戦闘民族メメメ人
それは女体化したベジータだった。
おとぎの国の物語に出てくるような、王族っぽい雰囲気をしていて、齢は15~16の頃である。
飾りの宝石はなく、化粧もほとんどなかった。唯一の化粧といったら、目尻のところに細く朱がさしてあるだけだった。
「貴様がオレの従者としてふさわしいかどうか、直々に検分してやるから感謝しろ」
完全に男の言葉だった。
けれども声音は少女のもので、細いプラチナの弦を弾いたような高く透明な響きを持っていた。
「貴様の持つ能力とは何だ?オレを満足させるために、何ができるのかを簡潔に説明しろ」
「はい、わたくし、ヤムチャは」
ヤムチャはかしこまりながら、階上の黒マントの麗人に顔を向けた。
氷のごとく冷たいベジータの双眸に、真剣なまなざしを投げかける。
「世界に名をとどろかせる稀代の武道家、武天老師さまから直伝された亀仙流の武術を極めた者です。もしも敵国が攻めてきた時、このヤムチャが命をかけてあなたの身をお守りします」
「それは心強いな」
女体化ベジータは一瞬笑みを見せたが、すぐに冷たくにらみつけてきた。
「だが今、我が王国には脅威というものが無い。平穏そのものだ。そして貴様のように武を誇る従者は他にも腐るほどいる。いつ役に立つとも分からん穀潰し共を抱えて〝余っている〟状態にある。これ以上、武人は要らん。失せろ」
「武道以外にも、お役に立てることがございますよ」
階上に上がろうとしたベジータが、ガラスの靴の足をピタリと止めた。
「それは何だ」
ベジータはゆっくりと振り向きながら訊いてきた。
ヤムチャは胸に手を当てながら真剣に訴えた。
「曲芸でございます。わたくしヤムチャは、人を楽しませる芸術にも長けております。あなたを退屈させない自信があります」
ベジータは少し首を傾げ、あらぬ方向に視線を飛ばした。
そして、手の中のものを大切そうに撫で始めた。
よく見るとそれは、手のひらサイズの猫ちゃんのぬいぐるみだった。
「曲芸だと。つまらん。見るからに凡人の貴様がやる事だ、おおかた予想はつくしオレはそんなモノには興味が無いぜ」
「わたくしが直接披露するのではなく、配下に命じて曲芸を披露させます」
「配下だと。貴様は庶民の分際で配下など従えているのか?」
「配下というより、『友』です。今日は連れてきておりませんが、わたくしには絶大な信頼を置く魔道士のプーアルという友がいます。彼が、見たこともない曲芸を見せて、あなたを満足させる事をお約束します」
「〝魔道士〟とは胡散臭い。どうせ催眠術で幻覚を見せるとか、その程度の人間なんだろう」
「いいえ、催眠術ではなく、プーアルが使うのは変身術です。そしてプーアルは人間ではありません、猫です」
ぬいぐるみを撫でる手をピタリと止めて、ベジータは何度かまばたきをした。
ゆっくりと視線をヤムチャに向けてくる。
少し驚いているようだった。
「……猫だと?」
「ハイ、猫です」
「……そいつは、このぬいぐるみよりも、フワフワした猫か?」
ベジータは急に前のめりになって、そのぬいぐるみを見せつけてきた。
ヤムチャは、笑みを浮かべて大きく二度うなずいた。
「ハイ、そのぬいぐるみを百倍フワフワにしたような可愛い猫です。言葉遣いは丁寧ですし、たくさん褒めてくれる奴なので、一緒に居ると気分がいいです。そして一級の魔道士でもあります。控えめに言って最高の猫です」
これを聞いたベジータは、目を見張りながらしばらく硬直していた。
やがて、長くため息をつくと、猫ちゃんのぬいぐるみを手の中に包みこみ、コソッと盗み見るような、何かを問うような透明なまなざしをヤムチャに向けてきた。
「ヤムチャとか言ったか」
「ハイ」
「貴様にもう一度チャンスをくれてやる。三時間以内にその猫を連れてこい。そしてオレの目の前で曲芸を披露して見せろ。それが面白ければ貴様とその猫を、オレの従者として召し抱えてやる」
「本当ですか」
「なぜ最初から連れてこなかったのだ」
「申し訳ございません。城の門のところに〝動物の連れ込みは不潔なのでご遠慮ください〟と注意書きが……」
「そんなもの、小さな物体に変身させて服の中に隠し持つとか、いくらでも方法はあるだろう。頭を使いやがれ」
「申し訳ございません。考えましたが出来ませんでした。なぜかと言うと、尊敬すべき王族のお方に嘘をつくのは、汚い行為のように感じられたからです」
「ふん、まあいい。待っててやるから、早くその猫を連れてきやがれ」
「ありがとうございます、ベジニャン王女」
…………
…………
「ぶわあッ!」
ヤムチャは体を跳ね起こした。
クワッ!と開いた目の前には、暗闇が広がっていた。
しばらく動けずにいると、だんだん目が慣れてきて、そこが自分の寝室なのだと分かってくる。壁の時計を見ると、午前3時をさしていた。
デデデデデ、と心臓が鳴り続けていた。
胸に手を当てると、寝間着がじっとりと湿っていた。額にはうっすらと汗がにじんでいて、背中は運動後のように汗でびっしょり濡れていた。
「……なんだ……今の夢は」
ヤムチャは、深夜の寝室の中で独り目を泳がせた。これを聞いてくれる者も、答えてくれる者も居なかった。相棒のプーアルは置き手紙を残したきり、まだ帰ってきていない。
「昼間に、色々とありすぎたからかなあ……?」
ふーっとため息をついて、首筋を撫でた。
突飛な出来事が多すぎたから、夢に現れてしまったのだろうな……と結論づけて、再び眠りにつこうとした。
けれども、なかなか眠れなかった。
熱帯夜の暑苦しさもあったが、ヤムチャの眠りを最も妨げたのは、居間から聞こえてくる宿泊者の声だった。
つまりは、ベジータのバカデカい寝言であった……。
「殺すぞ、殺す、殺す、殺す」
「そうやって脳天気な面ができるのも今のうちだ」
「絶対に貴様を殺してやる」
「タッパでオレより勝ってるからと言って、調子に乗るなよカカロット」
「お前それッ……!そんな紐がパンツと呼べるかバカヤローー!!もっとまともなパンツはきやがれーーー!!」
「待てよ?ドラゴンボールがあれば、オレさまの超化の件は解決できるのではないか……?あの豚さえ……あの豚さえ居なければ……。くそったれが!しょうもない願い事で神龍の無駄使いしやがってーーー!」
「ふぇてぃしずむ……?なんなのだ、その不気味な言語は?まったく地球人ってヤツは、どこまで堕落してやがるんだ……」
「やはり殺すかあの豚。闇ルートで高く売れるかもしれんしな」
「だから……!!もっとマトモな格好が出来んのか!?真っ昼間からパンツをチラチラ見せてくるんじゃねえクソ女ぁーーーー!!!」
「……瞬間移動って、なんだソレ。異星の他民族の技をパクっただけで、それは貴様の真の実力とは呼べんと思うがなあ……。いちいち見せつけて自慢してくるんじゃねえこの下級がーー!!貴様がサイヤの戦士などとは、オレは絶対に認めんからなあ!!絶対にだぁーーー!!」
「超える、超える、超える、絶対に超える」
「……なぜオレはサイヤの末裔に産まれてしまったのだ……しかも王族の血を引く特別階級ときた……オレもあの黒猫に産まれてこればこんな苦悩を抱えずに済んだのだろうか?……もう疲れた……オレも猫になりたい……」
「オレは貴様とは違う。なぜならオレは王子だからだ。他民族の技をパクるなんて情けねえ真似は死んでも出来んぜ。オレはオレのやり方で超えてみせるぞ。真のサイヤの誇りってヤツを見せてやるから、よーく見てやがれカカロット……くくく」
……普段はおそらく、心の内に秘めているであろうベジータの苦悩と悟空に対するコンプレックス……
それらがモロに表出したような寝言を聞かされるうちに、ヤムチャが思い出すのは界王星での修行であった。自分ひとりだけ、あの修行においては遅れを取っていた。悔しさや焦りで悶々と悩んでいた界王星での生活。それがちょっぴり、今のベジータの苦悩と重なりあう感じがしてくる。
寝言はうるさくて迷惑級のものだったが、同情心の方が勝ってしまってヤムチャはセンチメンタルな気分になった。なんとかしてやれないものかと、ベジータを手助けしたい気分がわいてくるのだ。
ヤムチャはベジータの苦悩の声を聞きながら、暗い寝室の中、独りで考えこんでしまった。
…………
…………
「今日はプーアルとかいう猫は居ないのか?」
「ハイ。レベル99の魔道士資格を取るために、南部変身幼稚園というところに行ってます」
「オレさまは退屈だ」
「では、このヤムチャが面白い話を披露しましょう」
「そんなもの要らん。……なあヤムチャよ。西の王国にはこの世で最も美しい王女が居ると聞く。その王女のもとには結婚の申し込みが絶えず、求婚者が殺到しすぎて城門の前で殺し合いが勃発し、毎日死人が出ると聞いたことがある。貴様は西の王女を見たことがあるか?」
「ございます」
「その王女は、本当に美しいのか?」
「ハイ。噂になるだけあって、大変に美しいお方です。そして、世にも珍しい青い髪を持っておられます」
「オレには、そんな特別なものは無い」
王女の顔に、一瞬、陰が落ちたように見えた。
ヤムチャはハッとして王女の黒瞳に注視した。ヤムチャからそらしたその瞳には、静かな憂いが宿っていた。
王女は王座のひじかけに少しもたれかかり、広い王間を照らす硝子玉の照明光を見上げながら、とつとつとつぶやいた。
「見ての通り、平凡な黒髪で、どこにでも居るような姿をしている。こんな姿で王女を張っているのだから、他国からはバカにされているのだろうな」
「なにをおっしゃいます」
「突出したモノが無いオレを見て、本当は貴様もバカにしてやがるんだろう?」
「なにを……、あなたはこの世で最も賢い王女であらせられます」
「賢さなど、それが発揮できる状況が無ければ全く意味が無いものだ。今の王国には戦というものが無いだろう。オレは一体、なんのためにここに存在しているのだ?」
「いつかは戦争が起こるかもしれませんよ?争い侵略するのが人間の性であり、この世の常なんですから」
「いつだ、それは」
「いつ、と申されましても」
問われたヤムチャは目を泳がせた。
そんなことはヤムチャには分からなかった。
だが王女を元気づけるために、脳内をさぐって一生懸命に言葉を紡いだ。
「いつかは分かりません。でもいつかは……二世代、三世代先にはそのような事がこの王国にも起こるのかもしれません。そう考えると、あなたには王女としてのつとめがしっかりと……」
「それは分かっている。父王の遺言で、この血を絶対に絶やすなと厳命されているからな。必ず子孫を残せと。しかし、なぜかオレのもとには結婚を申し込む者が現れんのだ。従者になりたがる輩は居ても、結婚を挑んで来る者が居ない。それはなぜだ?」
「……それは……」
「やはり、オレには西の王女のような美しさが無いからだろう?」
「そ、そんな事はありません!あなたは十分に美しくていらっしゃいます!」
「信用できんな」
「間違いなく、お美しいお方だと思います!みなが求婚に踏み切れないのは、あなたの賢さに畏怖を覚えているからでは?」
「貴様はオレを……美しいと思うか?オレは女としての価値を、十分に持てているのか……?」
「もちろんですとも!」
「では、その証明を寄越せ」
「え?」
「貴様にとって、この世で最も美しい女だという、証明を見せてみろ」
王女はけだるげに王座から立ち上がると、ゆっくりと硝子の靴を脱いだ。
そして、王間の床にひれふすヤムチャの目の前に、白い裸足をニョキッ!と伸ばしてきた。
「本当にオレを美しいと思うなら、オレを褒めそやしながら、この足を舐めてみろ」
神の座に君臨するかのような佇まいで、ヤムチャに命令を落としてきた。
突然のことに驚き、ヤムチャは逡巡してしまった。
「……どうした、口だけか。やはりオレには美しさも魅力もない……貴様にとってはゴミクズレベルの女と言う訳か」
自嘲を含んだ冷たい声が、頭上から降ってくる。
この言葉にヤムチャは絶句してしまった。
すぐに胸がつぶれるほどの激情にかられた。
なんだかよく分からない感情だった。よく分からないが今すぐに王女を抱きしめ守ってやりたいような気分が襲ってきたのだった。
ヤムチャは飛び降りる覚悟で王女の裸足を手に取った。
ビク!と王女の足が震えた。
頭上で、静かに息をのむような気配があった。
ヤムチャは目頭を熱くし、目の前の可愛らしい足の爪をジッと見つめながら、
「庶民のオレなんかが、あなたのような高貴の……ッ!!この世で最も美しいお方の、足を舐めさせてもらえるなんて……!!このようなことは七世代先まで語り継がれるほどの光栄です!!今のオレは世界一の幸福者ですベジニャン王女ーーーー!!!」
…………
…………
「ぶわあーーーーーー!!!!」
ヤムチャは絶叫しながら体を跳ね起こした。
クワッ!と見開いた目の前には、薄明かりに照らされた寝室の壁があった。
ドクッ!ドクッ!ドクッ!と心臓が打っていて、血の熱塊が喉から飛び出るようだった。
「………………」
全く言葉が発せなかった。
ガッチガチに固まった首を動かし、時計を見てみると、朝の6時を過ぎている。
「なんだ今の夢は……」
ようやく言葉を発すると、声がカサカサにしわがれていた。
今見た夢を分析する余裕も無いまま、とりあえず顔を洗うことにした。
寝室から出る際、窓の外から何かの鳴き声が聞こえたような気がした。鳥類の声だろうか。
洗面は、居間の向こうにある。
ソロソロと忍び足で歩いてゆくヤムチャ。
居間に眠る宿泊者の事を意識すると、自分の姿を見せてはいけないような変な罪悪感に襲われたからだ。
ベジータは起きていた。
起きて、居間の窓際に胡座をかいて、じっと窓の外を見つめていた。
ヤムチャは声をあげそうになった。
後ろ姿だけでも分かるのだ。
ベジータの女体化が、昨日と比べものにならないぐらいに進んでいた。
ケツまわりが立派になって、餅のように丸みを増している。
小柄だけど、私、あなたのために元気な赤ちゃんを生んでみせます
と、笑顔でこちらに語ってくるような、大人っぽいケツをしているのである。
この分では、前もすごいことになっているのではないかと、ヤムチャは予想し、不安感と絶望感が増してきた。
この女体化の進行は、おそらく寝言で複数人の悪口を言いまくった影響なのだろうなと思った。
(……やばいような気がする……)
洗面に引っ込み、何度も顔を洗ってから鏡を見つめた。
鏡の中には、心底困り果てて、眉尻を下げた情けない男の面があった。
(このままベジータとずっと一緒に居るのは、やばいような気がする……)
何がどうやばいのか、ヤムチャは自分でもよく分からなかった。
今の気分を的確に把握し、客観し、分析する事が全く出来ないのだった。
とにかく、心がざわついて仕方ない。
とてつもなく嫌な予感がするのだ。
(……ふたりっきりというのが、やばいような気がするな……)
ふーーっと、強く息を吐いた。
もうこうなったら、心を鬼にしてベジータを追っ払うしかないと思った。
「おい、ベジータ。お前いいかげんにしろよ?」
ヤムチャは声を張って、窓際のベジータに言った。
「お前、男なら腹をくくれよ!CCに帰って、ブルマに謝ってこい!オレはこれ以上お前の面倒見るのはお断りだからな!」
大きな声で言ったそばから、ヤムチャの胸中にはなんともいえない『痛み』が生じた。
ベジータは、なんとなく元気のない背中をしていた。
急に女体化が進んでしまって、やはりショックなのだろうか。
「オレはCCには帰れない」
ベジータは小さな声でつぶやいた。
「もはや、謝るとかどうとかの問題ではない。それ以前に、オレはあの女に近づけんのだ」
「なんでだよ?」
ヤムチャは、腰をかがめて、小さな子供にたずねるような優しい声でたずねた。
……どうにも駄目である。
今のベジータに対して、ヤムチャは厳しい態度を貫けない。
「言えん」
「…………」
「口が裂けても言えんな」
「なんか罠でも仕掛けられてるのか?」
「……罠。……そうだな、そんな感じかもな」
「どんだけブルマを怒らせてんだよ、もう……」
「オレとあの女は相性最悪なんだ」
「まあ、そのあたりはお前らの問題だし、オレは何も言えねえけど」
「どうすりゃいいんだ……オレはこの先どうなっちまうんだ……うう……」
「…………」
ヤムチャはベジータのそばにしゃがんで、黙り込んでしまった。
追っ払う事が出来なかった。
今のヤムチャの脳内には、ひとつの残像がちらついている。
階上に端然と立つ、黒マントを羽織った硝子の靴の麗人―――
やがて、外からギョリギョリギョリと耳障りな音が聞こえてきた。
ヤムチャは背を伸ばして窓の外を見た。
遠くのほうに、こちらに向かって突進してくる生命体が見えた。
よく見るとそれは一匹のサンドドラゴンだった。
「あっ」
ヤムチャはガバッと立ち上がった。
昨日のサンドドラゴンは雄の尻尾を持っていた。
そして今こちらに突進してくるサンドドラゴンは、雌の尻尾を持っている。
「まずい、ツガイになってたのか!」
ヤムチャは、このとき、ある事を思いついた。
今抱えるベジータの問題、自分の問題からくる心理的負担を、一時的にだが緩和できるかもしれない場所を思いついたのだ。
「出かけるぞベジータ!」
「どこへ行くんだ」
ベジータはヤムチャに振り向いてたずねた。
顔が、さらに女体化を極めていた。ちょっととんがったクールな少女みたいだったのが、年齢が進んで『美女』の域にまで到達している。
ヤムチャはドギマギする気持ちを必死に隠しながら、窓の外を指さした。
「あのサンドドラゴンは、ツガイを失って探し回ってる。ツガイを殺したのがオレたちなのだと分かれば、襲いかかって殺しにくる。だからここから逃げるんだ」
「ドラゴンを殺せばいいだろ」
ベジータが白けた面で指摘した。
ヤムチャは断固とした素振りで首を左右に振ってから、
「駄目だ。オレは無用な殺生はしない事に決めてるんだ」
「……はあ?」
「はいはい、信じられねえんだろ。お前はそういうの分からなくていいから。これは砂漠の掟なんだよ。とにかく早く行くぞ」
ヤムチャは長袖の上着と食料と水をバギーに積んで、ベジータにはパーカーを持たせてすぐにエンジンをかけ、不満を漏らすベジータを隣にのっけて目的地へと出発した。
おとぎの国の物語に出てくるような、王族っぽい雰囲気をしていて、齢は15~16の頃である。
飾りの宝石はなく、化粧もほとんどなかった。唯一の化粧といったら、目尻のところに細く朱がさしてあるだけだった。
「貴様がオレの従者としてふさわしいかどうか、直々に検分してやるから感謝しろ」
完全に男の言葉だった。
けれども声音は少女のもので、細いプラチナの弦を弾いたような高く透明な響きを持っていた。
「貴様の持つ能力とは何だ?オレを満足させるために、何ができるのかを簡潔に説明しろ」
「はい、わたくし、ヤムチャは」
ヤムチャはかしこまりながら、階上の黒マントの麗人に顔を向けた。
氷のごとく冷たいベジータの双眸に、真剣なまなざしを投げかける。
「世界に名をとどろかせる稀代の武道家、武天老師さまから直伝された亀仙流の武術を極めた者です。もしも敵国が攻めてきた時、このヤムチャが命をかけてあなたの身をお守りします」
「それは心強いな」
女体化ベジータは一瞬笑みを見せたが、すぐに冷たくにらみつけてきた。
「だが今、我が王国には脅威というものが無い。平穏そのものだ。そして貴様のように武を誇る従者は他にも腐るほどいる。いつ役に立つとも分からん穀潰し共を抱えて〝余っている〟状態にある。これ以上、武人は要らん。失せろ」
「武道以外にも、お役に立てることがございますよ」
階上に上がろうとしたベジータが、ガラスの靴の足をピタリと止めた。
「それは何だ」
ベジータはゆっくりと振り向きながら訊いてきた。
ヤムチャは胸に手を当てながら真剣に訴えた。
「曲芸でございます。わたくしヤムチャは、人を楽しませる芸術にも長けております。あなたを退屈させない自信があります」
ベジータは少し首を傾げ、あらぬ方向に視線を飛ばした。
そして、手の中のものを大切そうに撫で始めた。
よく見るとそれは、手のひらサイズの猫ちゃんのぬいぐるみだった。
「曲芸だと。つまらん。見るからに凡人の貴様がやる事だ、おおかた予想はつくしオレはそんなモノには興味が無いぜ」
「わたくしが直接披露するのではなく、配下に命じて曲芸を披露させます」
「配下だと。貴様は庶民の分際で配下など従えているのか?」
「配下というより、『友』です。今日は連れてきておりませんが、わたくしには絶大な信頼を置く魔道士のプーアルという友がいます。彼が、見たこともない曲芸を見せて、あなたを満足させる事をお約束します」
「〝魔道士〟とは胡散臭い。どうせ催眠術で幻覚を見せるとか、その程度の人間なんだろう」
「いいえ、催眠術ではなく、プーアルが使うのは変身術です。そしてプーアルは人間ではありません、猫です」
ぬいぐるみを撫でる手をピタリと止めて、ベジータは何度かまばたきをした。
ゆっくりと視線をヤムチャに向けてくる。
少し驚いているようだった。
「……猫だと?」
「ハイ、猫です」
「……そいつは、このぬいぐるみよりも、フワフワした猫か?」
ベジータは急に前のめりになって、そのぬいぐるみを見せつけてきた。
ヤムチャは、笑みを浮かべて大きく二度うなずいた。
「ハイ、そのぬいぐるみを百倍フワフワにしたような可愛い猫です。言葉遣いは丁寧ですし、たくさん褒めてくれる奴なので、一緒に居ると気分がいいです。そして一級の魔道士でもあります。控えめに言って最高の猫です」
これを聞いたベジータは、目を見張りながらしばらく硬直していた。
やがて、長くため息をつくと、猫ちゃんのぬいぐるみを手の中に包みこみ、コソッと盗み見るような、何かを問うような透明なまなざしをヤムチャに向けてきた。
「ヤムチャとか言ったか」
「ハイ」
「貴様にもう一度チャンスをくれてやる。三時間以内にその猫を連れてこい。そしてオレの目の前で曲芸を披露して見せろ。それが面白ければ貴様とその猫を、オレの従者として召し抱えてやる」
「本当ですか」
「なぜ最初から連れてこなかったのだ」
「申し訳ございません。城の門のところに〝動物の連れ込みは不潔なのでご遠慮ください〟と注意書きが……」
「そんなもの、小さな物体に変身させて服の中に隠し持つとか、いくらでも方法はあるだろう。頭を使いやがれ」
「申し訳ございません。考えましたが出来ませんでした。なぜかと言うと、尊敬すべき王族のお方に嘘をつくのは、汚い行為のように感じられたからです」
「ふん、まあいい。待っててやるから、早くその猫を連れてきやがれ」
「ありがとうございます、ベジニャン王女」
…………
…………
「ぶわあッ!」
ヤムチャは体を跳ね起こした。
クワッ!と開いた目の前には、暗闇が広がっていた。
しばらく動けずにいると、だんだん目が慣れてきて、そこが自分の寝室なのだと分かってくる。壁の時計を見ると、午前3時をさしていた。
デデデデデ、と心臓が鳴り続けていた。
胸に手を当てると、寝間着がじっとりと湿っていた。額にはうっすらと汗がにじんでいて、背中は運動後のように汗でびっしょり濡れていた。
「……なんだ……今の夢は」
ヤムチャは、深夜の寝室の中で独り目を泳がせた。これを聞いてくれる者も、答えてくれる者も居なかった。相棒のプーアルは置き手紙を残したきり、まだ帰ってきていない。
「昼間に、色々とありすぎたからかなあ……?」
ふーっとため息をついて、首筋を撫でた。
突飛な出来事が多すぎたから、夢に現れてしまったのだろうな……と結論づけて、再び眠りにつこうとした。
けれども、なかなか眠れなかった。
熱帯夜の暑苦しさもあったが、ヤムチャの眠りを最も妨げたのは、居間から聞こえてくる宿泊者の声だった。
つまりは、ベジータのバカデカい寝言であった……。
「殺すぞ、殺す、殺す、殺す」
「そうやって脳天気な面ができるのも今のうちだ」
「絶対に貴様を殺してやる」
「タッパでオレより勝ってるからと言って、調子に乗るなよカカロット」
「お前それッ……!そんな紐がパンツと呼べるかバカヤローー!!もっとまともなパンツはきやがれーーー!!」
「待てよ?ドラゴンボールがあれば、オレさまの超化の件は解決できるのではないか……?あの豚さえ……あの豚さえ居なければ……。くそったれが!しょうもない願い事で神龍の無駄使いしやがってーーー!」
「ふぇてぃしずむ……?なんなのだ、その不気味な言語は?まったく地球人ってヤツは、どこまで堕落してやがるんだ……」
「やはり殺すかあの豚。闇ルートで高く売れるかもしれんしな」
「だから……!!もっとマトモな格好が出来んのか!?真っ昼間からパンツをチラチラ見せてくるんじゃねえクソ女ぁーーーー!!!」
「……瞬間移動って、なんだソレ。異星の他民族の技をパクっただけで、それは貴様の真の実力とは呼べんと思うがなあ……。いちいち見せつけて自慢してくるんじゃねえこの下級がーー!!貴様がサイヤの戦士などとは、オレは絶対に認めんからなあ!!絶対にだぁーーー!!」
「超える、超える、超える、絶対に超える」
「……なぜオレはサイヤの末裔に産まれてしまったのだ……しかも王族の血を引く特別階級ときた……オレもあの黒猫に産まれてこればこんな苦悩を抱えずに済んだのだろうか?……もう疲れた……オレも猫になりたい……」
「オレは貴様とは違う。なぜならオレは王子だからだ。他民族の技をパクるなんて情けねえ真似は死んでも出来んぜ。オレはオレのやり方で超えてみせるぞ。真のサイヤの誇りってヤツを見せてやるから、よーく見てやがれカカロット……くくく」
……普段はおそらく、心の内に秘めているであろうベジータの苦悩と悟空に対するコンプレックス……
それらがモロに表出したような寝言を聞かされるうちに、ヤムチャが思い出すのは界王星での修行であった。自分ひとりだけ、あの修行においては遅れを取っていた。悔しさや焦りで悶々と悩んでいた界王星での生活。それがちょっぴり、今のベジータの苦悩と重なりあう感じがしてくる。
寝言はうるさくて迷惑級のものだったが、同情心の方が勝ってしまってヤムチャはセンチメンタルな気分になった。なんとかしてやれないものかと、ベジータを手助けしたい気分がわいてくるのだ。
ヤムチャはベジータの苦悩の声を聞きながら、暗い寝室の中、独りで考えこんでしまった。
…………
…………
「今日はプーアルとかいう猫は居ないのか?」
「ハイ。レベル99の魔道士資格を取るために、南部変身幼稚園というところに行ってます」
「オレさまは退屈だ」
「では、このヤムチャが面白い話を披露しましょう」
「そんなもの要らん。……なあヤムチャよ。西の王国にはこの世で最も美しい王女が居ると聞く。その王女のもとには結婚の申し込みが絶えず、求婚者が殺到しすぎて城門の前で殺し合いが勃発し、毎日死人が出ると聞いたことがある。貴様は西の王女を見たことがあるか?」
「ございます」
「その王女は、本当に美しいのか?」
「ハイ。噂になるだけあって、大変に美しいお方です。そして、世にも珍しい青い髪を持っておられます」
「オレには、そんな特別なものは無い」
王女の顔に、一瞬、陰が落ちたように見えた。
ヤムチャはハッとして王女の黒瞳に注視した。ヤムチャからそらしたその瞳には、静かな憂いが宿っていた。
王女は王座のひじかけに少しもたれかかり、広い王間を照らす硝子玉の照明光を見上げながら、とつとつとつぶやいた。
「見ての通り、平凡な黒髪で、どこにでも居るような姿をしている。こんな姿で王女を張っているのだから、他国からはバカにされているのだろうな」
「なにをおっしゃいます」
「突出したモノが無いオレを見て、本当は貴様もバカにしてやがるんだろう?」
「なにを……、あなたはこの世で最も賢い王女であらせられます」
「賢さなど、それが発揮できる状況が無ければ全く意味が無いものだ。今の王国には戦というものが無いだろう。オレは一体、なんのためにここに存在しているのだ?」
「いつかは戦争が起こるかもしれませんよ?争い侵略するのが人間の性であり、この世の常なんですから」
「いつだ、それは」
「いつ、と申されましても」
問われたヤムチャは目を泳がせた。
そんなことはヤムチャには分からなかった。
だが王女を元気づけるために、脳内をさぐって一生懸命に言葉を紡いだ。
「いつかは分かりません。でもいつかは……二世代、三世代先にはそのような事がこの王国にも起こるのかもしれません。そう考えると、あなたには王女としてのつとめがしっかりと……」
「それは分かっている。父王の遺言で、この血を絶対に絶やすなと厳命されているからな。必ず子孫を残せと。しかし、なぜかオレのもとには結婚を申し込む者が現れんのだ。従者になりたがる輩は居ても、結婚を挑んで来る者が居ない。それはなぜだ?」
「……それは……」
「やはり、オレには西の王女のような美しさが無いからだろう?」
「そ、そんな事はありません!あなたは十分に美しくていらっしゃいます!」
「信用できんな」
「間違いなく、お美しいお方だと思います!みなが求婚に踏み切れないのは、あなたの賢さに畏怖を覚えているからでは?」
「貴様はオレを……美しいと思うか?オレは女としての価値を、十分に持てているのか……?」
「もちろんですとも!」
「では、その証明を寄越せ」
「え?」
「貴様にとって、この世で最も美しい女だという、証明を見せてみろ」
王女はけだるげに王座から立ち上がると、ゆっくりと硝子の靴を脱いだ。
そして、王間の床にひれふすヤムチャの目の前に、白い裸足をニョキッ!と伸ばしてきた。
「本当にオレを美しいと思うなら、オレを褒めそやしながら、この足を舐めてみろ」
神の座に君臨するかのような佇まいで、ヤムチャに命令を落としてきた。
突然のことに驚き、ヤムチャは逡巡してしまった。
「……どうした、口だけか。やはりオレには美しさも魅力もない……貴様にとってはゴミクズレベルの女と言う訳か」
自嘲を含んだ冷たい声が、頭上から降ってくる。
この言葉にヤムチャは絶句してしまった。
すぐに胸がつぶれるほどの激情にかられた。
なんだかよく分からない感情だった。よく分からないが今すぐに王女を抱きしめ守ってやりたいような気分が襲ってきたのだった。
ヤムチャは飛び降りる覚悟で王女の裸足を手に取った。
ビク!と王女の足が震えた。
頭上で、静かに息をのむような気配があった。
ヤムチャは目頭を熱くし、目の前の可愛らしい足の爪をジッと見つめながら、
「庶民のオレなんかが、あなたのような高貴の……ッ!!この世で最も美しいお方の、足を舐めさせてもらえるなんて……!!このようなことは七世代先まで語り継がれるほどの光栄です!!今のオレは世界一の幸福者ですベジニャン王女ーーーー!!!」
…………
…………
「ぶわあーーーーーー!!!!」
ヤムチャは絶叫しながら体を跳ね起こした。
クワッ!と見開いた目の前には、薄明かりに照らされた寝室の壁があった。
ドクッ!ドクッ!ドクッ!と心臓が打っていて、血の熱塊が喉から飛び出るようだった。
「………………」
全く言葉が発せなかった。
ガッチガチに固まった首を動かし、時計を見てみると、朝の6時を過ぎている。
「なんだ今の夢は……」
ようやく言葉を発すると、声がカサカサにしわがれていた。
今見た夢を分析する余裕も無いまま、とりあえず顔を洗うことにした。
寝室から出る際、窓の外から何かの鳴き声が聞こえたような気がした。鳥類の声だろうか。
洗面は、居間の向こうにある。
ソロソロと忍び足で歩いてゆくヤムチャ。
居間に眠る宿泊者の事を意識すると、自分の姿を見せてはいけないような変な罪悪感に襲われたからだ。
ベジータは起きていた。
起きて、居間の窓際に胡座をかいて、じっと窓の外を見つめていた。
ヤムチャは声をあげそうになった。
後ろ姿だけでも分かるのだ。
ベジータの女体化が、昨日と比べものにならないぐらいに進んでいた。
ケツまわりが立派になって、餅のように丸みを増している。
小柄だけど、私、あなたのために元気な赤ちゃんを生んでみせます
と、笑顔でこちらに語ってくるような、大人っぽいケツをしているのである。
この分では、前もすごいことになっているのではないかと、ヤムチャは予想し、不安感と絶望感が増してきた。
この女体化の進行は、おそらく寝言で複数人の悪口を言いまくった影響なのだろうなと思った。
(……やばいような気がする……)
洗面に引っ込み、何度も顔を洗ってから鏡を見つめた。
鏡の中には、心底困り果てて、眉尻を下げた情けない男の面があった。
(このままベジータとずっと一緒に居るのは、やばいような気がする……)
何がどうやばいのか、ヤムチャは自分でもよく分からなかった。
今の気分を的確に把握し、客観し、分析する事が全く出来ないのだった。
とにかく、心がざわついて仕方ない。
とてつもなく嫌な予感がするのだ。
(……ふたりっきりというのが、やばいような気がするな……)
ふーーっと、強く息を吐いた。
もうこうなったら、心を鬼にしてベジータを追っ払うしかないと思った。
「おい、ベジータ。お前いいかげんにしろよ?」
ヤムチャは声を張って、窓際のベジータに言った。
「お前、男なら腹をくくれよ!CCに帰って、ブルマに謝ってこい!オレはこれ以上お前の面倒見るのはお断りだからな!」
大きな声で言ったそばから、ヤムチャの胸中にはなんともいえない『痛み』が生じた。
ベジータは、なんとなく元気のない背中をしていた。
急に女体化が進んでしまって、やはりショックなのだろうか。
「オレはCCには帰れない」
ベジータは小さな声でつぶやいた。
「もはや、謝るとかどうとかの問題ではない。それ以前に、オレはあの女に近づけんのだ」
「なんでだよ?」
ヤムチャは、腰をかがめて、小さな子供にたずねるような優しい声でたずねた。
……どうにも駄目である。
今のベジータに対して、ヤムチャは厳しい態度を貫けない。
「言えん」
「…………」
「口が裂けても言えんな」
「なんか罠でも仕掛けられてるのか?」
「……罠。……そうだな、そんな感じかもな」
「どんだけブルマを怒らせてんだよ、もう……」
「オレとあの女は相性最悪なんだ」
「まあ、そのあたりはお前らの問題だし、オレは何も言えねえけど」
「どうすりゃいいんだ……オレはこの先どうなっちまうんだ……うう……」
「…………」
ヤムチャはベジータのそばにしゃがんで、黙り込んでしまった。
追っ払う事が出来なかった。
今のヤムチャの脳内には、ひとつの残像がちらついている。
階上に端然と立つ、黒マントを羽織った硝子の靴の麗人―――
やがて、外からギョリギョリギョリと耳障りな音が聞こえてきた。
ヤムチャは背を伸ばして窓の外を見た。
遠くのほうに、こちらに向かって突進してくる生命体が見えた。
よく見るとそれは一匹のサンドドラゴンだった。
「あっ」
ヤムチャはガバッと立ち上がった。
昨日のサンドドラゴンは雄の尻尾を持っていた。
そして今こちらに突進してくるサンドドラゴンは、雌の尻尾を持っている。
「まずい、ツガイになってたのか!」
ヤムチャは、このとき、ある事を思いついた。
今抱えるベジータの問題、自分の問題からくる心理的負担を、一時的にだが緩和できるかもしれない場所を思いついたのだ。
「出かけるぞベジータ!」
「どこへ行くんだ」
ベジータはヤムチャに振り向いてたずねた。
顔が、さらに女体化を極めていた。ちょっととんがったクールな少女みたいだったのが、年齢が進んで『美女』の域にまで到達している。
ヤムチャはドギマギする気持ちを必死に隠しながら、窓の外を指さした。
「あのサンドドラゴンは、ツガイを失って探し回ってる。ツガイを殺したのがオレたちなのだと分かれば、襲いかかって殺しにくる。だからここから逃げるんだ」
「ドラゴンを殺せばいいだろ」
ベジータが白けた面で指摘した。
ヤムチャは断固とした素振りで首を左右に振ってから、
「駄目だ。オレは無用な殺生はしない事に決めてるんだ」
「……はあ?」
「はいはい、信じられねえんだろ。お前はそういうの分からなくていいから。これは砂漠の掟なんだよ。とにかく早く行くぞ」
ヤムチャは長袖の上着と食料と水をバギーに積んで、ベジータにはパーカーを持たせてすぐにエンジンをかけ、不満を漏らすベジータを隣にのっけて目的地へと出発した。