童遊戯

宇宙の景色を見る為には、雲の上まで飛ばなければならなかった。
西の都の、一見きらびやかな夜景は、猥雑とした光で大気を霞ませて、星の姿を覆い隠してしまっていた。
飛んでみるか、とも思ったが、なぜ自分がわざわざ動かなければならないのかとムカついたのでやめた。
遥かな宇宙の景色を見れば、今の自分にまとわりついている雑念が払拭されるかもしれないと思ったが、動けば敗北の印のような気がしたので、自力で消化しようとつとめた。
今の自分に許された行為は、ただただ、無心になって訓練を積む事だけだった。

「汚ねえ大気だな」

屋上に立って、夜景の彼方にあるはずの地平線を見る。
地平線がはっきりと見えないのが、腹だたしい。
まるで、今の自分の心理状態をそのまま現したような光景だ。

先が見えず、突破口が見つからない。
濃霧の中に迷わせ、方向感覚を狂わすような。
ガチャガチャとした雑音ばかり、鬱陶しい雑念ばかりが心に侵入してくる日々。

「邪魔だな」

とベジータは呟いた。
それは、悟空を思っての言葉だった。
あの能天気なツラを思い出すと、ベジータの心はかき乱された。
ただ純粋に、殺意だけが向けられていれば良かったが、厄介なのは、悟空に対して少なからず憧憬の念があることだった。
己よりも下等の者を、羨む気持ちがあることが、いつまでも目的を達せないでいる今の状況と相まって、高貴の心をズタズタにし、疲弊させた。

「邪魔だ…」

両手で顔を覆って、いっそのこと地球を破壊してしまいたいという欲求を覚えた。
しかし、地球を破壊したとしても悟空だけは生き残っているのではないかと連想され、あまりの悔しさに、胸が押しつぶされそうになった。

「地球を壊しちまったら、訓練施設が無くなっちまうだろ!」

グシャグシャと、髪をかき乱しながら、懸命に言葉をしぼりだす。自分を落ち着かせる為に、必死に紡いだその言葉の拙さに、たまらない気持ちになる。絶対に、誰にも見られたくない姿、絶対に、誰にも聞かれたくない言葉……。

“ベジータ!どこにいんのー?”

屋上でしゃがみこんでいると、下から甲高い声が聞こえた。

“ちょっと!ご飯出来たわよ!早く来なさい!折角この私が作ってあげたお料理が冷めちゃうじゃないのバカー!”

もう1つの、邪魔な雑音、雑念となりうる者の声にベジータは舌打ちした。自分の置かれている状況とは、遠くかけ離れた、平和なぬるま湯に浸かっている女の、生意気な言葉づかい。

「クソ女」

ベジータは低い声で悪態をつくと、屋上から飛び降りた。



「食事の時間をきちんと決めろって言ったのはあんたの方なのよ?生活のリズムが乱れるのがイヤって言うから私はあんたの言うとおり、時間を守って、こうしてご飯作ってんじゃないの。なのになんで、言い出した当人が食事の時間に遅刻してくる訳?私、あんたの都合のいい家来じゃないんだけど?ホントに頭にくるわね~。黙ってないでなんとか言いなさいよ!せめてどこで何をしてたかとか遅刻の理由を言ったらどうなの?聞いてるの?ベジータ」

テーブルをはさんだ向こう側でマシンガントークが炸裂する中、ベジータは黙って料理を食べた。
相手は、1言うと10返してくる女だった。
何か一言でも言い返せば途方もなく長い談義、或いは喧嘩に発展しそうだったので、言わせるだけ言わせておいて、自分は沈黙を貫いた。
女の生意気な口調は、ささくれた心を逆撫でするものだった。
耳栓をしようかと本気で考えた事もあったが、無駄のような気がしてやめてしまった。
この女の声は、凛と綺麗に響いてくるので逃れようがない。凛としているだけに、容赦なく耳の奥に侵入して鼓膜を打ってくる。
ガラガラの、下卑た汚い声ならば、簡単にシャットアウト出来るのに、なぜよりによって綺麗な声を持っているのかと、なんとも複雑な気分になる。

(クソ女!クソ女!クソ女!クソ女!)

心の中で何度も唱えて、今考えた事を否定する。
綺麗な声、などと称賛してしまった事を、ただの気の迷いだと否定し直す。

…女と共にする食事の時間は、訓練の時と同じ、いやそれ以上に、気力が必要だった。
気を抜くと、女に何かを持っていかれそうな、漠とした不安が根底にあったし、その不安の正体を確かめる作業も出来なかった。
そんな作業をしだしたら、自分の軸を失いそうで恐ろしかった。
だから、女からはなるべく目を反らし、自分の周囲に透明の膜を張りめぐらせ、われ関せずの態度を貫いた。

「それでねえ、あの女私にこう言ったのよ。『あなたもっと有能なのかと思ったけど案外大した事無いのね、無理しないでもう降りたらどう?ストレスで自慢の美貌が崩れちゃうわよー』って!ムカつくー!あの女、受付嬢だから男にチヤホヤされて調子に乗ってんのよ!」
「モグモグ」
「じゃあアンタかわりに私の仕事やってみれば!?って話よね!あ、そうそう、その鶏の唐揚げ、いつもと味付けかえてみたんだけど、どう?美味しい?」
「モグモグ」
「ベジータ聞いてるの?ねえ、美味しい?なんで返事しないのよ。もしかして訓練しすぎで鼓膜破れてんじゃないのー?」
「モグモグ」
「……コイツ、本当に鼓膜破れてんじゃないのかしら……。ペンライトで診てあげたほうがいいかも……。えーと、ペンライトはどこだったかしらね…」
「……」

女――ブルマは真剣な顔で呟くと、椅子から立ち上がり、ペンライトを探しに行った。キッチンのドアの向こうにその姿が消えると、ベジータの口から青い溜め息が出た。

「疲れる……」

フォークをカラアゲの皿に放り投げ、椅子の背もたれにぐったりと体重を預ける。異様な疲れ方だった。呼吸もいつのまにか浅くなっていた。それはブルマと対峙して、緊張していた為だった。両手で目を押さえながらもう一度ため息をついて、天井を仰いだ。

「なんなんだこの異様な緊張は。栄養補給の為のメシが……食ったそばからエネルギー化して消費されていくようだぜ。あの女、ちょっとは口が閉じられんのか。それにしても、なぜだ?なぜあれ程喋りまくっているにも関わらず、……あんな食事のペースを保っていられるんだ。いつ噛んで、いつ飲み込んでいやがるんだ。どんな技だ、それは。本当に人間なのかお前は」
「何喋ってるの」
「うわっ!!」

耳元でブルマの声が聞こえたので、ベジータは飛び上がりそうになった。
ブルマは知らぬ間に戻ってきており、ペンライトで、耳の中を観察しようとしていた。

「お前、いつの間に……。せめて一声かけるとか、ドアをノックするとかしやがれーー!!」
「はあ?なんで怒ってんのよ。だって耳聞こえないと思ったからさあ。まるっきり無視して失礼ねー。それに一人になったとたんにペラペラ喋りだしちゃってさあ、なんなのよアンタは。あーっ!……対人恐怖症~~!?もしかしてアンタ、対人恐怖症なの!?ねえ!」
「モグモグ」
「ベジータ!話を聞きなさい!」

ベジータは一心不乱に食事をたいらげて、使った食器をシンクに積み上げて、タタタ!とキッチンを脱出した。すると間髪いれずにブルマが、

「待ちなさいよ!ごちそうさまは!?食べ終わったらごちそうさまって言うのよ何度言ったら分かるのー!ほんっとマナーがなってないわね!何がサイヤの王子よ、王子ならもっとお行儀よくしてみせなさいよバカ!」

浴室に入っても、その声は聞こえてきた。

「くっそ~~!ムカつく女だ鬱陶しい!少しは黙れ!オレの近くをうろつくな!」

ガシガシと乱暴に髪を洗いながら、シャワーの音で自分の声を打ち消した。体を洗おうと石けんを掴むと、真っ二つに割れてしまった。イラつきながら無理矢理くっつけると、歪なボール形になった。

「ベジータ、ここに新しいパジャマ置いておくわよ~」
「わーーー!!」

湯船につかってグッタリしていると、突然浴室のドアが開かれて、笑顔のブルマがニョキ!っと覗きこんできた。

「なっ!お前!“入浴中”の札が見えんのか!いきなりドアを開けるんじゃねえ!」
「だってパジャマ用意してなかったからさあ~。何よ、男のくせに、のぞかれたぐらいでガタガタ言ってんじゃないわよ減るもんじゃなし。ああ、私の入浴は見ちゃダメよ?減るから」
「ザブザブ」
「なんで潜るの!お礼は!?パジャマ持ってきてくれてありがとうは!?ほんっと礼儀がなってないわね!」
「ブクブクブクブク(礼儀知らずはお前の方だ!早く出て行け!)」
「……ちょっとベジ、ベジータ?……まさか溺れてるの……?」
「ブハッ!溺れてる訳がないだろーーー!!オレのプライバシー圏内に入ってくるなーーー!!」
「なーんだ、脅かさないでよ。あら、あんたその髪、うぷぷ。あははは!まるでアレみたいよ、えーっとね~……」

……その数十分後に、ブルマの身体は、ベッドに押し付けられていた。
まだ濡れたままのベジータの髪から滴る水と、ブルマの柔肌から滲み出す汗が一つに混じりあい、コロコロと、乳房の間を転がり落ちてゆく。ベッドの上では、いつもと同じく一方的で身勝手な性交が繰り広げられた。
そして、いつもと同じく片方が笑って、片方が泣いた……。

切っ掛けは、些細なものだった。
些細で、滑稽なものだった。
ブルマが、湯の中から顔を出したベジータに向かって、「なんかその髪型、アカナメ君みたい~」と指さして笑ったのだが、ベジータは地球の文化に明るくなく「アカナメ君」とは一体何かという話になり、「おふろに出るお化けみたいなヤツ」というブルマの返答では納得がいかず、「本か何かできちんと見せろ」と命じたのが悲劇の始まりだった。

「オレに例えるぐらいだから相当似てるんだろうな?その“アカナメ”ってヤツが、不恰好で不気味なヤツだったら……ただではおかんぞ」

などと言いつつ、ベジータはアカナメの正体に迫った。
「何をそんなにこだわるのよ、面倒くさい奴ねー。ただの可愛いお化けって言ってるじゃないのー」と、ブルマは文句を垂れながら、パソコンで“アカナメ”を検索した。

どーん

と出てきた“アカナメ”の画像は、ワカメのようなふにゃふにゃした髪を背中にベッタリと垂らし、30センチはある長い舌を伸ばして、不潔な風呂桶をベロベロと舐めている、気味の悪いものであった。
ブルマは、一番に出てきたその不気味な画像を見て、オタオタと焦りだした。
自分が子供の頃に絵本で読んだアカナメのイメージと大幅にかけはなれていたのである。
子供用の絵本に描かれていた“アカナメ君”は、キュートにデフォルメされていたのだが、実際に言い伝えられている“アカナメ”は醜くて気持ち悪い、ただの妖怪だった……。

「…なんだコイツは」
「ち!違うの!私が言ったのは、こんなんじゃなくて…」
「…何が違うんだ。“名称・アカナメ”って書いてあるじゃねえか」
「待って!ちょっと待って……!」

ブルマは次々と新たな“アカナメ画像”を引っ張り出すのだが、妖怪アカナメの風貌はどの画像も似たり寄ったりだった。
ブルマは、昔読んだ絵本、『アカナメ君とおふろに入ろう』の画像を必死に検索したが、著作権の関係なのか、チャーミングなアカナメ君の画像はいくら探しても出てこなかった。

「風呂を不潔にしていると……垢を舐めにくる…妖怪……?」
「ダ、ダメっ!ソレは読んじゃダメー!」
「……妖怪って書いてあるぞ」
「し、知らなかったの!私が見たのはもっと…、可愛くてカッコいいお化けなのよ!」
「ほう。ではソレを見せてもらおうか」
「そ、その絵本は捨てちゃって、もう無いのよ……」
「その箱で検索すればなんでも出てくるんだろ?探せ」
「ダメみたいだわ…、多分コレ、著作権が絡んでて…」
「チョサクケン?なんだそれは」
「えーと……著作権っていうのはー」
「違う話にすり替えてごまかすつもりか、お前は」
「ええ!?ち、違うわよ!だって今、あんたが質問したから…」
「妖怪アカナメか。ふははははははは。ふざけやがって…」
「あは、あはは…、ベジータ…、落ち着いて…」
「ははははは。そうかオレはコイツにそっくりなのか。それでは舐めてやるとするか……。アカナメってのは、きたねえ垢を舐めて綺麗にするんだな~~!?お前、風呂まだ入ってねえんだろ!舐めてやるからこっちに来やがれクソ女ぁーーー!一番汚れてる所を見せてみろ、その股をおっ広げてなあ!!」
「ぎゃあああ!」

膨らみすぎた風船が、破裂するのと同じだった。
ブルマの干渉をなるべく避けたり、耳を貸すまいと肝に命じたりして、毎日毎日、心理的な距離をとるのに苦心している分、その反動はすさまじい。
懸命に保っていた“無関心”は、その対極にある、“境界線侵害”と転化し、ブルマをこれ以上無いというぐらいに侮辱し、泣かせ、自分はまるで悪質な借金取りのように、むしり取れるだけ快楽をむしり取った。

泣きじゃくって真っ赤になっている頬、乳房の中にある膨らんだ突起、無理矢理に全開させた脚の間の、密かな暗がりから熱気と共にトロリと液体が漏れ出る様など、女の性的な反応をしつこくあげつらっては、軽蔑し、非難して、屈辱のどん底に陥れて無力な弱者とし、完璧に支配する。
……ベジータは、物心ついた頃から勝負の世界で生きてきた。
なんでもかんでも、勝つか負けるかでその者の価値が決まると盲信しているベジータは、ベッドの上でもとにかく勝ち負けに執着した。
自分のほうが圧倒的に強くなければ、納得がいかないのだった。
これが普通の女ならば話は簡単だった。
問題なのは、ベジータにとって、ブルマが奇異な女であることだった。
「バカ」とか「サイテー」とか罵ってくるうちはまだ良いのだが、事が進むにつれて……特に達する時などに、ベジータの築きあげた世界には全くふさわしくない言葉を吐くので、これにはどうしても調子が狂ってしまった。苦しめているはずなのに、なぜそのような台詞が飛び出るのか不思議でしょうがない。自分はただ、相手を奈落に落として、嗤っていたいだけなのだが、どうやらブルマは全く別の次元にいて、別の世界の言語を吐き出しているように感ぜられる。
別の次元とは何か。
ブルマの居る世界は一体どのようなものなのか。
そのように考えると、また何か自分の中にあるものがこの女に持っていかれてしまうような、侵食されてしまうようなあやうさを感じたので、ベジータは更にブルマを手篭めにして、滅茶苦茶に苛め抜いた。
事が終わると、身体が鉛のように重くなっていた。
そこに普通は有るはずの爽快感は全く無く、ただ熱を帯びた泥が体内に溜まっているような不完全燃焼の状態になっていて、ベッドでスヤスヤと眠るブルマの顔を見るとまるで自分の方が負けたような気分になってきて、苛立ちが募った。
ベジータは、まだ色香のたちこめる部屋からとびだし、シャワーを浴びて、今宵身体をつなげた事実を冷たい水と一緒に洗い流そうと、肌が赤くなるまで擦り続けた。



「アンタみたいな変態に食べさせる朝ごはんは無いわ!!」

翌朝、寝坊してきたブルマは、すでにキッチンのテーブルに座していたベジータに向かって開口一番怒鳴りつけた。
ベジータは舌打ちし、顔をしかめながらリモコンでテレビをつけた。無意味な情報を垂れ流す“箱”を狙って、殺戮レーザーを放射する気持ちでチャンネルをポチポチと変えてゆく。

「何よその態度は!」

カンカンに怒っていたブルマは、足を踏み鳴らしながらベジータの前を通って、テレビのコンセントを勢いよく引き抜いた。そしてベジータに振り向くと、

「もう我慢ならないわ!いつも勝手な事ばっかり……!なんであんた、あんなやり方しか出来ないのよ!?」

と、半分べそをかきながら訴えた。
ベジータはブルマの激昂を目にしても微動だにせず、剃刀を引くように目だけをそらして、

「何の話をしてる」

と静かな声で質問した。

「な、何のって……ゆうべの!!」
「ゆうべ。何かあったか」

ベジータが、また剃刀のようにスッと視点を移動し、ブルマに冷たい視線を向けながらシラを切ると、ブルマはたちまち顔を真っ赤に染めて口ごもった。
ゆうべ、冷たいシャワーで洗い流したはずの出来事が意識の表層に浮かび上がってこないように、ベジータは呼吸を深くし心を冷たく凍らせて、至極冷静に対応をした。
ここでも大切なのは、勝つか負けるかだった。
心を乱して狼狽した方が負けなのだ。
ブルマは、ほっぺを真っ赤にしながら、まっすぐに指をさしてきた。

「あんたのその、訳わかんない仮面!いつか私がひっぱがしてやるわ!」

“仮面”という言葉に、自然、片眉が動く。
まさか見透かされているのかと、一瞬心が揺らいだが、吐く息と共にその考えを心の奥底に押し込めた。
ベジータは腕を組んで、頑強な無表情を貫いた。その無表情のまま、まっすぐにブルマを見つめ続けた。ブルマは真っ赤になってたじろいでいた。

「お前さっきから顔が赤いぞ。熱あるんじゃねえのか」
「な!?何すっとぼけてんのよ!真面目に話を聞きなさいよ!」
「朝っぱらから奇声発してるヤツにそんな事言われても困るな……。とりあえずお前は病院に行って来い」
「見てなさいよバカベジ~~!!いつまでも調子に乗っていられると思ったら大間違いなんだから!!」
「今の話は聞こえたか?お前の頭がイカれちまったら、オレ様の訓練に支障が出ることは間違いないんだ。早く行ってこい。普通の病院じゃねえぞ?脳病院だ」

椅子にふんぞりかえったベジータは、ひたすらシラを切りとおす。諦めさせて、早く仕事に行かせる為だ。ブルマは何やらギャーギャーと文句をつけながら、さっさと支度をして家を出て行った。

「アンタは当分一人で暮らせばいいわ!私にも考えがあるんだから覚悟してなさいよ~~!」

という捨て台詞が玄関のほうから聞こえて、勢いよくドアが閉められた。

グーー。グーーー。グルルーー……

ブルマが出て行った途端に、緊張が解けて盛大に腹が鳴り出した。

「……は……腹が減っ……食い物……食……」

ブルマと対峙するにあたって、ベジータの心の中では相当の心理的負荷がかかっており、怖ろしい程に体力を消耗していた。
立ち上がってもまともに歩く事が出来ない。なんとか冷蔵庫までたどりついた所で、ガクガクと膝が崩れ落ちてしまった。
そしてその先には、更なる心理的負荷が待ち受けていた。

「こっ!!これだけしかねえのか!!あのアマッ……本当にオレに食事を与えんつもりなのか!?畜生!このままでは訓練が出来んどころか、命の危険が……!!」

冷蔵庫に残っていたのは、ウインナーが5本と、キャベツが1玉だけだった……。
仕方なく、シャクシャクと音をたてながらキャベツを丸ごとかじっていると、青虫になったような気分になってきた。
実際キャベツの中には、青虫が3匹くらいいて、いくつも穴があいていた。

「こいつは食えるのだろうか……」

空腹で朦朧となっていたベジータは青虫をつまんで、四方八方観察してみた。
それは、ちょっと透き通った黄緑色をしており、メロン味のグミに見えなくもなかった。
だが突然、冷蔵庫の中で仮死状態にあった青虫が外気にさらされて目覚め、ウニョウニョ!と動きだしたので、ベジータは悲鳴を上げて青虫を窓の外に放り投げた。
ウインナーは生のままで食った。

「本当に何もねえ……」

その後、戸棚やら倉庫やらを漁って見たが、見事に食糧が無い。
文字通り、空っぽだ。
ベジータは仕方なく、電話でウーロンを呼び出すことにした。ウーロンの電話番号はバッチリ暗記している。電話が通じるといくつか指示を出して受話器を置いた。
そして待つ事20分。

「な、なんの用だよぅ……」

殺すぞと脅され、大慌てでやってきたウーロンはカチカチに緊張していた。玄関のドアが開かれると、おびえた目でベジータを見上げた。
ウーロン自身はなんとなく、これから下される命令がどういう系統のものなのか予想がついており、迷惑千万だったのだが、ベジータを目の前にするとやはり恐怖が先立ってしまいおとなしく指示を待つ以外に選択が無かった。ウーロンの足を、玄関マットで何度も拭かせてから、ベジータはようやく中に招き入れた。

「今朝、ブルマが逃げやがった。家の中には食糧が全く無い。今すぐお前のポケットマネーで、食いものを買ってこい」

ウーロンは逃げられないように、しっかりと首輪をつけられていた。
予想を超えるハードルの高さの命令に、ウーロンは顔を青くした。
ウーロンは、基本的には、寄生的生物である。
ブルマの家で勝手に食べたり、カメハウスで勝手に食べたりと、フラフラ暮らしているものぐさな妖怪である。
自分で稼ぐ、という能力を磨くことはないし、また働くのをめんどくさがる面においてはベジータと一致している。
持っている現金といえば、変身術を使った路上手品ショーで稼いだ小銭ぐらいしか無い。
そんなはした金で、目の前の男の、ブラックホールのような胃を満たす量の食糧など買えるはずが無い。

「オレ、金なんて持ってねえよ~」

首輪の鎖を握っているのはベジータである。言い逃れは到底無駄だと判断し、ウーロンはブルブル震えながら、正直に自分の財布の中を見せて、己の貧しさを恥じ、改めて泣いた。
すると、ベジータはニヤリと笑って、首輪の鎖をチャラチャラと揺さぶり鳴らした。

「そんなに泣くなブタ。ならばオレ様にいい考えがある。ともかく外出するぞ。さあ、早く犬に変身するんだ」

張り倒されるか食われるかを覚悟していたウーロンは、呆気にとられてベジータを見上げた。ベジータは偉そうに立って、笑みながらウーロンを見下ろしている。

「い、犬……??」
「ブタを連れて歩くなどという無様な姿を、例え低俗な地球人の他人であっても、オレ様は見られたくはないからな。いかにも金持ちが飼ってそうな高級犬に変身しろ。色は黒だ。そして、いかにも金持ちが行きそうな高級スーパーマーケットまで案内しろ」
「ええ~!?なんでわざわざ犬なんかに……!オレを抱えて舞空すりゃ、誰にも見られず行けんじゃねえかよう!」

ウーロンが意見すると、ベジータの顔から瞬時に笑みが消え失せた。
次の瞬間、ズドーン!と部屋の明度が下がり、二人の居るキッチンが暗黒ゾーンと化した。夜よりも暗く感ぜられる部屋の、窓辺にかかるカーテンが、ウーロンの目には死神の衣のごとく不気味に映った。
ウーロンの尻の穴がキュッ!とすぼまる。
金玉も縮みあがりすぎて、内臓側にひっこんでしまった。
そしてビビりまくるウーロンの目の前で、怖ろしい咆哮があがった。

「なぜオレ様が貴様のような醜いブタを抱えて飛ばねばならんのだぁーー!!」
「ぎゃあああ!!」
「たかだか畜生類の分際でオレ様の舞空術にすがろうなど身の程知らずにも程があるぜ!!てめえは畜生らしくオレの言うとおりに動けばいいんだ!!さもなくばあそこにあるフライパンで」
「うわあああ!!やめてくれーー!!焼いて食うのだけはやめてくれーーー!!」
「じゃあさっさと犬に変身しろ。ブタ野郎」

ウーロンは泣きながら黒犬に変身した。
犬のスタイルが気に入らず、ベジータが2、3度姿を変えさせて、ウーロンは最終的に、精悍な大型黒犬となった。
二人は、CCを出た。

ペットと飼い主、という体裁で、街道を早足で歩く。
朝の出勤ラッシュは終わっていたが、それでも西の都である、人通りは結構多かった。
5分たつたびに路地に入り込み、ブタに戻って1分休憩、再び犬に変身して街道を歩く、という滅ッ茶苦茶めんどくさい道程を経て、二人は金持ちご用達の高級マーケットに到着した。
CCを出てから裕に一時間はかかっていた。

店に入ると、ベジータは一旦、個室トイレの中にウーロンを待機させた。
「逃げたら殺す」という脅し文句と、首輪の鎖を手すりに結びつける事を忘れなかった。
待機というより監禁に近かった。
ウーロンは寒気を感じた。

「オイ、小さな生き物に変身して逃れようなどと考えてるんじゃなかろうな?」
「に、逃げねえよ、逃げねえから、そんなに睨むなよ~」
「逃げたら本当に殺すぞ」
「ハイ……」

ウーロンが完全に逃亡の意思を失っていることを確認すると、ベジータはトイレから離れ、カートを押して店内をまわり、即席で食べられそうな食糧を山ほど積んだ。
それからまた、トイレに戻り、首輪の鎖を解いた。

「ど!どんだけカートにつめこんでんだよ!」

カートからポロポロ落っこちる商品を拾ってやりながらウーロンは叫んだ。

「レジが早く終わるよう同じ商品ばかり選んできた。さあ、お前の出番だ、ついてこい」
「えーと……、また犬に変身すりゃいいのか?」
「今度はブタのままでついてこい。他人のフリをして、少し距離をおいてついてくるんだ。逃げたら殺すからな」
「ひいッ」

レジに向かうまでの間、ベジータはウーロンにある作戦を説明し、指示を出した。

「げえ!?ちょっと待ってくれ、無茶だよ。オレ、そんな精密なシロモンに化けたことねえし、自信ねえよ!」
「黙れ。化けねばお前を殺す」
「勘弁してくれええ」
「命がけで化けるか、オレ様に殺されるか、今のお前に残された道はこの二つ……。とっとと覚悟を決めることだな」

その冷たい言葉に、ウーロンはたまらず泣き出し、心の中で思った。
一体、自分が何をしたというのか?
なぜ自分が、この男の奴隷として、好き放題利用されなければならないのか。
世の中とはこれ程までに不条理なものだっただろうか?
ドラゴンボールを集めたピラフ一味……そいつらから横取りした願い事、ギャルのパンティーの降臨が、今となってはダイヤモンド級の煌きをもって思い出される。
あのハチャメチャで平和な日々は、もう戻ってこないのだろうか。
ウーロンは、今自分がおかれている苛酷な現状に耐え切れるかどうか不安であった。
不安のあまりに悲壮の涙がとめどなくあふれ出てくる。
ウーロンがシクシクと泣いていると、偉そうに闊歩していたベジータが立ち止まった。
そして、ウーロンには振り向かず、静かに語りだした。

「……ブタよ。お前の身の上話は、ブルマから聞いている。お前は、あのヤムチャとかいうヤツにくっついているネコと同じ幼稚園で変身術を学んだのだと……。ブタであるお前は、その卑しい性分ゆえに園内で恥ずべき性犯罪をはたらき、途中退園させられた……。一方、あのネコの方は変身術を最後まで学びきり、見事卒園したというではないか。お前は在園中、ネコを虐めていたようだが、結果的には、お前とネコの間には大幅な能力の差が生まれてしまった。ネコはずっと変身を保っていられるのに、お前のタイムリミットはたったの5分。しかもネコは、普段から自然舞空をしているのに、お前ときたらただの飛べないブタだ」
「とっ!飛べるやい!コウモリとかハエとかになりゃオレだって……」
「それでも5分が限界なんだろ?あのネコとは雲泥の差だ」
「うう~~っ……うるせえっ!」
「しかもお前の経歴は、退園後もろくでもないものだ。お前、一時期妙なアイテムを使われて、ブルマの奴隷として働いていたんだってな?」
「なん…!?あいつそんな事まで喋ってんのかよ!」
「……こうしてお前の半生を振り返ってみると、なんとも無様で情けないものだ……。それほどの生き恥をさらして、よく太陽の下をのうのうと歩けるものだな」
「うるせえやい!なんだよさっきから、知ったかぶって偉そうによう!お前にオレの何が分かるんだよ!毎日一緒に暮らしたわけでもねえのによ!」

ウーロンはいつのまにやら泣き止んでいた。ベジータの言葉にすっかり腹をたてていた。ベジータは相変わらずウーロンには目もくれずに、ふんと鼻で嗤った。

「オレは、お前の何百…何千倍もの知的生命体を目にしてきて、数知れぬほどの命のやりとりをしてきた。だからちょっと見れば分かるのさ、お前がとるに足らん役立たずのゴミに分類されるってことをなあ」
「ゴ!?ゴミィ!?なんなんだよお前は喧嘩売ってんのかよーー!ちっくしょーバカにしやがって!いいよ見せてやろうじゃねえか、オレの変身術でド肝抜かしてやるからちゃんと見てやがれこんちくしょーーー!!」
「そうか?ではお手並み拝見といこう」

こうしてベジータの挑発にのったウーロンは一緒にレジに並び、商品の会計が終わるのを、怒り心頭でジリジリと待った。

「お会計、24万3千551ゼニーになります」

レジの女店員がにこやかに言った。 同じ商品ばかりを24万3千551ゼニー分も買う珍客に、不審な表情など毛程も見せない。若いが、相当訓練を積んでいるようだった。 ベジータがすかさずウーロンに目で合図する。
ウーロンは気合を入れると、ポン!とあるものに変身をしてベジータの左手に乗っかった。
それは、1万ゼニー札の束であった。
厚みからして、50万ゼニー分くらいはある。
それをベジータは、女店員に差し出して、

「釣りは要らん」

と言って、素早くレジを離れた。
あらかじめ用意していたでかい袋に、食品を一気につめこむと、サンタクロースのように背負い、スーパーの出口へと走った。
目を白黒させた女店員が、札束を持って追いかけてきた。
ベジータは店を出るとすぐに暗い路地に回りこみ、人目のつかないところまで行くと、CCの方角に向かって舞空した。
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