62.誘い (イザナイ)
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手負いの左之助が発見されたのは空が紺色に染まる前。
剣心達が道場へ戻ると、肩に刃を刺したまま倒れていた。辺りは血まみれだ。
左之助に刃を突き立てた張本人は人々で賑わう町にいた。
間もなく夜の帳がおり、通りの提灯が赤く色づく。
斎藤は料亭の一室で政治家の渋海と、渋海に従う人斬りの赤松に接触していた。
別れたばかりの夢主を脳裏から消して任務に専念し、無事渋海から依頼を受けることに成功した。
事が済むと酒を勧められたが、警官の姿へ戻って人ごみに姿を消した。
酒を呑んだら貴様を斬ってしまいそうだ、泳がせねばならんのに。
クセでしてね……
藤田の笑顔でやんわり断ったつもりだった。
「首尾良く行ったもんだ」
渋海は俺を信じると共に無意識に恐れも抱いた。扱いやすくなる。
赤松は自分の腕を過信している。すぐ俺にちょっかいを出してくるだろう。丁度いい、抜刀斎を呼び出す囮にうってつけだ。
「その隙に上がり込んで待つだけか」
……抜刀斎の力量を調べろ……
先日受けた川路からの指令。
抜刀斎との手合わせにもってこいの場所こそ神谷道場だ。
人目に付かず、取り巻く者を遠ざける為『抜刀斎』とは何か見せつけることも出来る。
筋書きは完璧。早ければ明日にも時が訪れよう。
「ククッ」
愉悦を求め闘うのは愚か。
しかし今宵、斎藤は込み上げる悦びを抑えきれなかった。
人けの無い川べりを歩くうち、顔に感情が表れていた。口元が歪んでいる。
日中の温かさが嘘のように冷えた今宵、斎藤が歩く道は地霧に覆われていた。
帰るかどうか分からない、斎藤はそう告げて家を出たが、料亭を出ると真っ直ぐ帰宅した。
今夜はもう外には出ない。
「予想以上に上手く事が運んでな」
「良かったですね」
間もなく血が流れることを思えば喜べないが、出迎えた夢主は上機嫌な夫に同調した。
けれども斎藤は気持ちが未だ任務に飛んでおり、どこかを見据えちっとも目が合わない。
「お風呂沸いてますけど……」
「後でいい。適当にやるさ、俺はやる事がある。先に済ませたいんでな、時間が掛かるからお前は寝て構わんぞ」
斎藤は勧められた休息を断った。
何をするかと思えば居室へ入り、すぐに戻ってきた。
腰にいつもの刀を帯びて、手には別の刀を持っている。普段下に置きっ放しの日本刀だ。
立ち尽くす夢主の横を通り過ぎ二階へ上がってしまった。激闘に備え二振りの刀を手入れするのだ。
近くにいるのに傍にいてはいけない、そんな空気を感じる。
大人しく一人床に就こうと行灯の前に座るが、そのうち降りて来るだろうと火は消さずに布団を捲った。
「淋しいな……」
布団の中から覗くと、飾り物のように置かれていた日本刀が消えた床の間が見える。空の刀掛けは役目を果たせず、寂しく刀の帰りを待っているようだ。
二階から響く物音も間もなく消えた。懐紙を咥えて手入れを始めたのだろう。真剣な眼差しの夫が思い浮ぶ。
刀の手入れは特別な時間。夢主は目を閉じて、何度か手入れに立ち会った時を思い出していた。
総司さんも一緒に手入れした日もあったよね、懐かしいな……
あの頃はみんながいて……賑やかだったな、楽しかった……
こんなこと思っちゃいけないよね、でもちょっと……淋しい……
目を瞑り二階の物音を探るうちに意識が遠のいていく。
そういえば、今が一番になるよう……俺が変えてやるって……言ってたね……
虚ろに考えるうち感覚が薄れていく。眠りに落ちていった夢主だが、突然意識を取り戻した。
布団に斎藤が入り込んできたのだ。
「帰らなくていいんですか……一さん」
「俺の家はここだと思ったんだが、違うのか」
「あ……」
寝ぼけた声で訊ねると斎藤の喉がククッと鳴った。
甘えた声に刃のような目元も弛む。斎藤の高揚していた気分はすっかり落ち着きを取り戻していた。
剣心達が道場へ戻ると、肩に刃を刺したまま倒れていた。辺りは血まみれだ。
左之助に刃を突き立てた張本人は人々で賑わう町にいた。
間もなく夜の帳がおり、通りの提灯が赤く色づく。
斎藤は料亭の一室で政治家の渋海と、渋海に従う人斬りの赤松に接触していた。
別れたばかりの夢主を脳裏から消して任務に専念し、無事渋海から依頼を受けることに成功した。
事が済むと酒を勧められたが、警官の姿へ戻って人ごみに姿を消した。
酒を呑んだら貴様を斬ってしまいそうだ、泳がせねばならんのに。
クセでしてね……
藤田の笑顔でやんわり断ったつもりだった。
「首尾良く行ったもんだ」
渋海は俺を信じると共に無意識に恐れも抱いた。扱いやすくなる。
赤松は自分の腕を過信している。すぐ俺にちょっかいを出してくるだろう。丁度いい、抜刀斎を呼び出す囮にうってつけだ。
「その隙に上がり込んで待つだけか」
……抜刀斎の力量を調べろ……
先日受けた川路からの指令。
抜刀斎との手合わせにもってこいの場所こそ神谷道場だ。
人目に付かず、取り巻く者を遠ざける為『抜刀斎』とは何か見せつけることも出来る。
筋書きは完璧。早ければ明日にも時が訪れよう。
「ククッ」
愉悦を求め闘うのは愚か。
しかし今宵、斎藤は込み上げる悦びを抑えきれなかった。
人けの無い川べりを歩くうち、顔に感情が表れていた。口元が歪んでいる。
日中の温かさが嘘のように冷えた今宵、斎藤が歩く道は地霧に覆われていた。
帰るかどうか分からない、斎藤はそう告げて家を出たが、料亭を出ると真っ直ぐ帰宅した。
今夜はもう外には出ない。
「予想以上に上手く事が運んでな」
「良かったですね」
間もなく血が流れることを思えば喜べないが、出迎えた夢主は上機嫌な夫に同調した。
けれども斎藤は気持ちが未だ任務に飛んでおり、どこかを見据えちっとも目が合わない。
「お風呂沸いてますけど……」
「後でいい。適当にやるさ、俺はやる事がある。先に済ませたいんでな、時間が掛かるからお前は寝て構わんぞ」
斎藤は勧められた休息を断った。
何をするかと思えば居室へ入り、すぐに戻ってきた。
腰にいつもの刀を帯びて、手には別の刀を持っている。普段下に置きっ放しの日本刀だ。
立ち尽くす夢主の横を通り過ぎ二階へ上がってしまった。激闘に備え二振りの刀を手入れするのだ。
近くにいるのに傍にいてはいけない、そんな空気を感じる。
大人しく一人床に就こうと行灯の前に座るが、そのうち降りて来るだろうと火は消さずに布団を捲った。
「淋しいな……」
布団の中から覗くと、飾り物のように置かれていた日本刀が消えた床の間が見える。空の刀掛けは役目を果たせず、寂しく刀の帰りを待っているようだ。
二階から響く物音も間もなく消えた。懐紙を咥えて手入れを始めたのだろう。真剣な眼差しの夫が思い浮ぶ。
刀の手入れは特別な時間。夢主は目を閉じて、何度か手入れに立ち会った時を思い出していた。
総司さんも一緒に手入れした日もあったよね、懐かしいな……
あの頃はみんながいて……賑やかだったな、楽しかった……
こんなこと思っちゃいけないよね、でもちょっと……淋しい……
目を瞑り二階の物音を探るうちに意識が遠のいていく。
そういえば、今が一番になるよう……俺が変えてやるって……言ってたね……
虚ろに考えるうち感覚が薄れていく。眠りに落ちていった夢主だが、突然意識を取り戻した。
布団に斎藤が入り込んできたのだ。
「帰らなくていいんですか……一さん」
「俺の家はここだと思ったんだが、違うのか」
「あ……」
寝ぼけた声で訊ねると斎藤の喉がククッと鳴った。
甘えた声に刃のような目元も弛む。斎藤の高揚していた気分はすっかり落ち着きを取り戻していた。