60.帽子支度
夢主名前設定
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斎藤が帽子を取りに来てから数日が経っていた。
昼過ぎ、夢主が沖田の屋敷から自宅へ戻ると鍵が開いている。
驚くが鍵を開けたのは何故か斎藤だと分かった。
戸を開くと廊下の奥、二階へ通じる角から夫が現れた。思った通りだ、胸を撫で下ろしたのも束の間、いつもと異なる恰好に目を見開いた。
「……一さん、その恰好……」
ハンチング帽に首が詰まった襟の黒いシャツ、洋装の上半身に合わせているのはしっかり折り目が付いた袴。
薄暗い廊下をこちらへ向かってくる。狭い廊下が斎藤の体を大きく見せるのか、夢主は迫る黒い姿に気圧されてしまった。
この姿は記憶にある。恐れていた時が訪れてしまった。
「神谷道場へ行ってくる」
分かっていたんだろう、ニヤリ歪む顔に夢主の力が抜ける。良く知るはずの夫から放たれる慣れない気が肌を刺す。
夢主は開けた戸に力なくもたれかかった。
斎藤はこの日を楽しみにしていたのだ。清々しいほどの戦意を感じる。
「一さん……」
「気をしっかり持て」
「んっ」
斎藤はすれ違いざまに口づけをした。
そんなに驚くなと宥め、覚悟していたんだろうと確かめるように角度を変えて二度、ゆっくりと深く口を吸った。
夢主は戸に縋る力すら失い、その場にへたり込んでしまった。
「神谷道場で……何を」
斎藤は座り込む妻を見下ろして、息を吐くように笑んだ。
悪いが避けられんと顏に本音を浮かべている。
「こ、殺しちゃ駄目ですよ!誰がいても、かっ……加減してくださいっ、今の一さん、きっと……一さんが知る誰よりもお強いです」
「嬉しい誉め言葉だな」
「そうじゃ……なくて」
緋村剣心、相楽左之助、四乃森蒼紫、今の斎藤なら勝利を奪えるに違いない。
皆はまだ闘いに挑むには心身共に万全には至らず、対する斎藤は身も心も常に完璧な備えがある。
状況を読み己に有利に相手を不利に、闘いを支配して技を返すに違いない。
首を突っ込んではいけないと分かっていても、黙っていられなかった。
「傷付けちゃ……」
「約束は出来ん。する必要もない」
「お願いです、誰も……傷付けないでください」
久しぶりに滾る状況で血の渇望に陥り、我を忘れないでと願ってやまない。
池田屋事件や初めて抜刀斎と対峙したあの時に見た怖い斎藤には戻って欲しくなかった。
……きっと大丈夫、でも……もしも……
「いつまでそうしている、体を冷やすぞ」
「ぁ……」
このまま行ってしまうと感じたのに、手が伸びてきた。
思わぬ労わりに呆然としたまま体を引き起こされる。
任務に気がある時は振り向きもせず行ってしまう人が……
冷たい言葉を残して去ってしまうと心積もりをしていた夢主には戸惑いだ。
「安心しろ、今日はただの"ご挨拶"だ」
穏やかな声だが鋭い目は、気持ちが既に闘いに向いていると告げていた。
やはり斎藤は一線超えた闘いに踏み込もうとしている。
夢主の血の気が引いた。一触即発、僅かな刺激で斎藤の中の闘争本能が爆発しそうだ。
涙を滲ませまいと目を瞬かせる夢主の不安げな瞳が悲しみに染まっていった。
……どうすればいいの……
成す術無くやりきれない気持ちを察した斎藤が、夢主の頬にそっと手を添えた。
玄関を出る時のいつもの白い手袋ではない、素肌の感触。今にも人を殺してしまいそうな闘気を放つ男が見せる優しさ。
夢主は必死に涙を堪えていた。
「お前の気を病ませるような事はせん。余計な心配はせず大人しくしていろ、日が沈む前に一旦戻る。飯はいらん、いいな。沖田君の屋敷にでも行っていろ」
「はぃ……」
一気に捲し立てられ、縮こまるように頷いた。
安心しろと言われて消せる不安ではない。
それでも自分が信じなければ誰がこの人を信じて待つというのか。多くの人物が脳裏に浮かぶ。
これから斎藤とぶつかる者、共闘する者、逞しい体に傷をつける者、命を奪おうとする者。
斎藤を想い待つことが出来るのは、この手の温もりを知っているのは……
……私が、私だけは一さんを……
「一さん、信じています。……ご武運を」
「あぁ」
俺をよく分かっているじゃないか……
斎藤は伸ばした指先で夢主の目尻を拭うと、そのまま顔を近づけた。
最後の口づけは愛憐の情が溢れていた。
昼過ぎ、夢主が沖田の屋敷から自宅へ戻ると鍵が開いている。
驚くが鍵を開けたのは何故か斎藤だと分かった。
戸を開くと廊下の奥、二階へ通じる角から夫が現れた。思った通りだ、胸を撫で下ろしたのも束の間、いつもと異なる恰好に目を見開いた。
「……一さん、その恰好……」
ハンチング帽に首が詰まった襟の黒いシャツ、洋装の上半身に合わせているのはしっかり折り目が付いた袴。
薄暗い廊下をこちらへ向かってくる。狭い廊下が斎藤の体を大きく見せるのか、夢主は迫る黒い姿に気圧されてしまった。
この姿は記憶にある。恐れていた時が訪れてしまった。
「神谷道場へ行ってくる」
分かっていたんだろう、ニヤリ歪む顔に夢主の力が抜ける。良く知るはずの夫から放たれる慣れない気が肌を刺す。
夢主は開けた戸に力なくもたれかかった。
斎藤はこの日を楽しみにしていたのだ。清々しいほどの戦意を感じる。
「一さん……」
「気をしっかり持て」
「んっ」
斎藤はすれ違いざまに口づけをした。
そんなに驚くなと宥め、覚悟していたんだろうと確かめるように角度を変えて二度、ゆっくりと深く口を吸った。
夢主は戸に縋る力すら失い、その場にへたり込んでしまった。
「神谷道場で……何を」
斎藤は座り込む妻を見下ろして、息を吐くように笑んだ。
悪いが避けられんと顏に本音を浮かべている。
「こ、殺しちゃ駄目ですよ!誰がいても、かっ……加減してくださいっ、今の一さん、きっと……一さんが知る誰よりもお強いです」
「嬉しい誉め言葉だな」
「そうじゃ……なくて」
緋村剣心、相楽左之助、四乃森蒼紫、今の斎藤なら勝利を奪えるに違いない。
皆はまだ闘いに挑むには心身共に万全には至らず、対する斎藤は身も心も常に完璧な備えがある。
状況を読み己に有利に相手を不利に、闘いを支配して技を返すに違いない。
首を突っ込んではいけないと分かっていても、黙っていられなかった。
「傷付けちゃ……」
「約束は出来ん。する必要もない」
「お願いです、誰も……傷付けないでください」
久しぶりに滾る状況で血の渇望に陥り、我を忘れないでと願ってやまない。
池田屋事件や初めて抜刀斎と対峙したあの時に見た怖い斎藤には戻って欲しくなかった。
……きっと大丈夫、でも……もしも……
「いつまでそうしている、体を冷やすぞ」
「ぁ……」
このまま行ってしまうと感じたのに、手が伸びてきた。
思わぬ労わりに呆然としたまま体を引き起こされる。
任務に気がある時は振り向きもせず行ってしまう人が……
冷たい言葉を残して去ってしまうと心積もりをしていた夢主には戸惑いだ。
「安心しろ、今日はただの"ご挨拶"だ」
穏やかな声だが鋭い目は、気持ちが既に闘いに向いていると告げていた。
やはり斎藤は一線超えた闘いに踏み込もうとしている。
夢主の血の気が引いた。一触即発、僅かな刺激で斎藤の中の闘争本能が爆発しそうだ。
涙を滲ませまいと目を瞬かせる夢主の不安げな瞳が悲しみに染まっていった。
……どうすればいいの……
成す術無くやりきれない気持ちを察した斎藤が、夢主の頬にそっと手を添えた。
玄関を出る時のいつもの白い手袋ではない、素肌の感触。今にも人を殺してしまいそうな闘気を放つ男が見せる優しさ。
夢主は必死に涙を堪えていた。
「お前の気を病ませるような事はせん。余計な心配はせず大人しくしていろ、日が沈む前に一旦戻る。飯はいらん、いいな。沖田君の屋敷にでも行っていろ」
「はぃ……」
一気に捲し立てられ、縮こまるように頷いた。
安心しろと言われて消せる不安ではない。
それでも自分が信じなければ誰がこの人を信じて待つというのか。多くの人物が脳裏に浮かぶ。
これから斎藤とぶつかる者、共闘する者、逞しい体に傷をつける者、命を奪おうとする者。
斎藤を想い待つことが出来るのは、この手の温もりを知っているのは……
……私が、私だけは一さんを……
「一さん、信じています。……ご武運を」
「あぁ」
俺をよく分かっているじゃないか……
斎藤は伸ばした指先で夢主の目尻を拭うと、そのまま顔を近づけた。
最後の口づけは愛憐の情が溢れていた。