9.思い出の朱景色
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「何だお前もまだだったのか」
座敷に入ってきた夢主の手には、膳が二つ乗っていた。
一人で箸を取るつもりだった斎藤、妻はあとは寝るだけの状態だと思っていた。
「はい……雨が気になって……一さん傘も無いしきっと濡れて戻ると思ったから、お風呂を沸かしておこうって……そしたら晩ご飯忘れてました」
「フッ、阿呆だな」
「へへっ、そうですね」
夢主はいつもより二人の膳を近づけて並べた。
一つしかない部屋の行灯が照らす範囲は狭いので、ちょうど良い。
しかし膳を寄せた本当の理由は可愛らしいものだ。嵐が怖い夢主は斎藤のそばに身を寄せていたかったのだ。
「そんなに怖いか」
「はぃ……嵐の経験は……」
「そうか、こっちに来てから初めてか」
「はい。京にいた頃も大雨はありましたけど、こんなに風が強いのは……一さんが戻ってくれて心強いです」
弱々しい笑顔で話す夢主は、相当怯えていた。
物音が鳴るたびに障子の向こうを気に掛けている。
斎藤はそんな夢主を笑った。
「一さん、笑わないでください。だって凄い音じゃありませんか……」
「ハハッ、すまんな。怖がるお前もいいもんだと思ったらつい、な」
「なっ、じゃありませんよ……」
話をしていれば怖さも紛れる。
二人は他愛の無い話をして食事を進めた。
「京は雷も少なかったな。東京は海が近いし今年は嵐も雷も多いかもしれんな」
「そんなぁ、やめてください、脅かさないでくださいよ……だったら毎日ちゃんと帰ってきてくださいね」
「毎晩は無理だろう」
「じゃあ……天気の悪い日だけでも……」
そう言ってみたものの、嵐の中を歩かせるのは気が引ける。
今夜みたいな荒れた夜に斎藤がいないのは心細いが、風に煽られ物が飛ぶほどの荒天ならば、署で夜を明かしたほうが良いに決まっている。
夢主は仕方が無いと俯いた。
「布団を被って寝ちまえば気にならんさ。どうしても淋しいなら俺の寝巻でも抱いて寝るんだな」
「一さんっ!」
昔から俺の匂いが好きだろうと揶揄う斎藤に夢主は顔を赤くした。
「まぁどうしても怖いなら沖田君の家に行けばいい」
「そんな事言って……いくら総司さんでもお嫌じゃないんですか、他の人と一緒に過ごすなんて、夜をですよ……それに、総司さんがいない夜もあるって言ってたじゃありませんか。総司さん、吉原に……」
「その事だが、そんなに気になるなら一度訊いてみろ」
「えっ、そんな事……訊けませんよ」
「ウジウジ気にしているなら訊け、すっきりするぞ」
「ウジウジだなんて……」
「靄々していても始まらんだろう」
「わっ」
いきなり頭に大きな手を乗せられた夢主は、肩をすぼめて斎藤を見上げた。
隙間風が冷たい家の中で、斎藤の掌は温かい。
「飯が終わったんならお前も風呂に入って来い。まだなんだろう」
「あっ……そうです、お風呂もまだでした……」
「ククッ、膳は片付けておいてやるから温まって来い」
全く図星かと笑う斎藤、手を乗せた頭がひんやりと冷たく気が付いたのだ。
人を気にしてばかりいないでしっかり体を温めろと促した。
「そんなの悪いですよ、一さんはお布団でも温めておいてくださいっ」
「ハハッ、そうか。ならそうするさ。しかし、片付けはいいからお前は行け」
しっしっ、と斎藤に追い出されるように風呂場へ向かうと、廊下に出て肌寒さに驚いた。
部屋を仕切る障子もカタカタと小さな音を立てているが、外との境である雨戸は大きな音を立てて揺れている。
手早く済ませようと風呂に入れば、湯気の温もりにほぅっと体の力が抜けていく。手桶を持ち掛け湯をすると湯の熱にますます気持ちが和らいだ。
だが、どこかでバタンと大きく鳴る音に驚き、急いで隠れるように湯船に浸かった。遠くへ消えていく音、どこかで何かが外れて飛ばされたのだろうか。
「あったかぁい……はぁ、お風呂っていいなぁ……」
一息吐くが、ガタガタと繰り返される音に、夢主の体にはすぐに緊張が蘇った。
何かが軋む音がして、風呂場が飛ばされたらどうしようなどと考えているうち、時間は過ぎていった。
座敷に入ってきた夢主の手には、膳が二つ乗っていた。
一人で箸を取るつもりだった斎藤、妻はあとは寝るだけの状態だと思っていた。
「はい……雨が気になって……一さん傘も無いしきっと濡れて戻ると思ったから、お風呂を沸かしておこうって……そしたら晩ご飯忘れてました」
「フッ、阿呆だな」
「へへっ、そうですね」
夢主はいつもより二人の膳を近づけて並べた。
一つしかない部屋の行灯が照らす範囲は狭いので、ちょうど良い。
しかし膳を寄せた本当の理由は可愛らしいものだ。嵐が怖い夢主は斎藤のそばに身を寄せていたかったのだ。
「そんなに怖いか」
「はぃ……嵐の経験は……」
「そうか、こっちに来てから初めてか」
「はい。京にいた頃も大雨はありましたけど、こんなに風が強いのは……一さんが戻ってくれて心強いです」
弱々しい笑顔で話す夢主は、相当怯えていた。
物音が鳴るたびに障子の向こうを気に掛けている。
斎藤はそんな夢主を笑った。
「一さん、笑わないでください。だって凄い音じゃありませんか……」
「ハハッ、すまんな。怖がるお前もいいもんだと思ったらつい、な」
「なっ、じゃありませんよ……」
話をしていれば怖さも紛れる。
二人は他愛の無い話をして食事を進めた。
「京は雷も少なかったな。東京は海が近いし今年は嵐も雷も多いかもしれんな」
「そんなぁ、やめてください、脅かさないでくださいよ……だったら毎日ちゃんと帰ってきてくださいね」
「毎晩は無理だろう」
「じゃあ……天気の悪い日だけでも……」
そう言ってみたものの、嵐の中を歩かせるのは気が引ける。
今夜みたいな荒れた夜に斎藤がいないのは心細いが、風に煽られ物が飛ぶほどの荒天ならば、署で夜を明かしたほうが良いに決まっている。
夢主は仕方が無いと俯いた。
「布団を被って寝ちまえば気にならんさ。どうしても淋しいなら俺の寝巻でも抱いて寝るんだな」
「一さんっ!」
昔から俺の匂いが好きだろうと揶揄う斎藤に夢主は顔を赤くした。
「まぁどうしても怖いなら沖田君の家に行けばいい」
「そんな事言って……いくら総司さんでもお嫌じゃないんですか、他の人と一緒に過ごすなんて、夜をですよ……それに、総司さんがいない夜もあるって言ってたじゃありませんか。総司さん、吉原に……」
「その事だが、そんなに気になるなら一度訊いてみろ」
「えっ、そんな事……訊けませんよ」
「ウジウジ気にしているなら訊け、すっきりするぞ」
「ウジウジだなんて……」
「靄々していても始まらんだろう」
「わっ」
いきなり頭に大きな手を乗せられた夢主は、肩をすぼめて斎藤を見上げた。
隙間風が冷たい家の中で、斎藤の掌は温かい。
「飯が終わったんならお前も風呂に入って来い。まだなんだろう」
「あっ……そうです、お風呂もまだでした……」
「ククッ、膳は片付けておいてやるから温まって来い」
全く図星かと笑う斎藤、手を乗せた頭がひんやりと冷たく気が付いたのだ。
人を気にしてばかりいないでしっかり体を温めろと促した。
「そんなの悪いですよ、一さんはお布団でも温めておいてくださいっ」
「ハハッ、そうか。ならそうするさ。しかし、片付けはいいからお前は行け」
しっしっ、と斎藤に追い出されるように風呂場へ向かうと、廊下に出て肌寒さに驚いた。
部屋を仕切る障子もカタカタと小さな音を立てているが、外との境である雨戸は大きな音を立てて揺れている。
手早く済ませようと風呂に入れば、湯気の温もりにほぅっと体の力が抜けていく。手桶を持ち掛け湯をすると湯の熱にますます気持ちが和らいだ。
だが、どこかでバタンと大きく鳴る音に驚き、急いで隠れるように湯船に浸かった。遠くへ消えていく音、どこかで何かが外れて飛ばされたのだろうか。
「あったかぁい……はぁ、お風呂っていいなぁ……」
一息吐くが、ガタガタと繰り返される音に、夢主の体にはすぐに緊張が蘇った。
何かが軋む音がして、風呂場が飛ばされたらどうしようなどと考えているうち、時間は過ぎていった。