32.追想
夢主名前設定
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「夢主殿は師匠に酒の飲み方を教わったと話していたか」
「覚えてるんですね、そうです……私本当にお酒に弱くて……ほとんど飲めなかった私に酔わないようゆっくり飲めと、舌先で触れるくらいでいいと教えてくださいました。それから窯に火を入れる時はいつも、並んでお酒を酌み交わしたんです。長い事お世話になりましたから……師匠が隣にいると本当に暖かくて……」
あの夜、外套の中は心地良い暖かさだった……
伝えそうになり、思わず口をつぐんだ。弟子の彼に伝えるべき話ではない。
比古の珍しい熱い目を思い出した夢主は頬を赤くして誤魔化し、緋村の誤解を更に膨らませた。
「夢主殿は……師匠とそういう仲なのでござるか……」
「えっ」
「いや、なんでもござらぬ!気にしないでくれ、独り言だ」
酒で頬が染まった夢主を一瞥し、緋村は自分までも頬を染めた。
あの師匠が人の多い東京に出て、しかも官憲の元、職につくとは考えられない。
夢主が旦那様と呼んでいるのは明らかに比古ではない。ならば過去の話、今更蒸し返すのも無粋というもの。
「私、師匠の鍋の味を覚えたんですよ。いつか緋村さんにも作ってあげたいです」
「ははっ、そいつは複雑でござるな。拙者にとっては苦い思い出の味でござるから、ははっ」
「ふふっ、仲のいい親子のように感じていたんですけど、違うみたいですね」
「親子などと、あの捻くれ者が父親などとは一度も考えたことが無いでござる」
「緋村さんっ?」
師匠との思い出がよみがえる度に渋い顔を見せる緋村がおかしくて夢主は密かに肩を揺らした。
「あぁっ、いやいや、こちらの話!夢主殿と話していると幕末の頃を思い出すでござるな。あ、いやっ……あの頃は夢主殿とも相対する立場であったか……」
「そんなことは……私はただの傍観者です。戦いに身を置いた事もありません。置きたくもありませんでしたし……」
刃衛に屯所を連れ出された時、最後に助けてくれたのは緋村だ。しかし緋村が剣を振るう事で夢主が慕う者を多く苦難に追い込んだもの事実。
緋村は気まずさを誤魔化して手酌を繰り返した。
酒を含むたびに夢主からは表情が見えなくなる。それでも隠れることなく見えていたのが左頬の傷だった。
「気になるでござるか」
「ごめんなさい、つい……」
離れない視線に緋村が手を止めた。
穏やかに笑んでいてもどこか儚さを感じるのは、越えてきた死線がそうさせるのか。
夢主は見ていられずに、手元の猪口に視線を逃がした。
緋村の声が陽気なものから静かな声に変わっていく。いつしか纏う空気も沈んだものになっていた。
「いや、構わない。当然でござろう、夢主殿に出会ったあの時、拙者の頬にあったのは一つ傷。其方は忠告してくれた、消えない傷を負うことになると」
緋村の左手が徳利から離れ、傷をなぞるように頬の上を動いた。
増えた傷はこの頬の傷だけではない。心に受けた癒えない傷はあまりに大きかった。
「その通りになってしまった……驚いたよ、こんな事まで本当になるとは。お主は一体……」
「……巴さん」
問いかけて、答えではない言葉に緋村は目を見開いて驚いた。
だが、驚きがおさまると得も言われぬ笑いが込み上げてきた。
「はははっ、そうでござったな、お主は誰も知らない幼い日の名前さえ知っていたんだ、今更驚いた俺が間違いだ」
ひと息つく為にもう一度酒を一気に流し込み、緋村は悲しげに微笑んだ。
「覚えてるんですね、そうです……私本当にお酒に弱くて……ほとんど飲めなかった私に酔わないようゆっくり飲めと、舌先で触れるくらいでいいと教えてくださいました。それから窯に火を入れる時はいつも、並んでお酒を酌み交わしたんです。長い事お世話になりましたから……師匠が隣にいると本当に暖かくて……」
あの夜、外套の中は心地良い暖かさだった……
伝えそうになり、思わず口をつぐんだ。弟子の彼に伝えるべき話ではない。
比古の珍しい熱い目を思い出した夢主は頬を赤くして誤魔化し、緋村の誤解を更に膨らませた。
「夢主殿は……師匠とそういう仲なのでござるか……」
「えっ」
「いや、なんでもござらぬ!気にしないでくれ、独り言だ」
酒で頬が染まった夢主を一瞥し、緋村は自分までも頬を染めた。
あの師匠が人の多い東京に出て、しかも官憲の元、職につくとは考えられない。
夢主が旦那様と呼んでいるのは明らかに比古ではない。ならば過去の話、今更蒸し返すのも無粋というもの。
「私、師匠の鍋の味を覚えたんですよ。いつか緋村さんにも作ってあげたいです」
「ははっ、そいつは複雑でござるな。拙者にとっては苦い思い出の味でござるから、ははっ」
「ふふっ、仲のいい親子のように感じていたんですけど、違うみたいですね」
「親子などと、あの捻くれ者が父親などとは一度も考えたことが無いでござる」
「緋村さんっ?」
師匠との思い出がよみがえる度に渋い顔を見せる緋村がおかしくて夢主は密かに肩を揺らした。
「あぁっ、いやいや、こちらの話!夢主殿と話していると幕末の頃を思い出すでござるな。あ、いやっ……あの頃は夢主殿とも相対する立場であったか……」
「そんなことは……私はただの傍観者です。戦いに身を置いた事もありません。置きたくもありませんでしたし……」
刃衛に屯所を連れ出された時、最後に助けてくれたのは緋村だ。しかし緋村が剣を振るう事で夢主が慕う者を多く苦難に追い込んだもの事実。
緋村は気まずさを誤魔化して手酌を繰り返した。
酒を含むたびに夢主からは表情が見えなくなる。それでも隠れることなく見えていたのが左頬の傷だった。
「気になるでござるか」
「ごめんなさい、つい……」
離れない視線に緋村が手を止めた。
穏やかに笑んでいてもどこか儚さを感じるのは、越えてきた死線がそうさせるのか。
夢主は見ていられずに、手元の猪口に視線を逃がした。
緋村の声が陽気なものから静かな声に変わっていく。いつしか纏う空気も沈んだものになっていた。
「いや、構わない。当然でござろう、夢主殿に出会ったあの時、拙者の頬にあったのは一つ傷。其方は忠告してくれた、消えない傷を負うことになると」
緋村の左手が徳利から離れ、傷をなぞるように頬の上を動いた。
増えた傷はこの頬の傷だけではない。心に受けた癒えない傷はあまりに大きかった。
「その通りになってしまった……驚いたよ、こんな事まで本当になるとは。お主は一体……」
「……巴さん」
問いかけて、答えではない言葉に緋村は目を見開いて驚いた。
だが、驚きがおさまると得も言われぬ笑いが込み上げてきた。
「はははっ、そうでござったな、お主は誰も知らない幼い日の名前さえ知っていたんだ、今更驚いた俺が間違いだ」
ひと息つく為にもう一度酒を一気に流し込み、緋村は悲しげに微笑んだ。