人誅編1・ 心の錨
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志々雄一派討伐から二ヶ月。
東京で新たな騒動が起きた。
ある夜、謎の砲撃があり牛鍋屋赤べこが被弾した。
署長が指揮を執り、目撃情報を元に砲弾が飛んできた方角、上野の山へ警官達が駆けつける。
現場を検分した後、砲撃主を探して夜通し市中捜索が繰り広げられるが、何も分からぬまま夜が明けた。
不満を持つ士族が密造砲を試射しかた誤射したのだろうと、問題は片付けられた。
赤べこは夢主も働いていた店。
斎藤は夜が明けると一旦帰宅した。
時間を惜しんで庭から入って妻を呼ぶと、白い寝間着姿で夢主が現れた。
立ったまま話を始めると手持無沙汰に煙草が欲しくなる。
しかし夢主の腹に目をやり、自らを戒めた。
もう誰もが気付く腹の膨らみ。目にする度、それは大きくなっている。気のせいではない、確実に命が育まれているのだ。
斎藤の吊上がった目が僅かに緩む。ほんの一時、緊張を解くことが出来る時間だ。
「夢主、夕べの騒動を知っているか」
「大きな音がしました。砲撃ですね、赤べこへの……」
「あぁ。幸い怪我人はない。落ち着いた様子を見る限り、知っていたようだな」
気落ちしていまいかと案じた斎藤だが、幸いにも取り越し苦労だった。
不安が強ければ沖田の屋敷に泊まっただろう。
自宅で落ち着く姿に愁眉を開いた。
「所で沖田君がいないようだが」
「赤べこが大変だと思ったので、様子を見に行ってもらったんです。その、夕べはあれ以上の騒ぎは無いと思ったので……総司さんはそのまま警護に当たっていると思います。栄次君も一緒です」
「成る程、それでいないのか。まぁいい。夕べの砲撃は賊が誰か、その目的もさっぱり分からん」
「珍しいですね、一さんがそう仰るなんて」
「赤べこが狙われたのが妙だ。ただの誤射と言ってしまえばそれまでだが」
多くの者が証言した夕べの轟音、記憶に残る戊辰戦争での砲撃音。威力からしても使われた武器はアームストロング砲。
射程距離が一里にも及ぶ巨砲で狙われたのが何故赤べこなのか。
おまけに大砲が引かれた跡が残っていないと聞く。
引いたのでなければ担ぐしかない。常人の仕業とは考えられない。
「砲撃者が捕まっていない以上、第二撃があるかもしれん。気を付けろと言っても無意味かもしれんが、気を付けろよ」
「はい。ありがとうございます、お忙しいのに……心配してくださって」
「当然だ、それについでに寄っただけさ。ここは上野に近いからな。周辺を見廻って署に戻る。賊が家に入り込まんとも言えん」
「大丈夫ですよ、あの……想像が付くんです。今度の騒動……」
「ほぅ」
「一さんはすぐに辿り着けると思います。騒動の……理由に……」
「そうか。ま、せいぜい情報を集めるさ」
「一さんなら絶対に解決できます、言い切れますよ」
「それにしては暗いな」
朗らかに話していた夢主が急に塞いでしまった。
どうした、と問うと夢主は首を傾げて黙り込んだ。
「何も聞く気は無い。悪かったな、嫌なことを考えたようだ」
「いえ、平気です。私は……平気です。一さんもいつも通り、不死身で無敵ですよ」
不死身で無敵とは。
大袈裟な言葉にククッと喉を鳴らすと、夢主が小さく笑った。
「また何かあれば顔を見せる。俺は警察署にいるから、何かあれば来ても構わん。今回は少々妙な事件だ」
今回の騒動が私怨から来る闘争という詳細を掴んでいない斎藤だが、賊が起こす事件との差異を感じていた。
「必ず裏がある」
「一さん……」
気持ちを仕事に戻した斎藤は、夢主に目礼を残して去って行った。
問題の解決に専念する姿は凛々しく、それでいてどこか遠くへ行ってしまいそうな淋しさがある。
斎藤自身もまだ知らない、抜刀斎と言う存在が巻き起こす騒動。
人誅の騒動を通じて、斎藤が抱き続ける抜刀斎への思いが変わっていく。
斎藤は何を感じて、これからの騒動を見守るのだろうか。
夢主は斎藤の背中を見送り、一人になって庭に視線を落とした。残された斎藤の足跡がとても大きく見える。
自分とは桁違いの重責を負う夫。
広い空を見上げ、夢主は朝の清々しい空気を大きく吸い込んだ。
東京で新たな騒動が起きた。
ある夜、謎の砲撃があり牛鍋屋赤べこが被弾した。
署長が指揮を執り、目撃情報を元に砲弾が飛んできた方角、上野の山へ警官達が駆けつける。
現場を検分した後、砲撃主を探して夜通し市中捜索が繰り広げられるが、何も分からぬまま夜が明けた。
不満を持つ士族が密造砲を試射しかた誤射したのだろうと、問題は片付けられた。
赤べこは夢主も働いていた店。
斎藤は夜が明けると一旦帰宅した。
時間を惜しんで庭から入って妻を呼ぶと、白い寝間着姿で夢主が現れた。
立ったまま話を始めると手持無沙汰に煙草が欲しくなる。
しかし夢主の腹に目をやり、自らを戒めた。
もう誰もが気付く腹の膨らみ。目にする度、それは大きくなっている。気のせいではない、確実に命が育まれているのだ。
斎藤の吊上がった目が僅かに緩む。ほんの一時、緊張を解くことが出来る時間だ。
「夢主、夕べの騒動を知っているか」
「大きな音がしました。砲撃ですね、赤べこへの……」
「あぁ。幸い怪我人はない。落ち着いた様子を見る限り、知っていたようだな」
気落ちしていまいかと案じた斎藤だが、幸いにも取り越し苦労だった。
不安が強ければ沖田の屋敷に泊まっただろう。
自宅で落ち着く姿に愁眉を開いた。
「所で沖田君がいないようだが」
「赤べこが大変だと思ったので、様子を見に行ってもらったんです。その、夕べはあれ以上の騒ぎは無いと思ったので……総司さんはそのまま警護に当たっていると思います。栄次君も一緒です」
「成る程、それでいないのか。まぁいい。夕べの砲撃は賊が誰か、その目的もさっぱり分からん」
「珍しいですね、一さんがそう仰るなんて」
「赤べこが狙われたのが妙だ。ただの誤射と言ってしまえばそれまでだが」
多くの者が証言した夕べの轟音、記憶に残る戊辰戦争での砲撃音。威力からしても使われた武器はアームストロング砲。
射程距離が一里にも及ぶ巨砲で狙われたのが何故赤べこなのか。
おまけに大砲が引かれた跡が残っていないと聞く。
引いたのでなければ担ぐしかない。常人の仕業とは考えられない。
「砲撃者が捕まっていない以上、第二撃があるかもしれん。気を付けろと言っても無意味かもしれんが、気を付けろよ」
「はい。ありがとうございます、お忙しいのに……心配してくださって」
「当然だ、それについでに寄っただけさ。ここは上野に近いからな。周辺を見廻って署に戻る。賊が家に入り込まんとも言えん」
「大丈夫ですよ、あの……想像が付くんです。今度の騒動……」
「ほぅ」
「一さんはすぐに辿り着けると思います。騒動の……理由に……」
「そうか。ま、せいぜい情報を集めるさ」
「一さんなら絶対に解決できます、言い切れますよ」
「それにしては暗いな」
朗らかに話していた夢主が急に塞いでしまった。
どうした、と問うと夢主は首を傾げて黙り込んだ。
「何も聞く気は無い。悪かったな、嫌なことを考えたようだ」
「いえ、平気です。私は……平気です。一さんもいつも通り、不死身で無敵ですよ」
不死身で無敵とは。
大袈裟な言葉にククッと喉を鳴らすと、夢主が小さく笑った。
「また何かあれば顔を見せる。俺は警察署にいるから、何かあれば来ても構わん。今回は少々妙な事件だ」
今回の騒動が私怨から来る闘争という詳細を掴んでいない斎藤だが、賊が起こす事件との差異を感じていた。
「必ず裏がある」
「一さん……」
気持ちを仕事に戻した斎藤は、夢主に目礼を残して去って行った。
問題の解決に専念する姿は凛々しく、それでいてどこか遠くへ行ってしまいそうな淋しさがある。
斎藤自身もまだ知らない、抜刀斎と言う存在が巻き起こす騒動。
人誅の騒動を通じて、斎藤が抱き続ける抜刀斎への思いが変わっていく。
斎藤は何を感じて、これからの騒動を見守るのだろうか。
夢主は斎藤の背中を見送り、一人になって庭に視線を落とした。残された斎藤の足跡がとても大きく見える。
自分とは桁違いの重責を負う夫。
広い空を見上げ、夢主は朝の清々しい空気を大きく吸い込んだ。