9.思い出の朱景色
夢主名前設定
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「それが勤めで御ざりんす」
意地悪な客に精一杯の厭味を込めて、嫌いだと語った吉原言葉で返事をした。それでも優しい客はにこりと微笑んでくれる。
客に惚れてはいけない、その意味を今はっきりと理解した妓の胸に、優しい笑顔が刃のように突き刺さった。
「いいね……」
「……やっぱり、意地が悪いお人……」
「知ってるよ……」
帯を解いてもらえる、妓はそんな嬉しさと、最初で最後かもしれないと言う切なさを抱き、手を重ねてくる沖田の顔を見上げた。
「せめてお名前を教えてください」
「名前……そうだなぁ、総司……総司郎」
「総司郎さん……なんだか童の名前みたいやね。…………嘘なん……」
「ふふっ、どうかな」
幼名は宗次郎、そこから取った総司郎。妓に自分を知られたくない沖田が吐いた嘘はすぐに見破られた。
それでも構わなかった。嘘を吐くような男だと嫌われるほうが楽だから。
こうして、沖田は顔見知りの楼主がいるこの廓に時折やって来ては心を満たしていた。
月に一度も通わない。
ただ無性に人恋しい時に逃げ込む場所。大切なものを傷付けぬよう、身代わりを立てる場所。
昔と違い、色街に身を置いても嫌気がしない。
気付いた斎藤も放っておいてくれる。
真面目な師範生活、優しく誠実な隣人、時代から消えた存在。様々な自分を抱えながらも、沖田は奇妙な生活を気に入っていた。
「悪くないな……」
沖田は目の前で遊女らしからぬ恥じらいを見せる妓に優しく微笑みかけた。
そんな沖田の逃げ場である吉原。ある日、斎藤がふらりと昼見世に立ち寄っていた。
いつもの警官姿ではない、首元が詰まった洋装の黒い上着に薄い色の袴姿、まだ珍しいハンチング帽を被っている。
顔を隠しているが、客の少ない昼見世の吉原でその姿は一際目を引いた。
「主人はいるか」
「へっ……旦那様でございますか、ご用でしたらあっしが……」
「いいから、大坂の井上の件でと伝えれば分かるだろう」
「井上さん、分かりました」
面倒臭そうな妙な客が来たと、入り口にいた若い衆は斎藤を見張るように顔を向けたまま店の奥に入って行った。
すると入れ替わるように慌てた様子で楼主が出て来た。
斎藤の顔を見るなり強張った顔で固まる。
「あっ……あんさんっ」
「お久しぶりです」
軽く持ち上げた帽子から覗く笑顔は、笑っていても恐ろしさを感じる細い目。
楼主は青い顔で斎藤を座敷に招き入れ、何をしに来たのかと怯えながら訊ねた。
「沖田はんに恩はあっても、あんさんには何もあらしまへん」
「井上で通しているでしょう。そう噛み付かないでいただきたい。あの時は不逞浪士を捕らえるのが目的だったんですよ」
「それでも私を助けてくださったのは井上さんや。井上さんがいなければ、あのどさくさに紛れて私も死んどったわ。せやから井上さんは私の恩人、あんさんに話す事は何もありまへん、斎藤一殿」
「ハハッ、それは申し訳ない。見殺しのつもりは無かったのですが貴方もそれなりの事をしていたのでしょう。だから賊に狙われた」
楼主がただの商人だった頃、大坂で悪どい商売をして得た金に目を付けられ、志士を名乗る賊に押し入られた。
大坂に居合わせた新選組が鎮圧に向かい、斎藤は賊を捕らえる事を第一に、沖田は家人の救出を念頭に置き行動した。ただその違いだった。
しかし江戸に流れ着き楼主の座に付いたこの男には全く違う印象を与えていた。
「うっ、うちは、この店は何も悪い事はしておりません、あんさん、今は警官なんでしょう」
「ほぅ、耳が早い。今は剣客警官、藤田五郎と名乗っておりましてね」
「なら藤田さん、廓には色んな話が集まります。あんさんが警官なのは知っとります。何の用ですか」
「安心してください、今日は警官としてきた訳ではありません。ちょっと知りたいんですよ、個人的にね」
沖田がどのような状態なのか、詮索は無用と知りつつ把握はしておきたかった。沖田の心身の状態は少なからず夢主にも影響がある。
過干渉とは知りつつ、そばにいる人物の様子は知っておきたかった。
「そんな告げ口みたいな事……出来やしません、言うたでしょう井上はんには恩があると」
「俺にとっても彼は意味のある存在だ。おかしな事になっていなければそれでいい」
「おかしな……確かに井上はんは今年に入ってうちに来るようになりました」
渋るが楼主は少しずつ語り始めた。話すからには斎藤に頼みたい事があるのだ。
「井上はん、なんとかしてくれへんか」
意地悪な客に精一杯の厭味を込めて、嫌いだと語った吉原言葉で返事をした。それでも優しい客はにこりと微笑んでくれる。
客に惚れてはいけない、その意味を今はっきりと理解した妓の胸に、優しい笑顔が刃のように突き刺さった。
「いいね……」
「……やっぱり、意地が悪いお人……」
「知ってるよ……」
帯を解いてもらえる、妓はそんな嬉しさと、最初で最後かもしれないと言う切なさを抱き、手を重ねてくる沖田の顔を見上げた。
「せめてお名前を教えてください」
「名前……そうだなぁ、総司……総司郎」
「総司郎さん……なんだか童の名前みたいやね。…………嘘なん……」
「ふふっ、どうかな」
幼名は宗次郎、そこから取った総司郎。妓に自分を知られたくない沖田が吐いた嘘はすぐに見破られた。
それでも構わなかった。嘘を吐くような男だと嫌われるほうが楽だから。
こうして、沖田は顔見知りの楼主がいるこの廓に時折やって来ては心を満たしていた。
月に一度も通わない。
ただ無性に人恋しい時に逃げ込む場所。大切なものを傷付けぬよう、身代わりを立てる場所。
昔と違い、色街に身を置いても嫌気がしない。
気付いた斎藤も放っておいてくれる。
真面目な師範生活、優しく誠実な隣人、時代から消えた存在。様々な自分を抱えながらも、沖田は奇妙な生活を気に入っていた。
「悪くないな……」
沖田は目の前で遊女らしからぬ恥じらいを見せる妓に優しく微笑みかけた。
そんな沖田の逃げ場である吉原。ある日、斎藤がふらりと昼見世に立ち寄っていた。
いつもの警官姿ではない、首元が詰まった洋装の黒い上着に薄い色の袴姿、まだ珍しいハンチング帽を被っている。
顔を隠しているが、客の少ない昼見世の吉原でその姿は一際目を引いた。
「主人はいるか」
「へっ……旦那様でございますか、ご用でしたらあっしが……」
「いいから、大坂の井上の件でと伝えれば分かるだろう」
「井上さん、分かりました」
面倒臭そうな妙な客が来たと、入り口にいた若い衆は斎藤を見張るように顔を向けたまま店の奥に入って行った。
すると入れ替わるように慌てた様子で楼主が出て来た。
斎藤の顔を見るなり強張った顔で固まる。
「あっ……あんさんっ」
「お久しぶりです」
軽く持ち上げた帽子から覗く笑顔は、笑っていても恐ろしさを感じる細い目。
楼主は青い顔で斎藤を座敷に招き入れ、何をしに来たのかと怯えながら訊ねた。
「沖田はんに恩はあっても、あんさんには何もあらしまへん」
「井上で通しているでしょう。そう噛み付かないでいただきたい。あの時は不逞浪士を捕らえるのが目的だったんですよ」
「それでも私を助けてくださったのは井上さんや。井上さんがいなければ、あのどさくさに紛れて私も死んどったわ。せやから井上さんは私の恩人、あんさんに話す事は何もありまへん、斎藤一殿」
「ハハッ、それは申し訳ない。見殺しのつもりは無かったのですが貴方もそれなりの事をしていたのでしょう。だから賊に狙われた」
楼主がただの商人だった頃、大坂で悪どい商売をして得た金に目を付けられ、志士を名乗る賊に押し入られた。
大坂に居合わせた新選組が鎮圧に向かい、斎藤は賊を捕らえる事を第一に、沖田は家人の救出を念頭に置き行動した。ただその違いだった。
しかし江戸に流れ着き楼主の座に付いたこの男には全く違う印象を与えていた。
「うっ、うちは、この店は何も悪い事はしておりません、あんさん、今は警官なんでしょう」
「ほぅ、耳が早い。今は剣客警官、藤田五郎と名乗っておりましてね」
「なら藤田さん、廓には色んな話が集まります。あんさんが警官なのは知っとります。何の用ですか」
「安心してください、今日は警官としてきた訳ではありません。ちょっと知りたいんですよ、個人的にね」
沖田がどのような状態なのか、詮索は無用と知りつつ把握はしておきたかった。沖田の心身の状態は少なからず夢主にも影響がある。
過干渉とは知りつつ、そばにいる人物の様子は知っておきたかった。
「そんな告げ口みたいな事……出来やしません、言うたでしょう井上はんには恩があると」
「俺にとっても彼は意味のある存在だ。おかしな事になっていなければそれでいい」
「おかしな……確かに井上はんは今年に入ってうちに来るようになりました」
渋るが楼主は少しずつ語り始めた。話すからには斎藤に頼みたい事があるのだ。
「井上はん、なんとかしてくれへんか」