ヘボ日記
今日のオタク ベジ太マザコン疑惑
2023/02/07 19:40日記DB語り
こんちはQ作です。
今日は、管理人的、『ベジータのキャラ解釈』を書こうかなと思いますが、……解釈というのは独自の、身勝手な想像やら断定やらが絡んできますので、「なんか違うな」と感じられた方は、すぐにバックしてくださいね(´∀`)
特に創作側の方は、十分に注意をして、以下の文章を扱っていただきたいです…m(__)m
私はベジ太にハマった当初から、「ベジータマザコン説」を持っておりました。
原作、映画ともに、ベジ太の母というのは出てこないですね。
父王は居るんです。
そしてこの父王というのがどんな人物だったのかは映画ブロリーでハッキリしてます。
父王が息子ベジータに求めたのは、王の資質、民族の頂点を守る役割。これだけのように見えます。
「期待」しか見えてきません。
そしてどこか冷酷でもある。
パラガスに対する態度がそうです。
誇り高い民族であるサイヤはこのころ、コルドフリーザ一族による圧政下に置かれていました。
ベジータ王には、余裕が無いのです。
彼は息子ベジータを可愛がる事はあったのでしょうか?
もし可愛がるのだとしても、本当の所は、満たされない己を息子に投影しているだけの、歪な可愛がり方をしていたのではないか?
そんな風に私は想像してしまいます。
母親は、居たのでしょうか?
皆さんはどう想像されますか。
母親が居たとして、一体、どんな人物像を想像されますか?
多くの方、特に女性の方は、「実は優しい母親がいたんじゃないか」と想像されるのでは無いかと思います。
何故なら、せめて母親だけでも優しい人でなければ、余りにもベジータが可哀想だからです。
優しい母親を与えてあげたいと願うのは、母性本能を持った女性なら当然の事です。
私は、ここでセリパという女サイヤ人を見ます。
セリパは気が強くて、ギネと比べたら「甘さ」が少ないように感じます。
血と闘いを好む民族の特性を強く持つのがサイヤなのだとすると、セリパはかなり、民族らしいというか、血の運命に真っ直ぐ沿った生き方を選んでいるように見える。
下級のセリパが、ここまで尖っていて気の強いキャラクターなら、王族の妃とは、どんな人物像だったのか?
王族なのだから、やっぱり、「血の特性」を大事にしていたんではないかな?と私は思います。
闘いを好む残酷な民族。
その民族性を、ベジータの母も持っていたんではないかな?と思います。
だからかなり厳しい母親だったのではないか…と私は妄想しました。
……けれども、それだけじゃない、とも妄想するんですね。
時には、息子に対して、王家の身分とか関係なくただの母として、ベジータを「我が子として受容」する、あたたかい瞬間もあったのかもしれないです。
ただやっぱり、ベジータは王の子だし、フリーザの圧政に敷かれていた当時は、一刻も早く息子ベジータに「王の資質」を身につけさせなければならない使命が、母親には課せられていたかもしれない。
私はこんなふうに妄想しました。
そして、その王家、父や母を、ベジータはたった5歳の幼さで一瞬にして失うのです。
たった5歳です。
本当ならもっともっと、父母のもとで、色んなものを貰えたかもしれなかったのに、その供給は絶たれてしまいました。
ベジータは、他者に、まともに受容された事が無いんじゃないか?
こんな風に思いますね。
男の子にとって、母親は重要な存在です。
女の子は母の受容が少なくても、割と大丈夫なんです。
男の子のほうが、沢山の『母の愛』を必要とする。
弱いんですよ男は。
そういうふうに出来てるんです。
まともに受容された事が無いから、他者を虐げ己を顕示する。
他者の命を奪う事で初めて、自分の命に価値を見出す。
ベジータが己を保つためには、常に、誰かの犠牲や敗北を必要とする。それを見て比較し、自分の方が優位である事を確認して、やっとベジータは安心し、満足するんです。
もっと母に、沢山受容されていて、「自分はただ存在しているだけで価値がある」という意識が育っておれば、もう少しまともな王子であったかもしれません。
ナッパを殺すなんて事も、無かったのではないか……
でも最後はベジータは、悟空を認めるまでに、自己受容が出来ています。
長い年月をかけ、子どもの頃にもらえなかった母のカケラを、色んな人から分けて貰って、身に浴びて学んで、ゆっくりではあるけど欠けた心を癒していったんではないかな。
それはブルマだったり、CCだったり、我が子だったり、悟空だったり。
自分は作文の中で、ベジータをマザコンぽく書いたり、チラッと甘えん坊の様子を書いたりしますが、その理由は、こんな解釈をしているからです(´∀`)
ベジ太に足りないのは母の愛なのではないか?
私は、落ち着いた時期のベジータを殆ど書きません。
セル戦以降のベジータはほとんど書かない。
なんでかと言うと、私はベジータの「未熟さ」が大好きだからです😂😂
まだまだ未熟で完成されていない、何かが欠けたままで悪事を働く。いつまでも満たされないイライラに苛まれている、最もベジータが懊悩に苦しんだ時代。
この、一番救いの無い、苦しいベジータの姿に、寄り添っていたいと思ってしまいますね😂
セル編以降は、ほら、ブルマとかチビトラとかが、ベジータの事なんとかしてくれるし、まあまあ安心じゃないですか。
でも私は、救いのない状況の中で独り苦しんでるような、さみしんぼなベジータに寄り添っていたいと思うんです☺️
だから初期ばっか書くんですよねww😂😂
ハートありがとうございます
ではでは🤗
今日は、管理人的、『ベジータのキャラ解釈』を書こうかなと思いますが、……解釈というのは独自の、身勝手な想像やら断定やらが絡んできますので、「なんか違うな」と感じられた方は、すぐにバックしてくださいね(´∀`)
特に創作側の方は、十分に注意をして、以下の文章を扱っていただきたいです…m(__)m
私はベジ太にハマった当初から、「ベジータマザコン説」を持っておりました。
原作、映画ともに、ベジ太の母というのは出てこないですね。
父王は居るんです。
そしてこの父王というのがどんな人物だったのかは映画ブロリーでハッキリしてます。
父王が息子ベジータに求めたのは、王の資質、民族の頂点を守る役割。これだけのように見えます。
「期待」しか見えてきません。
そしてどこか冷酷でもある。
パラガスに対する態度がそうです。
誇り高い民族であるサイヤはこのころ、コルドフリーザ一族による圧政下に置かれていました。
ベジータ王には、余裕が無いのです。
彼は息子ベジータを可愛がる事はあったのでしょうか?
もし可愛がるのだとしても、本当の所は、満たされない己を息子に投影しているだけの、歪な可愛がり方をしていたのではないか?
そんな風に私は想像してしまいます。
母親は、居たのでしょうか?
皆さんはどう想像されますか。
母親が居たとして、一体、どんな人物像を想像されますか?
多くの方、特に女性の方は、「実は優しい母親がいたんじゃないか」と想像されるのでは無いかと思います。
何故なら、せめて母親だけでも優しい人でなければ、余りにもベジータが可哀想だからです。
優しい母親を与えてあげたいと願うのは、母性本能を持った女性なら当然の事です。
私は、ここでセリパという女サイヤ人を見ます。
セリパは気が強くて、ギネと比べたら「甘さ」が少ないように感じます。
血と闘いを好む民族の特性を強く持つのがサイヤなのだとすると、セリパはかなり、民族らしいというか、血の運命に真っ直ぐ沿った生き方を選んでいるように見える。
下級のセリパが、ここまで尖っていて気の強いキャラクターなら、王族の妃とは、どんな人物像だったのか?
王族なのだから、やっぱり、「血の特性」を大事にしていたんではないかな?と私は思います。
闘いを好む残酷な民族。
その民族性を、ベジータの母も持っていたんではないかな?と思います。
だからかなり厳しい母親だったのではないか…と私は妄想しました。
……けれども、それだけじゃない、とも妄想するんですね。
時には、息子に対して、王家の身分とか関係なくただの母として、ベジータを「我が子として受容」する、あたたかい瞬間もあったのかもしれないです。
ただやっぱり、ベジータは王の子だし、フリーザの圧政に敷かれていた当時は、一刻も早く息子ベジータに「王の資質」を身につけさせなければならない使命が、母親には課せられていたかもしれない。
私はこんなふうに妄想しました。
そして、その王家、父や母を、ベジータはたった5歳の幼さで一瞬にして失うのです。
たった5歳です。
本当ならもっともっと、父母のもとで、色んなものを貰えたかもしれなかったのに、その供給は絶たれてしまいました。
ベジータは、他者に、まともに受容された事が無いんじゃないか?
こんな風に思いますね。
男の子にとって、母親は重要な存在です。
女の子は母の受容が少なくても、割と大丈夫なんです。
男の子のほうが、沢山の『母の愛』を必要とする。
弱いんですよ男は。
そういうふうに出来てるんです。
まともに受容された事が無いから、他者を虐げ己を顕示する。
他者の命を奪う事で初めて、自分の命に価値を見出す。
ベジータが己を保つためには、常に、誰かの犠牲や敗北を必要とする。それを見て比較し、自分の方が優位である事を確認して、やっとベジータは安心し、満足するんです。
もっと母に、沢山受容されていて、「自分はただ存在しているだけで価値がある」という意識が育っておれば、もう少しまともな王子であったかもしれません。
ナッパを殺すなんて事も、無かったのではないか……
でも最後はベジータは、悟空を認めるまでに、自己受容が出来ています。
長い年月をかけ、子どもの頃にもらえなかった母のカケラを、色んな人から分けて貰って、身に浴びて学んで、ゆっくりではあるけど欠けた心を癒していったんではないかな。
それはブルマだったり、CCだったり、我が子だったり、悟空だったり。
自分は作文の中で、ベジータをマザコンぽく書いたり、チラッと甘えん坊の様子を書いたりしますが、その理由は、こんな解釈をしているからです(´∀`)
ベジ太に足りないのは母の愛なのではないか?
私は、落ち着いた時期のベジータを殆ど書きません。
セル戦以降のベジータはほとんど書かない。
なんでかと言うと、私はベジータの「未熟さ」が大好きだからです😂😂
まだまだ未熟で完成されていない、何かが欠けたままで悪事を働く。いつまでも満たされないイライラに苛まれている、最もベジータが懊悩に苦しんだ時代。
この、一番救いの無い、苦しいベジータの姿に、寄り添っていたいと思ってしまいますね😂
セル編以降は、ほら、ブルマとかチビトラとかが、ベジータの事なんとかしてくれるし、まあまあ安心じゃないですか。
でも私は、救いのない状況の中で独り苦しんでるような、さみしんぼなベジータに寄り添っていたいと思うんです☺️
だから初期ばっか書くんですよねww😂😂
ハートありがとうございます
ではでは🤗