【北】狙われた手負いの狼
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賑やかな樺太楼の一角、斎藤達は落着祝いの酒で盛り上がっていた。
永倉を中心に話に花が咲く。昔話に作り話、笑い声に怒鳴り声、騒がしいほどに賑やかだ。
いつまでも止まぬ男達の声だが、宴が始まって半刻が経った頃、その男達の声を濁らせる妙な気配が漂った。
「なんだ、騒ぎ過ぎたかね」
赤ら顔の永倉が呟いた。騒ぎすぎて怒りを買ったか。
酒が入り喧嘩っ早くなる者もいる。乗り込んでくる気かと、気配に敏感な男達は声を静めて気配のもとを探った。無意識の行為だった。
「おかしいですね、人払いをしたのですが」
樺太楼の主である前野が廊下を覗くが、誰もいない。人払いをしたのだ。周りの部屋に客も働き手もいるはずがない。
だが部屋を通り過ぎた角で男が一人、青ざめていた。再び賑やかに響く酒宴の笑い声を耳にして、男はこめかみの傷痕に触れ、青ざめた顔に薄ら笑いを浮かべていた。
別れの酒宴を終えた翌日、札幌をいざ旅立たんとしたところで、斎藤一行は思いもよらぬ襲撃を受けた。戦闘を終えて、斎藤は再び左腕を包帯に預ける羽目になってしまった。
永倉と三島栄次は先に函館を目指し、斎藤は一人札幌の病院で療養を強いられる結果を招いた。
「やれやれ」
入院して数日。当然のように溜め息が出る。
病院に身を置く斎藤だが、たびたび町を散策していた。安静を求められたが、戦闘行為をするわけではないと病院側を説き伏せての外出だった。
ただの気晴らし、煙草を買い求める、好きな蕎麦を食う、刀を探す。目的は複数あった。
この日も斎藤は丸一日、町で過ごし、寝る場所を求めて病院へ戻る途中だった。
口には煙草を咥えている。陽が沈み始める刻限、深くなる町の色が、煙草の火を浮かび上がらせていた。
右手一本で煙草を吸うのは難儀だ。煙草を取り出して咥えるまではいいが、燐寸を擦るのに難儀した。
それでも何度か繰り返すうちに慣れはしたが、面倒に変わりはない。
ようやく火をつけた煙草を味わいながら歩く斎藤は、苛立ちを覚えて立ち止まった。
見知らぬ男が道を塞いでいる。
手には刀があった。刃が見える。鞘は無かった。
「何か用か。廃刀令の御時世、警官に向かっていい度胸だな」
問いかけるが、男は無言で斎藤目掛けて踏み込んできた。
体の正面に切っ先を据えて、斎藤の喉元を突き刺そうとする。
「ちっ」
斎藤は咄嗟に後方へ大きく飛び退いた。
刃先を避けるが、包帯で固定された不自由な左手が体幹を狂わせる。着地の瞬間、腰を落とした斎藤は、右手を地面に伸ばして体の均衡を保った。
態勢を立て直す間もなく、隙を見出した男が続けざまに刀を振り回す。大振りに刀を振り上げて、地面に伸びる斎藤の右腕を狙った。
斎藤は右手で地面を強く押すと同時に、体を反転させて男の腹を蹴りつける。男は体を飛ばされながらも、刀を振ることを忘れていなかった。
男の刃が斎藤の煙草を斬った。
折角の煙草が台無しだ。
斎藤は口に残った短い煙草を吐き捨てた。
「おいおい、やっとつけた煙草だぞ」
「斬れたのは煙草だけか……」
「貴様何だ、用があるならさっさと言え。樺太楼にいた野郎か」
「あぁ、あん時は懐かしい声が聞こえて嬉しかったぜ、まさか北海道でテメェの顔が拝めるとはな」
男は腕を伸ばし、切っ先で斎藤の顔を捉えた。
にやりと顔を歪め、再び地面を蹴る。男は斎藤の顔を狙っていた。
加速する突進を、斎藤は軽く流して躱した。
突きは自身の得意技だ。新選組でも得意とする者が多かった。
目の前の男の突き技も悪くはない。だが、新選組幹部の技と比ぶべくもない。来ると分かっていれば、手負いの体でも躱すのは容易かった。
突きを流した斎藤は男の脇に入り、右拳を男の頬に打ち込んだ。その刹那、こめかみの刀傷が目に触れた。
殴られた男は刀をだらりと持ったまま、左手で頬を何度か擦り、そのままこめかみの刀傷に触れた。
粘着質な視線を送る男に、斎藤は眉をしかめる。
「俺がつけた刀傷らしいな」
「あぁそうだ。覚えてねぇみてぇだな」
「悪いな。いちいち覚えているほど律儀じゃあないんだよ」
「お前に同じ傷をつけてやりたくてねぇ、樺太楼で見かけてよ、つけてたんだよ」
「あぁ、しつこい視線はお前だったか。悪いがお前には付き合ってられん。仇討ちも意趣返しも法律違反だ」
面倒極まりないと、斎藤は男を追い払う仕草を見せた。
当然、男は去ろうとしない。刀を構えて、またも斎藤の顔を狙っている。
「お前、刀が無いのか。怪我までして、情けねぇな」
「刀も無い怪我人を襲うとは、情けないな」
「何だと!」
挑発を試みた男は、斎藤に挑発を返されて感情を昂らせた。
気を乱して、握った刀を振り回す。
読みやすい動きに変わった刀を、斎藤は軽々と避けて見せた。
長い脚はまるで西洋の舞踊のように、右へ左へ大きく滑る。男の刀が大袈裟な空振りをした瞬間、斎藤は脚を振り上げて、男の手を蹴った。
男の手を離れた刀が、回転して宙を舞う。空気を切り裂く音を鳴らして飛んだ刀は、男の背後の地面に突き刺さった。
「どうする、続けるか。俺は体が鈍っていたらしい。折角だ、もう少し続けても構わんぞ」
「くっ、くそっ!」
斎藤は大袈裟に首を左右に倒し、肩を動かして男を挑発した。
男は馬鹿にするなと懐に手を突っ込み、短刀を取り出した。短い鞘を捨てて、斎藤に突き立てる。
斎藤は素早く回し蹴りをして、男が手にしたばかりの短刀を奪った。
男は続けざまに蹴られた手を庇い、うずくまっている。短刀の行方を気にする余裕は失せていた。
斎藤は奪った短刀を背後から男の首筋に当てた。状況を理解した男は、体を撥ねて驚いた。弾みで刃が触れ、首筋から血が流れ落ちる。
「ひぃ……俺は、命まではっ、」
「煩いぞ、暫く寝てろ」
斎藤は短刀を捨て、男の後頭部を掴んで地面に叩きつけた。
男は何かが潰れたような醜い声を上げて、気を失った。
鼻から血を流しているが、命に別状はない。他の警官が始末に来るまで寝ているだけだ。
「全く、中途半端な意趣返しなど企みやがって」
斎藤はやれやれと深い溜め息を吐いて、再び煙草を咥えた。
不自由な左手を支えに燐寸を取り出し、火をつける面倒な作業を繰り返す。
煙草に火が付くと、斎藤はこれまでにないほど深く、肺腑の奥まで煙草を吸い込んだ。
じっくりと味わって大きく息を吐くと、薄暗い夕暮れの中に、白い煙が伸びていく。
「さっさと治さねばならんな」
左腕に目を落とした斎藤は、もう一度大きく煙草を呑んで歩き出した。
雑魚を相手にして、痛感した。呑気に時間を潰している場合ではない。だが、急いて傷を悪化させるのは愚かだ。
「焦りは、無用……」
札幌の町を東西に分ける川を渡ったところで、斎藤は振り返った。川を渡れば病院までは程近い。
西の空に静かに沈みゆく陽を見つめ、斎藤はその場で煙草を味わった。
通りの向こうへ陽が落ちていく。
物静かな時間、チリチリと煙草が鳴らす音までもが耳に届いた。
❖ ❖ ❖
永倉を中心に話に花が咲く。昔話に作り話、笑い声に怒鳴り声、騒がしいほどに賑やかだ。
いつまでも止まぬ男達の声だが、宴が始まって半刻が経った頃、その男達の声を濁らせる妙な気配が漂った。
「なんだ、騒ぎ過ぎたかね」
赤ら顔の永倉が呟いた。騒ぎすぎて怒りを買ったか。
酒が入り喧嘩っ早くなる者もいる。乗り込んでくる気かと、気配に敏感な男達は声を静めて気配のもとを探った。無意識の行為だった。
「おかしいですね、人払いをしたのですが」
樺太楼の主である前野が廊下を覗くが、誰もいない。人払いをしたのだ。周りの部屋に客も働き手もいるはずがない。
だが部屋を通り過ぎた角で男が一人、青ざめていた。再び賑やかに響く酒宴の笑い声を耳にして、男はこめかみの傷痕に触れ、青ざめた顔に薄ら笑いを浮かべていた。
別れの酒宴を終えた翌日、札幌をいざ旅立たんとしたところで、斎藤一行は思いもよらぬ襲撃を受けた。戦闘を終えて、斎藤は再び左腕を包帯に預ける羽目になってしまった。
永倉と三島栄次は先に函館を目指し、斎藤は一人札幌の病院で療養を強いられる結果を招いた。
「やれやれ」
入院して数日。当然のように溜め息が出る。
病院に身を置く斎藤だが、たびたび町を散策していた。安静を求められたが、戦闘行為をするわけではないと病院側を説き伏せての外出だった。
ただの気晴らし、煙草を買い求める、好きな蕎麦を食う、刀を探す。目的は複数あった。
この日も斎藤は丸一日、町で過ごし、寝る場所を求めて病院へ戻る途中だった。
口には煙草を咥えている。陽が沈み始める刻限、深くなる町の色が、煙草の火を浮かび上がらせていた。
右手一本で煙草を吸うのは難儀だ。煙草を取り出して咥えるまではいいが、燐寸を擦るのに難儀した。
それでも何度か繰り返すうちに慣れはしたが、面倒に変わりはない。
ようやく火をつけた煙草を味わいながら歩く斎藤は、苛立ちを覚えて立ち止まった。
見知らぬ男が道を塞いでいる。
手には刀があった。刃が見える。鞘は無かった。
「何か用か。廃刀令の御時世、警官に向かっていい度胸だな」
問いかけるが、男は無言で斎藤目掛けて踏み込んできた。
体の正面に切っ先を据えて、斎藤の喉元を突き刺そうとする。
「ちっ」
斎藤は咄嗟に後方へ大きく飛び退いた。
刃先を避けるが、包帯で固定された不自由な左手が体幹を狂わせる。着地の瞬間、腰を落とした斎藤は、右手を地面に伸ばして体の均衡を保った。
態勢を立て直す間もなく、隙を見出した男が続けざまに刀を振り回す。大振りに刀を振り上げて、地面に伸びる斎藤の右腕を狙った。
斎藤は右手で地面を強く押すと同時に、体を反転させて男の腹を蹴りつける。男は体を飛ばされながらも、刀を振ることを忘れていなかった。
男の刃が斎藤の煙草を斬った。
折角の煙草が台無しだ。
斎藤は口に残った短い煙草を吐き捨てた。
「おいおい、やっとつけた煙草だぞ」
「斬れたのは煙草だけか……」
「貴様何だ、用があるならさっさと言え。樺太楼にいた野郎か」
「あぁ、あん時は懐かしい声が聞こえて嬉しかったぜ、まさか北海道でテメェの顔が拝めるとはな」
男は腕を伸ばし、切っ先で斎藤の顔を捉えた。
にやりと顔を歪め、再び地面を蹴る。男は斎藤の顔を狙っていた。
加速する突進を、斎藤は軽く流して躱した。
突きは自身の得意技だ。新選組でも得意とする者が多かった。
目の前の男の突き技も悪くはない。だが、新選組幹部の技と比ぶべくもない。来ると分かっていれば、手負いの体でも躱すのは容易かった。
突きを流した斎藤は男の脇に入り、右拳を男の頬に打ち込んだ。その刹那、こめかみの刀傷が目に触れた。
殴られた男は刀をだらりと持ったまま、左手で頬を何度か擦り、そのままこめかみの刀傷に触れた。
粘着質な視線を送る男に、斎藤は眉をしかめる。
「俺がつけた刀傷らしいな」
「あぁそうだ。覚えてねぇみてぇだな」
「悪いな。いちいち覚えているほど律儀じゃあないんだよ」
「お前に同じ傷をつけてやりたくてねぇ、樺太楼で見かけてよ、つけてたんだよ」
「あぁ、しつこい視線はお前だったか。悪いがお前には付き合ってられん。仇討ちも意趣返しも法律違反だ」
面倒極まりないと、斎藤は男を追い払う仕草を見せた。
当然、男は去ろうとしない。刀を構えて、またも斎藤の顔を狙っている。
「お前、刀が無いのか。怪我までして、情けねぇな」
「刀も無い怪我人を襲うとは、情けないな」
「何だと!」
挑発を試みた男は、斎藤に挑発を返されて感情を昂らせた。
気を乱して、握った刀を振り回す。
読みやすい動きに変わった刀を、斎藤は軽々と避けて見せた。
長い脚はまるで西洋の舞踊のように、右へ左へ大きく滑る。男の刀が大袈裟な空振りをした瞬間、斎藤は脚を振り上げて、男の手を蹴った。
男の手を離れた刀が、回転して宙を舞う。空気を切り裂く音を鳴らして飛んだ刀は、男の背後の地面に突き刺さった。
「どうする、続けるか。俺は体が鈍っていたらしい。折角だ、もう少し続けても構わんぞ」
「くっ、くそっ!」
斎藤は大袈裟に首を左右に倒し、肩を動かして男を挑発した。
男は馬鹿にするなと懐に手を突っ込み、短刀を取り出した。短い鞘を捨てて、斎藤に突き立てる。
斎藤は素早く回し蹴りをして、男が手にしたばかりの短刀を奪った。
男は続けざまに蹴られた手を庇い、うずくまっている。短刀の行方を気にする余裕は失せていた。
斎藤は奪った短刀を背後から男の首筋に当てた。状況を理解した男は、体を撥ねて驚いた。弾みで刃が触れ、首筋から血が流れ落ちる。
「ひぃ……俺は、命まではっ、」
「煩いぞ、暫く寝てろ」
斎藤は短刀を捨て、男の後頭部を掴んで地面に叩きつけた。
男は何かが潰れたような醜い声を上げて、気を失った。
鼻から血を流しているが、命に別状はない。他の警官が始末に来るまで寝ているだけだ。
「全く、中途半端な意趣返しなど企みやがって」
斎藤はやれやれと深い溜め息を吐いて、再び煙草を咥えた。
不自由な左手を支えに燐寸を取り出し、火をつける面倒な作業を繰り返す。
煙草に火が付くと、斎藤はこれまでにないほど深く、肺腑の奥まで煙草を吸い込んだ。
じっくりと味わって大きく息を吐くと、薄暗い夕暮れの中に、白い煙が伸びていく。
「さっさと治さねばならんな」
左腕に目を落とした斎藤は、もう一度大きく煙草を呑んで歩き出した。
雑魚を相手にして、痛感した。呑気に時間を潰している場合ではない。だが、急いて傷を悪化させるのは愚かだ。
「焦りは、無用……」
札幌の町を東西に分ける川を渡ったところで、斎藤は振り返った。川を渡れば病院までは程近い。
西の空に静かに沈みゆく陽を見つめ、斎藤はその場で煙草を味わった。
通りの向こうへ陽が落ちていく。
物静かな時間、チリチリと煙草が鳴らす音までもが耳に届いた。
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