顔が卑しく歪む。
沖田総司への恨みがあるのか、顔が似ている相手へ意趣返しとは笑えない。きっと幕末、沖田総司にはとても敵わなかったのだろう。
逆に、私になら勝てると判断したってこと。私は沖田総司には遠く及ばないらしい。悔しいけど、自分でもそう思う。
「ははっ、凄ぇ力だな!」
「あぁ思った通り晒を巻いてやがる!」
「くそっ、支給されたばかりの制服だぞ!」
「そんな心配しなくても新しいの貰えるだろ、貰えなかったら俺が届けてやるぜ」
厭な笑いを見せて男の顔が私に近付く。
汚い顔だ、腕が駄目なら。
「おっと、癖の悪い足だ」
蹴りを入れようとしたが見抜かれて、足まで押さえられてしまった。
これって絶体絶命なんじゃない。こんな場所でこんな目に合うなんて、甘く見ていた。
「本当に女か確かめるにはこの晒が邪魔だな、これも破っちまうか」
「いいねぇ、急げよ」
「なっ、貴方達どこまで馬鹿なの、そんな事したらっ」
「だからな、警察と言えども正義漢が集まってるわけじゃねぇんだよ、なんとでもなるのさ」
「ふざけっ……くっ!!」
馬鹿話で隙を作ったのは男達。
抵抗していた私は咄嗟に力を抜いて、均衡を失った男の腕から抜け出した。
いずれ必要な時が来る、女なら尚更と言われて教わった護身術、拘束からの脱出術が役立った。
真面目に鍛練しておくべきだと改めて思い知る。
「テメェ!!」
「掴まえろ!!」
「もう捕まりません、さぁどこからでも掛かって来てください!」
勢い余って挑発したけど、ここは逃げるべき。
逃げる気はないと戦う意思を示して両拳を体の前で構えると、男達は私の胸元に気を奪われいた。
本当に男って馬鹿なんだ。
でもこれで男達の初動が遅れる。今のうちに逃げようと振り返った時、見慣れた人物が立っていた。
「何をしている」
「げっ、藤田警部補っ!」
男がみっともない声を上げた。
正直、私も同じ声を上げそうになった。
騒ぎを聞きつけたのか姿を見せた藤田警部補。
違う、資料室に用があるんだ。
私もここに来たのは資料室に入ろうと思ったから。
「何でもありません、すぐに済みます」
これくらい、自分で片を付けなければ。
警部補の前で逃げるなんて出来ない。
正面から二人同時は無理だけど、一人ずつなら。
改めて構え直して隙を窺うが、男達は戦意を喪失していた。
「あっ、ぁああ! もう終いだな、じゃ、じゃあな! 任務頑張れよ!」
男達はわざとらしい言葉を残して逃げて行った。
本当に馬鹿々々しい。
藤田警部補が不審の目で男達を見送る傍ら、私は身を屈めて散らばった釦を拾い集めた。
上着の大きな釦は目に付く。すぐに全てが揃った。
足りないのはシャツの釦。小さくて軽いから遠くまで飛ばされてしまったのかもしれない。
屈んだまま、床の上を向こうまで見ていると、目の前に大きな手が現れた。
「ほら、これが最後の一つだろ」
「すみません助かりました、ありがとう……ございます」
「気にするな。大丈夫か」
「大丈夫じゃありませんよ、針と糸を借りられますか」
むすっと口を尖らせて立ち上がると、警部補は何が面白かったのか、ククッと笑った。
「そんな口が利けるようなら平気だな」
言い終えて、警部補の視線が私の胸元へ向かう。
仕方がない、こんな恰好の娘がいたら私だって目を向けてしまう。
それに、稽古の時に晒が人の目に触れるなんて珍しくない。
今も別に気にしていない。
だけど少しだけ、胸の奥が重たく感じる。嫌なんじゃなくて、なんだか……熱っぽい。
「ほら」
「え……っと、」
当たり前のように藤田警部補は上着を脱いで私に渡した。
目の前に差し出されると受け取らざるを得ないから、私は素直に掴んでいた。
「縫うなら脱ぐだろ。これを着ていろ」
「あ……ありがとうございます。でも晒姿ぐらい平気です」
「阿呆、またあんな連中に見つかったら絡まれるぞ。面倒を起こすな」
「分かりました……ありがとうございます」
「針と糸、持って来てやるから中で待ってろ」
そう言って針と糸を取りに行ってくれた警部補。
心なしかいつもより早足に見えた。
言葉に甘えて先に資料室へ入り、可哀想な姿になった上着とシャツを脱ぐ。
藤田警部補の上着を羽織ると、温かかった。
「まだあったかい……それに、」
比べ物にならないほど、大きい。
さっきの連中もそうだ。
私を掴んだ手は、私の手と比べ物にならないほど大きかった。
たまたま頭も精神も弱い連中で、下心から隙が生まれた。
だから身に付けた護身術で窮地を脱せた。
でも、藤田警部補みたいに抜かりの無い男が相手だったら、勝てなかっただろう。
男も女も関係ない。
そう育てられて、自分を信じてきた。
事実、そこらの男には負けない。
「だけどっ……」
温かくて大きい上着に包まれて感じるものに反し、涙をこぼしてしまった。
「悔しいっ……」
どう足掻いても力では敵わない。
生まれて初めて思い知らされた。
稽古でも負けたことが無かった。相手の竹刀を叩き落とすなんて簡単、力の差なんて技術でどうとでも補えると感じていた。
でも今日は。
相手が複数だったとはいえ、腕力の差は歴然だった。
後ろから押さえられ、あのまま力を加えられたら私の骨は折れていた。
釦を引き千切られたが、その気になれば手足だって壊されていた。
「悔しいよ、悔しいよっ……」
力で敵わないなら他で勝負するしかない。
理屈では分かるが、涙が止まらない。
「うぁあああっ!」
私は叫んで机を叩きつけた。
八つ当たりされた机が怒ったのか、上に置かれた釦が床に散らばってしまった。
せっかく拾ったのに、また探さないと。
目を動かしても全ての釦が確認できない。
藤田警部補が拾ってくれた最後の一つの釦も、また見えなくなってしまった。
「もう……馬鹿……私の、馬鹿……」
こんなことで落ち込んでいては密偵失格だ。心を乱して物に当たるなんて以ての外。
でも堪えようとしても、涙は流れ続けた。
藤田警部補の上着が濡れてしまう。
もういっそ、潔く怒られよう。
私は大きな上着に縋るように激しく泣いた。
早足で去って行った警部補は私の涙が止まるまで、戻って来なかった。
今日の任務は資料室から始まる。
奥まった場所にある資料室を目指して廊下を進むと、突き当たりの壁で男が二人、雑談をしている。
袖章、線の太さと数で分かる、新米の私より官等が上の二等巡査二人だ。
嫌な予感がする。
近付きたくないが、男達の手前にあるのが私が入りたい部屋。
目を合わせないように廊下を行くが、男達がこちらへ来るのを感じた。
「よぉ、新米で特務担当だってな。随分な抜擢じゃねぇか」
思った通り、どうでもいい話で足を止められた。
「私は選ばれる立場でしたので、何も言うことはありません」
男達は私の言葉が癪に障ったようだ。
無駄話してないでさっさと持ち場に戻れ、そう言いたかっただけなのに。
いや、もともと私に言い掛かりをつける気で待っていたのかもしれない。
明かな悪意を向けられ、私は身構えた。
「お前、噂通り沖田総司にそっくりだな」
「よく言われますが、私は沖田総司を知りません」
呼び止めてきた男に気を取られていると、いつの間にか後ろに回ったもう一人に揶揄われ、慌てて振り返った。
何だかんだで動きが速い。
「いやぁ、実によく似てるぜ、顔も声も、その生意気な目もそっくりだ」
「あぁ、見ていると腹が立つな。似過ぎだぜ、本人なんじゃねぇのか」
「沖田総司は生きていたってな、ありえない話じゃねぇよなぁ」
前と後から交互に話しかけて来る。
至近距離で双方どちらも警戒しなきゃいけないなんて不利だ。
私はなんとか二人を同時に視界に入れようと、じりじり後退した。敢えて壁から離れ、廊下の中央で二人を睨む。
「馬鹿なことを言いますね、気になるなら上官に確認してください」
「面倒臭ぇじゃねぇか、それより手っ取り早くこういうのはどうだ」
一人がいきなり殴り掛かって来た。
危なかった、壁際に退いていたら追い詰められていた。
「何をするんですか! ここは警視庁、警官同士ですよ!」
拳を避けて怒鳴るが話を聞く気が無いらしく、二発目の拳が飛んできた。
「くっ、いい加減にしてください! っあ」
「よしっ、掴まえたぜ!」
「離せっ!」
殴り掛かる男に気を取られた隙に、もう一人が後ろから私を羽交い絞めにした。
警官同士、警視庁の中だと思って油断した自分が恨めしい。
「貴方達は馬鹿ですか、こんな事をして処罰の対象になりますよ!」
「なんとでもなるんだよぉ、新米ちゃんは知らねぇだろうなぁ、ククク」
「っち、ふざけないでください!!」
「沖田総司じゃねぇって確認したら離してやるぜ、だから大人しくしろ」
「うっ……ぐっ、貴様らっ」
私の身を封じる腕に力が籠り、情けない声を上げてしまった。
なんて力なの。
「お前胸がねぇけど潰してんだろ、それを確認したら離してやるさ。まぁ見ちまったら別の気が起こるかもしれねぇがなぁ」
「何を、言ってるのっ……」
「まどろっこしいぜ、さっさとしろ、早くしねぇと人が来ちまう」
「分かった、ホラよ!」
「っ、ひぁっ!!」
馬鹿力が私の胸元を掴み、制服を強引に開いた。
釦が吹き飛ぶ。上着の釦も、その下の白いシャツの釦までも、一斉に生地から離れて床に転がった。
開かれた胸元の晒を見て、男の顔が卑しく歪む。
沖田総司への恨みがあるのか、顔が似ている相手へ意趣返しとは笑えない。きっと幕末、沖田総司にはとても敵わなかったのだろう。
逆に、私になら勝てると判断したってこと。私は沖田総司には遠く及ばないらしい。悔しいけど、自分でもそう思う。
「ははっ、凄ぇ力だな!」
「あぁ思った通り晒を巻いてやがる!」
「くそっ、支給されたばかりの制服だぞ!」
「そんな心配しなくても新しいの貰えるだろ、貰えなかったら俺が届けてやるぜ」
厭な笑いを見せて男の顔が私に近付く。
汚い顔だ、腕が駄目なら。
「おっと、癖の悪い足だ」
蹴りを入れようとしたが見抜かれて、足まで押さえられてしまった。
これって絶体絶命なんじゃない。こんな場所でこんな目に合うなんて、甘く見ていた。
「本当に女か確かめるにはこの晒が邪魔だな、これも破っちまうか」
「いいねぇ、急げよ」
「なっ、貴方達どこまで馬鹿なの、そんな事したらっ」
「だからな、警察と言えども正義漢が集まってるわけじゃねぇんだよ、なんとでもなるのさ」
「ふざけっ……くっ!!」
馬鹿話で隙を作ったのは男達。
抵抗していた私は咄嗟に力を抜いて、均衡を失った男の腕から抜け出した。
いずれ必要な時が来る、女なら尚更と言われて教わった護身術、拘束からの脱出術が役立った。
真面目に鍛練しておくべきだと改めて思い知る。
「テメェ!!」
「掴まえろ!!」
「もう捕まりません、さぁどこからでも掛かって来てください!」
勢い余って挑発したけど、ここは逃げるべき。
逃げる気はないと戦う意思を示して両拳を体の前で構えると、男達は私の胸元に気を奪われいた。
本当に男って馬鹿なんだ。
でもこれで男達の初動が遅れる。今のうちに逃げようと振り返った時、見慣れた人物が立っていた。
「何をしている」
「げっ、藤田警部補っ!」
男がみっともない声を上げた。
正直、私も同じ声を上げそうになった。
騒ぎを聞きつけたのか姿を見せた藤田警部補。
違う、資料室に用があるんだ。
私もここに来たのは資料室に入ろうと思ったから。
「何でもありません、すぐに済みます」
これくらい、自分で片を付けなければ。
警部補の前で逃げるなんて出来ない。
正面から二人同時は無理だけど、一人ずつなら。
改めて構え直して隙を窺うが、男達は戦意を喪失していた。
「あっ、ぁああ! もう終いだな、じゃ、じゃあな! 任務頑張れよ!」
男達はわざとらしい言葉を残して逃げて行った。
本当に馬鹿々々しい。
藤田警部補が不審の目で男達を見送る傍ら、私は身を屈めて散らばった釦を拾い集めた。
上着の大きな釦は目に付く。すぐに全てが揃った。
足りないのはシャツの釦。小さくて軽いから遠くまで飛ばされてしまったのかもしれない。
屈んだまま、床の上を向こうまで見ていると、目の前に大きな手が現れた。
「ほら、これが最後の一つだろ」
「すみません助かりました、ありがとう……ございます」
「気にするな。大丈夫か」
「大丈夫じゃありませんよ、針と糸を借りられますか」
むすっと口を尖らせて立ち上がると、警部補は何が面白かったのか、ククッと笑った。
「そんな口が利けるようなら平気だな」
言い終えて、警部補の視線が私の胸元へ向かう。
仕方がない、こんな恰好の娘がいたら私だって目を向けてしまう。
それに、稽古の時に晒が人の目に触れるなんて珍しくない。
今も別に気にしていない。
だけど少しだけ、胸の奥が重たく感じる。嫌なんじゃなくて、なんだか……熱っぽい。
「ほら」
「え……っと、」
当たり前のように藤田警部補は上着を脱いで私に渡した。
目の前に差し出されると受け取らざるを得ないから、私は素直に掴んでいた。
「縫うなら脱ぐだろ。これを着ていろ」
「あ……ありがとうございます。でも晒姿ぐらい平気です」
「阿呆、またあんな連中に見つかったら絡まれるぞ。面倒を起こすな」
「分かりました……ありがとうございます」
「針と糸、持って来てやるから中で待ってろ」
そう言って針と糸を取りに行ってくれた警部補。
心なしかいつもより早足に見えた。
言葉に甘えて先に資料室へ入り、可哀想な姿になった上着とシャツを脱ぐ。
藤田警部補の上着を羽織ると、温かかった。
「まだあったかい……それに、」
比べ物にならないほど、大きい。
さっきの連中もそうだ。
私を掴んだ手は、私の手と比べ物にならないほど大きかった。
たまたま頭も精神も弱い連中で、下心から隙が生まれた。
だから身に付けた護身術で窮地を脱せた。
でも、藤田警部補みたいに抜かりの無い男が相手だったら、勝てなかっただろう。
男も女も関係ない。
そう育てられて、自分を信じてきた。
事実、そこらの男には負けない。
「だけどっ……」
温かくて大きい上着に包まれて感じるものに反し、涙をこぼしてしまった。
「悔しいっ……」
どう足掻いても力では敵わない。
生まれて初めて思い知らされた。
稽古でも負けたことが無かった。相手の竹刀を叩き落とすなんて簡単、力の差なんて技術でどうとでも補えると感じていた。
でも今日は。
相手が複数だったとはいえ、腕力の差は歴然だった。
後ろから押さえられ、あのまま力を加えられたら私の骨は折れていた。
釦を引き千切られたが、その気になれば手足だって壊されていた。
「悔しいよ、悔しいよっ……」
力で敵わないなら他で勝負するしかない。
理屈では分かるが、涙が止まらない。
「うぁあああっ!」
私は叫んで机を叩きつけた。
八つ当たりされた机が怒ったのか、上に置かれた釦が床に散らばってしまった。
せっかく拾ったのに、また探さないと。
目を動かしても全ての釦が確認できない。
藤田警部補が拾ってくれた最後の一つの釦も、また見えなくなってしまった。
「もう……馬鹿……私の、馬鹿……」
こんなことで落ち込んでいては密偵失格だ。心を乱して物に当たるなんて以ての外。
でも堪えようとしても、涙は流れ続けた。
藤田警部補の上着が濡れてしまう。
もういっそ、潔く怒られよう。
私は大きな上着に縋るように激しく泣いた。
早足で去って行った警部補は私の涙が止まるまで、戻って来なかった。