61.馬鹿な人
夢主名前設定
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山の桜は遅れて咲く。
日暮れ前、山道の満開の桜の中を剣心や薫達が歩く頃、左之助はひとり神谷道場で座り込んでいた。
誰もいない道場。
道場の主達が出稽古から帰る途中と知らず、あてにしていた夕飯にありつき損ね不貞腐れている。
「揃いも揃っていねぇとはよ、あとはどこだ飯のあて、銀次達にたかる訳にもいかねぇしな、赤べこでも行くか。……それとも」
左之助が口を閉じると辺りは驚くほど静まり返っている。
左之助は晒に挟んだままにしていた一枚の紙を取り出した。
取り出すのを渋る気怠い仕草だ。
綺麗に折り畳まれたそれを厭ったり忘れていた訳ではない。むしろ気になって仕方がない存在、克からの錦絵だ。
夢主が描かれている。本人に渡さなければならないが、それ以外に訪ねる理由を探していた。
夕飯を目的にするか、いや、たかだか絵を一枚届けて飯を馳走になっては男が廃たる。
そもそもこれからの時間、女を訪ねるにも気が引ける。
「あぁ~ちきしょう!さっさと妙にでも渡しちまえば良かったんだ、今更渡し難いってんだよ」
おもむろに紙を開くが直視を躊躇う自分がいる。
いやに色っぽいんだよ、克の野郎がいけねぇ……そんな事を考えながら目は離せずにいた。
「おっ」
突然感じた人の気配に顔が上がる。
剣心達が戻ったのか。だったら夕飯で悩まずに済む。そうすれば錦絵を届けるか否かの決断も後伸ばしにできる。
所が門をくぐって現れたのは見知らぬ男だった。
にこにこと愛想を振りまく笑顔が嫌に不自然だ。
男は多摩の薬売り藤田五郎と名乗り、勝手に薬の謳い文句を並べ立てた。見た目に似合わぬ高い声で、丁寧だが早口な喋りはまさに商売人。
道場の者ではないと断ったところで宣伝はようやく止まり、薬屋の視線が動いた。
見ているのは手にしたままの錦絵だ。
「春画ですか」
「残念ながら外れだね、ただの美人画だよ」
「はぁ、美人画ですか」
偽りの笑顔と気付くが、左之助は絵を見ようとする薬屋を止めなかった。
人畜無害を装った怪しい笑顔、こんな男でも女の絵に興味があるのか、所詮は男だなと絵を見せてやる。
男は細い目で絵を確かめ「ほぅ」と短く感嘆の声を漏らした。
「別嬪だよな」
「確かに綺麗なお嬢さんで。こちらの絵をどちらで」
来訪の目的が分からぬ不審な男が錦絵に興味を持つとは意外だ。
絵草子屋に並ぶ絵なら飯代の小銭と引き換えに譲ってやってもいいが、残念ながらこれを渡す訳にはいかない。
「んだよ、お前ぇさんも欲しいのか。確かに好い女だよなぁ、でもこいつは渡せねぇ。本人に渡さなきゃならねぇんだ」
「それはまた、特別な一枚ですか。その女性をご存知なのですね」
「まぁな。気の好い嬢ちゃんなのに勿体ねぇんだぜ、ろくでもない旦那を待ち続けてんだとよ、憐れでならねぇ」
薬屋の貼りつけた笑顔がピクリと動いた。
何がきっかけか左之助は知る由もない。
「出来ることなら俺が……って、アンタ。薬売りにしちゃあ随分と細い目だな」
「ハハ、この目は生まれつきなもんで」
「そうかい、じゃあ」
薬売りには似合わぬ竹刀蛸を見つけた左之助、言い逃れできねぇぜと手を掴み指摘した。
ニコリ、細い目が大きく弓なりに歪んだと感じた刹那、睨みつける左之助に呼応するよう薬屋から殺気がほとばしる。
胡散臭いとは思ったが、今までの喧嘩相手とは比べものにならない殺気。空気が重く感じる。悔しいが別格だ。
左之助は咄嗟に飛び退き距離を取った。
「てめえ何者だ」
「なかなか鋭い男なんですね、相楽左之助君」
訊ねると男から返ってきたのは己の名と子供扱いの言葉。
元々不機嫌だった左之助の怒りが増した。
己を捉えて動かない鋭い目、目元が窪み目の色が読み取れない。
こうなったら拳で聞くしかねぇ、左之助は覚悟を決めて殴りかかった。
それから間もなく、活人術を謳う神谷道場に血の臭いが立ち込めた。
新時代の剣術に似合わぬ臭いの中、一仕事終えた斎藤はその場を立ち去った。
懐には一枚の錦絵を忍ばせていた。
日暮れ前、山道の満開の桜の中を剣心や薫達が歩く頃、左之助はひとり神谷道場で座り込んでいた。
誰もいない道場。
道場の主達が出稽古から帰る途中と知らず、あてにしていた夕飯にありつき損ね不貞腐れている。
「揃いも揃っていねぇとはよ、あとはどこだ飯のあて、銀次達にたかる訳にもいかねぇしな、赤べこでも行くか。……それとも」
左之助が口を閉じると辺りは驚くほど静まり返っている。
左之助は晒に挟んだままにしていた一枚の紙を取り出した。
取り出すのを渋る気怠い仕草だ。
綺麗に折り畳まれたそれを厭ったり忘れていた訳ではない。むしろ気になって仕方がない存在、克からの錦絵だ。
夢主が描かれている。本人に渡さなければならないが、それ以外に訪ねる理由を探していた。
夕飯を目的にするか、いや、たかだか絵を一枚届けて飯を馳走になっては男が廃たる。
そもそもこれからの時間、女を訪ねるにも気が引ける。
「あぁ~ちきしょう!さっさと妙にでも渡しちまえば良かったんだ、今更渡し難いってんだよ」
おもむろに紙を開くが直視を躊躇う自分がいる。
いやに色っぽいんだよ、克の野郎がいけねぇ……そんな事を考えながら目は離せずにいた。
「おっ」
突然感じた人の気配に顔が上がる。
剣心達が戻ったのか。だったら夕飯で悩まずに済む。そうすれば錦絵を届けるか否かの決断も後伸ばしにできる。
所が門をくぐって現れたのは見知らぬ男だった。
にこにこと愛想を振りまく笑顔が嫌に不自然だ。
男は多摩の薬売り藤田五郎と名乗り、勝手に薬の謳い文句を並べ立てた。見た目に似合わぬ高い声で、丁寧だが早口な喋りはまさに商売人。
道場の者ではないと断ったところで宣伝はようやく止まり、薬屋の視線が動いた。
見ているのは手にしたままの錦絵だ。
「春画ですか」
「残念ながら外れだね、ただの美人画だよ」
「はぁ、美人画ですか」
偽りの笑顔と気付くが、左之助は絵を見ようとする薬屋を止めなかった。
人畜無害を装った怪しい笑顔、こんな男でも女の絵に興味があるのか、所詮は男だなと絵を見せてやる。
男は細い目で絵を確かめ「ほぅ」と短く感嘆の声を漏らした。
「別嬪だよな」
「確かに綺麗なお嬢さんで。こちらの絵をどちらで」
来訪の目的が分からぬ不審な男が錦絵に興味を持つとは意外だ。
絵草子屋に並ぶ絵なら飯代の小銭と引き換えに譲ってやってもいいが、残念ながらこれを渡す訳にはいかない。
「んだよ、お前ぇさんも欲しいのか。確かに好い女だよなぁ、でもこいつは渡せねぇ。本人に渡さなきゃならねぇんだ」
「それはまた、特別な一枚ですか。その女性をご存知なのですね」
「まぁな。気の好い嬢ちゃんなのに勿体ねぇんだぜ、ろくでもない旦那を待ち続けてんだとよ、憐れでならねぇ」
薬屋の貼りつけた笑顔がピクリと動いた。
何がきっかけか左之助は知る由もない。
「出来ることなら俺が……って、アンタ。薬売りにしちゃあ随分と細い目だな」
「ハハ、この目は生まれつきなもんで」
「そうかい、じゃあ」
薬売りには似合わぬ竹刀蛸を見つけた左之助、言い逃れできねぇぜと手を掴み指摘した。
ニコリ、細い目が大きく弓なりに歪んだと感じた刹那、睨みつける左之助に呼応するよう薬屋から殺気がほとばしる。
胡散臭いとは思ったが、今までの喧嘩相手とは比べものにならない殺気。空気が重く感じる。悔しいが別格だ。
左之助は咄嗟に飛び退き距離を取った。
「てめえ何者だ」
「なかなか鋭い男なんですね、相楽左之助君」
訊ねると男から返ってきたのは己の名と子供扱いの言葉。
元々不機嫌だった左之助の怒りが増した。
己を捉えて動かない鋭い目、目元が窪み目の色が読み取れない。
こうなったら拳で聞くしかねぇ、左之助は覚悟を決めて殴りかかった。
それから間もなく、活人術を謳う神谷道場に血の臭いが立ち込めた。
新時代の剣術に似合わぬ臭いの中、一仕事終えた斎藤はその場を立ち去った。
懐には一枚の錦絵を忍ばせていた。