宇宙人といっしょ
ベジータは、何をどうすれば良いのか分からない。ただでさえ子供の扱い方を知らないというのに、お漏らしの処理をするなど困難の極みだ。しかも、相手が男児ならまだしも……、女児となると更に困難を極めた。
上空で、一羽のカラスが不吉な鳴き声をあげた。日暮れがせまり、風が冷たくなってきた。子ブルマは、パニックと寒さでいっそう激しく震えだした。
この時ベジータは、脳内で10回ほど子ブルマを置き去りにするシミュレーションをした。だがどう考えても、現在のブルマによる史上最悪の懲罰地獄からは逃げられない、という推測に行きついてしまう。逃げ場を無くしたベジータは恥を捨て、「パンツ脱げ!」と子ブルマに命じた。子ブルマは考える力を無くしたようで、機械的にパンツを脱いだ。持って帰る袋が無かったのでパンツは土に埋めた。
「寒いよ宇宙人、おなか痛くなってきたよ……」
ノーパンの女児は、ベジータの脚にしがみついて離れない。かなり辛そうに震えている。風がますます冷たく、強くなってきた。体が小さいから、どんどん体温を奪われている。
「クッソ〜!なぜオレがこんな目に……ほら入れ!」
ベジータは戸惑いつつも、譲りに譲ってラバープロテクターの中に子ブルマを納めてやる事にした。プロテクターは自在に伸びる。保温の効果もあったし、子供を保護するのに丁度良かった。
子ブルマは「わあ」と目を輝かせた。そして、コアラみたいにベジータの上半身にしがみついた。スッポリとプロテクターに包まれ、顔だけを出す形になった。抱っこひもの要領である。
赤い夕暮れを切り裂くように、子連れのベジータは飛んだ。子ブルマは最初、緊張していたが、プロテクターが柔軟に伸縮するのに気づくと楽な姿勢を探して動いた。プロテクターの中に顔を潜らせたり出したりして、面白がったり、ベジータの胸にメモ帳をあてて書き物もした。
「あたし取り引きを考えたよ。おうちで説明するね」
子ブルマは何かを書き終えてから、真面目な顔で言った。
ベジータは相手にしなかった。もはや取り引き云々など、どうでもよくなっていた。一刻も早くこの子供を家に帰して、面倒事から解放されたかったのだ。
CCに着いた頃には、子ブルマはグッスリ寝ていた。保温した甲斐あって、顔色は健康に戻っていた。ベジータは安堵した。素早くプロテクターから子ブルマを引っ張り出すと、粗雑に抱え直し、ブルマのもとへ急いだ。
「アンタたちどこ行ってたのよ、心配しちゃったわよ」
出迎えたブルマが、眠る子ブルマを受け取った。
ブルマは、子ブルマをリビングへ運ぶと、優しくソファに寝かせてやった。
ベジータは、もう一匹いるはずのヤツに警戒しながらリビングへついていったが、バニーブルマの姿はどこにも無かった。生意気でムカついたから、早々に〈元の世界〉に追っ払ったのだと、ブルマは平然と言った。
結局この騒動は何だったのかとベジータは凄まじい徒労感に襲われた。
「そのガキも寝てる間にどうにかしろ。さんざん振り回されてこっちは疲れた」
「え、本当にお仕置きされたの?やるわねこの子!」
文句を言うのもだるすぎた。ベジータは浴室に直行した。体を洗って飯を食って、今日という最低の日からおさらばしたかった。
シャワーを浴びてリビングに戻ると、ソファに寝かせてあった子ブルマの姿は消えていた。かわりに、うつむいたブルマが座っていた。
「晩飯、これか」
テーブルの上に巨大なピザを見つけてブルマに訊いた。腹ペコだったから、ブルマの返事も待たずに食った。
「ねえアンタ、5歳の私と、山に行って何をしてたの……?」
2切れ目を食いはじめた時、ブルマが静かに訊いた。それは、普段よりも2段階も低くて暗い声だった。ベジータはピザを食いながら横目でブルマを見た。
ブルマはソファで深くうなだれていた。ボブの髪で顔が隠れて、表情が見えない。
「あいつが花見したいとかワガママ言いやがって、無理矢理付き合わされた」
ベジータが答えても、ブルマは顔を上げなかった。
「そう、それで?」
暗い声で質問を重ねてくるだけだ。その様子に違和感を覚えたが、ベジータは正直に答えてやった。
「あいつが勝手に蛇探しに行きやがって、色々あって、こっちは大迷惑だった」
「それで?」
「それだけだ。ただひたすらに迷惑だったな」
「ねえベジータ、あの子ねえ、下半身が裸だったのよ」
ブルマが言葉を発した途端、ズドーン!と天井が落ちるかのように空気が重くなった。ベジータはその急激な空気の変化にビクつき、持っていたピザを床に落としてしまった。ベチャッとトマトソースが飛び散った。
うつむいたブルマは、小さいメモ帳を膝の上に乗せていた。それに書いてある文字を、何度も何度も指でなぞっては、読み返しているのだった。よく見ると、そのメモ帳は子ブルマが持っていたものだった。
「何故パンツを……履いてなかったのかしら……?」
廃墟に棲む老婆のように背を丸め、ゆっくりと顔を向けてくるブルマ。顔の半分は髪で隠れて、こちらを見つめる片目は死んだ魚のそれである。
まるでホラー映画のワンシーンである。
ベジータは非常に気味悪く思ったが、ともかく、事の顛末を説明した。
「あのガキ、熊に出くわして、ビビッて腰抜かしやがったんだ。都会育ちなら、無理は無いかもな。しかし最後にあんな醜態をさらすとは思いもよらなかった」
粗相の詳細は、明言を避けてやった。今思えば、自分の説教と追い込みは5歳児には重すぎたのだと気付かされる。だが後の祭りだ。やれやれと身を屈めて、落ちたピザを始末しようとした時、ブルマとモロに視線が合った。
死んだ魚は、変わらず、ベジータを見つめたままであった。ベジータは中腰の状態で、凍ったように動きを止めた。
「……まだ5歳よ?なんにも知らない子。なのにアンタなんて事をしたの?いくらあの子が超絶可愛いからって」
「なんの話だ?」
ブルマは立ち上がった。今にも泣きそうな顔をしてベジータを睨んでいる。ベジータは驚いた。どうしたんだとたずねかけたら、ブルマはすかさずメモ帳を突きつけてきた。
「アンタがパンツを脱がせたって、これに書いてあんのよ!山に連れ込まれて、命令されてパンツ脱がされて怖くて泣いたって!あの子の字で!」
ベジータは目をひん剥いてメモ帳を見た。そこには、ひどく汚い字が、行もガタガタに書き込まれていた。インクが滲んで殆ど読めない。その中で、読める文字だけを拾って繋げてみると、
おとなのわたしへ おねがいきいて
うちゅうじんが やまのなかにあたしを つれていって
ヒグ うちゅうじんがあたしを ヒグ ヒグ たすけ
パンツぬげってめいれいされてぬいだの
うちゅうじんと からだ ぴたっとくっついて
もうやめて これいじょう
いじめないで ほんとうに やめてください
という事だったが、ベジータからしてみれば支離滅裂もいいところだ。意味不明の怪文に「……はあ?」としか声が出ない。それでも頑張って解読に努めていると、
「いたずら……したの?」
ブルマが涙を堪えながらきいてきた。
さて、ベジータは、この場合の『いたずら』の意味が、すぐには理解できなかった。だが、数十秒の沈黙を経て、自分が5歳のブルマに対して性的な〈悪さ〉をしたのだと、ブルマに疑われている事にようやく気がついた。
だがそれは、全くあり得ない。むちゃくちゃな疑惑である。ベジータは、そんな疑惑を安易に向けてくるブルマが恐ろしくてしょうがなかった。
「するわけ……ないだろ……」
「じゃあ、どうして?どうしてこの子はパンツを脱がされて泣いてるの?ねえどうして?」
ブルマは、涙を必死にこらえている。それは〈夫がまさかのロリコン疑惑〉に囚われつつある彼女が、まだ糸一本ほどの信頼を捨てきれずにいる証拠に見えた。
ベジータはその一本の糸に、全てを委ねるしか無かった……。
「落ち着け。まず、ここに『ヒグ』と書いてあるだろ?」
ベジータは『ヒグ』の文字を指で示して静かに語りかけた。
ブルマは頷いて、素直に聞く姿勢を見せた。
「これは、『ヒグマ』の事だ。『ヒグ』の後の『マ』が汚れて、読めなくなってるだけだ」
「……」
「いいか?合理的かつ極めて常識的に言語を補完してみろ。こいつは山の中でヒグマに出会って怖い思いをしたと書いてあるんだ。ヒグ、マ。ヒグマだ」
「なにそれ……駄洒落?」
その言葉を聞いた刹那、凄まじい寒気がズバババ!とベジータの背筋を駆け上り頭頂を突き抜けていった。喉奥から悲鳴が漏れそうになったが圧し殺した。……駄洒落とはどういう事か?……この場面で駄洒落なんていう発想が何故に湧いて出るのだろうか?
「……オレは事実を言ってるんだが?」
ベジータは冷静に返した。
しかしブルマは、納得しない。ベジータの指を払いのけ『ヒグ』の部分に自分の指を押し付け反論してきたのだ。
「この『ヒグ』は泣き声の『ひぐっ』てヤツでしょ!?アンタに山に連れ込まれてパンツ脱がされて『ひぐっ、ひぐっ、』て泣いてたって事でしょ!?」
誤解である。ここは、声を大にして『誤解だ』と言い放つべきだ。しかしベジータは声が出なかった。何故なら、こんなに歪曲も甚だしい……奇っ怪とも言える誤解のやり方が、この世にあるものなのかと驚き果てたからだった。ベジータは、言葉を変えて説明しようとした。だが、やはり、驚きの方が圧倒的に勝ってしまい「ヒグマが出たんだ」と同じ言葉を発する事しか出来なかった。
この薄っぺらな返答に、ブルマはショックを重ねただけのようで、
「ここに来てもなお、駄洒落で誤魔化そうなんて……」
堪えていた涙を、ついに流し始めてしまった。
ベジータはぼんやりと、黄泉だか冥府だかの訳の分からぬ大迷宮にぶちこまれたような絶望を感じた。しかし諦めてはならないと思った。ここで諦めたら色々と終了のような気がした。なので内心では激しく焦りながら、状況説明を頑張る事にした。ひたすらにブルマを信じて……。
「ブルマ、オレの話をよく聞け。山の中でヒグマが出た。あいつは所持していた光線銃を撃ったが仕留め損ねた。怒ったヒグマが襲いかかった。ヤバかったからオレが助けてやった。二度と同じ失敗をしないよう、説教してやった。そしたらあいつはビビりきって小便漏らしやがった。パンツが濡れて寒がった。寒さで体調不良を起こしかけてた。オレは仕方なくパンツを脱げと言って、寒さを軽減してやった。それだけだ。馬鹿なのかお前は?単なる救助を、イタズラなどと疑う神経が全く解せん」
説明するうちに腹が立ってきて、最後は声を荒げた。
ブルマは、ベジータの説明をやっと頭の中に受け入れたようだった。ハッと我に返って、ベジータを真剣に見つめた。瞳に安堵の色が宿り始めた。『なんだそうだったの、良かったわアンタが道を踏み外してなくて。だってあんなに可愛いんだもの魔が差したって無理ないじゃん、ほんとに罪な幼女よね〜』と心の声が聞こえるほどに、その瞳は饒舌に語った。やっと理解を得られたベジータは脱力した。言いたい事は山ほどあるが、今日は早く寝たかった。なので、「迷惑かけてごめんなさいの一言も無いとは、さすが小便ガキの成れの果てだな。呆れたぜもう寝る」と、おやすみの挨拶をしてリビングを出た。
すると背後から、間髪入れずに椅子が飛んできた。
「何いってるのアンタはーー!!」
ブルマが後ろから噛みついてきた。虚をつかれたベジータは、床に倒された。そこにブルマが馬乗りになった。
「私は生まれながらのレディーなんだから!そんな粗相、絶対にするわけ無いの!そうよ例え5歳でも!」
ブルマはベジータの胸ぐらを掴んで、狂ったように揺さぶってきた。顔が真っ赤だ。耳まで真っ赤だ。子ブルマの粗相を、己の失態として純粋に恥じているようだった。
「アンタは自分の罪隠しのために、作り話をしてるのよ!あんな子供に罪をかぶせて……サイテーよ!女の敵よ!」
ブルマは、子ブルマの恥ずかしい粗相を認めたくないようだった。恥を知られたくないという可愛い女心から、あえて夫を悪者にしようとしている。……それを見抜いたベジータは精一杯の擁護をしてやった。
「あの年齢なら小便漏らしても不思議じゃない」
「だから!私はお漏らしなんかしないってばー!アンタがイタズラ目的で幼女のパンツ脱がしたに決まってんのよー!」
しかし、この女は往生際が悪いのだ。なおもベジータに冤罪を擦りつけてくる。この身勝手にはベジータも頭にきてしまい怒鳴り返した。
「オレ様があんなガキに眩む訳ないだろ!5歳の子供をどうやって性的対象にしろって言うんだー!あの網タイツのウサギの方ならまだしも」
その瞬間、ズドーーン!!と天井が落下して、圧死するんじゃないかと思われた。それほど、空気が重みを増してベジータにのしかかってきたのだ。ブルマの顔つきが、般若に変わった。青い瞳が再び、死んだ魚のそれに戻りつつあった。この時、ベジータは、頭の片隅で何かしらの限界を悟った。諦観がじわ〜っと脳内にしみて、やがて解脱したように真っ白になった。はるか遠くを見つめて、それきり黙りこんだ。
「アンタ……5歳の私だけでなくバニーも狙ってたの?」
「……」
「ああ、なんて事。あの2人をもっぺん召喚しなくちゃ。アンタを今一度、調べ直さないとダメよね。ウソ発見テストで脳波を調べて、それから」
なんとなく、どこかで聞いたフレーズだな、とベジータは思った。ブルマはその後も何やら捲し立てたが、彼にはその意味がよく分からなかった。
ただ〈無駄に脅迫的な内容〉という事は把握できた。
そして〈今からかよ……〉とウンザリした気持ちだけが胸に残った。
ベジータは、説得がめんどくさいのとあまりの眠さに耐えきれず、そのまま廊下で寝落ちした。
完
2017年
主催 神おこし実行委員会
ベジブルプチ記念アンソロジー
復活の「神」
寄稿作品
〜おまけ〜
子ブルマのメモの全文
おとなのわたしへ おねがいきいて〈ほしいの〉
うちゅうじんが 〈あたしのワガママをきいてくれて〉やまのなかにあたしを つれていって〈くれたんだけど〉
ヒグ〈マがでたの。そのとき〉うちゅうじんがあたしを ヒグ〈マから助けてくれたんだよ〉ヒグ〈マはすごくこわくて、うちゅうじんが〉たすけ〈てくれなかったらあたししんでたかもしれないの〉
〈うちゅうじんにおこられておもらししちゃってね〉パンツぬげってめいれいされてぬいだの
うちゅうじんと からだ ぴたっとくっついて〈すごくあったかかったよ、うちゅうじんはこわいけど、ほんとうはやさしいんだね〉
〈だから〉やめて〈あげてよ〉これいじょう〈うちゅうじんにおしおきするのはかわいそうだよ〉
いじめないで〈あげて〉ほんとうに〈かわいそうだからおしおきするのは〉やめてください〈あたしからのおねがいだよ〉
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