ヘボ日記
承認欲求 真面目な話
2023/05/09 19:50日記
こんちはQ作です。
今日は真面目な話を書きます。
よく、承認欲求という言葉に出くわします。
この言葉が、ネット上で本格的に蔓延し始めたのはいつからなんでしょうね。
Twitter、facebook、インスタ、TikTok、こういうのが流行り始めた頃からでしょうか?🤔
ワイを見てくれ!(゚∀゚)
そして沢山褒めてくれ!(゚∀゚)
という欲求がてんこ盛りの世界。
見せられる方はだんだんうんざりしてきて、『反応すんのも疲れたわ('A`)お前らもう少し自重してくれ('A`)』という気分になり、それで『承認欲求』という言葉を発して『お前らもう少し静かにしろや』と訴え始めた。
これが『承認欲求』というワードが蔓延した原因なんでしょうか?
承認欲求を持つ事は、悪なんでしょうか。
私はこれは人間にとっては、生きる上でとても大切な欲求だと思ってるんですよ。
承認欲求が無ければ、人は何も喋らなくなるし、何も生産しなくなると思います。
誰かの為に動く事も無くなるし、そもそも人間世界の中に属したいという欲求を失うだろうから、一切の社会生活を捨てる事になる。
着る服もどうでも良くなる、家族友達の交友関係も要らなくなる、ネットもやらなくなる、筆者との対話である読書すらもしなくなる。
最終的にどうなるかというと、人里離れた山奥で最低限食うだけの仙人みてーな人になるとか、誰からも認知されないホームレスになるとか、そう生き方になると思います。
なんかよく、『自我』を消す事が良い事みたいな意見を目にするんですが、これもおかしな話で、『自我』を無くすという事は『人間でなくなる』のと同等ですから、『自我』を消せと人に要求するという事は、『死ね』と言ってんのと同じぐらいに相手の尊厳を軽視している状態なのだと思うんです。
でも言いたくなるんや。
褒めて褒めてとうるさい奴を見るとワイは腹立ってしょうがないんや(゚∀゚)
という人は、凄く多いと思います。
私もそんな瞬間は沢山ありますが、でもこれは趣味の世界よりもリアル社会生活の方が強く実感する場面が多いです。
ものづくりの職業ならではの業界人の、異常な承認欲求の強さ。
これが沢山ありますww😂
例えば。
無添加で、材料は無農薬国産で、酵母の働きを使ったパンを焼いて売る人がいます。趣味が高じてそんな活動をしている人です。
その人は、アトピーや、健康を損ねた人を、なんとか楽にしてあげたいという気持ちひとつで毎日パンを焼いている。
マルシェでパンを売ってるうちに、やがて評判となりました。
ところで、そのマルシェでは、他にもパン職人が居ます。
そのパン職人は、大金と時間を使ってヨーロッパに修行に行って高い技術を習得し、外国技術を売りとしてパンを売ってましたが、無添加パンの人気には勝てなかった。
そして、その人は無添加パン職人に言うんですよ。
『そんな楽なやり方でパン売れるなんてね〜、あなたはろくに勉強も修行もしないで儲かってるからイージーで良いよね〜』
外国で学んだというプライドがあって、他の技術を下に見ているからこんな言葉が出てくる訳です。
そしてそのプライドが、まだ本物のプライドにもなれてない。
外国の高い技術を、自分を飾る『看板』ぐらいにしか捉えられてない。
その人の中には、確固たる『理念』が無い状態です。
・お客さんに自分のパンを食べてもらって健康になって幸せになって欲しい。
・お客さんに自分のパンを食べてもらって自分を尊敬して褒めて欲しい。
無添加パン職人は前者で、ヨーロッパ修行の方は後者です。
どちらが人から好かれやすいか…と言ったら前者です。
技術がどうとか、客からしたら関係の無い事ですし『知らんがな』の世界ですよ。
そして後者は、物質面では確かに供給できてるかもしれませんが、心の面では『他者から貰う』事しか考えてない。
修行には金も時間もかかって苦労した、だからその人は、『心の負債』を抱えた状態になっていて、『誰かこの借金を肩代わりしてくれ〜褒めてくれたら借金減るからとにかく沢山褒めてくれ〜』みたいな事になる。
……こう考えると、なんの為に修行をしたのかも重要になってくる。
みんなにカッコいいと思われたくて修行したのだとしたら、すでにそこから間違ってるような気がします🤔
大事なのは、パンを作り、人に食べてもらって、世界にどんな気分を波及させたいのか、という事なんだと思います。
ものを作るとはそういう事だと思います。
嫌われる承認欲求というのがあるんだな、と分かってくるんです。
前者の無添加パン職人にも承認欲求はあります。私の理念を分かって欲しい、美味しいと言って褒めて欲しい、という承認欲求はある。
けれどもそれを超えるぐらいに熱い思いがあるんでしょうね。
世界に、自分が良いと信じるモノや思念を波及させたいという、『与える』気持ちの方が強い状態。
この状態にある人が発する承認欲求には、不快感があまり無い。
逆に、外国技術を誇ってやってる方の職人は、なんかちょっと、お客さんのメリットについての意識が足りてないんです。
凄いパンだから高くても納得して買えよ。
ぐらいしか発信出来てない。
そこに作り手の、人々の幸福を祈る気持ちが、あんまり入ってない。
オレは凄いだろ?だから褒めろよ。
という、客から気持ちを奪いとる事が優先となっている
…ような気がするんです。
だから物珍しさでは買われるけど、リピーターがつかないんです。『なんかちょっと偉そうな店主だな』と悪印象を感じた客が、とおのいていく。
承認欲求は持っていても良いのだと思います。
ただ、その活動のおおもとには、一体どんな気持ちがあるのか、人々に何を波及させていきたいのか、波及させた先にどんな素敵な世界が広がっていて欲しいのか、
ここまで考え抜いてから始める活動には、嫌な感じの承認欲求は宿りにくいのではないかな🤔
とかなんとか、オタクは考えておりました😊
ではでは〜
今日は真面目な話を書きます。
よく、承認欲求という言葉に出くわします。
この言葉が、ネット上で本格的に蔓延し始めたのはいつからなんでしょうね。
Twitter、facebook、インスタ、TikTok、こういうのが流行り始めた頃からでしょうか?🤔
ワイを見てくれ!(゚∀゚)
そして沢山褒めてくれ!(゚∀゚)
という欲求がてんこ盛りの世界。
見せられる方はだんだんうんざりしてきて、『反応すんのも疲れたわ('A`)お前らもう少し自重してくれ('A`)』という気分になり、それで『承認欲求』という言葉を発して『お前らもう少し静かにしろや』と訴え始めた。
これが『承認欲求』というワードが蔓延した原因なんでしょうか?
承認欲求を持つ事は、悪なんでしょうか。
私はこれは人間にとっては、生きる上でとても大切な欲求だと思ってるんですよ。
承認欲求が無ければ、人は何も喋らなくなるし、何も生産しなくなると思います。
誰かの為に動く事も無くなるし、そもそも人間世界の中に属したいという欲求を失うだろうから、一切の社会生活を捨てる事になる。
着る服もどうでも良くなる、家族友達の交友関係も要らなくなる、ネットもやらなくなる、筆者との対話である読書すらもしなくなる。
最終的にどうなるかというと、人里離れた山奥で最低限食うだけの仙人みてーな人になるとか、誰からも認知されないホームレスになるとか、そう生き方になると思います。
なんかよく、『自我』を消す事が良い事みたいな意見を目にするんですが、これもおかしな話で、『自我』を無くすという事は『人間でなくなる』のと同等ですから、『自我』を消せと人に要求するという事は、『死ね』と言ってんのと同じぐらいに相手の尊厳を軽視している状態なのだと思うんです。
でも言いたくなるんや。
褒めて褒めてとうるさい奴を見るとワイは腹立ってしょうがないんや(゚∀゚)
という人は、凄く多いと思います。
私もそんな瞬間は沢山ありますが、でもこれは趣味の世界よりもリアル社会生活の方が強く実感する場面が多いです。
ものづくりの職業ならではの業界人の、異常な承認欲求の強さ。
これが沢山ありますww😂
例えば。
無添加で、材料は無農薬国産で、酵母の働きを使ったパンを焼いて売る人がいます。趣味が高じてそんな活動をしている人です。
その人は、アトピーや、健康を損ねた人を、なんとか楽にしてあげたいという気持ちひとつで毎日パンを焼いている。
マルシェでパンを売ってるうちに、やがて評判となりました。
ところで、そのマルシェでは、他にもパン職人が居ます。
そのパン職人は、大金と時間を使ってヨーロッパに修行に行って高い技術を習得し、外国技術を売りとしてパンを売ってましたが、無添加パンの人気には勝てなかった。
そして、その人は無添加パン職人に言うんですよ。
『そんな楽なやり方でパン売れるなんてね〜、あなたはろくに勉強も修行もしないで儲かってるからイージーで良いよね〜』
外国で学んだというプライドがあって、他の技術を下に見ているからこんな言葉が出てくる訳です。
そしてそのプライドが、まだ本物のプライドにもなれてない。
外国の高い技術を、自分を飾る『看板』ぐらいにしか捉えられてない。
その人の中には、確固たる『理念』が無い状態です。
・お客さんに自分のパンを食べてもらって健康になって幸せになって欲しい。
・お客さんに自分のパンを食べてもらって自分を尊敬して褒めて欲しい。
無添加パン職人は前者で、ヨーロッパ修行の方は後者です。
どちらが人から好かれやすいか…と言ったら前者です。
技術がどうとか、客からしたら関係の無い事ですし『知らんがな』の世界ですよ。
そして後者は、物質面では確かに供給できてるかもしれませんが、心の面では『他者から貰う』事しか考えてない。
修行には金も時間もかかって苦労した、だからその人は、『心の負債』を抱えた状態になっていて、『誰かこの借金を肩代わりしてくれ〜褒めてくれたら借金減るからとにかく沢山褒めてくれ〜』みたいな事になる。
……こう考えると、なんの為に修行をしたのかも重要になってくる。
みんなにカッコいいと思われたくて修行したのだとしたら、すでにそこから間違ってるような気がします🤔
大事なのは、パンを作り、人に食べてもらって、世界にどんな気分を波及させたいのか、という事なんだと思います。
ものを作るとはそういう事だと思います。
嫌われる承認欲求というのがあるんだな、と分かってくるんです。
前者の無添加パン職人にも承認欲求はあります。私の理念を分かって欲しい、美味しいと言って褒めて欲しい、という承認欲求はある。
けれどもそれを超えるぐらいに熱い思いがあるんでしょうね。
世界に、自分が良いと信じるモノや思念を波及させたいという、『与える』気持ちの方が強い状態。
この状態にある人が発する承認欲求には、不快感があまり無い。
逆に、外国技術を誇ってやってる方の職人は、なんかちょっと、お客さんのメリットについての意識が足りてないんです。
凄いパンだから高くても納得して買えよ。
ぐらいしか発信出来てない。
そこに作り手の、人々の幸福を祈る気持ちが、あんまり入ってない。
オレは凄いだろ?だから褒めろよ。
という、客から気持ちを奪いとる事が優先となっている
…ような気がするんです。
だから物珍しさでは買われるけど、リピーターがつかないんです。『なんかちょっと偉そうな店主だな』と悪印象を感じた客が、とおのいていく。
承認欲求は持っていても良いのだと思います。
ただ、その活動のおおもとには、一体どんな気持ちがあるのか、人々に何を波及させていきたいのか、波及させた先にどんな素敵な世界が広がっていて欲しいのか、
ここまで考え抜いてから始める活動には、嫌な感じの承認欲求は宿りにくいのではないかな🤔
とかなんとか、オタクは考えておりました😊
ではでは〜