河童のトメ子
河童のトメ子は村一番の器量よしだった。
日本最古の河童一族「エモン族」が住まう、秘境の大池。
水面に浮かぶ蓮の葉の上で、今日もトメ子を慕う若い河童が、花束を手にして求愛をするのだった。
「トメ子よ、これを見ろ」
「なんだいそれは、見たことも無い花だね」
「驚いたか?これはな、『マモン』族の縄張りにしか咲かない『麗明蝶』という花だ。お前の皿を飾ってやるために、採ってきてやったんだ」
「マモン族だって!?そ、そんな危ない所に、お前一人で行ってきたのかい!?」
「ああ。だが、地上から行くは不可能だから、龍に頼んで運んでもらった」
「龍って……、私らより2つ上の高級眷属じゃないか!」
「徳玉を50個支払って、どうにか運んで貰ったぞ」
徳玉とは、眷属界に流通している貨幣のことである。
その名の通り、徳を積んだ者にしか授けてもらえない特別の貨幣で、これをたくさん持つ者ほど誉れ高いとして、河童界でも優秀度を表すひとつの指針となっていた。
「俺と付き合ってくれ、トメ子」
若い河童は花を手に、真剣に頭を下げた。
この若さで『龍の子タクシー』を使いこなすとは、大した河童である。
トメ子は感激し、二つ返事でその求愛を受け取った。
トメ子には悩みがあった。
美人のトメ子はモテてていた。だから男には常にちやほやされているのだが、たった一つ、心満たされない点があったのだ。
それは自分の思い描く、ファンタスティックな性交に恵まれないという事だった。
「トメ子は本当に綺麗だな。トメ子の前じゃあ、どんなに綺麗な花も負けてしまう。花の精霊たちは、きっとトメ子に嫉妬してると思うぞ?」
情事の寸前に、トメ子を褒め称え、寝床を素敵なものにしようとするのはこの若者も変わらなかった。
ここまでは良いのだ。
ここまでは良いのだが、いざ接触が下半身にまで及ぶと男側がだんだんおかしくなってくる。
どんな河童でも、「うおおおおおおおお!!」と野太い雄叫びを上げ始めるのだ。
トメ子の求める性交とは、背景に花が咲き乱れるような、美しい、しっとりと情緒あふれる睦み合いであるのだが、どんな河童もトメ子に挿入した途端に超弩級の雄叫びをあげてしまうのだ。
そして、感極まった男は決まって、
「トッ、トッ、トッ、トメ子おおおおおおおおおおおおお!!!!!」
と大絶叫をはなって果てる、という醜態をぶちまけるのだった。
どんな男でもこうなってしまった。
なぜなら、トメ子の下半身が、名器すぎたからだ。
河童界にとどろく『中秋月夜の怪・女斬り1000人伝説』をひっさげる、稀代の性豪とうたわれた河童の六兵衛でさえ、トメ子の名器の前では、情けなく悶絶して5秒ももたないという醜態をさらした。
後に六兵衛は、この失態を恥じて満月の夜に割腹自殺してしまい、それ以来トメ子に肉体関係を持ち込む河童は激減してしまった。性豪の六兵衛が自殺した事により、『トメ子の身体には怪物が住んでいる』という、暗い噂が広まったためである。
そんな噂がなんぼのモンだと意気込んで、トメ子に求愛してくる者は年に二人ぐらいは居るのだが、その者たちも決まって事の終盤には「トッ、トッ、トッ、トメ子おおおおおおおおおおお!!!!!」と情けない絶叫と共に早漏してしまい、失敗を恥じて退散してしまうので、トメ子と長く付き合える河童は居なかった。
トメ子は自分の身体が呪わしく、己の名器を忌み嫌っていた。
けれども、今度こそはいけると期待しながら、トメ子は、この若い男を抱きしめた。
今度の男は違うのだ。
龍に徳玉を50個も払った男……それはきっと辛抱強く冷静で、精神力の強い男であることが想像できる。
名器に負けて、男の芯を折るような情けない河童ではないはずだ。
トメ子は胸を熱くしながら股を開いた。
今度こそうまくいく。
そのままちゃんとしたお付き合いが出来て、もしかしたら、念願の結婚ができるかもしれない……。
トメ子の頭の中に『麗明蝶』の赤いはなびらが、雪のごとく舞い落ちる。
そうして夢心地でいるトメ子の中に、男が突き刺した瞬間。
『麗明蝶』のはなびらが、四散し、ゴミのように潰えてしまった。
「トッ、トッ、トッ、トメ子おおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
エモン族の住まう大池に、若い男の大絶叫が響き渡った。
トメ子の鼓膜は、一発で破れた。
鼓膜が破れるのは、これで51回目である。
今回も駄目だった……。
男が情けなく退散した静かな寝床の中で、トメ子はひとり涙を流した。
◇
翌日、消沈しているトメ子のもとに、幼なじみのサチ江がやってきた。
「元気出しなよトメ子。ほら、面白いもの見つけてきたよ?」
そう言ってサチ江が渡してきたのは、薄汚れた紙束だった。
紙面の上のほうに『東京スポーツ』と書かれていて、大きな赤文字と小さな文字と写真で構成された人間の読み物だった。
トメ子はふうっと溜息をついた。
「あんた、また里に下りてこんなの拾ってきたのかい?危ないことをするんじゃないよ、人間の世界に行くだなんて……」
トメ子はサチ江の行動の危なっかしさに呆れながらも、『東京スポーツ』を広げていつも読んでいるコーナーを探した。この読み物の中には、たまに同類たちが人間によってスクープされるという記事があり、そのみっともなさは下等眷属である河童族にとってはちょっとした娯楽でもあった。トメ子もサチ江も、ライバルの河童族である『マモン族』のスクープを心待ちにしているのだが、彼らもやはり、河童である。ドジを踏まずに人間の目から逃れて、しぶとく生きているようだ。
今日はUMAのコーナーで、眷属界でも下位のほうの浮遊系、『モメン龍』が空を飛んでいる所をスクープされていた。
「ああ、ドジだねえ……。しかも人間に変な名前つけられちゃってるよ……『妖怪くねくね』だって。くねくねは案山子の付喪神なんだよ、何も分かってないね人間は」
トメ子が呆れながら言うとサチ江は過去の東スポを出してきて、「同じやつが去年もスクープされてるよ」と言って、楽しそうに笑った。
「はあ~、モメン龍って、本当~にドジだよねえ~」
「こいつら霧の身体をしてるから、絶対に捕まらないし、隙が多いんだよ」
「私がこんな風に人間の新聞に載ったら、恥ずかしくってとても生きていけないけどね」
「モメン龍に比べたら、私ら河童は立派なモンだよ」
「まあね」
「だからトメ子も立派だよ?河童はみんな立派な生き物なんだから、元気出しなよ」
サチ江はそう言って、トメ子の頭の皿を優しく撫でてきた。
「ほらほら、村一番の鏡と呼ばれる、綺麗な皿が曇っちゃってるよ?落ち込まないでトメ子」
昨夜の事を言われているのだと思い、トメ子は恥ずかしくて赤面した。
「サチ江、私、結婚出来ないかも……。だって、やるたんびに、男にあんな叫び方されて、村中に響き渡るんだもん、恥ずかしくってやってらんないよ……」
「別にトメ子の声が響くわけじゃないし、いいじゃない」
「良くないよ!『昨夜コイツらやりやがったんだ』とか思われるの、私イヤだよお!」
「私たち仲良しなんです!とか言っておけばいいでしょ?」
「無理無理、そんなふうにはなれないよ。私はもっと、奥ゆかしくありたいんだよ……」
「少女漫画読みすぎだよ」
「だって、あんたが里で拾ってくるからさあ!花とゆめとかマーガレットとかさあ~~!」
「ふふ」
「ああ、バックに花が咲くみたいな、ロマンティックな性交をやってみたい……」
「まあ、男はこれからも生まれてくるから、運命の河童を待つのもいいんじゃない?私らの寿命は長いからさ」
サチ江は軽い口調で言ってのけた。
サチ江は人間界の情報収集に生きがいを感じている河童であったので、トメ子の恋愛苦悩を聞いても深く共感してくれる事は無かった。でもそんな態度が、トメ子にとっては気楽でもあったし、珍しい人間界の情報を一番に知らせてくれるから、重い悩みから目をそらせる機会となってトメ子の心を軽くしてくれる、ありがたい存在でもあった。
ある日、トメ子に運命の出会いがおとずれた。
蓮の葉の上に座り、頭の皿に月光を浴びせている時のことだった。
「女が、月なんか眺めちゃ駄目だ」
突然後ろから声をかけられて、振り向くと、大池のほとりに一人の男が立っていた。
トメ子は驚き、歯がみした。
それは人間の男だったのだ。
気配に気づけなかったのがショックだった。人間の匂いや気配には、50メートル離れた所でも察知できるぐらいの感覚を河童なら持っているのに、何故かトメ子は気づけなかったのだ。
どうしよう。殺すか。写真でも撮られていたらおしまいだ……
先祖からの言い伝えの、人間共による一族狩りの話を思い出す。
この大池に人間が殺到したら、河童族は生きられなくなってしまう。
「見たね……悪いけどアンタを、生きて帰してはやれないよ!」
トメ子は鋭い鉤爪を剥き出すと、蓮の葉を身軽に伝って、男に接近した。
男は肩までの金髪を夜風になびかせ、物怖じもせずにトメ子を見ていた。
「すげえな。河童って、マジで居るのか」
「おだまり!」
シャッ!と腕を振り、男の首をかっ斬ろうとしたが、読まれていたのか難なく躱されてしまった。
「あっ!」
トメ子は男に腕を掴まれて、簡単に地面にねじ伏せられてしまった。
「は、はなせッ!仲間を呼ぶよ!」
「月なんか眺めてるから、機嫌が悪くなるんだぞ」
「黙れド腐れ!汚い人間ごときが!眷属の身体に気安く触るんじゃないよ!」
「ずいぶんな言い草だな。お前がひどく寂しがってるように見えたから、声をかけてやっただけなのに……」
男はツッとトメ子の頬に人さし指を当てて、悲しそうに言った。
その時トメ子の胸の中に、ドキッという音と共に、真っ赤な火花が散った。
「夜中に、女が独りで月を眺めてんのは、たいてい深い悩みを抱えている時だ」
「う……」
男は慣れた感じで、トメ子の頭の皿を撫でてきた。
こんなに優しい『撫で』は、今までにどの河童からも受けた事はなく、トメ子はその心地よさに、目を閉じて感じ入った。
気を良くしたトメ子は、池のほとりに男と並んで座り、日頃の悩みをつらつらと打ち明けていた。
「そんな感じで、男はみーんな私の名器でヘンテコになっちゃうんだよ……あんなに叫ばれたら村中に響き渡っちゃう。恥ずかしいよ私は。こんな身体に生まれたくなかった……」
洗いざらい話せるのは、相手が河童ではないからだ。
遠い存在の人間だからこそ、トメ子は正直に悩みを打ち明けられたのかもしれない。
「トメ子は悪くないぞ?」
男はバカにすることなく、トメ子を元気づけてくれた。
微笑みながら話を聞いてくれるこの男に、トメ子はすっかり心を開いていた。
「私、この先どうしたらいいの?こんな名器じゃ、一生結婚できないよ……」
「そんな事はない。そのサチ江ってヤツが言ったとおり、きっと運命の河童が現れるはずだ、焦るなトメ子」
「でも……でも……」
「そうやって、女が夜に月を眺めるのは良くない。独りというのも、良くないな」
「私がこんな名器に生まれてなけりゃ、いまごろ普通に結婚して、子どもにも恵まれて……」
「自分を憎むなトメ子。月なんか見るな。遠くばかりに憧れてないで、自分をもっと見てあげるんだ」
男は懐から何かを取り出し、トメ子に手渡した。
見ると、それは蓋付きの小さな手鏡だった。
「俺は、トメ子のほっぺは可愛いと思ったぞ。トメ子はどうだ?自分の可愛い所、どこか分かるか?」
トメ子は、初めて目にする鏡を興味津々に観察した。
その中に映る自分の顔を見てみると、寂しそうな女の顔が映っている。
「分からないよ……なんか、凄く寂しそうな顔してる……それしか見えない」
「そうか。お前は、どんな顔が映ってて欲しかったんだ?」
「もっと……ニコッとしてて、余裕があって、バックに花が咲くみたいな明るい女の顔が良かった……」
「じゃあ、そんな風に生きてみればいいんだ」
「そんな事言われても、どうしたらいいか……」
トメ子がうなだれると、男は、頭の皿を優しく撫でてきた。
「笑ってくれトメ子。笑ってくれなきゃ、俺はここから立ち去れないだろ?俺がトメ子にしてやれる事は、何か無いかな……」
皿を撫でられると気持ちよくて、トメ子はふにゃふにゃにとろけてしまった。
「私さあ、一度でいいから、絶叫されずにつながってみたいよ……。バックに花が咲いてるみたいな、綺麗な静かな性交をやってみたい……」
トメ子は目を閉じて、漫画の中で花を背景にして抱き合う男女の姿を思い出し、涙をにじませた。
「そうか」
男は静かに呟くと、いったんトメ子をはなして、再び懐から何かを取り出した。
シュッと霧を吹く音が鳴った。
たちまちのうちに、周辺一帯が花の芳香に満たされた。これが人間界にあるという『香水』なのだと、トメ子にはなんとなく分かった。
だがトメ子の嗅覚は鋭かったので、それは単なる香りを超えてしまった。自分をそっと抱きしめてくる男の背景に、大輪の紅蓮花がつぎつぎと開いてゆく美事な幻影が見えたのだった。
「一度でいいんだな?」
男は、夜風に金髪をなびかせながら、真剣な面持ちでトメ子にたずねた。
再びトメ子の胸がドキッと鳴り、赤い火花が飛び散った。
今から、この男に抱かれるのだと悟った。
けれども相手は人間だ。人間とまぐわう河童の話など、トメ子は聞いたことが無い。
『未知の世界』という言葉がトメ子の脳裏に走り、とても怖くなってきた。
「わ、私は河童なんだよ?分かってるのかい?」
トメ子は、手の水かきをいっぱいに広げて男を押し返したが、まるで力が入らなかった。
「分かってるさ、でもトメ子は河童の前に、一人の女だろう」
静かだったが、男が真剣に返してくる言葉には、強い力がこもっていた。『一人の女』というその言葉に、トメ子は胸がギュッと熱くなり、ほろほろと涙がこぼれた。
「トメ子、俺はな、女を喜ばすために生まれてきた男だ。人間だろうが河童だろうが、醜かろうが年寄りだろうが、俺には全く関係無いことだ。目の前で苦しんでる女を、少しでも喜ばせ、月から離して太陽みたく笑わせるのが俺の喜び――これは天命だと思ってる。トメ子、お前の天命はなんだ?」
「私の天命……そりゃ、結婚して、元気な子どもを沢山産むことだよ……」
「本当にそうか?お前は単なる河童の決まりに、従ってるだけじゃないのか?」
「お、掟は大事だよ!掟をやぶっちゃ、河童族は衰退してしまうじゃないか!」
「お前は、一族のためだけに生きてるのか?」
「え、でも……、そうやって、ずっと教えられてきたから……」
「そんな掟、俺の前では忘れろ。月なんか見るな。俺の背後に花は見えるか?」
「う、うん、たくさんの花が咲いてるよ」
「なあトメ子。お前はもしかしたら、ただ花のように笑うために、この世に生まれてきたんじゃないのかな……」
男はそれきり黙り込んで、静かに静かに、トメ子を抱いた。
こんなに静かな、花に囲まれた美しい睦み合いが、世にあるのか。
終わるまでトメ子は、絶叫に耳を潰されることは無かった。
この月夜、トメ子は、人間の男の手によって生まれて初めての『イキ』を知ったのだった。
トメ子、笑え。
何も心配するな、安心して笑え。
お前は男が、何から力を貰えるか、知ってるか?
それは、そばにいる女がいつだって笑ってくれることなんだよ。
俺はな、母親も姉さんも妹も泣きながら生きてるのを見てきて、これじゃ駄目だと思ったんだよ。
女が泣くと、世界は滅ぶ。
女を笑わせる為に、男が色んなものを開拓し、作り出すから。
それを楽しんで、女はもっと笑ってくれ。
女が笑うと、俺たち男は生きる勇気が貰えるんだ。もっと楽しい何かを生み出したくなるんだ。
トメ子、自分を嫌うな。
自分を憎むな。
自分の身体を恥じるな。
必ず出会えるぞ。お前に合う相手が必ずお前の前に現れるから。
それを逃さないように、お前はお前の全てを大切にして、愛おしみながら生きろ。
自分を世界一の女だと信じて、誇りを持って生きろよ。
池の水面には大きな蓮の葉がいっぱいに展開していた。
朝を待つ花たちは、まっすぐに茎を伸ばし、白い花弁をロウソク状に閉じながら眠っている。
立ち去った男の体温を感じながら、トメ子は余韻にふけっていた。
もう行く、と言われたとき、トメ子は男に名をきいた。
男は少しの間迷っていたが、やがて静かに名乗った。
「蓮上麗、蓮の上のうららで、れんじょうれいって読む」
「人間界で流行の、キラキラネームってやつかい?」
「お前……よく知ってるな。ははっ……そうだな、キラキラネームってやつだよ。でもこの名前に俺は賭けているんだ……。トメ子、お前を抱いたこの夜の事は忘れない。河童を抱いた男なんて、この世に二人と居ないだろうな。俺も、もう少し……もう少し頑張って生きてみるから。……さよならトメ子……」
それから日が経った。
トメ子の日常は変わらなかった。
それからも河童に告白されて、性交を試みるのだが、やはり「トッ、トッ、トッ、トメ子おおおおおおおおおおおおお!!!!!」と絶叫されるのは変わりなく、トメ子は自分の名器を恥じるばかりだった。
「運命の河童なんて、本当にいるのかな……」
この日もトメ子は消沈しながら、サチ江が拾ってきた東京スポーツを雑にめくっていた。
その中の、ニュース欄。
ふと覚えのある言葉が見えたような気がして、トメ子は一枚めくり直した。
「あっ……」
トメ子は目をむいて、その小さな事件記事に食い入った。
紙面のかたすみに、『蓮上麗』という言葉があった。
その上に、小さな顔写真が白黒で掲載されていた。
あの月の晩に会った男の顔だった。
『蓮上麗』という名前の隣には〝源氏名〟とあり、文頭には〝松浦道彦〟という名と年齢が記されていた。
トメ子は夢中になって文面に目を走らせた。
……〝変死体で発見〟……〝ホストクラブ〟……〝借金〟……〝トラブル〟という文字が次々と目に入ってきて、トメ子は、あのときの男が、誰かに殺されてしまったのだと知った。
「人間の世界じゃよくある事件だよ」
慌ててサチ江にその記事を見せると、サチ江は平然と言ってのけた。
「人間の世界じゃお金が全てなんだよ。お金を上手く稼げない人間はまともに生きてはいられない、そういう世界なんだよ人間界って」
「なんでそんな……河童の私たちは、お金が無くても生きていけるよ!?」
「人間が自分たちで、そういうお金のルールを作ったんだよ、何故は知らないけどね~」
「……そんな」
「ああ、ホストねえ~。すごく危ない世界みたいだね。私、そんな漫画を拾って読んだことあるよ。ヤクザがすっごい怖いやつ!トメ子も読んでみる~?」
池の上には白い蓮の花が満開となっている。
トメ子は、月の夜には必ず蓮の葉の上に上がる。
女が月なんか見てはいけないと叱られた。
だから月夜にこうして蓮の上に上がればまた叱りに来てくれるんじゃないかと思ったのだ。
「運命の河童なんて出てこないよ、嘘つきホストめ……」
トメ子は月にむかって呪詛を吐いた。
もう一度会えたらいいなと思った。
黄泉の国にいけば死者に会えるという伝説を調べてもみたが、その為には、龍の5つ上に存在する神に、徳玉を10000個捧げなければ叶わないという話だった。
トメ子には、不可能な数だった。
月夜になればトメ子は思い出す。
あの男が言っていた言葉のひとつひとつを思い出す。
貰った手鏡は宝物となっていた。
自信を無くした時は、トメ子は独り、月の下でその鏡を見つめるのだ。
私の可愛いところはどこだろう?
誰も教えてくれないけれども、ひとつ見つけては、頑張って笑顔を作って、それを月にむかってつぶやくのだった。
それがあの男の成仏を助けるはずだと、一生懸命に信じ続けた。
トメ子の想いは強かった。
男に対する想いは、大池に群生する蓮に伝わり、白かった花々が全て紅色に変わったのだ。
トメ子は生涯、結婚することは無かった。
トメ子が旅立ったあとも、エモン族の大池には紅色の蓮の花が咲き続けた。
河童族で最も蓮の花を愛し続けた女、トメ子。
残された一族は、その大池に〝紅留め池〟という名をつけて、トメ子の冥福を祈ってやった。
終わり
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