ヘボ日記
今日のオタク
2022/05/22 21:58日記
こんちはQ作です。
裏に4ページ目をアップしました。
ワタスはこの紙本を持ってなくてですね、(引っ越しのゴタゴタで手放してしもうた)発行年月をハッキリ覚えてなかったんですが、先日或るお方がメールをくださいまして、教えてくださいました。
異能の児の発行は2018年7月、という事でした。
えーと今2022年なので、4年前ぐらいですか?
…4年も経ってるんですね〜。
4年前って何を考えてどう生きていたのか…少なくとも今よりは愚かで、何も知らねえで、無駄に苦労していたのだけは覚えてます(゚∀゚)
以下、全然オタ話じゃないです。
ここ数年、個人的リアル生活で色々な変化がありまして、社会情勢も大変に異常な事となりまして。
そんでですね、それまで持っていた常識とか信じていたものとかを、私は徹底的に洗い直しました。そうしてできる限り広い分野を冷徹に俯瞰して見るようになると、「そうだったのか!」と気付く事が多々ありまして、…人生観やら思考回路やら、自分でも驚くほど変わってしまいました😂
かつて美輪明宏が「歳を取る事は面白い事です。歳を取れば取るほど、分からなかった物事が分かるようになってくるからです」と言ってました。その言葉を初めて読んだのは30代半ばでして、当時私は、歳を取る事は「不幸な事」「残念な事」だと思っていて、美輪明宏の伝えたい事がサッパリ分かりませんでした。
単純に、老いて醜くなれば愛されなくなるとか、老いて朦朧すれば良い働きも出来なくなり生きてる価値が無くなるだとか、なんかとにかく老いる事は悲惨で悲しい事だと信じていました。
というか信じこまされていたんですね。
何者かに。
多くの人から褒められなければ価値が無い
多くの人の役に立たなければ価値が無い
稼げない者には生きてる価値が無い
嫌な事を辛抱できないヤツは価値が無い
〇〇してなきゃ負け組
〇〇歳までに〇〇してないと恥
母親は太陽のように笑顔でなければならない
国が定める規則倫理道徳に沿えない者は人間失格
痩せてなきゃダメ人間
好きな事してるヤツはわがまま
などなど
これら常識ってのは一部の誰かが良い思いする為に作られたモノなんだろなあ、と感じます。
その一部の誰かって、誰なんだ?
例えばわかりやすい所で、美醜の基準を作ってるのは、一体誰なんだ?
とかなんとか静かに考えてると、人間ってのは一部の誰かを満足させる為に多大な労力と金を費やしてるんだなあ。一生。
何の為に生まれてきたのか分からんくなりますよ。
美に関して強迫的な追求が生まれた時は、ふと思います。
全盲の人にとって、他人の見た目の美しさが何の意味があるんでしょうか。
真に意味を成すのは、その人の発する言葉や態度だと思います。
パッと見の形だけのモノって、確かに華やかに見えますが、一瞬だけの享楽ですし、幸福感が続かないんですよね。
常に、失うかもしれないという不安と隣り合わせですし、気が休まりません。
労力も金もかかり続ける。
目に見える物質的なモノでは本当の幸福感は得られないんだろうと思います。
けれども世界は未だに「目に見えるモノ」で皆を不安にさせて縛りつけて時間と金を使わせ苦しく競争させてるような気がする。
そろそろ、そのパターンにも飽きた人が出てきてんじゃないでしょうか。
ワタスなんですけどww😂
最近はそんな事を考えながら生きてます。
あたおかってヤツですかねww
でも、世間さまの常識に合わせ続けてお利口さんに生きたとして、世界さまは絶対に幸福を約束してくれるんですかね?
誰も責任なんて取ってはくれないですよ。
何かあっても、結局「自己責任」の一言で一蹴されるんですよ😂
病床で死ぬ間際、多くの人が口にする言葉があるそうです。
「もっと、生きてるうちに好きな事をやっておけば良かった」
そう言って多くの方が後悔しながら亡くなってゆくんです。
滅私奉公や自己犠牲や我慢なんて美徳でもなんでもないんじゃないか?🤔だってそれ、自分を大事に出来てないよな?
そんな悲しい思想を押し付けてるヤツは、一体誰なんだよww😂
その思想を皆に植え付けて、一番得をしてるのは誰なんや。
頭おかしいブログになってますかね😂
でも、もういいや。
他人がどう思うかなんて、知らんスよ。
自分が自由で機嫌よくできてたら、それで良いです😂
ストレスも無いですし。
ではではまた〜(´∀`)
裏に4ページ目をアップしました。
ワタスはこの紙本を持ってなくてですね、(引っ越しのゴタゴタで手放してしもうた)発行年月をハッキリ覚えてなかったんですが、先日或るお方がメールをくださいまして、教えてくださいました。
異能の児の発行は2018年7月、という事でした。
えーと今2022年なので、4年前ぐらいですか?
…4年も経ってるんですね〜。
4年前って何を考えてどう生きていたのか…少なくとも今よりは愚かで、何も知らねえで、無駄に苦労していたのだけは覚えてます(゚∀゚)
以下、全然オタ話じゃないです。
ここ数年、個人的リアル生活で色々な変化がありまして、社会情勢も大変に異常な事となりまして。
そんでですね、それまで持っていた常識とか信じていたものとかを、私は徹底的に洗い直しました。そうしてできる限り広い分野を冷徹に俯瞰して見るようになると、「そうだったのか!」と気付く事が多々ありまして、…人生観やら思考回路やら、自分でも驚くほど変わってしまいました😂
かつて美輪明宏が「歳を取る事は面白い事です。歳を取れば取るほど、分からなかった物事が分かるようになってくるからです」と言ってました。その言葉を初めて読んだのは30代半ばでして、当時私は、歳を取る事は「不幸な事」「残念な事」だと思っていて、美輪明宏の伝えたい事がサッパリ分かりませんでした。
単純に、老いて醜くなれば愛されなくなるとか、老いて朦朧すれば良い働きも出来なくなり生きてる価値が無くなるだとか、なんかとにかく老いる事は悲惨で悲しい事だと信じていました。
というか信じこまされていたんですね。
何者かに。
多くの人から褒められなければ価値が無い
多くの人の役に立たなければ価値が無い
稼げない者には生きてる価値が無い
嫌な事を辛抱できないヤツは価値が無い
〇〇してなきゃ負け組
〇〇歳までに〇〇してないと恥
母親は太陽のように笑顔でなければならない
国が定める規則倫理道徳に沿えない者は人間失格
痩せてなきゃダメ人間
好きな事してるヤツはわがまま
などなど
これら常識ってのは一部の誰かが良い思いする為に作られたモノなんだろなあ、と感じます。
その一部の誰かって、誰なんだ?
例えばわかりやすい所で、美醜の基準を作ってるのは、一体誰なんだ?
とかなんとか静かに考えてると、人間ってのは一部の誰かを満足させる為に多大な労力と金を費やしてるんだなあ。一生。
何の為に生まれてきたのか分からんくなりますよ。
美に関して強迫的な追求が生まれた時は、ふと思います。
全盲の人にとって、他人の見た目の美しさが何の意味があるんでしょうか。
真に意味を成すのは、その人の発する言葉や態度だと思います。
パッと見の形だけのモノって、確かに華やかに見えますが、一瞬だけの享楽ですし、幸福感が続かないんですよね。
常に、失うかもしれないという不安と隣り合わせですし、気が休まりません。
労力も金もかかり続ける。
目に見える物質的なモノでは本当の幸福感は得られないんだろうと思います。
けれども世界は未だに「目に見えるモノ」で皆を不安にさせて縛りつけて時間と金を使わせ苦しく競争させてるような気がする。
そろそろ、そのパターンにも飽きた人が出てきてんじゃないでしょうか。
ワタスなんですけどww😂
最近はそんな事を考えながら生きてます。
あたおかってヤツですかねww
でも、世間さまの常識に合わせ続けてお利口さんに生きたとして、世界さまは絶対に幸福を約束してくれるんですかね?
誰も責任なんて取ってはくれないですよ。
何かあっても、結局「自己責任」の一言で一蹴されるんですよ😂
病床で死ぬ間際、多くの人が口にする言葉があるそうです。
「もっと、生きてるうちに好きな事をやっておけば良かった」
そう言って多くの方が後悔しながら亡くなってゆくんです。
滅私奉公や自己犠牲や我慢なんて美徳でもなんでもないんじゃないか?🤔だってそれ、自分を大事に出来てないよな?
そんな悲しい思想を押し付けてるヤツは、一体誰なんだよww😂
その思想を皆に植え付けて、一番得をしてるのは誰なんや。
頭おかしいブログになってますかね😂
でも、もういいや。
他人がどう思うかなんて、知らんスよ。
自分が自由で機嫌よくできてたら、それで良いです😂
ストレスも無いですし。
ではではまた〜(´∀`)