【明】あの時、男の、約束めぐり
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局長、副長、懐かしい男達との約束を果たして歩く斎藤。
長年勤めた警官、密偵の仕事から退いた俺は、知り合いに乞われて守衛やら書類仕事の手伝いをしている。
どちらも警察勤めの頃とたいして変わらぬ職務だ。密偵という特殊な立場が故か、書類仕事も散々こなしてきた。作戦立案と応援要請、人員やら予算の把握と算出、任務報告と嫌になるくらい処理したものだ。
おかげで今の仕事も苦労なく勤めているが、ひとつ、俺は時間を持て余していた。
密偵勤めの頃は、家に帰ることも儘ならなかった。
今は仕事が終われば家に帰る。休みの日は職場へ出向かない。当たり前の日常に、俺は時間を持て余していた。
「今まで出来なかったことを、してみてはいかがですか?」
「今まで出来なかったこと、ですか」
馴染みの人物に何の気なく暇だと零して、返ってきた言葉に俺は驚いた。
考えたこともなかった。何故なら、俺はその時その時、為すべきことを成してきたからだ。
出来なかったことだと。
俺は何かを悔いたことはない。悔いても意味がないからだ。反省はする。過去を振り返りもする。だが後悔はしない。
惜しいと思う出来事は、あったが。
「約束……」
俺は失うには惜しい男たちの死を数多見届けてきた。
そういえば、そんな奴らと交わした約束があった。
「約束と言えるか、いや、約束だな」
思い当たる節がある。
いやに明るい声で「約束ですよ」と何度も俺に迫ったあの男の言葉など、紛れもなく「約束」だろう。
「そうか、俺はまだ、約束を果たしていないのか」
暇潰しにも丁度良い。失うには惜しかった男たちとの約束を、果たしに行くか。
俺は、持て余した時間を使い、男たちとの約束を果たして歩くと決めた。
俺はまず、頭に一番残るあの男の声から、約束を果たすことにした。
『一緒に団子を食べに行きましょうよ』
『俺は甘味は好まん』
新選組にいた頃、任務を共にすることも多かった沖田総司によく言われた言葉だ。
断っても不貞腐れる声は明るく、めげずに機会を見つけては何度も俺を誘ってきた。
何度も何度も、俺は断って、彼は笑っていた。
結局、行かずじまいで別れてしまった。
「一度くらい、行ってやれば良かったか」
しつこいほど誘われたのに、何故か俺は応じなかった。
彼が嫌いだった訳でもないのに、何故応じなかったのか。
戦が始まり、京から江戸、東京に戻った時、沖田君は病に伏せていた。
町外れの療養先、静かな庵に様子を見に行ったが、相変わらずの調子で冗談を言っていた。
『治ったら今度こそ一緒に行ってくださいよ、団子を食べに。快気祝いなんですから、それくらいは付き合ってください』
沖田君は、やせ細った顔で笑っていた。
あの時、俺はようやく『分かった』と返した。
弱々しい笑顔の彼が更に目を細めて喜んだのが、俺にも分かっていた。
明治の世になっても、甘味処は相変わらず繁盛している。
俺は普段気にも留めぬ甘味処の店先に座り、団子を頼んだ。
旨そうな茶と共に、三色団子が運ばれてくる。
皿の上の三色の並びが、どこか懐かしく感じられた。
そうだ、沖田君が屯所に団子を持ち帰って食していたことがあった。その団子もこんな、三色団子だった。
「……旨い」
茶を一口含んだ俺は、染み入るように零した。
横目に団子を見るが如何せん、そそられない。
約束を果たすには一口ぐらい食べるべきだろう。
しかしその気になれず、皿を置いたまま座っていると、通りがかった子供が団子を指さした。食べたい、と素直な欲求を大声にして訴える。まだ一人で出歩けぬような、幼子だ。
当然、連れ添っている母親が、子供の無作法を叱りつけた。
だが俺にとっては、救いの一手。俺は母親を窘め、子供と目を合わせた。久しぶりに藤田五郎の顔をして、声色を和らげる。
「実は友の為に頼んだのだが、友は先に……行ってしまってな。私は甘い物が苦手なもので、困っていた。良ければお前が食ってくれるか」
「い、いいの?」
「あぁ。ただし坊主、母君を困らせるのはこれっきりだぞ」
少々語気を強めに告げると、子供は真顔で何度も大きく頷き、母親は顔を崩した。
母親はすぐ俺に礼を述べ、子供にも礼を述べるよう伝え、何度も頭を下げてきた。
もう結構ですよと俺が止めて初めて、子供は団子を手にする。いい子じゃないか。
俺の安堵が伝わり、本当に甘味が苦手だと悟った母親が、感謝と共に何とも言えぬ笑みを浮かべていた。
俺も満足だ。旨い茶だけを味わって、団子は食べずに済んだのだから。
「これでいいだろう、沖田君。君は子供好きだったからな、喜んでくれるだろう」
もし幕末のあの頃、沖田君と甘味処に出かけていても、同じ結果になっていただろう。
沖田君は勘の鋭い男だ、その結果も見越していたはず。
ほら、子供の嬉しそうな顔に、微笑む沖田君が見えるようだ。
俺は幸せそうな親子に別れを告げて、甘味処を後にした。
❖ ❖ ❖
沖田君との約束を果たした俺は、家に戻り、腰を下ろして一息吐いた。
それから次に何が聞こえるか、記憶を辿った。
聞こえてきたのは、沖田君のように明るく俺を呼ぶ声だった。
「原田さんか。原田さんとの約束、何かあったか」
原田さんもまた明るい人物だった。
稽古終わりの休憩か、巡察終わりのひと時だったか、原田さんが俺を捉まえて言った気がする。
あぁ、あれは巡察終わりか。
俺があまりに目を光らせて市中を廻るから、町の皆が怖がっていたと咎められた。
『サイトーちゃんよぉ、お前、そんな怖い顔ばっかりしてるけど、女子供には優しくしろよ? お前だっていつかは所帯を持つだろ、そん時に怖い顔しててみろよ、奥さん子供が可哀そうだぜ』
女子供に優しくしろ、確かにそう言っていた。
何とも原田さんらしい余計な忠告だ。
「しかしあれが、約束と言えなくもないか」
それに、あながち的外れでもない。
だが女子供に優しくするとは、何をすれば良い。
俺にとっての女子供と言えば、妻子に違いない。
原田さんが考えた通り、俺も今や所帯を持っている。
「夢主」
俺は家内を呼んだ。
夢主は出来た女だ。いつも言葉にする前に、考えを察して動いてくれる。賢く、優しい女だ。
俺はと言えば、どうだろうか。普段、辛く当たっている訳ではないが、改めて優しくすると言っても思い浮かばないものだな。
俺の前で、改まって座る夢主は、俄かに首を傾げている。呼ばれたものの特に話はなく、何か望みが読み取れるわけでもないのだから、無理もない。俺自身、どうすべきか分からないのだからな。
「どうしたんですか?」
「夢主、何か欲しい物はあるか、もしくは行きたい場所でも」
「……一さん」
どうして良いか分からず、無難に問うと、夢主の目が点になった。
どうしたと言うのだ。
「何だ」
「一さん、何か、"悪さ"をなさったんですか?」
そう言って、夢主は「ふふっ」と笑った。
「阿呆」
やれやれ、なかなかに厄介な約束だな原田さん。
突然の不審な問いに、家内は不信感を抱いたようだ。いや、笑っているからそうではない。上手く伝えられない俺の心情を汲み取ったのだろう。
「たまには二人で飲みに行くか」
「本当にどうしたんですか、一さん」
「飲みに行った先で話してやる。取るに足らん話だがな」
「わぁ、それは楽しみです」
たまにはいいだろう。
子供達が自立した今、夫婦二人で夜歩きも出来る。
優しさに当たるかは判断し兼ねるが、俺の提案に、夢主は嬉しそうだ。子供への何かは、出先で夢主に相談するのがいい。
これでいいですか原田さん、女子供に優しく、妻子に優しく、俺は出来ていますか。
出支度を手短に整えた夢主を、俺は玄関で出迎えた。
夢主はやけに嬉しそうな顔で、俺の後ろに下がろうとする。
今更何だと言うのだ。隣に並べと誘うと、これまでになく笑った夢主が、俺の腕に手を添えた。
❖ ❖ ❖
ある日、仕事の合間に、ふと俺は山崎丞を思い出していた。
新選組の頃、共に動く機会は少なかったが、任務を共有する機会は多かった。
大阪出身の山崎は話が面白く、頭が回る敏い男だった。
「山崎との約束は果たしがたいな」
『たまには一緒に変装して座ってえな』
ボロを纏い橋で張り込む任務までこなした山崎が、冗談半分で俺に言った言葉だ。体格が良すぎる俺は目立つから、そういった任務は一切しなかった。小柄な山崎は適任だったのだ。
『斎藤はん、監察方よりよっぽど情報探るん上手いやから、コッチ来てもえぇんやで』
三番隊組長として隊を纏めるのも良いが、よっぽど監察方に向いていると、山崎は何度も笑っていた。
「明治になり密偵として働いた、では駄目か、山崎」
密偵と監察方は似たようなものだろう。
共に動くことは叶わなかったが、山崎が果たした任務と似た仕事を、俺も果たしてきた。
『まぁえぇですよ』
そんな声が聞こえた気がした俺は、不意にあの西の訛りが懐かしくなった。
「今度、大阪にでも行くか」
フッと笑って、俺は西の空を見上げた。
乾いた青空だ。青々と晴れた高い空を、大きな白い雲が流れていた。
❖ ❖ ❖
近藤局長との約束は覚えている。
「斎藤、お前にも道場を手伝って欲しい。無論、毎日とは言わん。江戸に戻り落ち着いた暁には是非、皆に稽古を付けてやってくれ」
「いずれ、必ず」
京では、毎日のように隊士たちと稽古に励んだ。懐かしい日々だ。
局長が言った道場とは江戸の試衛館の話だ。いつかは江戸に戻り、道場を再開したい。沖田総司に継がせるつもりだが如何せん指導を苦手としている。だから時間を見て手伝ってやってくれと、切に請われていた。
剣術稽古とは願ってもない約束だ。
試衛館は局長が江戸を出る際に閉じたまま、門が再び開かれることはなかった。
だが、稽古付けに持ってこいの道場ならば心当たりがある。
俺は、久しぶりに警察の道場に顔を出した。
本当に久しぶりだ。
なんせ、俺が警官だった頃にも、全く顔を出さなかった警察道場だからな。
道場の扉を潜ると、現役警官らの勘か、道場内の喧騒が消え、道場中の視線が一斉に集まった。
警官らの感覚の鋭さに嬉しくなった俺は、静かに口角を上げた。
長年勤めた警官、密偵の仕事から退いた俺は、知り合いに乞われて守衛やら書類仕事の手伝いをしている。
どちらも警察勤めの頃とたいして変わらぬ職務だ。密偵という特殊な立場が故か、書類仕事も散々こなしてきた。作戦立案と応援要請、人員やら予算の把握と算出、任務報告と嫌になるくらい処理したものだ。
おかげで今の仕事も苦労なく勤めているが、ひとつ、俺は時間を持て余していた。
密偵勤めの頃は、家に帰ることも儘ならなかった。
今は仕事が終われば家に帰る。休みの日は職場へ出向かない。当たり前の日常に、俺は時間を持て余していた。
「今まで出来なかったことを、してみてはいかがですか?」
「今まで出来なかったこと、ですか」
馴染みの人物に何の気なく暇だと零して、返ってきた言葉に俺は驚いた。
考えたこともなかった。何故なら、俺はその時その時、為すべきことを成してきたからだ。
出来なかったことだと。
俺は何かを悔いたことはない。悔いても意味がないからだ。反省はする。過去を振り返りもする。だが後悔はしない。
惜しいと思う出来事は、あったが。
「約束……」
俺は失うには惜しい男たちの死を数多見届けてきた。
そういえば、そんな奴らと交わした約束があった。
「約束と言えるか、いや、約束だな」
思い当たる節がある。
いやに明るい声で「約束ですよ」と何度も俺に迫ったあの男の言葉など、紛れもなく「約束」だろう。
「そうか、俺はまだ、約束を果たしていないのか」
暇潰しにも丁度良い。失うには惜しかった男たちとの約束を、果たしに行くか。
俺は、持て余した時間を使い、男たちとの約束を果たして歩くと決めた。
俺はまず、頭に一番残るあの男の声から、約束を果たすことにした。
『一緒に団子を食べに行きましょうよ』
『俺は甘味は好まん』
新選組にいた頃、任務を共にすることも多かった沖田総司によく言われた言葉だ。
断っても不貞腐れる声は明るく、めげずに機会を見つけては何度も俺を誘ってきた。
何度も何度も、俺は断って、彼は笑っていた。
結局、行かずじまいで別れてしまった。
「一度くらい、行ってやれば良かったか」
しつこいほど誘われたのに、何故か俺は応じなかった。
彼が嫌いだった訳でもないのに、何故応じなかったのか。
戦が始まり、京から江戸、東京に戻った時、沖田君は病に伏せていた。
町外れの療養先、静かな庵に様子を見に行ったが、相変わらずの調子で冗談を言っていた。
『治ったら今度こそ一緒に行ってくださいよ、団子を食べに。快気祝いなんですから、それくらいは付き合ってください』
沖田君は、やせ細った顔で笑っていた。
あの時、俺はようやく『分かった』と返した。
弱々しい笑顔の彼が更に目を細めて喜んだのが、俺にも分かっていた。
明治の世になっても、甘味処は相変わらず繁盛している。
俺は普段気にも留めぬ甘味処の店先に座り、団子を頼んだ。
旨そうな茶と共に、三色団子が運ばれてくる。
皿の上の三色の並びが、どこか懐かしく感じられた。
そうだ、沖田君が屯所に団子を持ち帰って食していたことがあった。その団子もこんな、三色団子だった。
「……旨い」
茶を一口含んだ俺は、染み入るように零した。
横目に団子を見るが如何せん、そそられない。
約束を果たすには一口ぐらい食べるべきだろう。
しかしその気になれず、皿を置いたまま座っていると、通りがかった子供が団子を指さした。食べたい、と素直な欲求を大声にして訴える。まだ一人で出歩けぬような、幼子だ。
当然、連れ添っている母親が、子供の無作法を叱りつけた。
だが俺にとっては、救いの一手。俺は母親を窘め、子供と目を合わせた。久しぶりに藤田五郎の顔をして、声色を和らげる。
「実は友の為に頼んだのだが、友は先に……行ってしまってな。私は甘い物が苦手なもので、困っていた。良ければお前が食ってくれるか」
「い、いいの?」
「あぁ。ただし坊主、母君を困らせるのはこれっきりだぞ」
少々語気を強めに告げると、子供は真顔で何度も大きく頷き、母親は顔を崩した。
母親はすぐ俺に礼を述べ、子供にも礼を述べるよう伝え、何度も頭を下げてきた。
もう結構ですよと俺が止めて初めて、子供は団子を手にする。いい子じゃないか。
俺の安堵が伝わり、本当に甘味が苦手だと悟った母親が、感謝と共に何とも言えぬ笑みを浮かべていた。
俺も満足だ。旨い茶だけを味わって、団子は食べずに済んだのだから。
「これでいいだろう、沖田君。君は子供好きだったからな、喜んでくれるだろう」
もし幕末のあの頃、沖田君と甘味処に出かけていても、同じ結果になっていただろう。
沖田君は勘の鋭い男だ、その結果も見越していたはず。
ほら、子供の嬉しそうな顔に、微笑む沖田君が見えるようだ。
俺は幸せそうな親子に別れを告げて、甘味処を後にした。
❖ ❖ ❖
沖田君との約束を果たした俺は、家に戻り、腰を下ろして一息吐いた。
それから次に何が聞こえるか、記憶を辿った。
聞こえてきたのは、沖田君のように明るく俺を呼ぶ声だった。
「原田さんか。原田さんとの約束、何かあったか」
原田さんもまた明るい人物だった。
稽古終わりの休憩か、巡察終わりのひと時だったか、原田さんが俺を捉まえて言った気がする。
あぁ、あれは巡察終わりか。
俺があまりに目を光らせて市中を廻るから、町の皆が怖がっていたと咎められた。
『サイトーちゃんよぉ、お前、そんな怖い顔ばっかりしてるけど、女子供には優しくしろよ? お前だっていつかは所帯を持つだろ、そん時に怖い顔しててみろよ、奥さん子供が可哀そうだぜ』
女子供に優しくしろ、確かにそう言っていた。
何とも原田さんらしい余計な忠告だ。
「しかしあれが、約束と言えなくもないか」
それに、あながち的外れでもない。
だが女子供に優しくするとは、何をすれば良い。
俺にとっての女子供と言えば、妻子に違いない。
原田さんが考えた通り、俺も今や所帯を持っている。
「夢主」
俺は家内を呼んだ。
夢主は出来た女だ。いつも言葉にする前に、考えを察して動いてくれる。賢く、優しい女だ。
俺はと言えば、どうだろうか。普段、辛く当たっている訳ではないが、改めて優しくすると言っても思い浮かばないものだな。
俺の前で、改まって座る夢主は、俄かに首を傾げている。呼ばれたものの特に話はなく、何か望みが読み取れるわけでもないのだから、無理もない。俺自身、どうすべきか分からないのだからな。
「どうしたんですか?」
「夢主、何か欲しい物はあるか、もしくは行きたい場所でも」
「……一さん」
どうして良いか分からず、無難に問うと、夢主の目が点になった。
どうしたと言うのだ。
「何だ」
「一さん、何か、"悪さ"をなさったんですか?」
そう言って、夢主は「ふふっ」と笑った。
「阿呆」
やれやれ、なかなかに厄介な約束だな原田さん。
突然の不審な問いに、家内は不信感を抱いたようだ。いや、笑っているからそうではない。上手く伝えられない俺の心情を汲み取ったのだろう。
「たまには二人で飲みに行くか」
「本当にどうしたんですか、一さん」
「飲みに行った先で話してやる。取るに足らん話だがな」
「わぁ、それは楽しみです」
たまにはいいだろう。
子供達が自立した今、夫婦二人で夜歩きも出来る。
優しさに当たるかは判断し兼ねるが、俺の提案に、夢主は嬉しそうだ。子供への何かは、出先で夢主に相談するのがいい。
これでいいですか原田さん、女子供に優しく、妻子に優しく、俺は出来ていますか。
出支度を手短に整えた夢主を、俺は玄関で出迎えた。
夢主はやけに嬉しそうな顔で、俺の後ろに下がろうとする。
今更何だと言うのだ。隣に並べと誘うと、これまでになく笑った夢主が、俺の腕に手を添えた。
❖ ❖ ❖
ある日、仕事の合間に、ふと俺は山崎丞を思い出していた。
新選組の頃、共に動く機会は少なかったが、任務を共有する機会は多かった。
大阪出身の山崎は話が面白く、頭が回る敏い男だった。
「山崎との約束は果たしがたいな」
『たまには一緒に変装して座ってえな』
ボロを纏い橋で張り込む任務までこなした山崎が、冗談半分で俺に言った言葉だ。体格が良すぎる俺は目立つから、そういった任務は一切しなかった。小柄な山崎は適任だったのだ。
『斎藤はん、監察方よりよっぽど情報探るん上手いやから、コッチ来てもえぇんやで』
三番隊組長として隊を纏めるのも良いが、よっぽど監察方に向いていると、山崎は何度も笑っていた。
「明治になり密偵として働いた、では駄目か、山崎」
密偵と監察方は似たようなものだろう。
共に動くことは叶わなかったが、山崎が果たした任務と似た仕事を、俺も果たしてきた。
『まぁえぇですよ』
そんな声が聞こえた気がした俺は、不意にあの西の訛りが懐かしくなった。
「今度、大阪にでも行くか」
フッと笑って、俺は西の空を見上げた。
乾いた青空だ。青々と晴れた高い空を、大きな白い雲が流れていた。
❖ ❖ ❖
近藤局長との約束は覚えている。
「斎藤、お前にも道場を手伝って欲しい。無論、毎日とは言わん。江戸に戻り落ち着いた暁には是非、皆に稽古を付けてやってくれ」
「いずれ、必ず」
京では、毎日のように隊士たちと稽古に励んだ。懐かしい日々だ。
局長が言った道場とは江戸の試衛館の話だ。いつかは江戸に戻り、道場を再開したい。沖田総司に継がせるつもりだが如何せん指導を苦手としている。だから時間を見て手伝ってやってくれと、切に請われていた。
剣術稽古とは願ってもない約束だ。
試衛館は局長が江戸を出る際に閉じたまま、門が再び開かれることはなかった。
だが、稽古付けに持ってこいの道場ならば心当たりがある。
俺は、久しぶりに警察の道場に顔を出した。
本当に久しぶりだ。
なんせ、俺が警官だった頃にも、全く顔を出さなかった警察道場だからな。
道場の扉を潜ると、現役警官らの勘か、道場内の喧騒が消え、道場中の視線が一斉に集まった。
警官らの感覚の鋭さに嬉しくなった俺は、静かに口角を上げた。