9.思い出の朱景色
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雨に打たれて歩く斎藤は、廓の匂いが消えてちょうど良いと考えていた。帽子のおかげで目元が濡れずに済むのは幸いだ。
京に向かう前に遊んだ覚えがある久しぶりの遊里は、随分と景色が変わって見えた。
自ら妓を買った日が遠く遥か昔のようだ。
「俺が変わったからか」
昔の己であれば楼主の誘いを喜んでと受け入れ、遊女の一人二人を揚げていただろう。
「面白いもんだ、俺は変わったのか。沖田君の変化は如何なものか、だが」
己の心境の変化を思い返りながら歩くうち、沖田の屋敷に辿り着いた。
雨に濡れているのだ、早く帰る為にいつも通り庭を突っ切って行くと、屋敷の主に声を掛けられた。
「随分と濡れていますね」
「君か」
気配に気付きやって来た沖田と目が合った。沖田が縁側に立ち、二人の目線がようやく同じ高さになる。
沖田は、雨の庭先に立つ制服と異なる姿を「おや」と見るが、すっかり水を吸い込み重たくなった袴にくすりと笑った。
「そのまま急いで帰ったほうが良さそうですね」
「そうだな、と言いたい所だがついでだ。一つだけ」
少しでも雨の当たらぬよう軒下に移動した斎藤の体から、ポタポタと雨の雫が滴っている。
帽子の小さな鍔越しに鋭い目で沖田を捉えた。
「なんでしょう」
「赤猫楼」
「……」
濡れた帽子を外して髪を掻き揚げる斎藤の言葉にドキリとして、沖田は真顔で見つめた。
「赤猫楼が良く見えるな。赤猫楼の向かいが君の贔屓の店か」
「何が言いたいんですか」
取り繕うようにニコリと首を傾げるが、どこか棘がある。放っておいて欲しいと望む僕をご存知でしょう、そんな冷たい微笑みだ。
妓楼に登楼り、いつも通される座敷から眺める見事な造りの大見世・赤猫楼。人で賑わう通りと、向かいの立派な妓楼を眺めるのが沖田のお気に入りだ。
「いや、特に何も無いさ。ただ良く知る顔がいたので少し驚いただけだ。大坂で助けた男だな」
「さすがは斎藤さん、良く覚えていますね。そうですよ、楼閣のご主人が顔馴染みだからと良くしてくださるんです」
「そうか。そいつは良かったな。だが甘えるのも程々にしておけよ」
ちゃんと支払いはしているだろうが、揚げ代をまけてくれている事ぐらい、分かるだろうと斎藤は肩を竦めて訴えた。
その裏に求められている見返りも分かっているのかと確認され、沖田は小さく笑った。
「ははっ分かっていますよ、いざという時は力を貸します。もちろん悪事には与しません」
「分かっているならいいさ」
「へぇ、斎藤さんは良き理解者だなぁ、意外です。ありがたいです、斎藤さんも遊んでいた時期がありますものね」
「フン、俺は昔の話だ。今の君を土方さんに見せてやりたいな」
「やめてくださいよ」
出来ない話だと分かっていても、沖田はムッと眉間に皺を寄せた。
土方に揶揄われる声が頭に響く。
「君もかなりの人気者みたいじゃないか」
「土方さんとは全く違いますよ。あの人はあちこちに贔屓の芸妓さんがいて、慕われていて……慕っていたんでしょう。土方さんらしいですよ」
「慕ってねぇ。まぁ一番では無いにしろそうだったな」
「一番……」
「君の一番は」
物はついでと問う斎藤に、沖田は真面目に首を捻った。
頭に浮かぶ女はいない。
妓楼には確かに可愛い娘はいるけれど、全身全霊を持って守り愛おしみたいかと言えば、そこまでの情けは持っていない。
持たぬように過ごしているのだから当然だ。
誰も浮かばぬ自分に満足して沖田は頷いた。
身を賭して動乱の京からこの東京へ、守り連れて来たあの人への想いだけで充分だ。それももう区切りが付いている。
万一それ以上に想える人が現れたならば……その時はもう一度、望んでみよう。
共に生きる事を、その時こそ目に入る全ての物が輝いて見えるはず。
「一番は……分かりません。今は一番も二番もいないな、ははっ」
「そうか」
「……見つかりますかね」
「さぁな。そんな世話まで俺には出来んよ」
「あはははっ!世話だなんてっ、僕の方がよっぽど貴方がた夫婦を面倒見ていますよ」
「ハハッ、かもしれんな。悪かった冗談だ」
京に向かう前に遊んだ覚えがある久しぶりの遊里は、随分と景色が変わって見えた。
自ら妓を買った日が遠く遥か昔のようだ。
「俺が変わったからか」
昔の己であれば楼主の誘いを喜んでと受け入れ、遊女の一人二人を揚げていただろう。
「面白いもんだ、俺は変わったのか。沖田君の変化は如何なものか、だが」
己の心境の変化を思い返りながら歩くうち、沖田の屋敷に辿り着いた。
雨に濡れているのだ、早く帰る為にいつも通り庭を突っ切って行くと、屋敷の主に声を掛けられた。
「随分と濡れていますね」
「君か」
気配に気付きやって来た沖田と目が合った。沖田が縁側に立ち、二人の目線がようやく同じ高さになる。
沖田は、雨の庭先に立つ制服と異なる姿を「おや」と見るが、すっかり水を吸い込み重たくなった袴にくすりと笑った。
「そのまま急いで帰ったほうが良さそうですね」
「そうだな、と言いたい所だがついでだ。一つだけ」
少しでも雨の当たらぬよう軒下に移動した斎藤の体から、ポタポタと雨の雫が滴っている。
帽子の小さな鍔越しに鋭い目で沖田を捉えた。
「なんでしょう」
「赤猫楼」
「……」
濡れた帽子を外して髪を掻き揚げる斎藤の言葉にドキリとして、沖田は真顔で見つめた。
「赤猫楼が良く見えるな。赤猫楼の向かいが君の贔屓の店か」
「何が言いたいんですか」
取り繕うようにニコリと首を傾げるが、どこか棘がある。放っておいて欲しいと望む僕をご存知でしょう、そんな冷たい微笑みだ。
妓楼に登楼り、いつも通される座敷から眺める見事な造りの大見世・赤猫楼。人で賑わう通りと、向かいの立派な妓楼を眺めるのが沖田のお気に入りだ。
「いや、特に何も無いさ。ただ良く知る顔がいたので少し驚いただけだ。大坂で助けた男だな」
「さすがは斎藤さん、良く覚えていますね。そうですよ、楼閣のご主人が顔馴染みだからと良くしてくださるんです」
「そうか。そいつは良かったな。だが甘えるのも程々にしておけよ」
ちゃんと支払いはしているだろうが、揚げ代をまけてくれている事ぐらい、分かるだろうと斎藤は肩を竦めて訴えた。
その裏に求められている見返りも分かっているのかと確認され、沖田は小さく笑った。
「ははっ分かっていますよ、いざという時は力を貸します。もちろん悪事には与しません」
「分かっているならいいさ」
「へぇ、斎藤さんは良き理解者だなぁ、意外です。ありがたいです、斎藤さんも遊んでいた時期がありますものね」
「フン、俺は昔の話だ。今の君を土方さんに見せてやりたいな」
「やめてくださいよ」
出来ない話だと分かっていても、沖田はムッと眉間に皺を寄せた。
土方に揶揄われる声が頭に響く。
「君もかなりの人気者みたいじゃないか」
「土方さんとは全く違いますよ。あの人はあちこちに贔屓の芸妓さんがいて、慕われていて……慕っていたんでしょう。土方さんらしいですよ」
「慕ってねぇ。まぁ一番では無いにしろそうだったな」
「一番……」
「君の一番は」
物はついでと問う斎藤に、沖田は真面目に首を捻った。
頭に浮かぶ女はいない。
妓楼には確かに可愛い娘はいるけれど、全身全霊を持って守り愛おしみたいかと言えば、そこまでの情けは持っていない。
持たぬように過ごしているのだから当然だ。
誰も浮かばぬ自分に満足して沖田は頷いた。
身を賭して動乱の京からこの東京へ、守り連れて来たあの人への想いだけで充分だ。それももう区切りが付いている。
万一それ以上に想える人が現れたならば……その時はもう一度、望んでみよう。
共に生きる事を、その時こそ目に入る全ての物が輝いて見えるはず。
「一番は……分かりません。今は一番も二番もいないな、ははっ」
「そうか」
「……見つかりますかね」
「さぁな。そんな世話まで俺には出来んよ」
「あはははっ!世話だなんてっ、僕の方がよっぽど貴方がた夫婦を面倒見ていますよ」
「ハハッ、かもしれんな。悪かった冗談だ」