【幕】緋村さんの十字傷
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稽古終わりの昼下がり、斎藤は日陰にある井戸の端にいた。初夏でも冷たい井戸水で汗を拭っている。諸肌を脱いで濡れた手拭いを滑らせれば、不快さが消えていった。
そこへ、ひょい、と跳ぶように沖田がやって来た。稽古前と変わらぬ姿で、にこやかに笑んでいる。同じ道場にいたとは思えない姿だ。
「君も汗を拭ったらどうだ」
「残念ながら僕は汗を掻きませんでしたので。みんなすぐに倒れちゃうんですもの、もう少し動きたいですね」
「稽古で隊士を潰すなよ」
「潰れませんよ、あれくらいでは」
沖田が屈託のない笑顔で首を傾げると、乾いた髪が、さらりと流れた。厭味なほど軽やかだ。
「ところで聞きましたか、緋村さんのコト」
「何か分かったのか」
緋村抜刀斎の所在。志士連中の中でも、新選組が特に求めている男だ。斎藤は体を拭く手を止めた。
「あの十字傷、少し前まではひとつ傷だったらしいですよ。子供の頃にでも負った傷だと思っていましたから、驚きです。俄かには信じられませんよ」
斎藤も僅かに驚きの表情を見せた。平静を装い、桶に手拭いを沈めて軽くすすぐ振りをして、沖田の話を反芻する。桶の中では、手拭いが心地よさそうに揺れていた。
沖田はその姿をちらりとだけ見ると、空を見上げて話を続けた。
「監察方のみなさんが緋村さんを探索する最中に得た話です。ある酒処のご主人の話では、そう、確かにご主人が見たのは緋村さんなんです。でも、頬の傷は一つだった、見間違いではないと仰っていたそうです。夜遅く、何度か店にいらしたそうですよ」
目立つ大きな傷だ。十字傷となれば印象深い。客の顔を覚えるタチの店の主人ならば記憶違いも少ないだろう。
斎藤は手拭いを水から引き上げ、絞った。桶に落ちた水が弾けて更なる飛沫を生み、涼しげな音を鳴らした。
「面白いですよね、ひとつ目の傷はいつからあるんでしょう。ふたつ目の傷をつけたのは、どなたなのでしょう。余程の手練れなのでしょうね、でも僕達の耳に届かない人物なんですよ?」
「余程の手練れか、もしくは」
「もしくは?」
「いや、何でもない」
手練れの剣客でなければ、思いもよらぬ相手と言うこともある。幾つかの可能性を思い浮かべた斎藤だが、話せば話すほど面倒が増えると言葉を飲み込み、手元の手拭を更にきつく絞り直した。
「いいなぁ、僕も緋村さんの頬に傷を増やしてみたいですね」
「あの抜刀斎が相手だ、そんな簡単な話ではあるまい」
「でも、ふたつも傷があるんですよ、もうひとつ増えたらどんな二つ名で呼ばれるのでしょうね」
首を捻って楽しげに、ぶつぶつと考える沖田が閃いて声を上げた。
「サの字! 三本線でサの字でしょうか!」
「サの字の男、緋村抜刀斎。……フッ、随分と阿呆な二つ名だな。何処ぞの破落戸が背負いそうな名だ」
「あははっ、緋村さんに申し訳ありませんね。でしたらもう一本増やして、"手"にすればいいんじゃありませんか。頬に"手"傷って面白いですよ」
馬鹿々々しい。斎藤は絞り切った手拭いを、勢いよく振り降ろした。手拭が一気に伸びて広がり、硬い音を響かせる。
「傷を付けるだけなど手緩い」
話も清拭も終いだと、斎藤は沖田を日陰に残して日向に出た。
途端に強い日差しが体を射す。稽古終わりの隆々と筋が張る体に日を受けて、清めたばかりの肌に汗が滲む気がした斎藤は、思わず洗ったばかりの手拭いを肩に掛けた。濡れた手拭いがひやりと張り付いて、斎藤の肌を冷やした。
そこへ、ひょい、と跳ぶように沖田がやって来た。稽古前と変わらぬ姿で、にこやかに笑んでいる。同じ道場にいたとは思えない姿だ。
「君も汗を拭ったらどうだ」
「残念ながら僕は汗を掻きませんでしたので。みんなすぐに倒れちゃうんですもの、もう少し動きたいですね」
「稽古で隊士を潰すなよ」
「潰れませんよ、あれくらいでは」
沖田が屈託のない笑顔で首を傾げると、乾いた髪が、さらりと流れた。厭味なほど軽やかだ。
「ところで聞きましたか、緋村さんのコト」
「何か分かったのか」
緋村抜刀斎の所在。志士連中の中でも、新選組が特に求めている男だ。斎藤は体を拭く手を止めた。
「あの十字傷、少し前まではひとつ傷だったらしいですよ。子供の頃にでも負った傷だと思っていましたから、驚きです。俄かには信じられませんよ」
斎藤も僅かに驚きの表情を見せた。平静を装い、桶に手拭いを沈めて軽くすすぐ振りをして、沖田の話を反芻する。桶の中では、手拭いが心地よさそうに揺れていた。
沖田はその姿をちらりとだけ見ると、空を見上げて話を続けた。
「監察方のみなさんが緋村さんを探索する最中に得た話です。ある酒処のご主人の話では、そう、確かにご主人が見たのは緋村さんなんです。でも、頬の傷は一つだった、見間違いではないと仰っていたそうです。夜遅く、何度か店にいらしたそうですよ」
目立つ大きな傷だ。十字傷となれば印象深い。客の顔を覚えるタチの店の主人ならば記憶違いも少ないだろう。
斎藤は手拭いを水から引き上げ、絞った。桶に落ちた水が弾けて更なる飛沫を生み、涼しげな音を鳴らした。
「面白いですよね、ひとつ目の傷はいつからあるんでしょう。ふたつ目の傷をつけたのは、どなたなのでしょう。余程の手練れなのでしょうね、でも僕達の耳に届かない人物なんですよ?」
「余程の手練れか、もしくは」
「もしくは?」
「いや、何でもない」
手練れの剣客でなければ、思いもよらぬ相手と言うこともある。幾つかの可能性を思い浮かべた斎藤だが、話せば話すほど面倒が増えると言葉を飲み込み、手元の手拭を更にきつく絞り直した。
「いいなぁ、僕も緋村さんの頬に傷を増やしてみたいですね」
「あの抜刀斎が相手だ、そんな簡単な話ではあるまい」
「でも、ふたつも傷があるんですよ、もうひとつ増えたらどんな二つ名で呼ばれるのでしょうね」
首を捻って楽しげに、ぶつぶつと考える沖田が閃いて声を上げた。
「サの字! 三本線でサの字でしょうか!」
「サの字の男、緋村抜刀斎。……フッ、随分と阿呆な二つ名だな。何処ぞの破落戸が背負いそうな名だ」
「あははっ、緋村さんに申し訳ありませんね。でしたらもう一本増やして、"手"にすればいいんじゃありませんか。頬に"手"傷って面白いですよ」
馬鹿々々しい。斎藤は絞り切った手拭いを、勢いよく振り降ろした。手拭が一気に伸びて広がり、硬い音を響かせる。
「傷を付けるだけなど手緩い」
話も清拭も終いだと、斎藤は沖田を日陰に残して日向に出た。
途端に強い日差しが体を射す。稽古終わりの隆々と筋が張る体に日を受けて、清めたばかりの肌に汗が滲む気がした斎藤は、思わず洗ったばかりの手拭いを肩に掛けた。濡れた手拭いがひやりと張り付いて、斎藤の肌を冷やした。