9.君、らしからぬ
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目の前で散々寝ていたくせに後ろを歩くなとは愉快な奴だ。
斎藤は背中に刺さる視線を密かに笑っていた。
行きつけの蕎麦屋。
座るなり、揃って「かけそば」を頼む。他愛もない話をしていれば、間もなく蕎麦が運ばれる。
早くて美味い、いい店だ。二人で向かい合って蕎麦を啜るのにも、すっかり慣れていた。
「戴きます」
手合わせてから、いつも繰り返し響く音がある。
ふーふー、ふーふー。
斎藤は黙って蕎麦を啜り、最初の一口を飲み込んでから、おもむろに訊ねた。
「お前、猫舌だったか」
いつも必要以上に息を吹きかけてから食べる夢主が気になっていた。茶豆の時も同じだ。
夢主の肩がビクンと動き、蕎麦に吹き掛ける息が止まる。
「違うわよ、そんな可愛い舌してないわよ」
そう言って勢いよく蕎麦を啜った直後、水を口に放り込む勢いで飲み干した。
「フフッ、猫舌か」
「違うって、違うわよ!」
店の娘がさり気なく新しい水を置いてくれた。食事に添えられるのは熱い茶だが、夢主の前には水が出される。夢主の猫舌は店の者の間でも定着していた。
夢主は急いで食べようと器に箸を突き刺した。蕎麦を持ち上げて渋い顔で見つめる。
我慢すれば大丈夫と気負っているのが見え見えだ。斎藤は夢主の無茶を止めた。少々揶揄いたかっただけで追い詰めるつもりは毛頭ない。
「悪かったよ、揶揄うつもりは無かった。火傷するぞ、ゆっくり食え」
「……」
恨めしそうな目をして、夢主が箸を止めた。
こうなったのは貴方の所為と言いたげな目をしている。
「悪、かっ、た」
「……っ、ふふふっ」
斎藤は大袈裟に、お道化て詫びた。
初めて見る斎藤の一面に、夢主が珍しい笑顔を見せる。小動物が毛繕いでもするように、手を顔に寄せて、小刻みに肩を震わせる。
「ふふっ、ちょっと、貴方らしくないわよソレ、笑わせないで、食べられなくなっちゃう」
ふふふと笑い続ける夢主に、斎藤の目が柔らかくなった。
「そうか、俺らしくないか」
「えぇ、らしくないわよ」
笑い続ける夢主、お前こそらしくないぞ。
斎藤は言ってやりたいのを堪えて、夢主の笑顔を賞玩していた。
いい顔で笑うじゃないか。そんなに笑われると不意を突いて笑顔を奪いたくなるんだが。
涙が浮かぶほど笑っていれば目尻を拭い、手で口を隠して笑っていれば手首を掴み、無警戒に笑っていれば顔を寄せて黙らせる。黙らせた後は、言わずとも分かるだろう。
最も、今の夢主には何もしない方が良い。変に触れて、男嫌いを加速させるのは愚策。
猫舌は舌の使い方が下手が故と聞いたことがある。ならば舌の使い方、じっくり教えてやりたいものだが。繊細な動きから大胆な使い方まで、味わい方も感じ方も、余すことなく教えてやれるが、出来ぬとは、あぁ惜しい。
斎藤は己の悪癖を自嘲した。穏やかだった目元が細くきつく吊り上がる。
「残念だな」
「えっ?」
「いや、何でもないさ」
少し、或いは突然、触れて揶揄うのが好きなんだが。触れる程度ならばお前は許すか。
斎藤は夢主を量るようにニッとすると、蕎麦に目を戻して、箸を進めた。
五分もしないうちに食べ終えて、夢主が涼しい顔に似合わぬ様子で、はふはふと蕎麦を食す姿を眺めていた。
斎藤を観察しようと思ったのに、自分が観察されていた。
夢主が気付いたのは、帰り道のことだった。
斎藤は背中に刺さる視線を密かに笑っていた。
行きつけの蕎麦屋。
座るなり、揃って「かけそば」を頼む。他愛もない話をしていれば、間もなく蕎麦が運ばれる。
早くて美味い、いい店だ。二人で向かい合って蕎麦を啜るのにも、すっかり慣れていた。
「戴きます」
手合わせてから、いつも繰り返し響く音がある。
ふーふー、ふーふー。
斎藤は黙って蕎麦を啜り、最初の一口を飲み込んでから、おもむろに訊ねた。
「お前、猫舌だったか」
いつも必要以上に息を吹きかけてから食べる夢主が気になっていた。茶豆の時も同じだ。
夢主の肩がビクンと動き、蕎麦に吹き掛ける息が止まる。
「違うわよ、そんな可愛い舌してないわよ」
そう言って勢いよく蕎麦を啜った直後、水を口に放り込む勢いで飲み干した。
「フフッ、猫舌か」
「違うって、違うわよ!」
店の娘がさり気なく新しい水を置いてくれた。食事に添えられるのは熱い茶だが、夢主の前には水が出される。夢主の猫舌は店の者の間でも定着していた。
夢主は急いで食べようと器に箸を突き刺した。蕎麦を持ち上げて渋い顔で見つめる。
我慢すれば大丈夫と気負っているのが見え見えだ。斎藤は夢主の無茶を止めた。少々揶揄いたかっただけで追い詰めるつもりは毛頭ない。
「悪かったよ、揶揄うつもりは無かった。火傷するぞ、ゆっくり食え」
「……」
恨めしそうな目をして、夢主が箸を止めた。
こうなったのは貴方の所為と言いたげな目をしている。
「悪、かっ、た」
「……っ、ふふふっ」
斎藤は大袈裟に、お道化て詫びた。
初めて見る斎藤の一面に、夢主が珍しい笑顔を見せる。小動物が毛繕いでもするように、手を顔に寄せて、小刻みに肩を震わせる。
「ふふっ、ちょっと、貴方らしくないわよソレ、笑わせないで、食べられなくなっちゃう」
ふふふと笑い続ける夢主に、斎藤の目が柔らかくなった。
「そうか、俺らしくないか」
「えぇ、らしくないわよ」
笑い続ける夢主、お前こそらしくないぞ。
斎藤は言ってやりたいのを堪えて、夢主の笑顔を賞玩していた。
いい顔で笑うじゃないか。そんなに笑われると不意を突いて笑顔を奪いたくなるんだが。
涙が浮かぶほど笑っていれば目尻を拭い、手で口を隠して笑っていれば手首を掴み、無警戒に笑っていれば顔を寄せて黙らせる。黙らせた後は、言わずとも分かるだろう。
最も、今の夢主には何もしない方が良い。変に触れて、男嫌いを加速させるのは愚策。
猫舌は舌の使い方が下手が故と聞いたことがある。ならば舌の使い方、じっくり教えてやりたいものだが。繊細な動きから大胆な使い方まで、味わい方も感じ方も、余すことなく教えてやれるが、出来ぬとは、あぁ惜しい。
斎藤は己の悪癖を自嘲した。穏やかだった目元が細くきつく吊り上がる。
「残念だな」
「えっ?」
「いや、何でもないさ」
少し、或いは突然、触れて揶揄うのが好きなんだが。触れる程度ならばお前は許すか。
斎藤は夢主を量るようにニッとすると、蕎麦に目を戻して、箸を進めた。
五分もしないうちに食べ終えて、夢主が涼しい顔に似合わぬ様子で、はふはふと蕎麦を食す姿を眺めていた。
斎藤を観察しようと思ったのに、自分が観察されていた。
夢主が気付いたのは、帰り道のことだった。