童遊戯
てのひらの中には既に光の玉が生まれており、大きく成りはじめていた。視界はその光で覆われていて、ベジータの顔は見えなかったが「死ね」という低い呟きだけはハッキリと聞こえた。
背中の毛がそそけたつような、オドロオドロしい声だった。
「たっ、たたた、たすたす助け」
「やめてーー!」
突如、ブルマがウーロンの身体に覆い被さってきた。幼子を庇う母のように、その汗まみれのちっこい身体を両手で抱き締めてきた。ブルマの咄嗟の献身的行為にウーロンは驚いた。我が儘で自己中心的で気まぐれで、人使いの荒い、パンティーだけが取り柄のはずの女が、宇宙人の攻撃準備を見ても逃げる事なく、自分を守ろうとしているのである。ウーロンはこの行為に、一種の慈母愛を感じて、感激の涙を流した。
「ブ…ブルマ……ううっ」
「ブルマ!そこをどけ!どかねばお前ごとブタを撃ち抜くぞ!」
「何よ!やれるもんならやってみなさいよ!」
「ブルマ……!お前って実は……、すげえいい奴なのか?……じゃあ、オレはずっと勘違いを……」
「ウーロン!」
言葉を遮り、ブルマはウーロンをにらみつけた。般若のような形相で、目が殺気立っている。
「へあ?」とウーロンは面食らった。ブルマはウーロンの身体を激しく揺さぶりながら、尋問をはじめた。
「ちょっとアンタ!今言った事はホントなの!?ベジータが私を好きって!自分でそう言ってたの!?ねえ!」
「んが!?あぎゃあ!やめ…!」
「泣いてないで答えなさいウーロン!」
ウーロンはガクガクと揺さぶられ、感激の涙は、「なんで?どうして?」というイジメられっ子特有の悲壮の涙と化して、その流出量も倍に増した。
ブルマの揺さぶり方は異様に切羽つまっていた。これに比べたらバーゲン品の争奪戦などままごとのようなものではないのか…とウーロンは思った。
ブルマのクレイジーな様子に、ウーロンは怖くなってきた。激しい揺さぶりをかけられているから眩暈がしてきて、正常な思考も困難となってきた。ブルマの向こう側には相変わらずベジータが立っていて、こちらにてのひらを向けている。光の強さがぐんぐん増しているのが分かる。
「ブルマ、どけ」
と、呪いのような声音でベジータが呟いた。
しかしブルマは動かなかった。
怖ろしい宇宙人の殺気が、強力扇風機の風みたく吹き付けてくるというのに……ブルマは逃げないのである。ウーロンは揺さぶられて眩暈がする中、こう思った。ブルマもまた、この宇宙人の暗黒オーラで、頭のどこかしらをヤラれてしまい、半分気が狂ってしまっているのではないか、と。その半狂いの状態にあっても、ギリギリの理性を働かせて自分を救おうとしているのではないか?
そう思うとウーロンは再び感涙し、しゃくりあげはじめた。
究極の献身とはこのことを言うのではないか……そんなものはフィクションの世界にしか無い嘘っぱちだと思っていたが、こうして目の当たりにすると感動のあまり声が出なかった。
すると、ブルマの表情が、般若を超えた。
「あんた、なんで笑いながら泣いてるの!早く言いなさいったらーーー!!」と怒鳴りながら、ウーロンのサスペンダーを限界まで引っ張り、“ゴムぱっちん”の要領で弾き始めたのである。
「あだっ!あてっ!あだーっ!」
「ウーロン!答えなさい!ベジータが私を好きって、本当なの!?早く言いなさいよ!」
あっけなく崩れ去る聖母伝説。
ああそうかコイツはオレからそれを聞き出すためだけに庇ってるんだなあ、と、ウーロンは厳しい現実を思い知り、「ははは」と自嘲気味に嗤った。
しょせんオレの人生こんなもんだよな~、と腐り始めたとき、
「何を笑っていやがる!!さっきの発言を訂正しやがれーーー!!」
と今度は宇宙マフィア風のヤツが怒鳴りつけてきた。
てのひらに用意されている光の玉が眩くて非常にヤバイ。
「うわあああ!!」
「さっきの気色悪い発言を、早く訂正せんと貴様を殺すぞーー!!無論、訂正した後も殺すがなあ!!」
「ぎゃあああやめてやめて」
「ウーロン落ち着きなさい!!答えてくれたらあんたを助けてあげる!!私の科学力の凄さは知っているでしょ!?さあ私を信じて!!本当の事を言うのよ!!言わないと助けてあげないわよ!?」
……本当の事もクソも無い。
ウーロンが言った台詞は完全にデタラメだった。
プライドの高い堅苦しい性格の宇宙人、そして男好きの尻軽ブルマ。純愛的な事柄を偽造してこの二人の間にぶちこんでやれば、双方が大騒ぎを起こし、どさくさにまぎれて自分だけがCCから脱出できると算段して言っただけの事だった。しかし予想は大幅に外れて、ベジータだけでなくブルマからも狙われるハメとなり、今や9:1の割合で、命の危険があったり無かったりしている……。
ウーロンは死にたくなかった。
死にたくない、という一念のみだった。
深く考えるなどという余裕はとっくに消えうせていた。
だから少しでも生き延びられる可能性のある、ブルマの方につき、ある事ない事滅茶苦茶に喋り倒した。
「ああそーだよ!このベジータってヤツ!ブルマがいねえと何も出来やしねえんだ!食いモンだって一人で調達できねえし、あの悟空と同じサイヤ人だなんて信じらんねえや!しっかも寂しがりやだしよ!さっきは恥ずかしくて言えなかったけどな、夜になったらオレはブルマに変身させられたぜ!そしたら、『パンツ脱げ』って言いやがったーー!!」
「なっ!?なんだとーーー!?」
「なんですってーー!?」
ベジータとブルマが驚愕したが、ウーロンの口は止まらなかった。
「『脱がねえと殺す』って脅されたから、オレは仕方なく脱ごうとしたよ!でもそこで5分経って変身がとけちまった!そ、そしたらこの宇宙人、いきなりめそめそ泣きやがんの!『ブルマ早く帰ってきてくれ~』ってよ!『オレはお前がいないととても生きていけな……』」
ギュアアア………
ベジータの光弾が、急激な膨張をはじめた。
それを見たウーロンは、ついにこの世の終焉が来てしまったと悟り、お漏らしをして、ついでにちょびっと脱糞もした。
ブルマはしかし冷静であった。
“収穫”を得たとたん、すばやい動きでスカートのポケットからホイポイカプセルを取り出し、スイッチを押してウーロンの腹の上に置いた。軽い爆発音と共に煙が出た。ウーロンはあっという間に、銀色のカプセル状のモノに包まれた。それは長さ80センチ程のでかいドングリのような形状をしていた。ドングリ状の物体はすぐさま、後尾から青い炎をふいて、廊下を高速で滑走しながら徐々に高度を上げ、突き当りの壁のど真ん中に穴を開けると、キレイな放物線を描きながら空の彼方へと飛んでいった。
「ブタぁーーーーーーーーーー!!!!」
ベジータがドングリを追って、同じく突き当たりの壁をぶちやぶり、高速で舞空した。
外を飛びまわりながらあちこち見回すが、ドングリの軌跡は残っていない。普通の飛行機とは作りが違うようだった。雲ひとつない快晴だというのに、どんなに目を凝らしても銀色の物体が見当たらない。ウーロンの気を探っても、あまりに小さいので場所を特定することはできなかった。もしかすると、すでにこの地球上には存在していないかもしれない。宇宙空間まで飛んでいった可能性もある。ブルマは得体の知れない科学力を持っているので、あらゆる可能性が考えられた。あれが宇宙まで飛んでいったとなると、生身の体での追跡は不可能である。
ベジータはブタの追跡を諦めて、ノロノロとCCへ戻った。
◇
それからまた、ブルマとの暮らしが戻った。
ウーロンの狂言騒動がまるで嘘のように、静まり返った日々だった。
その静かさが、逆に気味わるく、ベジータは居心地が悪かった。
ブルマは、ウーロンから聞いた“恋愛的証言”について、ベジータに問いただすことは一切しなかった。だが、たまにベジータと目があった時など、意味ありげに含み笑いをして、あからさまに色目をなげかけてくる。
これにはたまらず、悪寒を覚えるベジータ。
ブタが口にしたデタラメを、ブルマは信じているように見える……。
ただちに訂正しなければならないとベジータは内心焦り狂っていたが、
「あのブタがほざいた事について話がある」
と切り出すと、ブルマはエサを投げられた腹ペコの鯉のようにダダーーッと接近してきて、
「え?なになに?」
と、これまたイキのよい鯉のようにはしゃぎながらテーブルの隣に座ってきて、頬杖をつきながらベジータの顔を覗き込んでくる。
至近距離に迫るブルマの瞳の中に、キラキラと星のようなものが見えた。それを見ると、この女には何を言っても無駄だ、とブタの狂言を訂正する気力をそがれてしまうのだった。
下手に話を切り出せば、たちまち妙な“恋愛ワールド”にとりこまれてしまい、ブタの狂言をはるかに超えた、デタラメ純愛ファンタジーがブルマの脳内に構築されてしまうのではないかという怖ろしい予感がして、ベジータは結局、ウーロンのでまかせを訂正する機会を逃してしまった。
「邪魔だぁーーーーーーーー!!!!」
狂言を訂正できなかった不満は、ストレスとなって、重力室で発散されたが、それはすぐに機器類の故障とブルマとの接触につながってしまった。
「もう壊しちゃったの?呆れた!」
「……もっと頑丈にならんのか」
「あんたの使い方がガサツなのよ。もう、ホントに。いっつも手間かけさせて!私だって忙しいのに!」
などと文句を言いつつも、どこか充実した表情で修理をするブルマ。
修理が完了するとニッコリ笑って、
「あんたってホント、私がいないとダメなのねえ~」
という台詞を残してさっさと仕事場に戻っていった。
ベジータは咄嗟に反論が出来ず、口をあけたままその場で呆然と立ち尽くした。
やがて腹の底から、ムカムカと怒りが湧きあがって来た。
「なめるなーーーー!!!」
ベジータは憤然としながらキッチンへ直行した。ブルマが買いだめしてきた缶詰やら、食料カプセルなどを、そこらへんにあった袋に乱暴に詰め込んで、窓を派手に破って家出をした。
「バカにするなー!てめえの方が上とでも思ってやがるのか!てめえなんざ殺そうと思えばいつでも…ッ!一瞬で塵に出来るゴミ女の癖しやがって調子に乗るのもいい加減にしろー!オレ様がソコを棲みかにする理由は、十分な食い物と重力室があるからだ!利用してやってるだけだクソ女がー!」
怒鳴り散らしながら、風を切って空を飛んだ。めちゃくちゃに飛ぶうちに、前方に海が見えてきた。天気は快晴だったので、その空を映した海は、綺麗なセルリアンブルーをしていた。その色が描く地平線はハッキリとしていて、ムシャクシャした心境を少しだけ整えてくれた。
やがて、きらめく海の最中に、一つの島が見えてきた。上から見ると空豆の形をしていて、こんもりとした山がある。濃い緑色の密林が豊かで、縁は白い砂浜で囲まれている。見たところ、人間が住んでいるようには見えない。
一旦、一休みをしようと、ベジータはその砂浜に降り立った。砂浜には人間を匂わせるゴミが一つも落ちていない。やはり無人島のようであった。浜にヤシの木がいくつも生えていて、枝元には、たわわに実が成っていた。ベジータはそれを採って割り、中の果汁を舐めてみた。ちょっと甘い味がしたので、喉を鳴らして飲み干した。
次々とヤシの実を採り、波の音や潮風に触れ、白い砂や海の青を見ているうち、だんだん気持ちが落ち着いてきて、もしかするとCCに住まなくとも、ずっと独りで自活できるのではないかと希望がわいてきた。
島を探索してみると、鬱蒼とした密林の中で、こんこんと湧き出る泉を見つけた。水を舐めてみると冷たくて旨かった。山からくる天然水のようだ。
「いける。いけるぞ」
水があれば、あとは食料を自力で採れば良い。海の中は魚やら貝やらタコやらイカやら…食い物が無制限に生息している。
「勝ったな」
と呟いてベジータはニヤリと笑った。
重力室のかわりに、深海に潜る訓練方法をとることにした。以前にも海に潜った事があるが、無酸素と水圧との闘いは、心身を限界まで追い込むのに適していたのだ。
「そうなるとまずは食料の確保から練習せねばならんな…。確かこのカプセルに図鑑のセットが入っているはず」
スプーンのマークがついたカプセルを解放すると、本棚があらわれて、数ある専門書が並ぶなかに“野生の食べ物シリーズ”と題された図鑑があった。
その中の“海編”を選んで、ベジータはヤシの木の下で読みはじめた。
内容をだいたい覚えると、意気揚々としながら海の中に飛び込んで狩りをはじめた。
翌日、ベジータは、CCの自室のベッドの上で仰向けになっていた。
たくましい腕には、点滴の針がいくつも刺さっている。
完全なる無表情で窓の外を見つめる傍らに、呆れ顔のブルマが付き添っていた。
「もう何度目かしらねえ、あんたが食中毒になるのって」
「……」
そっぽを向きながら無言を貫くベジータ。
ブルマは小さくため息をついた。
「お医者さんが言ってたわ。あんたが食べたのは、“ニジイロオオドクフグ”って名前の魚なんですってよ。その名の通り、色がとってもキレイでね、表皮に触ると虹色に点滅するんですって。いわゆる警戒色ってヤツよ。で、その名の通り猛毒があって、フツーの人が食べると、ほぼ即死するらしいわ」
「……」
「全くなんであんたはいっつも見た目につられる訳?キレイなものには棘があったり毒があったりするものでしょ?そんなの常識じゃないの。まともに食べ物を採ってこれないなんて……あんた本当に孫くんと同じ種族なの?」
「種族は同じだが、身分が遥かに違う。王子であるオレ様には常に毒見役がついていてソイツが全ての食い物のチェックをぐあああああああ」
「まだ喋らないほうがいいわねー。喋るとおなかにひびくみたいだから、おとなしく寝てなさい」
ブルマはかいがいしく、掛け布団を整えてやると、
「ホントに私がいないとダメねえ~」
と、困ったような嬉しいような、どこかしら優越感の見え隠れする表情を見せながら、ベジータの額の汗をぬぐった。
「待っ……クソ女……」
部屋をスキップしながら出て行くブルマ。
ベジータは軽く殺意を覚えた。
女を追いかけようとしたが動かせるのは指先ぐらいのもので、起き上がることができなかった。
吐いたり下したり、吐いたり下したりしながら、海からCCにたどりついたベジータの肉体には、エネルギーが殆ど残されていなかった。腹をこわしているため、何も食えない。腕に刺された点滴に多少の栄養素が含まれているにしても、所詮は“フツーの人間用”である。それは抜け殻になったサイヤ人の体に、ギリギリ生きられるだけの水分を与える役目しか果たしていなかった。
「腹が……畜生~~……」
無駄にあがきつつ、その後丸2日も、飲まず食わずの寝たきり生活を強いられてしまった。
1匹分でゾウ20頭は殺せるというニジイロオオドクフグの毒は、それほどに強烈だったのだ。
◇
「オイ、肉を食わせろ。上等の肉を持ってこい」
「ダメよいきなりお肉なんて。まだ病み上がりなのよ~?」
「なぜだ。なぜ回復期に限っていつもいつも……ドッロドロのソレを食わせるんだ……?」
ブルマが持ってきた粥を、さも気味悪そうに見遣るベジータ。
「だからあ~、病気のときはおかゆって地球では決まってるのよ。ホラ、あ~ん」
スプーンで粥を少しだけすくって、口に運ぼうとするブルマ。
ベジータはその世話女房的な行為に腹を立てて、お椀だけをぶんどった。
そして、中のドロドロを、味わうことなく一気に飲み干した。
早く中毒を治して、鈍りきった体を鍛えたいがために気が急いていた。
その為、ドロドロの温度を確かめる作業をすっとばしてしまった。
「……あ……熱……貴様オレを殺す気……」
「なんでフーフーして食べないのバカ!早くお水飲んで!」
「ゴクゴク…、熱ーーーーーー!!!!」
「あら、ごっめーん。ソレ、淹れたてのほうじ茶だったわ~。お水はこっちね♪」
舌をペロリと出しながら、違うコップを差し出すブルマ。
ブルマのオチャメな態度を見たとたん、ベジータはますます怒り、目尻をつり上げて大声で叫んだ。
「貴様いい加減にしやがれーー!」
「きゃっ」
パジャマ姿のベジータは、殆ど跳躍するような動きでベッドの上に立ち上がった。パジャマはブルマが特注した、青地にちっちゃいピンクのウサギ柄がちりばめられている可愛らしいものであった。病気や怪我で弱っているのを良い事に、ブルマはよく、可愛らしいパジャマをコッソリ着させて内密に笑って楽しんでいたのだが、このアクロバットな戦闘モード全開の立ち上がり方を目にしては、ウサギのパジャマを笑うどころでは無くなってしまった。
ベジータは腕に刺さっていた点滴の針を引き抜いて壁に投げつけた。その拍子に点滴台が音をたてて倒れ、ブルマを更に仰天させた。ブルマはベジータの、異様に光る目つきを見ると、「ぎゃっ」と叫んですぐに椅子から立ち上がり、部屋のドアに向かって走り出した。
「逃がさんぞ!!」
パパパパッと、床に豆をばらまくような連続音が鳴った。
カーテンが、レールから引きちぎられる音であった。
ベジータはむしりとった白いレースのカーテンを、網漁のようにブルマに投げた。
足をもつれさせていたブルマは、その“網”にかかって簡単に捕らえられてしまった。ベッドから飛び降りてきたベジータが、あっという間にカーテンを袋状に縛り、ブルマを閉じ込めた。
「なにするの、出して!」
「誰が出すものか。今日のお前の役柄は魚だ。…オレを苦しめた、あのニジイロナントカっていうヤツだ。よくもやってくれたなこのドクフグ女め」
「な!?何言ってんのぉ~!?」
「さあな?とうとう頭に毒が回っちまったのかもな?ハーッハッハッハ!今から皮をむいて食ってやるからおとなしくしろよフグ女ーー!!」
「なんて卑怯な男なの!こんな、罠みたいなやり方でレディを捕まえて!魚役って何よ変態!恥を知りなさい!」
「痛ェーーーー!!!」
ブルマはまたもや仰天した。
カーテンの中でめちゃくちゃにもがいていただけだったのだが、たまたま足のかかとがベジータの腹に食い込んだのだ。
現在、最も弱い急所を蹴られたベジータは、針でつつかれた芋虫みたいにのたうちまわって悶絶した。
「ご、ご免なさいベジータ!わざとじゃないのよ!」
「ぐああッ!……うぅッ……うぎッ…」
「ベジータ大丈夫!?ちよっ…!この、カーテン!ほどいてッ!」
脂汗を垂らして苦しんでいる男の姿が、レース越しに見える。
歯を食い縛り、目をきつく閉じている。
顔が真っ青だ。
ブルマはカーテンの中から出ようと必死にもがいた。
早く洗面器なり簡易トイレのカプセルなり、“受けるモノ”を持ってきてやらねばならないと、ベジータの苦しみ方を見て直感したのだ。
「ベジータ!……ちょっ!…このッ結び目をほどいて!」
「ぬああ…」
「ああ、神様…!」
「……う……ひいぅ……」
「いやああ~~!出すならせめて、上から出してーー!下は絶対にやめてッ!お願いよベジーターー!私はあんたが漏らす所だけは見たくないのよーー!!」
ブルマが、涙目になりながらレース越しに訴える。あまりにも切実な表情は、悲しい映画のワンシーンのようだった。
ベジータは汗びっしょりになりながら、のろりと顔を上げてドアを睨みつけた。
「オレは……サイヤの……」
と呻きながら、ゆっくりほふく前進を始める。目的地は部屋を出て左に行った所にあるトイレ……距離にして約7メートル。
「行ける!?ひとりで行ける!?大丈夫!?漏れない!?」
「……王……王子だッ……オレは……気高き…」
「そうよ頑張るのよ!あんたは王子なんだからこんな所で漏らしちゃダメーー!」
芋虫のようにのろく這いながらも、トイレに行こうとする男を、ブルマは号泣しながら応援した。
ベジータは見事、部屋からの脱出に成功した。そして更に廊下を這って進んでゆく。気の遠くなるような道程であった。ベジータはたまに「ぬあああ」と呻いた。
やがて、トイレの方から、ドアの開閉音、かすかな流水音が聞こえてきたのでブルマは一安心した。
男がパンツの中に漏らさずに済んだ事を、神様に感謝した。
フグの毒はなかなかしぶとく、ちょっとした刺激で腹の調子は悪化した。回復するまでに何日もかかった。
一進一退の病状が続き、ベジータはイライラと怒っていた。
気に入らない日常が毎日繰り返されるのは、たまったものではない。
たとえば、ブルマの、優越感を含んだかいがいしい看病は、ベジータの劣等感を膨らませた。
ベッドで安静を強いられる生活は、鍛え上げてきた肉体が衰えてゆくようで恐ろしく、焦燥にかられるばかりで落ち着かない。
これまでCCに棲んできて、物事がうまく行かず鬱憤が溜まり飽和した時に、爆発の的になるのは大抵ブルマの身体だった。
だが今は、ブルマを的に出来ない。
毒の影響で身体の自由がきかなかったし、未だに食事はドロドロのものばかり食わされるから、パワーも無かった。
日に日に堆積してゆく負の感情を、今の状況で、どのように発散すれば良いのか見当がつかなかった。
フグの毒よりも質の悪い“腐敗液”のようなものが全身に染み渡り、みるみると肉体を腐らせてゆくような妄想にとらわれる。
絶望すら感じる闘病生活だった。
ベジータの精神は蟻の大群に目をつけられた獲物よろしく黒く蝕まれていった。
「…負ける、早く、早くしなければ、ヤツに、負けちまう…」
夜は、悪夢にうなされた。
見る夢はいつも同じだ。
それは必ず、広大砂漠で、流砂にはまってしまう所から始まるのだ。
身体を締め付ける砂の圧力はすさまじく、フルパワーでやっと脱出出来る…決して舐めてかかれない、恐怖の流砂。
一息つくと、今度は何かが頭をこづいてくる。
見上げると、金色に光る小鳥が頭上を飛び回っている。いたずらしてきた金の鳥をつかまえようとベジータは追いかけるのだが、鳥はすばしっこく左右に舵をきり、たまに姿を消したりしてベジータを翻弄する。鳥に気を取られていると、何かが足を引っ張ってくる。下を見ると、流砂の中から枯れ枝のような黒い腕がぬう、と伸びてきて、ベジータの足を掴んでいる。
枯れ枝はどんどん数を増やして、ベジータを覆いつくして、流砂の中にひきずりこむ。
ベジータは叫ぶ。大きく開けた口の中に、砂がザクザクと入り込んでくる。
砂が気管に詰り、呼吸が出来なくなった時点で目が覚める。
悪夢を見た後の寝汗はおびただしく、喉はカラカラだった。
それが、毎日毎日。
反復する悪夢は、昼間も思い出された。
ベジータの顔つきは一気に暗く、沈んでいった。
睡眠が浅い為に、目の下が黒ずみ、唇は噛みすぎて常に赤く染まっていた。
毒がおおかた抜けてきて、テーブルにつけるようになると、ブルマから肉を食うことを許された。
肉といっても脂分の少ない鶏のささ身肉で、細かく刻まれて例のドロドロ飯の中に混ぜられていた。
全然美味そうに見えないし、全然嬉しくなかった。
しかしブルマはニコニコと嬉しそうに「お肉食べたかったでしょ?」とお椀によそって振る舞ってくる。
ベジータにはそれが、ただの自己満足の行動に見えた。
椀を置くブルマの手は、スベスベと潤っていて、爪にはきっちりとマニキュアが施されている。顔に目を遣ると、これもきっちりと化粧が施されていて、耳には可愛らしいピアスが。
そしてなんと言っても、その満ち足りた表情が。
幸福をそのまま具現化したような微笑みが、自由を謳歌する者だけが持つ瞳の輝きが。
いくら押し込めても、見ているだけで引きずり出されてしまう。
腹に強拳を叩き込まれた直後の、嘔吐のように。
歪に圧縮された泥まみれの衝動が、下劣な言葉となってベジータの口から吐き出された。
「……え?」
ブルマは耳を疑った。
信じられない程に汚らしい言葉だった為、空耳かと思いながら、一応聞き直した。
ベジータの目は据わっていて、泥酔者のソレみたくドロドロに澱んでいた。その濁った目をブルマに向けながら答えた。
「『突っ込ませろ』と言ったんだ」
本当に酒に酔ったように、椅子のひじ掛けにだらしなく肘をつき、片側に体重を預けている姿には、普段の規律正しさなど微塵も無かった。
堕落、という言葉そのものの姿…。
ブルマは、返事が出来ずにお椀を手にしたまま凍りついてしまった。そんな下劣な台詞が、この場で、ベジータの口から出てきた事がにわかに信じがたいし、別人のような品の無さにも驚き果てるばかりだったのだ。
「ぎゃあ!」
陶器の器が、素早く払いのけられた。ブルマの悲鳴があがった。ベジータが椅子から立ち上がって、左手で薙いでいた。
器は勢いよくキッチンの壁にぶち当たり、粉々に砕け、中によそってあった粥は、線路の損壊死体のごとくそこらじゅうに飛び散った。
すぐに、ガン!と固い音が鳴った。
ベジータが、テーブルの上に足を乗せてきたのだ。
相変わらず目は泥酔者のままだったが、澱みの奥にはギラギラした光が宿りはじめていた。極限に怒り狂って、襲いかかってくる、獣の目だ。それが上方からブルマを睨み下ろしている。ベジータはテーブルの上に仁王立ちになっていた。
支配者と下僕の図が出来上がっていた。
「脱げ、そこで全部脱ぐんだ」
命じながら、今度は足で食器を蹴り飛ばす。“掃除”をしている。この先は、食器類など必要ない、テーブルクロスだけになるまで、行儀の悪い足は“掃除”を続けた。食器の割れる音は凄まじく尖っていて、ベジータの周辺から凶暴な空気がどんどん伝染していき、ブルマをビクつかせた。
突然の破壊行為を見てパニックに陥ったブルマは、無我夢中に服のポケットをまさぐり、ピストルを取り出すと、銃口を獣の目に向けた。昼間の外出の際にたまたま携帯していたものだった。ベジータには銃など通用しないのだが、この異様な豹変ぶりにブルマは驚いてしまって、頭が混乱していた。威嚇発砲の格好のまま、
「て、手をあげなさい!撃つわよ!」
と街の警官みたく叫んでいた。声がひっくり返っていた。“強姦”の二文字がブルマの脳裏をよぎり、怖くて涙が出そうになった。
必死にピストルを構えていると、冷たい風が眼前をかすめた。ベジータの足が、真横に払われていた。
ブルマの持っていたピストルはベジータに蹴られて、リビングの窓を突き破った。外で一発の銃声が鳴った。蹴りの衝撃で暴発したようだった。何もかもが一瞬の事だった。
ブルマはハッとして、ゆっくりと両手に目を移した。指が十本揃っているのを確かめると、身体が激しく震えだした。「あわわわわ」と変な声が勝手に出てくる。
「なぜ脱がん。そんなにオレに破かれたいのか?」
「ひ、ひい…、やめ、」
「そうか、そうだよな、マゾだもんな、お前、」
「なんで?なんでェ~?」
「だがなあ!今日ばかりはさすがに破くのが面倒だぜ!!コレを見てみろ!!オレは場所を準備してやった!!服ぐらいてめえで脱ぎやがれーー!!」
ブルマが悲鳴をあげるのと、ベジータがテーブルから飛び降りるのと、ほぼ同時だった。
運動神経の足りないブルマは早速転んでうつぶせに倒れた。ベジータは、ブルマのスカートに手を伸ばした。まくり上げてやるつもりだった。その時ガクンと身体が傾いた。足の裏で、瓶を踏んでいた。さっき蹴落とした調味料の瓶だった。それがくるんと回転して、ベジータも転んでうつぶせに倒れた。「ぐえ!」と呻き声があがった。ベジータの腹の下に、偶然にもガラスのコップが伏せた格好で立っていて、思いきり打ち付けてしまったのだ。たちまちニジイロオオドクフグの呪いが復活した。
「ひいーー!」
「痛ぇーー!」
腹を押さえて絶叫するベジータ…。もう治ったと思いこんでいたから完璧に油断していた。ダメージは思いの外強烈だった。激痛のあまり体が丸くなる。枝でつつかれた芋虫のようである。
そばでズリズリと衣擦れの音がした。うつぶせのブルマが必死に逃げていた。
腰を抜かしているから、てのひらを床にぺたりとくっつけて腕力だけで移動している。下手なほふく前進だった。スピードも遅く、ナメクジ並みである。
逃がすものかとベジータが右手を伸ばす。デラウェアみたいなブルマの足の指。
ギリギリの距離で、手が届かない。
「待ち…、待ちやが…」
「ひい、ひい~」
「ち…畜生~……」
二人は全く同じのろさで、ナメクジVS芋虫レースを続けた。
背中の毛がそそけたつような、オドロオドロしい声だった。
「たっ、たたた、たすたす助け」
「やめてーー!」
突如、ブルマがウーロンの身体に覆い被さってきた。幼子を庇う母のように、その汗まみれのちっこい身体を両手で抱き締めてきた。ブルマの咄嗟の献身的行為にウーロンは驚いた。我が儘で自己中心的で気まぐれで、人使いの荒い、パンティーだけが取り柄のはずの女が、宇宙人の攻撃準備を見ても逃げる事なく、自分を守ろうとしているのである。ウーロンはこの行為に、一種の慈母愛を感じて、感激の涙を流した。
「ブ…ブルマ……ううっ」
「ブルマ!そこをどけ!どかねばお前ごとブタを撃ち抜くぞ!」
「何よ!やれるもんならやってみなさいよ!」
「ブルマ……!お前って実は……、すげえいい奴なのか?……じゃあ、オレはずっと勘違いを……」
「ウーロン!」
言葉を遮り、ブルマはウーロンをにらみつけた。般若のような形相で、目が殺気立っている。
「へあ?」とウーロンは面食らった。ブルマはウーロンの身体を激しく揺さぶりながら、尋問をはじめた。
「ちょっとアンタ!今言った事はホントなの!?ベジータが私を好きって!自分でそう言ってたの!?ねえ!」
「んが!?あぎゃあ!やめ…!」
「泣いてないで答えなさいウーロン!」
ウーロンはガクガクと揺さぶられ、感激の涙は、「なんで?どうして?」というイジメられっ子特有の悲壮の涙と化して、その流出量も倍に増した。
ブルマの揺さぶり方は異様に切羽つまっていた。これに比べたらバーゲン品の争奪戦などままごとのようなものではないのか…とウーロンは思った。
ブルマのクレイジーな様子に、ウーロンは怖くなってきた。激しい揺さぶりをかけられているから眩暈がしてきて、正常な思考も困難となってきた。ブルマの向こう側には相変わらずベジータが立っていて、こちらにてのひらを向けている。光の強さがぐんぐん増しているのが分かる。
「ブルマ、どけ」
と、呪いのような声音でベジータが呟いた。
しかしブルマは動かなかった。
怖ろしい宇宙人の殺気が、強力扇風機の風みたく吹き付けてくるというのに……ブルマは逃げないのである。ウーロンは揺さぶられて眩暈がする中、こう思った。ブルマもまた、この宇宙人の暗黒オーラで、頭のどこかしらをヤラれてしまい、半分気が狂ってしまっているのではないか、と。その半狂いの状態にあっても、ギリギリの理性を働かせて自分を救おうとしているのではないか?
そう思うとウーロンは再び感涙し、しゃくりあげはじめた。
究極の献身とはこのことを言うのではないか……そんなものはフィクションの世界にしか無い嘘っぱちだと思っていたが、こうして目の当たりにすると感動のあまり声が出なかった。
すると、ブルマの表情が、般若を超えた。
「あんた、なんで笑いながら泣いてるの!早く言いなさいったらーーー!!」と怒鳴りながら、ウーロンのサスペンダーを限界まで引っ張り、“ゴムぱっちん”の要領で弾き始めたのである。
「あだっ!あてっ!あだーっ!」
「ウーロン!答えなさい!ベジータが私を好きって、本当なの!?早く言いなさいよ!」
あっけなく崩れ去る聖母伝説。
ああそうかコイツはオレからそれを聞き出すためだけに庇ってるんだなあ、と、ウーロンは厳しい現実を思い知り、「ははは」と自嘲気味に嗤った。
しょせんオレの人生こんなもんだよな~、と腐り始めたとき、
「何を笑っていやがる!!さっきの発言を訂正しやがれーーー!!」
と今度は宇宙マフィア風のヤツが怒鳴りつけてきた。
てのひらに用意されている光の玉が眩くて非常にヤバイ。
「うわあああ!!」
「さっきの気色悪い発言を、早く訂正せんと貴様を殺すぞーー!!無論、訂正した後も殺すがなあ!!」
「ぎゃあああやめてやめて」
「ウーロン落ち着きなさい!!答えてくれたらあんたを助けてあげる!!私の科学力の凄さは知っているでしょ!?さあ私を信じて!!本当の事を言うのよ!!言わないと助けてあげないわよ!?」
……本当の事もクソも無い。
ウーロンが言った台詞は完全にデタラメだった。
プライドの高い堅苦しい性格の宇宙人、そして男好きの尻軽ブルマ。純愛的な事柄を偽造してこの二人の間にぶちこんでやれば、双方が大騒ぎを起こし、どさくさにまぎれて自分だけがCCから脱出できると算段して言っただけの事だった。しかし予想は大幅に外れて、ベジータだけでなくブルマからも狙われるハメとなり、今や9:1の割合で、命の危険があったり無かったりしている……。
ウーロンは死にたくなかった。
死にたくない、という一念のみだった。
深く考えるなどという余裕はとっくに消えうせていた。
だから少しでも生き延びられる可能性のある、ブルマの方につき、ある事ない事滅茶苦茶に喋り倒した。
「ああそーだよ!このベジータってヤツ!ブルマがいねえと何も出来やしねえんだ!食いモンだって一人で調達できねえし、あの悟空と同じサイヤ人だなんて信じらんねえや!しっかも寂しがりやだしよ!さっきは恥ずかしくて言えなかったけどな、夜になったらオレはブルマに変身させられたぜ!そしたら、『パンツ脱げ』って言いやがったーー!!」
「なっ!?なんだとーーー!?」
「なんですってーー!?」
ベジータとブルマが驚愕したが、ウーロンの口は止まらなかった。
「『脱がねえと殺す』って脅されたから、オレは仕方なく脱ごうとしたよ!でもそこで5分経って変身がとけちまった!そ、そしたらこの宇宙人、いきなりめそめそ泣きやがんの!『ブルマ早く帰ってきてくれ~』ってよ!『オレはお前がいないととても生きていけな……』」
ギュアアア………
ベジータの光弾が、急激な膨張をはじめた。
それを見たウーロンは、ついにこの世の終焉が来てしまったと悟り、お漏らしをして、ついでにちょびっと脱糞もした。
ブルマはしかし冷静であった。
“収穫”を得たとたん、すばやい動きでスカートのポケットからホイポイカプセルを取り出し、スイッチを押してウーロンの腹の上に置いた。軽い爆発音と共に煙が出た。ウーロンはあっという間に、銀色のカプセル状のモノに包まれた。それは長さ80センチ程のでかいドングリのような形状をしていた。ドングリ状の物体はすぐさま、後尾から青い炎をふいて、廊下を高速で滑走しながら徐々に高度を上げ、突き当りの壁のど真ん中に穴を開けると、キレイな放物線を描きながら空の彼方へと飛んでいった。
「ブタぁーーーーーーーーーー!!!!」
ベジータがドングリを追って、同じく突き当たりの壁をぶちやぶり、高速で舞空した。
外を飛びまわりながらあちこち見回すが、ドングリの軌跡は残っていない。普通の飛行機とは作りが違うようだった。雲ひとつない快晴だというのに、どんなに目を凝らしても銀色の物体が見当たらない。ウーロンの気を探っても、あまりに小さいので場所を特定することはできなかった。もしかすると、すでにこの地球上には存在していないかもしれない。宇宙空間まで飛んでいった可能性もある。ブルマは得体の知れない科学力を持っているので、あらゆる可能性が考えられた。あれが宇宙まで飛んでいったとなると、生身の体での追跡は不可能である。
ベジータはブタの追跡を諦めて、ノロノロとCCへ戻った。
◇
それからまた、ブルマとの暮らしが戻った。
ウーロンの狂言騒動がまるで嘘のように、静まり返った日々だった。
その静かさが、逆に気味わるく、ベジータは居心地が悪かった。
ブルマは、ウーロンから聞いた“恋愛的証言”について、ベジータに問いただすことは一切しなかった。だが、たまにベジータと目があった時など、意味ありげに含み笑いをして、あからさまに色目をなげかけてくる。
これにはたまらず、悪寒を覚えるベジータ。
ブタが口にしたデタラメを、ブルマは信じているように見える……。
ただちに訂正しなければならないとベジータは内心焦り狂っていたが、
「あのブタがほざいた事について話がある」
と切り出すと、ブルマはエサを投げられた腹ペコの鯉のようにダダーーッと接近してきて、
「え?なになに?」
と、これまたイキのよい鯉のようにはしゃぎながらテーブルの隣に座ってきて、頬杖をつきながらベジータの顔を覗き込んでくる。
至近距離に迫るブルマの瞳の中に、キラキラと星のようなものが見えた。それを見ると、この女には何を言っても無駄だ、とブタの狂言を訂正する気力をそがれてしまうのだった。
下手に話を切り出せば、たちまち妙な“恋愛ワールド”にとりこまれてしまい、ブタの狂言をはるかに超えた、デタラメ純愛ファンタジーがブルマの脳内に構築されてしまうのではないかという怖ろしい予感がして、ベジータは結局、ウーロンのでまかせを訂正する機会を逃してしまった。
「邪魔だぁーーーーーーーー!!!!」
狂言を訂正できなかった不満は、ストレスとなって、重力室で発散されたが、それはすぐに機器類の故障とブルマとの接触につながってしまった。
「もう壊しちゃったの?呆れた!」
「……もっと頑丈にならんのか」
「あんたの使い方がガサツなのよ。もう、ホントに。いっつも手間かけさせて!私だって忙しいのに!」
などと文句を言いつつも、どこか充実した表情で修理をするブルマ。
修理が完了するとニッコリ笑って、
「あんたってホント、私がいないとダメなのねえ~」
という台詞を残してさっさと仕事場に戻っていった。
ベジータは咄嗟に反論が出来ず、口をあけたままその場で呆然と立ち尽くした。
やがて腹の底から、ムカムカと怒りが湧きあがって来た。
「なめるなーーーー!!!」
ベジータは憤然としながらキッチンへ直行した。ブルマが買いだめしてきた缶詰やら、食料カプセルなどを、そこらへんにあった袋に乱暴に詰め込んで、窓を派手に破って家出をした。
「バカにするなー!てめえの方が上とでも思ってやがるのか!てめえなんざ殺そうと思えばいつでも…ッ!一瞬で塵に出来るゴミ女の癖しやがって調子に乗るのもいい加減にしろー!オレ様がソコを棲みかにする理由は、十分な食い物と重力室があるからだ!利用してやってるだけだクソ女がー!」
怒鳴り散らしながら、風を切って空を飛んだ。めちゃくちゃに飛ぶうちに、前方に海が見えてきた。天気は快晴だったので、その空を映した海は、綺麗なセルリアンブルーをしていた。その色が描く地平線はハッキリとしていて、ムシャクシャした心境を少しだけ整えてくれた。
やがて、きらめく海の最中に、一つの島が見えてきた。上から見ると空豆の形をしていて、こんもりとした山がある。濃い緑色の密林が豊かで、縁は白い砂浜で囲まれている。見たところ、人間が住んでいるようには見えない。
一旦、一休みをしようと、ベジータはその砂浜に降り立った。砂浜には人間を匂わせるゴミが一つも落ちていない。やはり無人島のようであった。浜にヤシの木がいくつも生えていて、枝元には、たわわに実が成っていた。ベジータはそれを採って割り、中の果汁を舐めてみた。ちょっと甘い味がしたので、喉を鳴らして飲み干した。
次々とヤシの実を採り、波の音や潮風に触れ、白い砂や海の青を見ているうち、だんだん気持ちが落ち着いてきて、もしかするとCCに住まなくとも、ずっと独りで自活できるのではないかと希望がわいてきた。
島を探索してみると、鬱蒼とした密林の中で、こんこんと湧き出る泉を見つけた。水を舐めてみると冷たくて旨かった。山からくる天然水のようだ。
「いける。いけるぞ」
水があれば、あとは食料を自力で採れば良い。海の中は魚やら貝やらタコやらイカやら…食い物が無制限に生息している。
「勝ったな」
と呟いてベジータはニヤリと笑った。
重力室のかわりに、深海に潜る訓練方法をとることにした。以前にも海に潜った事があるが、無酸素と水圧との闘いは、心身を限界まで追い込むのに適していたのだ。
「そうなるとまずは食料の確保から練習せねばならんな…。確かこのカプセルに図鑑のセットが入っているはず」
スプーンのマークがついたカプセルを解放すると、本棚があらわれて、数ある専門書が並ぶなかに“野生の食べ物シリーズ”と題された図鑑があった。
その中の“海編”を選んで、ベジータはヤシの木の下で読みはじめた。
内容をだいたい覚えると、意気揚々としながら海の中に飛び込んで狩りをはじめた。
翌日、ベジータは、CCの自室のベッドの上で仰向けになっていた。
たくましい腕には、点滴の針がいくつも刺さっている。
完全なる無表情で窓の外を見つめる傍らに、呆れ顔のブルマが付き添っていた。
「もう何度目かしらねえ、あんたが食中毒になるのって」
「……」
そっぽを向きながら無言を貫くベジータ。
ブルマは小さくため息をついた。
「お医者さんが言ってたわ。あんたが食べたのは、“ニジイロオオドクフグ”って名前の魚なんですってよ。その名の通り、色がとってもキレイでね、表皮に触ると虹色に点滅するんですって。いわゆる警戒色ってヤツよ。で、その名の通り猛毒があって、フツーの人が食べると、ほぼ即死するらしいわ」
「……」
「全くなんであんたはいっつも見た目につられる訳?キレイなものには棘があったり毒があったりするものでしょ?そんなの常識じゃないの。まともに食べ物を採ってこれないなんて……あんた本当に孫くんと同じ種族なの?」
「種族は同じだが、身分が遥かに違う。王子であるオレ様には常に毒見役がついていてソイツが全ての食い物のチェックをぐあああああああ」
「まだ喋らないほうがいいわねー。喋るとおなかにひびくみたいだから、おとなしく寝てなさい」
ブルマはかいがいしく、掛け布団を整えてやると、
「ホントに私がいないとダメねえ~」
と、困ったような嬉しいような、どこかしら優越感の見え隠れする表情を見せながら、ベジータの額の汗をぬぐった。
「待っ……クソ女……」
部屋をスキップしながら出て行くブルマ。
ベジータは軽く殺意を覚えた。
女を追いかけようとしたが動かせるのは指先ぐらいのもので、起き上がることができなかった。
吐いたり下したり、吐いたり下したりしながら、海からCCにたどりついたベジータの肉体には、エネルギーが殆ど残されていなかった。腹をこわしているため、何も食えない。腕に刺された点滴に多少の栄養素が含まれているにしても、所詮は“フツーの人間用”である。それは抜け殻になったサイヤ人の体に、ギリギリ生きられるだけの水分を与える役目しか果たしていなかった。
「腹が……畜生~~……」
無駄にあがきつつ、その後丸2日も、飲まず食わずの寝たきり生活を強いられてしまった。
1匹分でゾウ20頭は殺せるというニジイロオオドクフグの毒は、それほどに強烈だったのだ。
◇
「オイ、肉を食わせろ。上等の肉を持ってこい」
「ダメよいきなりお肉なんて。まだ病み上がりなのよ~?」
「なぜだ。なぜ回復期に限っていつもいつも……ドッロドロのソレを食わせるんだ……?」
ブルマが持ってきた粥を、さも気味悪そうに見遣るベジータ。
「だからあ~、病気のときはおかゆって地球では決まってるのよ。ホラ、あ~ん」
スプーンで粥を少しだけすくって、口に運ぼうとするブルマ。
ベジータはその世話女房的な行為に腹を立てて、お椀だけをぶんどった。
そして、中のドロドロを、味わうことなく一気に飲み干した。
早く中毒を治して、鈍りきった体を鍛えたいがために気が急いていた。
その為、ドロドロの温度を確かめる作業をすっとばしてしまった。
「……あ……熱……貴様オレを殺す気……」
「なんでフーフーして食べないのバカ!早くお水飲んで!」
「ゴクゴク…、熱ーーーーーー!!!!」
「あら、ごっめーん。ソレ、淹れたてのほうじ茶だったわ~。お水はこっちね♪」
舌をペロリと出しながら、違うコップを差し出すブルマ。
ブルマのオチャメな態度を見たとたん、ベジータはますます怒り、目尻をつり上げて大声で叫んだ。
「貴様いい加減にしやがれーー!」
「きゃっ」
パジャマ姿のベジータは、殆ど跳躍するような動きでベッドの上に立ち上がった。パジャマはブルマが特注した、青地にちっちゃいピンクのウサギ柄がちりばめられている可愛らしいものであった。病気や怪我で弱っているのを良い事に、ブルマはよく、可愛らしいパジャマをコッソリ着させて内密に笑って楽しんでいたのだが、このアクロバットな戦闘モード全開の立ち上がり方を目にしては、ウサギのパジャマを笑うどころでは無くなってしまった。
ベジータは腕に刺さっていた点滴の針を引き抜いて壁に投げつけた。その拍子に点滴台が音をたてて倒れ、ブルマを更に仰天させた。ブルマはベジータの、異様に光る目つきを見ると、「ぎゃっ」と叫んですぐに椅子から立ち上がり、部屋のドアに向かって走り出した。
「逃がさんぞ!!」
パパパパッと、床に豆をばらまくような連続音が鳴った。
カーテンが、レールから引きちぎられる音であった。
ベジータはむしりとった白いレースのカーテンを、網漁のようにブルマに投げた。
足をもつれさせていたブルマは、その“網”にかかって簡単に捕らえられてしまった。ベッドから飛び降りてきたベジータが、あっという間にカーテンを袋状に縛り、ブルマを閉じ込めた。
「なにするの、出して!」
「誰が出すものか。今日のお前の役柄は魚だ。…オレを苦しめた、あのニジイロナントカっていうヤツだ。よくもやってくれたなこのドクフグ女め」
「な!?何言ってんのぉ~!?」
「さあな?とうとう頭に毒が回っちまったのかもな?ハーッハッハッハ!今から皮をむいて食ってやるからおとなしくしろよフグ女ーー!!」
「なんて卑怯な男なの!こんな、罠みたいなやり方でレディを捕まえて!魚役って何よ変態!恥を知りなさい!」
「痛ェーーーー!!!」
ブルマはまたもや仰天した。
カーテンの中でめちゃくちゃにもがいていただけだったのだが、たまたま足のかかとがベジータの腹に食い込んだのだ。
現在、最も弱い急所を蹴られたベジータは、針でつつかれた芋虫みたいにのたうちまわって悶絶した。
「ご、ご免なさいベジータ!わざとじゃないのよ!」
「ぐああッ!……うぅッ……うぎッ…」
「ベジータ大丈夫!?ちよっ…!この、カーテン!ほどいてッ!」
脂汗を垂らして苦しんでいる男の姿が、レース越しに見える。
歯を食い縛り、目をきつく閉じている。
顔が真っ青だ。
ブルマはカーテンの中から出ようと必死にもがいた。
早く洗面器なり簡易トイレのカプセルなり、“受けるモノ”を持ってきてやらねばならないと、ベジータの苦しみ方を見て直感したのだ。
「ベジータ!……ちょっ!…このッ結び目をほどいて!」
「ぬああ…」
「ああ、神様…!」
「……う……ひいぅ……」
「いやああ~~!出すならせめて、上から出してーー!下は絶対にやめてッ!お願いよベジーターー!私はあんたが漏らす所だけは見たくないのよーー!!」
ブルマが、涙目になりながらレース越しに訴える。あまりにも切実な表情は、悲しい映画のワンシーンのようだった。
ベジータは汗びっしょりになりながら、のろりと顔を上げてドアを睨みつけた。
「オレは……サイヤの……」
と呻きながら、ゆっくりほふく前進を始める。目的地は部屋を出て左に行った所にあるトイレ……距離にして約7メートル。
「行ける!?ひとりで行ける!?大丈夫!?漏れない!?」
「……王……王子だッ……オレは……気高き…」
「そうよ頑張るのよ!あんたは王子なんだからこんな所で漏らしちゃダメーー!」
芋虫のようにのろく這いながらも、トイレに行こうとする男を、ブルマは号泣しながら応援した。
ベジータは見事、部屋からの脱出に成功した。そして更に廊下を這って進んでゆく。気の遠くなるような道程であった。ベジータはたまに「ぬあああ」と呻いた。
やがて、トイレの方から、ドアの開閉音、かすかな流水音が聞こえてきたのでブルマは一安心した。
男がパンツの中に漏らさずに済んだ事を、神様に感謝した。
フグの毒はなかなかしぶとく、ちょっとした刺激で腹の調子は悪化した。回復するまでに何日もかかった。
一進一退の病状が続き、ベジータはイライラと怒っていた。
気に入らない日常が毎日繰り返されるのは、たまったものではない。
たとえば、ブルマの、優越感を含んだかいがいしい看病は、ベジータの劣等感を膨らませた。
ベッドで安静を強いられる生活は、鍛え上げてきた肉体が衰えてゆくようで恐ろしく、焦燥にかられるばかりで落ち着かない。
これまでCCに棲んできて、物事がうまく行かず鬱憤が溜まり飽和した時に、爆発の的になるのは大抵ブルマの身体だった。
だが今は、ブルマを的に出来ない。
毒の影響で身体の自由がきかなかったし、未だに食事はドロドロのものばかり食わされるから、パワーも無かった。
日に日に堆積してゆく負の感情を、今の状況で、どのように発散すれば良いのか見当がつかなかった。
フグの毒よりも質の悪い“腐敗液”のようなものが全身に染み渡り、みるみると肉体を腐らせてゆくような妄想にとらわれる。
絶望すら感じる闘病生活だった。
ベジータの精神は蟻の大群に目をつけられた獲物よろしく黒く蝕まれていった。
「…負ける、早く、早くしなければ、ヤツに、負けちまう…」
夜は、悪夢にうなされた。
見る夢はいつも同じだ。
それは必ず、広大砂漠で、流砂にはまってしまう所から始まるのだ。
身体を締め付ける砂の圧力はすさまじく、フルパワーでやっと脱出出来る…決して舐めてかかれない、恐怖の流砂。
一息つくと、今度は何かが頭をこづいてくる。
見上げると、金色に光る小鳥が頭上を飛び回っている。いたずらしてきた金の鳥をつかまえようとベジータは追いかけるのだが、鳥はすばしっこく左右に舵をきり、たまに姿を消したりしてベジータを翻弄する。鳥に気を取られていると、何かが足を引っ張ってくる。下を見ると、流砂の中から枯れ枝のような黒い腕がぬう、と伸びてきて、ベジータの足を掴んでいる。
枯れ枝はどんどん数を増やして、ベジータを覆いつくして、流砂の中にひきずりこむ。
ベジータは叫ぶ。大きく開けた口の中に、砂がザクザクと入り込んでくる。
砂が気管に詰り、呼吸が出来なくなった時点で目が覚める。
悪夢を見た後の寝汗はおびただしく、喉はカラカラだった。
それが、毎日毎日。
反復する悪夢は、昼間も思い出された。
ベジータの顔つきは一気に暗く、沈んでいった。
睡眠が浅い為に、目の下が黒ずみ、唇は噛みすぎて常に赤く染まっていた。
毒がおおかた抜けてきて、テーブルにつけるようになると、ブルマから肉を食うことを許された。
肉といっても脂分の少ない鶏のささ身肉で、細かく刻まれて例のドロドロ飯の中に混ぜられていた。
全然美味そうに見えないし、全然嬉しくなかった。
しかしブルマはニコニコと嬉しそうに「お肉食べたかったでしょ?」とお椀によそって振る舞ってくる。
ベジータにはそれが、ただの自己満足の行動に見えた。
椀を置くブルマの手は、スベスベと潤っていて、爪にはきっちりとマニキュアが施されている。顔に目を遣ると、これもきっちりと化粧が施されていて、耳には可愛らしいピアスが。
そしてなんと言っても、その満ち足りた表情が。
幸福をそのまま具現化したような微笑みが、自由を謳歌する者だけが持つ瞳の輝きが。
いくら押し込めても、見ているだけで引きずり出されてしまう。
腹に強拳を叩き込まれた直後の、嘔吐のように。
歪に圧縮された泥まみれの衝動が、下劣な言葉となってベジータの口から吐き出された。
「……え?」
ブルマは耳を疑った。
信じられない程に汚らしい言葉だった為、空耳かと思いながら、一応聞き直した。
ベジータの目は据わっていて、泥酔者のソレみたくドロドロに澱んでいた。その濁った目をブルマに向けながら答えた。
「『突っ込ませろ』と言ったんだ」
本当に酒に酔ったように、椅子のひじ掛けにだらしなく肘をつき、片側に体重を預けている姿には、普段の規律正しさなど微塵も無かった。
堕落、という言葉そのものの姿…。
ブルマは、返事が出来ずにお椀を手にしたまま凍りついてしまった。そんな下劣な台詞が、この場で、ベジータの口から出てきた事がにわかに信じがたいし、別人のような品の無さにも驚き果てるばかりだったのだ。
「ぎゃあ!」
陶器の器が、素早く払いのけられた。ブルマの悲鳴があがった。ベジータが椅子から立ち上がって、左手で薙いでいた。
器は勢いよくキッチンの壁にぶち当たり、粉々に砕け、中によそってあった粥は、線路の損壊死体のごとくそこらじゅうに飛び散った。
すぐに、ガン!と固い音が鳴った。
ベジータが、テーブルの上に足を乗せてきたのだ。
相変わらず目は泥酔者のままだったが、澱みの奥にはギラギラした光が宿りはじめていた。極限に怒り狂って、襲いかかってくる、獣の目だ。それが上方からブルマを睨み下ろしている。ベジータはテーブルの上に仁王立ちになっていた。
支配者と下僕の図が出来上がっていた。
「脱げ、そこで全部脱ぐんだ」
命じながら、今度は足で食器を蹴り飛ばす。“掃除”をしている。この先は、食器類など必要ない、テーブルクロスだけになるまで、行儀の悪い足は“掃除”を続けた。食器の割れる音は凄まじく尖っていて、ベジータの周辺から凶暴な空気がどんどん伝染していき、ブルマをビクつかせた。
突然の破壊行為を見てパニックに陥ったブルマは、無我夢中に服のポケットをまさぐり、ピストルを取り出すと、銃口を獣の目に向けた。昼間の外出の際にたまたま携帯していたものだった。ベジータには銃など通用しないのだが、この異様な豹変ぶりにブルマは驚いてしまって、頭が混乱していた。威嚇発砲の格好のまま、
「て、手をあげなさい!撃つわよ!」
と街の警官みたく叫んでいた。声がひっくり返っていた。“強姦”の二文字がブルマの脳裏をよぎり、怖くて涙が出そうになった。
必死にピストルを構えていると、冷たい風が眼前をかすめた。ベジータの足が、真横に払われていた。
ブルマの持っていたピストルはベジータに蹴られて、リビングの窓を突き破った。外で一発の銃声が鳴った。蹴りの衝撃で暴発したようだった。何もかもが一瞬の事だった。
ブルマはハッとして、ゆっくりと両手に目を移した。指が十本揃っているのを確かめると、身体が激しく震えだした。「あわわわわ」と変な声が勝手に出てくる。
「なぜ脱がん。そんなにオレに破かれたいのか?」
「ひ、ひい…、やめ、」
「そうか、そうだよな、マゾだもんな、お前、」
「なんで?なんでェ~?」
「だがなあ!今日ばかりはさすがに破くのが面倒だぜ!!コレを見てみろ!!オレは場所を準備してやった!!服ぐらいてめえで脱ぎやがれーー!!」
ブルマが悲鳴をあげるのと、ベジータがテーブルから飛び降りるのと、ほぼ同時だった。
運動神経の足りないブルマは早速転んでうつぶせに倒れた。ベジータは、ブルマのスカートに手を伸ばした。まくり上げてやるつもりだった。その時ガクンと身体が傾いた。足の裏で、瓶を踏んでいた。さっき蹴落とした調味料の瓶だった。それがくるんと回転して、ベジータも転んでうつぶせに倒れた。「ぐえ!」と呻き声があがった。ベジータの腹の下に、偶然にもガラスのコップが伏せた格好で立っていて、思いきり打ち付けてしまったのだ。たちまちニジイロオオドクフグの呪いが復活した。
「ひいーー!」
「痛ぇーー!」
腹を押さえて絶叫するベジータ…。もう治ったと思いこんでいたから完璧に油断していた。ダメージは思いの外強烈だった。激痛のあまり体が丸くなる。枝でつつかれた芋虫のようである。
そばでズリズリと衣擦れの音がした。うつぶせのブルマが必死に逃げていた。
腰を抜かしているから、てのひらを床にぺたりとくっつけて腕力だけで移動している。下手なほふく前進だった。スピードも遅く、ナメクジ並みである。
逃がすものかとベジータが右手を伸ばす。デラウェアみたいなブルマの足の指。
ギリギリの距離で、手が届かない。
「待ち…、待ちやが…」
「ひい、ひい~」
「ち…畜生~……」
二人は全く同じのろさで、ナメクジVS芋虫レースを続けた。