19.その男、実業家
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これから冷たい季節がやってくる。
思い出に浸るには向かない季節だ。
「俺にとっての冬か」
御陵衛士を瓦解させたのも、鳥羽伏見の戦いが始まったのも、捕虜となり荒れた地へ移住したのも冷たい風が吹き付ける季節だった。
大坂から江戸へ、会津から斗南へ、冬の海を渡った。
忘れもしない、灰色の空から槍でも向けられたのか、体中を刺す冷たい潮風が吹きすさぶ中、黒い海の上を渡った。
鋼鉄の船はどこも暖まらず、負け戦で疲弊する心に追い打ちをかける寒さと、荒波の揺れに責められたものだ。
……いや、富士山丸では一時の安らぎがあったか……
分厚い鋼扉の隙間から聞こえた穏やかな声。傷ついた仲間と閑談し、やがて息を引き取った彼を前に慟哭した夢主。
傍で抱きしめてやる事は出来なかったが、俺が傍にいると確かに気付いていた。
冷たい船の中ではっきり感じた生きる目的は温もりになり、守るべき存在は己の正義を立証した。
「鳥羽伏見が冬ならば、あいつが去ったのも冬だったな。まだ半年か」
屯所を旅立ち三年と数か月、暖かな春に再会を果たした。
幸せにも夫婦として共に生きる道を選べた二人、だが共に歩み出してからまだ半年程だった。
「もうずっと共にいる気分だ。フッ、俺とした事がらしくないな」
考え事をして歩みを緩めるなど……
斎藤は自分を軽く笑い、再びを警視庁へ向けて急ぎ歩き出した。
沖田の道場には子供達が集まり、稽古が始まっていた。
真剣に汗を流して励む姿から幼さは消えている。武士の子として会津の血を引く者として、懸命に強くなろうと心身を鍛えていた。
新選組の屯所を出て以来、世間に向けては井上を名乗る沖田。その名を受け入れて呼んでくれる門弟の子供達。
容保を通じ紹介された子供達は、師匠を井上先生と呼んで慕っている。
道場の中、等間隔に距離を取り木刀を振る。
その間を沖田がゆっくりと歩き、一人一人の手足、剣の癖や"ぶれ"を指摘していく。
「一、二、三、四、五、」
素振りに合わせ発する掛け声、声を乱さないよう、沖田の指摘を受けた子供も「はい!」と返事をしては直ぐに掛け声に戻る。
沖田は腕や足を矯正し、時に素振りする木刀を手で掴んで止めた。
いくら大人と子供の差があるとは言え、思い切り振り下ろす木刀を素手で軽々止められ、弟子達には驚きの瞬間だ。
だが、流石に新選組の組長として隊士を稽古付けていた時とは違う。
手加減をして怪我をさせないよう心掛けていた。
隊士を命を張った巡察へ送り出す為の稽古ではなく、預かりの子供達へ剣の指南。
その差は沖田の心持にも明確に表れていた。
「鬼の稽古は封印しないといけませんよ」
いつだったか、兄のように優しかった山南が心配してくれた。その心配も無用、沖田はしっかりと師範の役目を務めている。
ただ、もし彼がこの道場を訪れていたら笑っただろう。
沖田自身も道場の門を通る時、そう考えてくすりと笑う事がある。
立派な門に掲げられたこれまた立派なけやきの看板。そこには堂々とした力強い文字でこう書かれている。
『舞突新誠流 井上道場』
「ふふっ」
「どうされました、井上先生」
「いえ、これは失敬」
稽古が終わり気が緩んだ沖田。
今朝の斎藤との会話を思い出し、懐かしい仲間の姿を想像して楽しげな声を漏らした。
容保公に頂いた流派名があまりにも立派で、並べばちょうど良いだろうと横に井上道場と書き足したのだ。
自ら適当に考えて容保公に怒られた『井上流』から『井上道場』に変えただけである。しかし耳に残る感じは悪くないと沖田自身は気に入っていた。
何より仰々しい立派な名が自分には擽ったい。
下賜された名はありがたく掲げたまま、馴染みある名を使っていた。
覚えやすい名は弟子達の間でも広まり、「井上道場に行って参ります」と親に告げて家を出る子も多かった。
思い出に浸るには向かない季節だ。
「俺にとっての冬か」
御陵衛士を瓦解させたのも、鳥羽伏見の戦いが始まったのも、捕虜となり荒れた地へ移住したのも冷たい風が吹き付ける季節だった。
大坂から江戸へ、会津から斗南へ、冬の海を渡った。
忘れもしない、灰色の空から槍でも向けられたのか、体中を刺す冷たい潮風が吹きすさぶ中、黒い海の上を渡った。
鋼鉄の船はどこも暖まらず、負け戦で疲弊する心に追い打ちをかける寒さと、荒波の揺れに責められたものだ。
……いや、富士山丸では一時の安らぎがあったか……
分厚い鋼扉の隙間から聞こえた穏やかな声。傷ついた仲間と閑談し、やがて息を引き取った彼を前に慟哭した夢主。
傍で抱きしめてやる事は出来なかったが、俺が傍にいると確かに気付いていた。
冷たい船の中ではっきり感じた生きる目的は温もりになり、守るべき存在は己の正義を立証した。
「鳥羽伏見が冬ならば、あいつが去ったのも冬だったな。まだ半年か」
屯所を旅立ち三年と数か月、暖かな春に再会を果たした。
幸せにも夫婦として共に生きる道を選べた二人、だが共に歩み出してからまだ半年程だった。
「もうずっと共にいる気分だ。フッ、俺とした事がらしくないな」
考え事をして歩みを緩めるなど……
斎藤は自分を軽く笑い、再びを警視庁へ向けて急ぎ歩き出した。
沖田の道場には子供達が集まり、稽古が始まっていた。
真剣に汗を流して励む姿から幼さは消えている。武士の子として会津の血を引く者として、懸命に強くなろうと心身を鍛えていた。
新選組の屯所を出て以来、世間に向けては井上を名乗る沖田。その名を受け入れて呼んでくれる門弟の子供達。
容保を通じ紹介された子供達は、師匠を井上先生と呼んで慕っている。
道場の中、等間隔に距離を取り木刀を振る。
その間を沖田がゆっくりと歩き、一人一人の手足、剣の癖や"ぶれ"を指摘していく。
「一、二、三、四、五、」
素振りに合わせ発する掛け声、声を乱さないよう、沖田の指摘を受けた子供も「はい!」と返事をしては直ぐに掛け声に戻る。
沖田は腕や足を矯正し、時に素振りする木刀を手で掴んで止めた。
いくら大人と子供の差があるとは言え、思い切り振り下ろす木刀を素手で軽々止められ、弟子達には驚きの瞬間だ。
だが、流石に新選組の組長として隊士を稽古付けていた時とは違う。
手加減をして怪我をさせないよう心掛けていた。
隊士を命を張った巡察へ送り出す為の稽古ではなく、預かりの子供達へ剣の指南。
その差は沖田の心持にも明確に表れていた。
「鬼の稽古は封印しないといけませんよ」
いつだったか、兄のように優しかった山南が心配してくれた。その心配も無用、沖田はしっかりと師範の役目を務めている。
ただ、もし彼がこの道場を訪れていたら笑っただろう。
沖田自身も道場の門を通る時、そう考えてくすりと笑う事がある。
立派な門に掲げられたこれまた立派なけやきの看板。そこには堂々とした力強い文字でこう書かれている。
『舞突新誠流 井上道場』
「ふふっ」
「どうされました、井上先生」
「いえ、これは失敬」
稽古が終わり気が緩んだ沖田。
今朝の斎藤との会話を思い出し、懐かしい仲間の姿を想像して楽しげな声を漏らした。
容保公に頂いた流派名があまりにも立派で、並べばちょうど良いだろうと横に井上道場と書き足したのだ。
自ら適当に考えて容保公に怒られた『井上流』から『井上道場』に変えただけである。しかし耳に残る感じは悪くないと沖田自身は気に入っていた。
何より仰々しい立派な名が自分には擽ったい。
下賜された名はありがたく掲げたまま、馴染みある名を使っていた。
覚えやすい名は弟子達の間でも広まり、「井上道場に行って参ります」と親に告げて家を出る子も多かった。