【明】驚かさないでと言ったのに
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夏の夜、帰宅した斎藤は真っ先に上着の袖を抜いた。
剥ぎ取るように勢いよく、分厚い上着を脱ぎ捨てる気分だった。
「今年の夏は一段と暑いな」
「一さんは制服で動き回るから大変ですね。目眩が起きたりしていませんか、私も家で暑くて暑くて」
「署内はそれなりに涼しいんだがな。お前は大丈夫か、そんなに暑いなら涼しくしてやろうか」
「そんなコト出来るんですか。あっ、脱がしてやるとか、そういうのは無しですよ」
受け取った上着を丁寧に扱う夢主だが、態度は別で、ぷぅっと頬を膨らませた。
まだ何もしとらんぞと、斎藤が笑っている。
「阿呆、怪談話をしてやる。背筋が凍るぞ」
「怖い話ですか、私……苦手ですよ」
「怖がりか。ならちょうどいい、涼しくなるぞ。まぁ、座れ」
嫌がる夢主を尻目に斎藤は話を始めた。
「新選組は死と隣り合わせの場所だったからな。お前も見たり聞いたりしたんじゃないのか」
「な、何をですか……」
「死者の姿、その声」
斎藤が怖がらせようと声を潜めると、夢主はそれだけで身を縮めた。目尻に光るものを溜めて、ふるふると首を振っている。
「俺には分らんが、見えた者もいたらしい。赤黒い影の死者が彷徨い、あるいは生者の肩にしがみついて、恨めしそうな目で睨んでいたそうだ。町家の陰、屯所の廊下、それからお前の、後ろ」
指さされた夢主は、悲鳴を上げた。
逃げるように振り返り、斎藤に抱き着く。
二ッとする斎藤とは対照的に、夢主は零れんばかりの涙を浮かべていた。
「さて、俺は風呂に入るとするか」
いつもならば、ここぞとばかりに抱き返す斎藤が、夢主を引き剥がすように残して、立ち上がった。
「待って、待ってください、一人にしないで!」
「ククッ、すぐに戻るさ。少しの間一人で涼しい気分に浸るんだな」
「酷いです、一さん!」
夢主は斎藤を追いかけ、風呂場の前に座り込んだ。
斎藤は構わず戸の向こう側へ入ってしまった。
いくら夫婦とはいえ、中まで追いかける度胸が夢主には無い。
一人取り残された夢主は、斎藤の存在を感じようと、風呂から聞こえる音に耳を澄ました。
見知った我が家なのに怖くて仕方がない。
風呂で斎藤が立てる音だけが耳に届けば良いのだが、湿気で軋む木の音や、外で風が起こす音、様々な音が夢主に届き、嫌でも怖い想像が膨らんでいった。
ぞくぞくと凍える背中。誰もいないのに、廊下の向こうを見て想像してしまう。廊下の奥から、床下から、屋根裏から、暗がりから何かが近づいてくるのでは。
何度も首を振って恐怖を振り払う夢主が、はぁぁと溜め息を吐いた時、突然風呂の戸が開いて、叫び声が響き渡った。
「ひぁあああっ」
「ククッ、面白いほど怖がるな」
「もぉ、一さん! やめてくださいよっ」
「やめろと言われても、風呂から出ない訳にも、いかんだろう」
「そうですけど、わざと勢いよく開けましたよねっ」
「バレたか。しかし涼しくはなっただろう?」
風呂上がりの爽やかな顔で、斎藤が首を傾げる。
湿り気を帯びた髪が重たげに揺れ、夢主は目を奪われそうになるが、むくれて顔を逸らした。
本当に怖かったんですからと、拗ねている。
「泣くな阿呆、冗談だ」
「泣いてません、でも悪ふざけが過ぎます」
「謝るから許せ」
そう言って身を屈める斎藤だが、顔を近づけて夢主の意識が己に向いたところで、こっそり手を伸ばし、夢主の肩にトンと触れた。
「きゃぁあああ」
「フハハッ、そこまで驚くことはなかろう」
「もぅ酷いです、一さん! 私が怖がりなの、知ってて!」
「すまないと言っているだろう」
「今日ばかりは許さないんです!」
度が過ぎた悪戯ですと、夢主はすっかり機嫌を損ねてしまった。
今の言葉は本当か、斎藤が「ん?」と、お道化るように首を傾げて、夢主の顔色を窺う。
今度は手を見せてから、そっと夢主の肩を掴んだ。
それからしっかりと、抱き寄せた。
「悪かった。やり過ぎたな」
「……本当に、やりすぎです。私、怖がりなのに」
「すまん」
弱々しい声で本音をぶつける夢主を、斎藤は愛おしげに抱きしめて、頭に手を添えた。撫でるように何度も触れて、目に映る髪に口づけた。
夢主は斎藤の腕の中で、湯上りの温かな香りを感じていた。
優しい仕草で撫でられる感触が続き、恥ずかしさを覚えた夢主は、顔を上げた。
「も、もぅ、怒ってませんから離してください、私もお風呂、入ります」
「ではお前が怖くないよう、ここで待つとするか」
フッと笑んだ斎藤が、一人で座り直そうとすると、夢主が斎藤の袖を掴んだ。俯いて、袖を強く引いている。
どうした、と顔を覗いた斎藤が見たのは、口を尖らせた夢主だった。
「暑いのに、お風呂入りたいのに、一さんから離れられなくなっちゃったじゃありませんか」
本当に怖かったんです。
袖を掴む手が微かに揺れて、斎藤はやれやれと頬を緩めた。
「そいつは嬉しいな。それから、本当に悪かった」
そこまで怖がるとは思っていなかったんだ。
斎藤が抱きしめ直すと、夢主は思いきり顔を背けた。
まだ怒っている。それと、怖がって、怖がっている自分を恥じらって、俺の存在に安堵している。
あぁ、やり過ぎたな。
深く自省した斎藤は、夢主を抱きかかえた。
「な、何するんですか、一さんっ」
「少々縁側で涼んで、その後で風呂に行けばいい。落ち着いてから湯浴みしろ」
「一さん……」
間近で首を傾げて「なっ?」と見せる顔は、先ほどの顔に似ていた。湿った髪が重たそうに揺れて、よく見れば、睫毛までもが濡れている。今度は夢主も素直に見惚れて、頬を染めた。
「ふふっ、そうします」
自分を想ってくれる言葉に、思わず笑みが零れる。
その微笑みを見て、斎藤の後ろめたさも消えていった。
斎藤と夢主は縁側でゆるり、夏の夜風を楽しんだ。
体を寄せて、他愛のない話で時を過ごす。
その後、夢主が湯浴みをする間、斎藤は怖くないよう扉越しにひたすら話しかけるよう求められ、大人しく従った。
縁側の続きを、珍しい昔話を、怖くない昔話を聞かせて、夢主に温かな湯浴みの時間を与えていた。
❖ ❖ ❖
剥ぎ取るように勢いよく、分厚い上着を脱ぎ捨てる気分だった。
「今年の夏は一段と暑いな」
「一さんは制服で動き回るから大変ですね。目眩が起きたりしていませんか、私も家で暑くて暑くて」
「署内はそれなりに涼しいんだがな。お前は大丈夫か、そんなに暑いなら涼しくしてやろうか」
「そんなコト出来るんですか。あっ、脱がしてやるとか、そういうのは無しですよ」
受け取った上着を丁寧に扱う夢主だが、態度は別で、ぷぅっと頬を膨らませた。
まだ何もしとらんぞと、斎藤が笑っている。
「阿呆、怪談話をしてやる。背筋が凍るぞ」
「怖い話ですか、私……苦手ですよ」
「怖がりか。ならちょうどいい、涼しくなるぞ。まぁ、座れ」
嫌がる夢主を尻目に斎藤は話を始めた。
「新選組は死と隣り合わせの場所だったからな。お前も見たり聞いたりしたんじゃないのか」
「な、何をですか……」
「死者の姿、その声」
斎藤が怖がらせようと声を潜めると、夢主はそれだけで身を縮めた。目尻に光るものを溜めて、ふるふると首を振っている。
「俺には分らんが、見えた者もいたらしい。赤黒い影の死者が彷徨い、あるいは生者の肩にしがみついて、恨めしそうな目で睨んでいたそうだ。町家の陰、屯所の廊下、それからお前の、後ろ」
指さされた夢主は、悲鳴を上げた。
逃げるように振り返り、斎藤に抱き着く。
二ッとする斎藤とは対照的に、夢主は零れんばかりの涙を浮かべていた。
「さて、俺は風呂に入るとするか」
いつもならば、ここぞとばかりに抱き返す斎藤が、夢主を引き剥がすように残して、立ち上がった。
「待って、待ってください、一人にしないで!」
「ククッ、すぐに戻るさ。少しの間一人で涼しい気分に浸るんだな」
「酷いです、一さん!」
夢主は斎藤を追いかけ、風呂場の前に座り込んだ。
斎藤は構わず戸の向こう側へ入ってしまった。
いくら夫婦とはいえ、中まで追いかける度胸が夢主には無い。
一人取り残された夢主は、斎藤の存在を感じようと、風呂から聞こえる音に耳を澄ました。
見知った我が家なのに怖くて仕方がない。
風呂で斎藤が立てる音だけが耳に届けば良いのだが、湿気で軋む木の音や、外で風が起こす音、様々な音が夢主に届き、嫌でも怖い想像が膨らんでいった。
ぞくぞくと凍える背中。誰もいないのに、廊下の向こうを見て想像してしまう。廊下の奥から、床下から、屋根裏から、暗がりから何かが近づいてくるのでは。
何度も首を振って恐怖を振り払う夢主が、はぁぁと溜め息を吐いた時、突然風呂の戸が開いて、叫び声が響き渡った。
「ひぁあああっ」
「ククッ、面白いほど怖がるな」
「もぉ、一さん! やめてくださいよっ」
「やめろと言われても、風呂から出ない訳にも、いかんだろう」
「そうですけど、わざと勢いよく開けましたよねっ」
「バレたか。しかし涼しくはなっただろう?」
風呂上がりの爽やかな顔で、斎藤が首を傾げる。
湿り気を帯びた髪が重たげに揺れ、夢主は目を奪われそうになるが、むくれて顔を逸らした。
本当に怖かったんですからと、拗ねている。
「泣くな阿呆、冗談だ」
「泣いてません、でも悪ふざけが過ぎます」
「謝るから許せ」
そう言って身を屈める斎藤だが、顔を近づけて夢主の意識が己に向いたところで、こっそり手を伸ばし、夢主の肩にトンと触れた。
「きゃぁあああ」
「フハハッ、そこまで驚くことはなかろう」
「もぅ酷いです、一さん! 私が怖がりなの、知ってて!」
「すまないと言っているだろう」
「今日ばかりは許さないんです!」
度が過ぎた悪戯ですと、夢主はすっかり機嫌を損ねてしまった。
今の言葉は本当か、斎藤が「ん?」と、お道化るように首を傾げて、夢主の顔色を窺う。
今度は手を見せてから、そっと夢主の肩を掴んだ。
それからしっかりと、抱き寄せた。
「悪かった。やり過ぎたな」
「……本当に、やりすぎです。私、怖がりなのに」
「すまん」
弱々しい声で本音をぶつける夢主を、斎藤は愛おしげに抱きしめて、頭に手を添えた。撫でるように何度も触れて、目に映る髪に口づけた。
夢主は斎藤の腕の中で、湯上りの温かな香りを感じていた。
優しい仕草で撫でられる感触が続き、恥ずかしさを覚えた夢主は、顔を上げた。
「も、もぅ、怒ってませんから離してください、私もお風呂、入ります」
「ではお前が怖くないよう、ここで待つとするか」
フッと笑んだ斎藤が、一人で座り直そうとすると、夢主が斎藤の袖を掴んだ。俯いて、袖を強く引いている。
どうした、と顔を覗いた斎藤が見たのは、口を尖らせた夢主だった。
「暑いのに、お風呂入りたいのに、一さんから離れられなくなっちゃったじゃありませんか」
本当に怖かったんです。
袖を掴む手が微かに揺れて、斎藤はやれやれと頬を緩めた。
「そいつは嬉しいな。それから、本当に悪かった」
そこまで怖がるとは思っていなかったんだ。
斎藤が抱きしめ直すと、夢主は思いきり顔を背けた。
まだ怒っている。それと、怖がって、怖がっている自分を恥じらって、俺の存在に安堵している。
あぁ、やり過ぎたな。
深く自省した斎藤は、夢主を抱きかかえた。
「な、何するんですか、一さんっ」
「少々縁側で涼んで、その後で風呂に行けばいい。落ち着いてから湯浴みしろ」
「一さん……」
間近で首を傾げて「なっ?」と見せる顔は、先ほどの顔に似ていた。湿った髪が重たそうに揺れて、よく見れば、睫毛までもが濡れている。今度は夢主も素直に見惚れて、頬を染めた。
「ふふっ、そうします」
自分を想ってくれる言葉に、思わず笑みが零れる。
その微笑みを見て、斎藤の後ろめたさも消えていった。
斎藤と夢主は縁側でゆるり、夏の夜風を楽しんだ。
体を寄せて、他愛のない話で時を過ごす。
その後、夢主が湯浴みをする間、斎藤は怖くないよう扉越しにひたすら話しかけるよう求められ、大人しく従った。
縁側の続きを、珍しい昔話を、怖くない昔話を聞かせて、夢主に温かな湯浴みの時間を与えていた。
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