19.その男、実業家
夢主名前設定
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「なんのお話ですか」
「いや、何でもないさ。頼んだぞ沖田君」
「今回だけですよ」
夫は沖田に何を頼んだのか夢主が首を捻るが、沖田は不機嫌に斎藤を睨みつけてから夢主に向き直り、満面の笑みを作って茶を受け取った。
「斎藤さんは人使いが荒いですね」
「えっ、一さん何か無理をお願いしたのですか」
「あははっ違いますよ、大丈夫。ちょっと思っただけです」
確かに夢主を関わらせるには危険を感じる。でも火熨斗は渡してあげたい。
斎藤が半ば無理矢理振ってきた仕事を、沖田は仕方がないと引き受けた。
斎藤も茶を受け取りって夢主が自分の場所へ腰を下ろすと、沖田は斎藤にすっと体を寄せて声を潜めた。
「僕は何もしませんよ、引き取ってくるだけですからね」
「あぁ、それで構わん。客として訪れ気付いた事を報告しろ」
「偉そうですね」
「分かったよ、報告してくれ、頼むぞ」
「夢主ちゃんの為です」
口元を手で隠しひそひそ話す沖田に対し、斎藤は声こそ小さいが堂々と応えている。
夢主は不思議そうに二人のやりとりを眺めた。
斎藤と沖田にとって懐かしい味と香りを楽しんだ翌朝、斎藤は玄関で夢主が日頃手入れしてくれている制服の上着を羽織り、大事な話を伝えた。
「今日から二、三日、家を空ける」
「そう……ですか。わかりました」
「遠出はせんから大丈夫だ。留守の間、家の事は頼んだぞ」
「はい」
二、三日の留守は今や珍しくはない。
突然の報せで驚くが、それを受け入れるのも斎藤の妻である証かと、内心くすくすと笑った。
「お気をつけて」
「あぁ」
靴を履いて玄関に立つ夫に向かい、上がり框に立つ夢主はそっと目を閉じた。
明治が始まったばかりのこの時代には珍しい別れの接吻。そっと触れるだけ、唇を触れ合わせて斎藤は家を後にした。
沖田はこの日、斎藤に言い付かった役目を早く済ませようと、稽古が終わりるとすぐに身支度に取り掛かった。
いつもは着替えて出るだけだか、今、沖田は手間を掛けて支度していた。
「あぁっ、もう気持ち悪いなっ」
今朝方、通りすがりの斎藤から変装して行くよう忠告があり、大嫌いな伽羅の油を髪に塗っていた。
普段は顔を隠すのにちょうど良い前髪を、今日に限っては斎藤のように後ろに掻き上げて固めている。
幕末からずっと前髪を下ろしている沖田にとっては違和感だ。
だが前髪の変化が与える印象の差は大きい。顔を良く知る者が武田の傍にいても気付かれ難いはずだ。
何より今回の変装でより大きな役割を果たしているのが服だ。袴と長着を愛用する沖田が洋装に身を包んでいる。
変装出来る衣など持っていないと主張する沖田に、「いいものがあるだろう、忘れたか」と斎藤が思い出させた物だ。
「筒袖なんて動きにくいったらありゃしない。それにこんな事に使うなんて……ま、土方さんならむしろ喜んでるかな」
まるで監察方のようだなと呟いて、沖田は己の恰好を確認した。
京から江戸に渡り植木屋で身を潜めた際、土方が「必要になるかもしれねぇだろう」と置いて行った洋装が役に立ったのだ。
洋袴に革帯、釦がやたらと付いた白いシャツ。軍人のような上着はさすがに東京の町では浮くだろうと、最後に慣れ親しんだ衣である羽織を纏った。
これも普段愛用している羽織ではなく、屋敷に残されていた立派な絹の黒い羽織だ。いつもの沖田は選ばない一枚、纏う雰囲気は別人だ。
土方が用意した革帯には、洋装でも刀を差せる刀架が付いていた。
「土方さんらしいな……でもありがたいや。これで刀を持っていける」
洋袴を履いた瞬間、刀をどう持てばいいのか、上から帯を巻くのか、沖田は首を捻ったが、箱の底から出てきた革帯に顔を綻ばせたのだ。
夢主にこんな姿は見せられないと、稽古後は理由をつけて家に戻ってもらっていた。
慣れない着付けを手伝って欲しいのが本音だったが、万一火熨斗の事がばれてしまっては大変と一人頑張って洋装に身を包んだ。
「いや、何でもないさ。頼んだぞ沖田君」
「今回だけですよ」
夫は沖田に何を頼んだのか夢主が首を捻るが、沖田は不機嫌に斎藤を睨みつけてから夢主に向き直り、満面の笑みを作って茶を受け取った。
「斎藤さんは人使いが荒いですね」
「えっ、一さん何か無理をお願いしたのですか」
「あははっ違いますよ、大丈夫。ちょっと思っただけです」
確かに夢主を関わらせるには危険を感じる。でも火熨斗は渡してあげたい。
斎藤が半ば無理矢理振ってきた仕事を、沖田は仕方がないと引き受けた。
斎藤も茶を受け取りって夢主が自分の場所へ腰を下ろすと、沖田は斎藤にすっと体を寄せて声を潜めた。
「僕は何もしませんよ、引き取ってくるだけですからね」
「あぁ、それで構わん。客として訪れ気付いた事を報告しろ」
「偉そうですね」
「分かったよ、報告してくれ、頼むぞ」
「夢主ちゃんの為です」
口元を手で隠しひそひそ話す沖田に対し、斎藤は声こそ小さいが堂々と応えている。
夢主は不思議そうに二人のやりとりを眺めた。
斎藤と沖田にとって懐かしい味と香りを楽しんだ翌朝、斎藤は玄関で夢主が日頃手入れしてくれている制服の上着を羽織り、大事な話を伝えた。
「今日から二、三日、家を空ける」
「そう……ですか。わかりました」
「遠出はせんから大丈夫だ。留守の間、家の事は頼んだぞ」
「はい」
二、三日の留守は今や珍しくはない。
突然の報せで驚くが、それを受け入れるのも斎藤の妻である証かと、内心くすくすと笑った。
「お気をつけて」
「あぁ」
靴を履いて玄関に立つ夫に向かい、上がり框に立つ夢主はそっと目を閉じた。
明治が始まったばかりのこの時代には珍しい別れの接吻。そっと触れるだけ、唇を触れ合わせて斎藤は家を後にした。
沖田はこの日、斎藤に言い付かった役目を早く済ませようと、稽古が終わりるとすぐに身支度に取り掛かった。
いつもは着替えて出るだけだか、今、沖田は手間を掛けて支度していた。
「あぁっ、もう気持ち悪いなっ」
今朝方、通りすがりの斎藤から変装して行くよう忠告があり、大嫌いな伽羅の油を髪に塗っていた。
普段は顔を隠すのにちょうど良い前髪を、今日に限っては斎藤のように後ろに掻き上げて固めている。
幕末からずっと前髪を下ろしている沖田にとっては違和感だ。
だが前髪の変化が与える印象の差は大きい。顔を良く知る者が武田の傍にいても気付かれ難いはずだ。
何より今回の変装でより大きな役割を果たしているのが服だ。袴と長着を愛用する沖田が洋装に身を包んでいる。
変装出来る衣など持っていないと主張する沖田に、「いいものがあるだろう、忘れたか」と斎藤が思い出させた物だ。
「筒袖なんて動きにくいったらありゃしない。それにこんな事に使うなんて……ま、土方さんならむしろ喜んでるかな」
まるで監察方のようだなと呟いて、沖田は己の恰好を確認した。
京から江戸に渡り植木屋で身を潜めた際、土方が「必要になるかもしれねぇだろう」と置いて行った洋装が役に立ったのだ。
洋袴に革帯、釦がやたらと付いた白いシャツ。軍人のような上着はさすがに東京の町では浮くだろうと、最後に慣れ親しんだ衣である羽織を纏った。
これも普段愛用している羽織ではなく、屋敷に残されていた立派な絹の黒い羽織だ。いつもの沖田は選ばない一枚、纏う雰囲気は別人だ。
土方が用意した革帯には、洋装でも刀を差せる刀架が付いていた。
「土方さんらしいな……でもありがたいや。これで刀を持っていける」
洋袴を履いた瞬間、刀をどう持てばいいのか、上から帯を巻くのか、沖田は首を捻ったが、箱の底から出てきた革帯に顔を綻ばせたのだ。
夢主にこんな姿は見せられないと、稽古後は理由をつけて家に戻ってもらっていた。
慣れない着付けを手伝って欲しいのが本音だったが、万一火熨斗の事がばれてしまっては大変と一人頑張って洋装に身を包んだ。