【明】剣路と勉、互いの父
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藤田勉は父の五郎と共に、東京の町を歩いていた。
先を行くのは父だ。父は警察を退職したものの家を空ける日が多く、連れ立って歩くことは少ない。勉は久しぶりに尊敬する父の背を見ていた。背丈はだいぶ近づいたが、この背中にはまだまだ及ばない。そう感じることが嬉しく思えるほど憧れている、自慢の父だ。
警察時代にすっかり洋装に慣れてしまったからか、外出の際、父は折り目のしっかりと付いたズボンに、白い襟付きのシャツを着込むことが多い。しかし、煩わしいからと胸元の釦は開き、中から黒いシャツを覗かせている。きっちりしているのか、いないのか、息子の勉にも分かり兼ねていた。
勉は父が家で見せる着流し姿がとても好きだ。一方、外で目にする洋装姿も凛々しくて大好きだ。道行く誰よりも洋装を着こなす父を改めて誇りに思うのだった。
勉自身は普段から和服を好んで身につけていた。特に剣の稽古で身につける袴は大好きだ。
だがこの日、勉は学生服を身につけていた。
人の通りが多い夕刻、勉はふと視線を感じ、通りの先からやって来る男に目を向けた。体の前に小さな桶を抱えている。この時間なら豆腐だろうか。気になった勉はつい観察してしまった。
男は小柄だが、優れた体幹を感じさせる、ぶれない足運びで歩いている。
何より目を引くのは、随分と赤みを帯びた髪の色と、頬に刻まれた薄い十字傷だった。
────もしかして……母上が話してくれた、父上が昔敵対し、後に共に戦ったという緋村さんでは……
近付いてきた赤髪に十字傷の男は勉と目を合わせ、柔らかく微笑んだ。
驚いた勉は咄嗟に父の顔を見上げるが、父は顔色ひとつ変えず、目線を動かすことなく前を向いてその男とすれ違った。
「父上」
呼ばれた父は、親らしく息子の声を気遣って立ち止まり、振り返った。
「どうした」
少しの間、父子は互いの瞳の色を確認し合うように見つめ合った。相手の心根を探るような視線がぶつかる。勉が言い淀む間に、十字傷の男は道の向こうへ小さくなっていった。
「今っ、……いえっ、なんでもありません」
「そうか。行くぞ」
「はい、父上」
────何故だろう、父上は目も合わせず、声も掛けないのだろうか。わざとなのでしょうか、父上……
勉は不思議に思い、少しだけ歩調を速めて前を見据えて歩く父の顔色を覗いた。瞳だけを動かして目を合わせてくる父に慌てて会釈をして、視線を外すしかなかった。
────父上は、気付いていたんだ……
勉は不躾に父の顔を覗いてしまった己を恥じらい、赤い顔で目を伏せた。
自省する勉だが、父は息子の様子を確認するなり、「なかなか鋭い息子だ」と、口元を緩めていた。
「父上……」
「なんだ」
「剣の稽古、またつけて下さい。最近は学校の道場や近所の道場でも稽古に励んでいるのですが、父上にも稽古を付けていただきたいのです」
「構わんが。俺の稽古は少しばかり厳しいぞ」
「覚悟の上です」
緩んでいた勉の手に力が込められて、拳に変わっている事に気付いた父は、小さく笑んだ。
「お前は筋もよく粘りもある。稽古も真面目に打ち込んでいると、学校の先生も道場の師範もお前を褒めていたぞ」
「本当ですか! それは……身に余る有難きお言葉です」
馬鹿丁寧に喜ぶ息子に、父はまたも顔を緩めて頷いた。
「最近は河原でもよく一人稽古をしているそうだな。河原と言うのは今も昔も妙な輩が湧く場所だ。気を付けろよ」
「はい! 心して参ります。そういえば……妙と言えば」
「どうした」
「いぇ……ふふっ」
言葉を濁し、男にしては可愛らしい母譲りの「ふふっ」と小さな笑いを見せる勉に、父も嬉しさを覚えてつい目を細めてしまう。
剣に打ち込むのは己の影響だろうが、優しい性格は母親譲りとしか思えなかった。
「いえ、河原で稽古をしておりますと、最近おかしな少年がやって来るのです」
「少年」
「はい。背はまだ私よりも大分低いでしょうか、ただ目に力があり、底知れないものを持っております。何より気迫は物凄く、太刀筋が乱れてはおりますが、なかなか素質に恵まれた少年でして、体の疾さは舌を巻くものがあります」
「ほう。その童も剣を振るうのか」
「はい。私が素振りをしていると割り込んでくるのです、ふふっ。勿論、私は負けたことはありませんよ、父上!」
「フッ、そうか。可笑しな少年だな」
大きく顎を引き寄せて笑うと、勉は続けた。
「もっと可笑しなのは、その少年が父上をご存知だったコトです」
「俺を。まぁ警官をしていたからな、俺に補導でもされたか」
「ふふっ、違いますよ父上、その少年は父上を尊敬しているそうです。元新選組三番隊組長、時代を駆け抜け、たとえ負けると分かっていても己を貫き、最後まで武士であった父上! 負けて尚、時代のために、日の本のために、人民のために剣を振るい続けた父上を! 母上から聞きました、私が幼い頃に再び京の町を守ったコトも」
「やれやれ、アイツ。そういうコトは息子のお前が言うんじゃあない」
興奮して我が父を褒める息子を窘める父の脳裏には、愛しい母、すなわち妻の姿が浮かんでいた。
河原で会った少年の話がいつしか自分自身の話しにすり替わってしまい、勉は頬を染めた。そのうえ多弁になってしまい、父を呆れさせてしまったと俯いた。
「す、すみません父上、つい……私も父上を尊敬しております」
「そうか。お前も立派な男になったよ。俺の誇りさ」
「父上……」
父の思わぬ言葉に胸を熱くして見上げる勉だが、父は考えるように目を逸らして呟いた。
「だがその少年、童の分際で俺の身の上まで知っているとは妙だな」
「それがどうらや少年の父君が昔、動乱の京で父上と戦った経験があると……それから十年の後、共に京で民を守ったと聞きました」
「……抜刀斎か」
父は、勉には届かない小さな声でぽつりと漏らした。
「母上が教えてくださいました。赤い髪に左頬に十字傷の剣客……傷はだいぶ薄くなっていましたが、先程すれ違ったあの方、あの方が緋村さんなのですね」
「あぁ」
今更、誤魔化しても仕方が無いと、父は素直に認めて頷いた。
「あれは強いぞ」
「えっ……」
父が他人を認めるとは……勉は驚いて、再び父の顔を覗きそうになる自分に気が付き、戒めた。
先を行くのは父だ。父は警察を退職したものの家を空ける日が多く、連れ立って歩くことは少ない。勉は久しぶりに尊敬する父の背を見ていた。背丈はだいぶ近づいたが、この背中にはまだまだ及ばない。そう感じることが嬉しく思えるほど憧れている、自慢の父だ。
警察時代にすっかり洋装に慣れてしまったからか、外出の際、父は折り目のしっかりと付いたズボンに、白い襟付きのシャツを着込むことが多い。しかし、煩わしいからと胸元の釦は開き、中から黒いシャツを覗かせている。きっちりしているのか、いないのか、息子の勉にも分かり兼ねていた。
勉は父が家で見せる着流し姿がとても好きだ。一方、外で目にする洋装姿も凛々しくて大好きだ。道行く誰よりも洋装を着こなす父を改めて誇りに思うのだった。
勉自身は普段から和服を好んで身につけていた。特に剣の稽古で身につける袴は大好きだ。
だがこの日、勉は学生服を身につけていた。
人の通りが多い夕刻、勉はふと視線を感じ、通りの先からやって来る男に目を向けた。体の前に小さな桶を抱えている。この時間なら豆腐だろうか。気になった勉はつい観察してしまった。
男は小柄だが、優れた体幹を感じさせる、ぶれない足運びで歩いている。
何より目を引くのは、随分と赤みを帯びた髪の色と、頬に刻まれた薄い十字傷だった。
────もしかして……母上が話してくれた、父上が昔敵対し、後に共に戦ったという緋村さんでは……
近付いてきた赤髪に十字傷の男は勉と目を合わせ、柔らかく微笑んだ。
驚いた勉は咄嗟に父の顔を見上げるが、父は顔色ひとつ変えず、目線を動かすことなく前を向いてその男とすれ違った。
「父上」
呼ばれた父は、親らしく息子の声を気遣って立ち止まり、振り返った。
「どうした」
少しの間、父子は互いの瞳の色を確認し合うように見つめ合った。相手の心根を探るような視線がぶつかる。勉が言い淀む間に、十字傷の男は道の向こうへ小さくなっていった。
「今っ、……いえっ、なんでもありません」
「そうか。行くぞ」
「はい、父上」
────何故だろう、父上は目も合わせず、声も掛けないのだろうか。わざとなのでしょうか、父上……
勉は不思議に思い、少しだけ歩調を速めて前を見据えて歩く父の顔色を覗いた。瞳だけを動かして目を合わせてくる父に慌てて会釈をして、視線を外すしかなかった。
────父上は、気付いていたんだ……
勉は不躾に父の顔を覗いてしまった己を恥じらい、赤い顔で目を伏せた。
自省する勉だが、父は息子の様子を確認するなり、「なかなか鋭い息子だ」と、口元を緩めていた。
「父上……」
「なんだ」
「剣の稽古、またつけて下さい。最近は学校の道場や近所の道場でも稽古に励んでいるのですが、父上にも稽古を付けていただきたいのです」
「構わんが。俺の稽古は少しばかり厳しいぞ」
「覚悟の上です」
緩んでいた勉の手に力が込められて、拳に変わっている事に気付いた父は、小さく笑んだ。
「お前は筋もよく粘りもある。稽古も真面目に打ち込んでいると、学校の先生も道場の師範もお前を褒めていたぞ」
「本当ですか! それは……身に余る有難きお言葉です」
馬鹿丁寧に喜ぶ息子に、父はまたも顔を緩めて頷いた。
「最近は河原でもよく一人稽古をしているそうだな。河原と言うのは今も昔も妙な輩が湧く場所だ。気を付けろよ」
「はい! 心して参ります。そういえば……妙と言えば」
「どうした」
「いぇ……ふふっ」
言葉を濁し、男にしては可愛らしい母譲りの「ふふっ」と小さな笑いを見せる勉に、父も嬉しさを覚えてつい目を細めてしまう。
剣に打ち込むのは己の影響だろうが、優しい性格は母親譲りとしか思えなかった。
「いえ、河原で稽古をしておりますと、最近おかしな少年がやって来るのです」
「少年」
「はい。背はまだ私よりも大分低いでしょうか、ただ目に力があり、底知れないものを持っております。何より気迫は物凄く、太刀筋が乱れてはおりますが、なかなか素質に恵まれた少年でして、体の疾さは舌を巻くものがあります」
「ほう。その童も剣を振るうのか」
「はい。私が素振りをしていると割り込んでくるのです、ふふっ。勿論、私は負けたことはありませんよ、父上!」
「フッ、そうか。可笑しな少年だな」
大きく顎を引き寄せて笑うと、勉は続けた。
「もっと可笑しなのは、その少年が父上をご存知だったコトです」
「俺を。まぁ警官をしていたからな、俺に補導でもされたか」
「ふふっ、違いますよ父上、その少年は父上を尊敬しているそうです。元新選組三番隊組長、時代を駆け抜け、たとえ負けると分かっていても己を貫き、最後まで武士であった父上! 負けて尚、時代のために、日の本のために、人民のために剣を振るい続けた父上を! 母上から聞きました、私が幼い頃に再び京の町を守ったコトも」
「やれやれ、アイツ。そういうコトは息子のお前が言うんじゃあない」
興奮して我が父を褒める息子を窘める父の脳裏には、愛しい母、すなわち妻の姿が浮かんでいた。
河原で会った少年の話がいつしか自分自身の話しにすり替わってしまい、勉は頬を染めた。そのうえ多弁になってしまい、父を呆れさせてしまったと俯いた。
「す、すみません父上、つい……私も父上を尊敬しております」
「そうか。お前も立派な男になったよ。俺の誇りさ」
「父上……」
父の思わぬ言葉に胸を熱くして見上げる勉だが、父は考えるように目を逸らして呟いた。
「だがその少年、童の分際で俺の身の上まで知っているとは妙だな」
「それがどうらや少年の父君が昔、動乱の京で父上と戦った経験があると……それから十年の後、共に京で民を守ったと聞きました」
「……抜刀斎か」
父は、勉には届かない小さな声でぽつりと漏らした。
「母上が教えてくださいました。赤い髪に左頬に十字傷の剣客……傷はだいぶ薄くなっていましたが、先程すれ違ったあの方、あの方が緋村さんなのですね」
「あぁ」
今更、誤魔化しても仕方が無いと、父は素直に認めて頷いた。
「あれは強いぞ」
「えっ……」
父が他人を認めるとは……勉は驚いて、再び父の顔を覗きそうになる自分に気が付き、戒めた。