109.さよなら
夢主名前設定
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容保のもとを出ると斎藤は謹慎を強いられる為、割り当てられた宿所へ連れて行かれた。佐川も一緒である。
捕虜を導く官軍兵士の横柄な態度に我慢ならないが、容保の命で呼び戻された今、自分が反感を買う行動を起こせば周りの会津藩士はおろか、容保にまで迷惑が掛かる。
「さっさと歩け」
槍の柄で小突かれ、やり返したくとも舌打ちがせいぜいだ。
だが一睨みすれば官軍の兵士はだいたい冷や汗を流し大人しくなるので、今はそれで我慢した。
重い話を背負わされた斎藤は、歩きながら深い溜息を吐いた。
考えなくとも良い、しかし共に生きるはずだった時尾が俺という存在を失い、その行く末を思うと考えることを放棄も出来ない。
あの怒りと哀しみで満ちた女は独りどこへ向かうのか、考えるほどに斎藤の肩に重くのしかかった。
捕虜になり連行され入れられた寺には、他から連れて来られた会津藩士らしき男も数名おり、官軍兵による新しい捕虜の確認が行われた。
次々に名を問われ渋々応える男達。
斎藤はさて何と名乗るべきかとその様子を横目に考えた。
山口と名乗り運に任せるか。斎藤と名乗ればこの兵士達は目を色を変えて、自分をどこかに連れて行くだろうか。
その先で逃げるは容易いがやはり会津に迷惑が掛かる。
「次、貴様の名は」
「……」
「貴様!名乗らんか!」
やれやれ……未だ考え纏まらず口を噤む斎藤に兵が再度訊ね、斎藤一と名乗ってやろうかと苛ついた瞬間、隣に座る佐川が割って入り代弁した。
「い、一戸伝八、こやつは一戸伝八と申す。こやつ先の戦で喉をやられましてな、上手く声が出せんのです、申し訳ござらん」
「そうか……そうならば致し方あるまい……」
「……」
斎藤が佐川の話に乗り軽く会釈して見せると納得したのか、兵はそのまま捕虜の確認を終え部屋を後にした。
斎藤の身が川路の命により保障されていると知らず、固唾の呑んで見守っていた者達は、官軍兵の退出に一同安堵し緊張を解いた。
「いや、良かった!」
「何ですか、あの妙な名前は」
「はははっ、これは申し訳ない。思い付かんかったのですよ、今捕まる訳にはいきますまい。そなたの素性が分かれば奴らは喜んで連れて行きましょう。ここで死んでは、ならん」
「……礼を言いますか、佐川殿。かたじけない」
「いや、礼には及びませぬ」
確かにここで終わる訳にも、会津の人々に迷惑を掛ける訳にもいかない。
斎藤は大人しく流れに身を任せ謹慎しようと決め、脱力するよう座り込んだ体を崩した。
気の緩んだ斎藤は、ふと懐の物を思い出して取り出した。
洋装となり斎藤が最も便利だと感じた胸の隠しに、夢主からの贈り物を忍ばせていた。
滑らかな質感の、桜の花びらを模した猪目の陶器を取り出して掌に乗せた。
激しい戦火の中で幾度と衝撃が加わっていたのか、うっすらと雪花のようなひびが入っている。
その傷に胸の奥が熱くなった斎藤、そっと指先で触れると、途端に掌の上で幾つかに別れてしまった。
「割れた……っ……」
突然うなだれて顔を隠す斎藤に驚き、隣に腰を下ろしていた佐川が声を掛けた。
少々のことで気落ちする男ではない。山中で共に過ごし斎藤の本性を知る故の心配だ。
「如何なされた」
「いや……何でもありません」
悲しい。
斎藤が久しく忘れていた感情。不意にその悲しみという感情を思い出した斎藤は、物心付いてから初めて頬を濡らした。
たった一雫、誰も気付かないそれを手早く拭い、いつもの落ち着いた顔を取り戻すと、その淡い色のかけらを大切に胸の隠しに戻した。
多くの仲間を失った。大切な居場所も無くなった。
そして今、捕らわれの身となり刀さえも振るえなくなってしまった。
だが待ってくれる女がいる、それだけで斎藤は生きる力を取り戻せた。
別れ際の淋しげなあの笑顔、心地よく滑る髪の感触、やっと触れられた唇、我慢ばかりするくせに泣き虫の……あの愛おしい全てを再び抱くまでは……。斎藤に迷いは無かった。
「容保公への返事、三日もいらん。想いは……変わらない」
例え砕けようとも大切な物、斎藤は隠しに入れた陶器のかけらを布越しに触れ、夢主を想った。
捕虜を導く官軍兵士の横柄な態度に我慢ならないが、容保の命で呼び戻された今、自分が反感を買う行動を起こせば周りの会津藩士はおろか、容保にまで迷惑が掛かる。
「さっさと歩け」
槍の柄で小突かれ、やり返したくとも舌打ちがせいぜいだ。
だが一睨みすれば官軍の兵士はだいたい冷や汗を流し大人しくなるので、今はそれで我慢した。
重い話を背負わされた斎藤は、歩きながら深い溜息を吐いた。
考えなくとも良い、しかし共に生きるはずだった時尾が俺という存在を失い、その行く末を思うと考えることを放棄も出来ない。
あの怒りと哀しみで満ちた女は独りどこへ向かうのか、考えるほどに斎藤の肩に重くのしかかった。
捕虜になり連行され入れられた寺には、他から連れて来られた会津藩士らしき男も数名おり、官軍兵による新しい捕虜の確認が行われた。
次々に名を問われ渋々応える男達。
斎藤はさて何と名乗るべきかとその様子を横目に考えた。
山口と名乗り運に任せるか。斎藤と名乗ればこの兵士達は目を色を変えて、自分をどこかに連れて行くだろうか。
その先で逃げるは容易いがやはり会津に迷惑が掛かる。
「次、貴様の名は」
「……」
「貴様!名乗らんか!」
やれやれ……未だ考え纏まらず口を噤む斎藤に兵が再度訊ね、斎藤一と名乗ってやろうかと苛ついた瞬間、隣に座る佐川が割って入り代弁した。
「い、一戸伝八、こやつは一戸伝八と申す。こやつ先の戦で喉をやられましてな、上手く声が出せんのです、申し訳ござらん」
「そうか……そうならば致し方あるまい……」
「……」
斎藤が佐川の話に乗り軽く会釈して見せると納得したのか、兵はそのまま捕虜の確認を終え部屋を後にした。
斎藤の身が川路の命により保障されていると知らず、固唾の呑んで見守っていた者達は、官軍兵の退出に一同安堵し緊張を解いた。
「いや、良かった!」
「何ですか、あの妙な名前は」
「はははっ、これは申し訳ない。思い付かんかったのですよ、今捕まる訳にはいきますまい。そなたの素性が分かれば奴らは喜んで連れて行きましょう。ここで死んでは、ならん」
「……礼を言いますか、佐川殿。かたじけない」
「いや、礼には及びませぬ」
確かにここで終わる訳にも、会津の人々に迷惑を掛ける訳にもいかない。
斎藤は大人しく流れに身を任せ謹慎しようと決め、脱力するよう座り込んだ体を崩した。
気の緩んだ斎藤は、ふと懐の物を思い出して取り出した。
洋装となり斎藤が最も便利だと感じた胸の隠しに、夢主からの贈り物を忍ばせていた。
滑らかな質感の、桜の花びらを模した猪目の陶器を取り出して掌に乗せた。
激しい戦火の中で幾度と衝撃が加わっていたのか、うっすらと雪花のようなひびが入っている。
その傷に胸の奥が熱くなった斎藤、そっと指先で触れると、途端に掌の上で幾つかに別れてしまった。
「割れた……っ……」
突然うなだれて顔を隠す斎藤に驚き、隣に腰を下ろしていた佐川が声を掛けた。
少々のことで気落ちする男ではない。山中で共に過ごし斎藤の本性を知る故の心配だ。
「如何なされた」
「いや……何でもありません」
悲しい。
斎藤が久しく忘れていた感情。不意にその悲しみという感情を思い出した斎藤は、物心付いてから初めて頬を濡らした。
たった一雫、誰も気付かないそれを手早く拭い、いつもの落ち着いた顔を取り戻すと、その淡い色のかけらを大切に胸の隠しに戻した。
多くの仲間を失った。大切な居場所も無くなった。
そして今、捕らわれの身となり刀さえも振るえなくなってしまった。
だが待ってくれる女がいる、それだけで斎藤は生きる力を取り戻せた。
別れ際の淋しげなあの笑顔、心地よく滑る髪の感触、やっと触れられた唇、我慢ばかりするくせに泣き虫の……あの愛おしい全てを再び抱くまでは……。斎藤に迷いは無かった。
「容保公への返事、三日もいらん。想いは……変わらない」
例え砕けようとも大切な物、斎藤は隠しに入れた陶器のかけらを布越しに触れ、夢主を想った。