乱取り、藤田家と緋村家の子供たち
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一日の終わり、斎藤が警察の仕事を終えて家に帰った時の出来事だった。
いつも通り玄関の扉を開けると、次男の剛が駆けてきた。帰る時刻が定まっておらず、出迎えは無用と伝えてある。しかし妻の時尾は出迎えをしようと試みるし、子供達は我先にと玄関へ駆けてくるのだ。
この日、長男の勉はまだ家を空けていた。一日の終わりに河原で一人、剣術の稽古をするのが習慣になっている。今日は父親よりも遅い帰宅となった。勉がいれば、もっと落ち着いた出迎えになっていただろう。
「戻ったぞ」
「あっ、父上っ!」
「あっ、では御座いません! 剛、やり直しなさい!」
「痛っ! 分かりましたよ母上っ……父上、お帰りなさいませ。本日もお勤め有難う御座います」
「あぁ」
斎藤は時尾が息子へ向ける叱責を黙って眺め、剛の言葉に小さく応えて廊下を進んでいった。時尾が急いで後を追いかける。世話を焼きたくて仕方がないのだ。自らの使命だとでも考えているのだろうか。
剛は、母の背中を見送ってから呟いた。
「母上、あんな厳しくしなくたっていいのに……」
剛はつねられた耳を擦っていた。
腰を下ろした斎藤が、預けた上着を生真面目に整える時尾を見ている。この当たり前の光景ももう長くは続かないだろう。そう思うと、愛おしさが込み上げてきた。自身の歳と体力を考えると先は長くない、そんなことを考えしまう。そんな思いを知ってか知らずか、夫の制服を必要以上に大切に扱う時尾。誰に対しても敬意を払う女だ。剛に強く当たるのには理由があった。
「あそこまでせずとも、いいんじゃないか」
子供らしい声が出ただけで、叱責せずとも。窘めるが、時尾は首を振るだけだ。
「いいえ、厳しく致しませんと。明治の世を生き抜くことは誠に厳しい事でございます。幕末のあの頃とはまた違った意味で、怖い世でございます。それは貴方様にもおわかりでしょう」
「確かにな。だが、もう少し、昔のように接してはどうだ」
子供達が幼い頃、時尾はそれはそれは愛情を込めて我が子を可愛がり、優しい笑顔を絶やさぬ母であった。常に穏やかな声で話しかけ、慈しんで止まなかった。
だが子供が成長して物心がついて暫く経った頃、時尾は突然態度を変えた。表情を崩さず冷静に、礼儀を欠けば厳しく躾けた。
「成りません。勉さんは元服も終え立派に大人になりました。……でも、剛さんはまだ子供でございます。まだ……」
笑顔で送り出すには至っていない。だから厳しく応じねば。時尾は心を鬼にし、自らも苦しみながら息子に接していた。
勉に対しては厳しく躾ける時期を経て、再び昔と同じ笑顔を向けていた。剛はまだ、身につけるべきことが多いのだ。
「厳しすぎると言えば、五郎さんこそ!」
「何だ」
「勉さんの頭を突然木刀で叩きつけるような仕打ちはお止めくださいませ、怪我でもしたらどうなさるおつもりですか!」
「あぁ、あれか」
斎藤は先日、門から出てきた勉の頭に木刀を叩き込んでいた。話を聞いた時尾は青ざめたものだ。
「あれか、ではありません! 勉さんは既に……」
「敵に首を差し出すように門を、頭から出てきたんだ。あれはいかん」
「勉さんは既に陸軍士官学校への入学が決まっているのですよ、勉さんの体はもう一個人のものでは無いのです。いかんも何も、木刀で頭を叩くなど成りません!」
「だが軍兵になるのであれば、それくらいの基礎が身についていなければ。勉は死ぬ」
「っ、ですが……」
「あいつは俺の息子だ。そう軟な体じゃあるまい」
時尾が厳しく接したように、今度は斎藤が勉に厳しく接する番だった。理由はたった一つ、生き延びるためだ。頭から身を現すなど、首を討ちとってくれと言わんばかりの行動だ。足であれば、斬られても反撃できる。斎藤は、生き抜くための基本の一歩を教えたのだ。二度と間違えぬよう、これ以上ないほど厳しい方法で。
「……左様でございますね……」
「どうした、俺が言いすぎたのか」
「いえ……私の考えが至らなかっただけで御座います」
「フッ、急に威勢が無くなったな。いいじゃないか、お前が勉を立派に育て上げてくれた。俺が教えられる残されたものは、死なない術、生き残る力だ」
「五郎さん……。思えば士官学校に入れるのも五郎さんのお勤めが見事だったから。全て五郎さんのお力のおかげです」
「おいおい、急にしおらしくなっちまったな……っと」
「ひぁっ……何を為さるのですか! 痛いではありませんか!」
おもむろに時尾はおでこを弾かれ、大きな声で夫を叱りつけた。
斎藤は面白がって、にやりとしている。
「ハハッ、お前が暗い顔をしているからだ。それとも、違う方法で元気付けて欲しかったか」
「なっ……何を仰います! まだ陽が……子供達も起きていると言うのに、な、」
「冗談だよ、お前は面白いな。怒った顔も悪くないから苛めたくもなるし、笑った顔は……」
斎藤は澄ました顔で、そっと顔を近づけた。
時尾は恥じらって袖で口元を隠すが、笑わずにいられなかった。
「五郎さん……ふふっ」
「極上だ」
「ふふっ、わかりましたから、澄ました顔でそんなに近寄らないでくださいな、とっても可笑しいですっ、ふふふっ」
「そうやってもっと笑えばいい、俺の前だけではなく、な」
「……はい。勉さんの前では私も笑いますのよ。剛さんも、もう少しです」
「そうか。程々にな。龍雄はどうしている、元気か」
三男の龍雄は産まれる以前に交わされた約束により、産まれてすぐ沼沢家へ養子に出されていた。
沼沢は時尾のいとこにあたり、会津では共に謹慎し、斗南へも渡っている。親戚であり、同志だった。
「はい、沼沢家の名に恥じぬよう振舞おうと頑張っているようです」
「そうか、また会ってやらんとな」
「はい、きっと喜びます」
養子に出された龍雄だが交流はあり、年始の挨拶に始まり、家の行事がある時には顔を合わせていた。子供同士、共に稽古もしているらしい。
沼沢を背負う自覚を持つ龍雄は、藤田家次男の剛よりもしっかりしている程だった。
いつも通り玄関の扉を開けると、次男の剛が駆けてきた。帰る時刻が定まっておらず、出迎えは無用と伝えてある。しかし妻の時尾は出迎えをしようと試みるし、子供達は我先にと玄関へ駆けてくるのだ。
この日、長男の勉はまだ家を空けていた。一日の終わりに河原で一人、剣術の稽古をするのが習慣になっている。今日は父親よりも遅い帰宅となった。勉がいれば、もっと落ち着いた出迎えになっていただろう。
「戻ったぞ」
「あっ、父上っ!」
「あっ、では御座いません! 剛、やり直しなさい!」
「痛っ! 分かりましたよ母上っ……父上、お帰りなさいませ。本日もお勤め有難う御座います」
「あぁ」
斎藤は時尾が息子へ向ける叱責を黙って眺め、剛の言葉に小さく応えて廊下を進んでいった。時尾が急いで後を追いかける。世話を焼きたくて仕方がないのだ。自らの使命だとでも考えているのだろうか。
剛は、母の背中を見送ってから呟いた。
「母上、あんな厳しくしなくたっていいのに……」
剛はつねられた耳を擦っていた。
腰を下ろした斎藤が、預けた上着を生真面目に整える時尾を見ている。この当たり前の光景ももう長くは続かないだろう。そう思うと、愛おしさが込み上げてきた。自身の歳と体力を考えると先は長くない、そんなことを考えしまう。そんな思いを知ってか知らずか、夫の制服を必要以上に大切に扱う時尾。誰に対しても敬意を払う女だ。剛に強く当たるのには理由があった。
「あそこまでせずとも、いいんじゃないか」
子供らしい声が出ただけで、叱責せずとも。窘めるが、時尾は首を振るだけだ。
「いいえ、厳しく致しませんと。明治の世を生き抜くことは誠に厳しい事でございます。幕末のあの頃とはまた違った意味で、怖い世でございます。それは貴方様にもおわかりでしょう」
「確かにな。だが、もう少し、昔のように接してはどうだ」
子供達が幼い頃、時尾はそれはそれは愛情を込めて我が子を可愛がり、優しい笑顔を絶やさぬ母であった。常に穏やかな声で話しかけ、慈しんで止まなかった。
だが子供が成長して物心がついて暫く経った頃、時尾は突然態度を変えた。表情を崩さず冷静に、礼儀を欠けば厳しく躾けた。
「成りません。勉さんは元服も終え立派に大人になりました。……でも、剛さんはまだ子供でございます。まだ……」
笑顔で送り出すには至っていない。だから厳しく応じねば。時尾は心を鬼にし、自らも苦しみながら息子に接していた。
勉に対しては厳しく躾ける時期を経て、再び昔と同じ笑顔を向けていた。剛はまだ、身につけるべきことが多いのだ。
「厳しすぎると言えば、五郎さんこそ!」
「何だ」
「勉さんの頭を突然木刀で叩きつけるような仕打ちはお止めくださいませ、怪我でもしたらどうなさるおつもりですか!」
「あぁ、あれか」
斎藤は先日、門から出てきた勉の頭に木刀を叩き込んでいた。話を聞いた時尾は青ざめたものだ。
「あれか、ではありません! 勉さんは既に……」
「敵に首を差し出すように門を、頭から出てきたんだ。あれはいかん」
「勉さんは既に陸軍士官学校への入学が決まっているのですよ、勉さんの体はもう一個人のものでは無いのです。いかんも何も、木刀で頭を叩くなど成りません!」
「だが軍兵になるのであれば、それくらいの基礎が身についていなければ。勉は死ぬ」
「っ、ですが……」
「あいつは俺の息子だ。そう軟な体じゃあるまい」
時尾が厳しく接したように、今度は斎藤が勉に厳しく接する番だった。理由はたった一つ、生き延びるためだ。頭から身を現すなど、首を討ちとってくれと言わんばかりの行動だ。足であれば、斬られても反撃できる。斎藤は、生き抜くための基本の一歩を教えたのだ。二度と間違えぬよう、これ以上ないほど厳しい方法で。
「……左様でございますね……」
「どうした、俺が言いすぎたのか」
「いえ……私の考えが至らなかっただけで御座います」
「フッ、急に威勢が無くなったな。いいじゃないか、お前が勉を立派に育て上げてくれた。俺が教えられる残されたものは、死なない術、生き残る力だ」
「五郎さん……。思えば士官学校に入れるのも五郎さんのお勤めが見事だったから。全て五郎さんのお力のおかげです」
「おいおい、急にしおらしくなっちまったな……っと」
「ひぁっ……何を為さるのですか! 痛いではありませんか!」
おもむろに時尾はおでこを弾かれ、大きな声で夫を叱りつけた。
斎藤は面白がって、にやりとしている。
「ハハッ、お前が暗い顔をしているからだ。それとも、違う方法で元気付けて欲しかったか」
「なっ……何を仰います! まだ陽が……子供達も起きていると言うのに、な、」
「冗談だよ、お前は面白いな。怒った顔も悪くないから苛めたくもなるし、笑った顔は……」
斎藤は澄ました顔で、そっと顔を近づけた。
時尾は恥じらって袖で口元を隠すが、笑わずにいられなかった。
「五郎さん……ふふっ」
「極上だ」
「ふふっ、わかりましたから、澄ました顔でそんなに近寄らないでくださいな、とっても可笑しいですっ、ふふふっ」
「そうやってもっと笑えばいい、俺の前だけではなく、な」
「……はい。勉さんの前では私も笑いますのよ。剛さんも、もう少しです」
「そうか。程々にな。龍雄はどうしている、元気か」
三男の龍雄は産まれる以前に交わされた約束により、産まれてすぐ沼沢家へ養子に出されていた。
沼沢は時尾のいとこにあたり、会津では共に謹慎し、斗南へも渡っている。親戚であり、同志だった。
「はい、沼沢家の名に恥じぬよう振舞おうと頑張っているようです」
「そうか、また会ってやらんとな」
「はい、きっと喜びます」
養子に出された龍雄だが交流はあり、年始の挨拶に始まり、家の行事がある時には顔を合わせていた。子供同士、共に稽古もしているらしい。
沼沢を背負う自覚を持つ龍雄は、藤田家次男の剛よりもしっかりしている程だった。
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