44.静観
夢主名前設定
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自分と同じく考え事をして歩いていたのだろう。
暗い顔を見られた気まずさか、考え事の途中でぶつかりそうになり頭が真っ白になったのか。
本当に急いでいたのかもしれない。
でも逃げるように走り去った。人の好い薫が目も合わせずに。
違和感の原因は父が帰らぬ淋しさ以上の理由がありそうだ。
夜になり、夢主は斎藤の寝巻の帯結びを手伝いながら昼間の遭遇を思い出していた。
仕事から戻った斎藤は考え事に気を取られ、動きが遅い妻の手を肩越しに覗いている。
自身で結んだ方がよっぽど早いが黙って見つめ、ようやく結び終えた所で夢主に向き直った。
「一さん……ひとつ、お聞きしてもいいですか……」
俺の事か。
突然の問いに斎藤は一瞬、間を開けてしまった。
「何だ」
「九州でのこと……神谷越路郎さんを知っていますか」
「……神谷越路郎か」
あぁ……そうか。
近所で立ち話していた夢主と神谷を思い出す。俺の知らぬ場所で二人は相当な面識があったのだろう。
斎藤は一息吐いて名前を繰り返した。
名を言うと同時に霧の山が思い出された。
別れ際、神谷に言われた言葉が幻聴のように響く。
「帰ってやれよ」奴はそう言った。
「知っている。九月に入り合流した隊にいた男だ。腕の立つ男だった」
「越路郎さんは今……」
「あの男は死んだと聞いた」
隠しても仕方がない。
端的に話すと、すぐさま夢主の目の色が変わった。
「死んだ……本当ですか、本当なんですか!」
「俺が直接見たわけではない。死ぬ場面はな。だが最後の姿は知っている。霧の中、敵を引きつけて一人部隊を離れた」
「そんな……」
「東京へ戻って神谷の死を聞かされた。敵に地の利がある中あの人数ではいくらあの男でも」
二人なら見込みはあった。
それを分かって神谷は一人飛び込んで行った。
「もう誰も死なせない、味方も、敵さんだって俺は殺さねぇ」
戦地でそんな事を堂々と語った男。仲間と敵兵をも生かす為。斎藤には馬鹿々々しい理由だ。
「神谷が俺達を生かしてくれたんだ。人を活かす剣を振るっているなどと話していたが、馬鹿な男だ」
「一さん……」
悲しい語りに夢主の声が震えた。
斎藤はそっと小さな肩を引き寄せた。
大きな腕の中でその肩が震え始め、斎藤は慰めるように語り続けた。
少しでも納得出来れば悲しみが和らぐ。自分自身にも言い聞かせる為でもある。
神谷の最後の姿を思い出せば、周りに聞こえた痛みを堪える無数の呻き声も蘇る。
足を引きずり木から木へ掴まって歩く兵、互いに肩を抱き支え合いながら歩く者。
「若い兵が多かった。みな負傷兵だ。俺が本陣まで導いた。……神谷が俺に託したのさ」
「越路郎さんが……」
「誰かが先導しなければ隊は全滅していただろう。それには誰かが敵を引き付けねばならん。俺がやろうと思ったんだがな」
「ぇ……」
「本当に馬鹿な男さ」
一度は斎藤が死を背負おうとした。
目を見開いて驚く顔は悲しみではなく恐怖の色だ。
しかし斎藤が切なく微笑み、生きる道を選んだのだと知った。
夢主は抑えきれずに斎藤に縋りつき、むせび泣いた。
楽ではないその選択を喜び、生きる道を選んだが故の苦しみもまた感じて、涙が止まらなかった。
こうして愛しい者を抱きしめられるのは薫の父が全て背負ってくれたから。
嬉しさと共に哀しみが溢れた。
「本当に阿呆な男だ」
斎藤は天井を見上げて呟いた。
……俺を生かしてくれた……本当にあんたは阿呆だ……
暗い顔を見られた気まずさか、考え事の途中でぶつかりそうになり頭が真っ白になったのか。
本当に急いでいたのかもしれない。
でも逃げるように走り去った。人の好い薫が目も合わせずに。
違和感の原因は父が帰らぬ淋しさ以上の理由がありそうだ。
夜になり、夢主は斎藤の寝巻の帯結びを手伝いながら昼間の遭遇を思い出していた。
仕事から戻った斎藤は考え事に気を取られ、動きが遅い妻の手を肩越しに覗いている。
自身で結んだ方がよっぽど早いが黙って見つめ、ようやく結び終えた所で夢主に向き直った。
「一さん……ひとつ、お聞きしてもいいですか……」
俺の事か。
突然の問いに斎藤は一瞬、間を開けてしまった。
「何だ」
「九州でのこと……神谷越路郎さんを知っていますか」
「……神谷越路郎か」
あぁ……そうか。
近所で立ち話していた夢主と神谷を思い出す。俺の知らぬ場所で二人は相当な面識があったのだろう。
斎藤は一息吐いて名前を繰り返した。
名を言うと同時に霧の山が思い出された。
別れ際、神谷に言われた言葉が幻聴のように響く。
「帰ってやれよ」奴はそう言った。
「知っている。九月に入り合流した隊にいた男だ。腕の立つ男だった」
「越路郎さんは今……」
「あの男は死んだと聞いた」
隠しても仕方がない。
端的に話すと、すぐさま夢主の目の色が変わった。
「死んだ……本当ですか、本当なんですか!」
「俺が直接見たわけではない。死ぬ場面はな。だが最後の姿は知っている。霧の中、敵を引きつけて一人部隊を離れた」
「そんな……」
「東京へ戻って神谷の死を聞かされた。敵に地の利がある中あの人数ではいくらあの男でも」
二人なら見込みはあった。
それを分かって神谷は一人飛び込んで行った。
「もう誰も死なせない、味方も、敵さんだって俺は殺さねぇ」
戦地でそんな事を堂々と語った男。仲間と敵兵をも生かす為。斎藤には馬鹿々々しい理由だ。
「神谷が俺達を生かしてくれたんだ。人を活かす剣を振るっているなどと話していたが、馬鹿な男だ」
「一さん……」
悲しい語りに夢主の声が震えた。
斎藤はそっと小さな肩を引き寄せた。
大きな腕の中でその肩が震え始め、斎藤は慰めるように語り続けた。
少しでも納得出来れば悲しみが和らぐ。自分自身にも言い聞かせる為でもある。
神谷の最後の姿を思い出せば、周りに聞こえた痛みを堪える無数の呻き声も蘇る。
足を引きずり木から木へ掴まって歩く兵、互いに肩を抱き支え合いながら歩く者。
「若い兵が多かった。みな負傷兵だ。俺が本陣まで導いた。……神谷が俺に託したのさ」
「越路郎さんが……」
「誰かが先導しなければ隊は全滅していただろう。それには誰かが敵を引き付けねばならん。俺がやろうと思ったんだがな」
「ぇ……」
「本当に馬鹿な男さ」
一度は斎藤が死を背負おうとした。
目を見開いて驚く顔は悲しみではなく恐怖の色だ。
しかし斎藤が切なく微笑み、生きる道を選んだのだと知った。
夢主は抑えきれずに斎藤に縋りつき、むせび泣いた。
楽ではないその選択を喜び、生きる道を選んだが故の苦しみもまた感じて、涙が止まらなかった。
こうして愛しい者を抱きしめられるのは薫の父が全て背負ってくれたから。
嬉しさと共に哀しみが溢れた。
「本当に阿呆な男だ」
斎藤は天井を見上げて呟いた。
……俺を生かしてくれた……本当にあんたは阿呆だ……