神龍


とにもかくにも、ベジータに、優しくして欲しいのである。

歯医者さんの待ち合い室で、たまたま手に取ったラブロマンス本……。読み出すと止まらなくなり、ラストまで読みきった時にはブルマの心に火がついていた。

「性格がアレだから仕方がないと思ってたけど。やっぱあいつのやり方は酷すぎる。改善させてやらなきゃ……!」

ブルマは家に帰ると、研究室に直行し、これも何度目だかわからない、対ベジータ自白剤や対ベジータ強力媚薬の類の調合をしはじめた。

「でもこれ、ナチュラルじゃないから効いてもあんまり嬉しくないのよね。第一、副作用が怖いし」

ブルマは憑き物がおちたように作業をとめて、ゆったりと椅子にもたれた。

あの血統さえなければベジータも、もう少し女に対して優しいアレコレが出来るのだろうか、とブルマは思う。
いいや、待て待て、血統なんか関係ないのかもしれない。ベジータは何度生まれ変わろうとも、そう、例えラッコに生まれ変わろうとも、ああいう酷いヤツには変わりないかもしれない。
と思うと、諦めるしかないという結論に至ってしまう。

「……チチさんの所はどうしてんのかしら」

ブルマはふと思い付いた。
ベジータと同じ種族の、ぶっちぎりに強い悟空を伴侶に持ち、すぐに子をなしてしまった女。
考えてみるととんでもない女傑である。
チチは一体、悟空とどういう営みを持っているのだろう?

というか、あの無邪気な、エロティシズムの欠片も持ち合わせてなさそうな悟空を、よくぞベッドに連れ込み、事を進められたものである。
いやいや、ちょっと待て、案外と悟空の方が訳のわからない猿の本能にトチ狂い、チチに襲いかかったのかもしれない。

「やばい……。すっごい気になってきたじゃないの。今夜寝れなくなるかも……肌に悪いわ」

お肌の危機におののくブルマ。

冷や汗をかきながら、ジェットフライヤーでパオズ山を目指した。

「ごめんなさいね突然お邪魔しちゃって」
「何いうだ、うちの亭主なんかしょっちゅうお邪魔して、色々とご馳走になってるべ?ゆっくりしてってけろ」

あったかいお茶でいいけ?とチチがたずねてくる。お構い無く、と笑うと、ちょうど悟空が帰ってきた。

「おーっす、珍しいなあ!ブルマがわざわざウチにくるなんてよー」
「孫くんこんにちは。うわー服がボロボロ…。相変わらず修行三昧のようねー」
「ああ悟空さ!また服さメチャクチャにして!それ、こないだ縫ったばっかだべ?これッ!手ぇ洗ってから食えと何度言ったら分かるだー!」
「いてて」

土産に持ってきた菓子を悟空がつまもうとするのを、チチはピシャリと叩き払う。そうして、急かすように尻を叩いて家の奥へ追いやった。はよ着替えてこい、とチチの声。

「チチさんはやっぱり凄いわね」
「はあ…。何がだ~?」

チチは戻ってくるなり、モップで床を拭きながら、疲れた顔を見せた。悟空の歩いた跡が泥グチャになっていたのだ。

「だって。天下のスーパーヒーローをまるで子供を叱る母親みたいにさ」
「なあに言ってるだ、悟空さはまるっきり子供だべ!スーパーヒーローだなんて誉めすぎだ。戦う事を、遊びかなんかだと思ってるだけだよ!」

それよりおらはあの人に働いてもらいてえだよ、と言ってチチは台所で手を洗った。

「世話がやけるばっかりだ。これでもマシにはなったけども……新婚当初は教えてやらねばならねえ事が、てんこもりだったべ」
「へえ~」
「だって何にも知らないんだよ~?悟空さったら、衣食住の基本が野生動物並みなんだ」
「なんか分かるわ、それ」

生活の大変な様子が想像できた。ブルマも、ちびっこい悟空と旅をしていた時、彼の野生スタイルに難儀したからだ。

「風呂から上がると裸でウロウロしたりして。みっともねえ。気持ちいい事ばっか優先するんだから……」
「……」
「ああ、すまねえだブルマさん。へんな話聞かせちまって……」
「いいのよ」

うふふ、と笑ってブルマは出されたお茶を飲んだ。チチは少し決まり悪そうにして向かいの椅子に座った。

「悟空さはいっつも修行ばっかりで、おらは大抵おいてけぼりで…、どうしても愚痴ばっかり溜まっちまうんだよ」
「この際洗いざらい言っちゃえば~?聞いてあげるからさあ」
「そったらこと……、折角たずねてきてくれたんだべ、もっと楽しいお話……」
「いいからいいから、溜め込むと美容に悪いわよ~」

そうけ?とチチは遠慮がちにブルマを見た。
悟空に対しては武人のようなド迫力を見せるチチだが、こうして対峙すると、健気で少女っぽい可愛らしさがかいまみえる。
ブルマは、そんなチチに、個人的な性的実話を暴露させるためのタイミングを計り続けた。
ふんふんと辛抱強く、チチの愚痴を聞いてやる。100パーセント悟空に対する文句であった。

「ほんっとにおら、どんだけ離婚してやろうかと思ったかしれねえだよ」
「うーん。そりゃあ腹たつわよねー」
「こんな事、日常茶飯事なんだよ?おらもう、ストレスでどうにかなっちまいそうだべ。はああ~」
「でもチチさんは、別れないのよね。孫くんのことを愛しているから、うふふ」
「へっ……?」

チチがビクリと体を震わせた。
絶句して、石のように固まってしまった。

「何を言い出すだ、そりゃ、わ、別れようと思えばいつでも…、だども、うちには悟飯ちゃんがいるで、」
「お子さんの為に夫婦続けてるの?本当にそれだけ~?ねえチチさん、実の所、孫くんとはどうなの?仲良しなんでしょ~?」
「えっ?仲?つうても……そんな、良いも悪いも」
「夜の仲はどうなの。隠してもだめなんだからね。チチさんは肌艶がいいから、私には分かるのよ~、ふふふ」

我ながらゲスだわ~、と思いつつも、ブルマはチチに返答を迫った。チチはすっかり乙女の顔になって困りきっていて、頬がみるみる赤くなっていく。そういう様子を見れば、普通なら、つつきすぎた事を悪く思い話題を変えたりする所だが、ブルマはむくむく湧いてくるエロスの好奇心に抗えなくて

「チチさんと孫くんの馴れ初めが知りたいわ~。どっちからお誘いかけたの~?」
「そんな……いやだよお、ブルマさんたら!」
「ねえん、お願い聞かせて~。チチさん私ね、今ちょうど、女の美容について研究してるのよ、でね、綺麗な女性のライフスタイルがどんなものか調査してるとこでさあ」
「……」
「特に、着目してるのが夜の実態なのよね~、男と抱き合った時、どんなホルモンがどんだけ、どんなふうに作用して……」
「あ、おら洗濯もの干し忘れてただー!」

チチは突然立ち上がり、真っ赤な顔を隠しながら家の奥へ駆けていった。
ブルマはしまった!と思い、呼び止めたがチチは戻ってこなかった。

「ストレートに言い過ぎちゃった」

だってチチさん可愛くって苛めたくなるんだもの、とブルマは独りで言い訳した。そこに反省の念はほぼなかった。
それよりもどうしたものか、チチから話して貰えないと好奇心がムズムズしてしょうがない。

「ブルマー、その菓子オラ全部食っていいかー?」

着替えた悟空が、ニコニコしながらやってきた。

「ねえ、チチさんは?」
「ああ、なんか洗濯もんがどうたらで、奥へ引っ込んでった。顔がリンゴみてえだったな」

いっただき~、と言いながら悟空は席に座った。

「うんめーなあ、西の都名物」
「そう。そりゃ良かったわね。死ぬほど持ってきたから遠慮なく食べてよ」
「サンキュー」
「チチさん、もう戻ってこないかしら」
「ん?」
「ききたいことがあったのよ、でも質問の仕方がまずかったわね。一児のママになっても、まだまだ乙女なのね~…」
「ああ、うん。乙女だぞチチは」

悟空が平然と口をはさんできた。
ブルマはギョッ!と悟空の顔を見た。

「へ?なんて言ったのよ今」
「ん?チチは乙女だって」
「お、乙女だなんて……あんたの口が、それを言っちゃうの……?」
「??なんか知らねーけど、お前チチの事が知りたいんか?オラが教えてやろーか?」
「……。いや、あんたには多分答えられないと思うんだけど」

ブルマは、菓子をバクバク食べる悟空を胡散臭げに見ながら、ここは試しにと、

「あんたさ、夜にチチさんと、ベッドで……してる?」

悟空がビクリと体を震わせた。
驚いた面でブルマを見て、手につかんでいた菓子をボロボロ落とした。
このリアクションは、ブルマの想定外だったから、ブルマの方も狼狽してしまい

「あ、えーっと!あんたまたふざけた真似してないかと思ってさ、ほら、レディーの股を枕にしたり」
「おめ、こんなまっ昼間からなんつー話を…、バチがあたっぞ?」

悟空は非常に真剣な顔で、声をひそめてたしなめてきた。ブルマは大人の対応を見せる悟空にすっかり驚いてしまった。

「し、失礼、しました…」
「そーだよ、あービックリした~。ダメなんだぞ、昼間っからそういう話しちゃ。チチが聞いてたらおめえ、ただじゃすまねえぞ?」
「そ、そう、よね。うん」
「チチはなんつっても、半分神様の、巫女さんなんだからな?巫女は乙女とも言うって、チチが言ってたぞ。乙女っつーのは秘密を沢山守らねーとだめなんだ。だから夜の話も、誰にもナイショだ。オラそれだけは教えねーからな」
「み?巫女?」
「神様の使いだよ、知らねーのか~?」
「それは知ってるけど、チチさんが巫女?ってどういう……」
「だから半分神様なんだって。チチはすげーんだよ、夜はほんとに」
「……いっ?」

ブルマは急激に、ドキドキしてきた。
悟空は普通にソレらしき話をしているが、恥ずかしがる素振りがない。しかし必死に隠そうとしているのは、潜められた声でわかる……。

「どど、どんな凄さなの?」
「おめえ分かりきった事をきくなよ。チチは神の使いなんだぞ?ものすげえよ、ものすげえピッカピカになるよ、頭ん中が」
「ピッカピカ…?」
「つまり全部、チチに清められるんだよ、もうなんかすっげーよ、スカッとして次の朝なんか一段と強くなれる気がすんだぞ」
「……」

悟空は真剣な面持ちで、夫婦生活における夫としての実感を熱弁してくる。ブルマは面食らってしまい言葉が返せない。

「オラはチチと結婚できてほんとに良かったなあって思うなあ、モグモグ」

悟空は幸せそうに目を閉じた。菓子の美味に感動しているのか、チチとの結合を思い出しているのか、どちらかわからなかった。

「そ、そうなんだ、へえー…」
「そうだよ、オラますますチチが好きになってくんだもん。飽きねえしさ」
「えあっ?……あんた、えらくストレートに言うのねえ、聞いてる私が恥ずかしいわよ…」
「恥ずかしい?結婚って恥ずかしいか?恥ずかしくなんかねえよ、どっちかというと難しいな。でもいいもんだぞ?ブルマも早く結婚しろよ」
「あぐうッ」

思いもよらぬ悟空の言葉に、変な呻き声が出た。

「か、考え、とくわ。でもあんたからそんな事言われるとはね。ねえ孫くんは、チチさんに言ってあげてるの?今言ったような事……、例えば、好き、とか?」
「おめ……、あったりめーだろぉ~?清めて貰う時は絶対だよそんなもん。“ノリト”を唱えずにチチにくっつくなんてバチあたっちまうよ」
「の!?祝詞ッ!?何なのよそれ」
「ほらあ、よく神社で神主がバサバサしながら言うやつあんだろ?それとおんなじよーなもんだよ」
「つ、つまりそれほど大事って事なの?その台詞が!?」

ブルマはドキドキが止まらない。身を乗り出して悟空に迫った。悟空は驚いたように目を丸くしてブルマを見た。

「あったりめーだろ。なんつってもオラとチチの大事な儀式だしな。おめえ一期一会って知ってるか?そういう事だよ。一個一個を大事にすんだよ、そこで手抜きは許されねえからな、心のぶつかり合いだよ、試合とおんなじだ」
「あぐうっ!」
「おめえ顔がリンゴみてえになってんぞ?……あ、しまったー、夜の話オラ喋っちまったじゃねえか。ブルマ、この事誰にも言うなよ?特にチチには絶対言うなよ?」

悟空は人差し指を口に当てて、真剣な面をして言った。

「言わないわよ!ああもう、一生やってりゃいいじゃない、このピンクのお馬鹿さん達ぃー!」

ブルマは羨ましいやら恥ずかしいやらで感極まってしまい、ちょっと泣きながら孫家を飛び出した。
悟空は「ピンクのバカってなんだろ」と首を傾げて、飛んで行くジェットフライヤーを眺めた。



「孫くんでさえ甘い台詞を言ってるのよ!あの孫くんでさえ!」

悟空を、下級のサイヤ人と見下して憮然としているベジータの面を思い出すと、ブルマは猛烈に腹がたってくる。

……チチがめちゃくちゃ羨ましい。
なんだかんだ言っても、芯の部分では夫に大切にされているではないか。
チチの恥らう顔を思うと、なおさら信憑性が増す。
間違いない。あれは男から愛されて可愛がられている女の顔だ。

「くう~、ベジータ~、絶対に言わせてやるわ、あんたにも絶対!」

ブルマは帰宅すると、すぐに旅の準備にかかった。



「出でよ神龍!」

世界中飛び回って、かき集めた七つのドラゴンボール。
ブルマはさっそく神龍を呼び出した。

「願いをひとつだけ叶えてやろう」
「ねえちょっと聞いてよ、ベジータって男いるでしょ?あいつに、私の事好きだって言わせて欲しいの、ちゃんと私の目を見て言うようにしてちょうだい」
「……」

神龍は少しの間黙っていた。
何かを調べているようだった。

「わかった。できるかぎり、叶えてやろう」
「“できるかぎり”じゃなくて、絶対に言わせてよ」

ブルマは腰に手をあてて、神龍を顎でしゃくった。
神龍はえらく神妙な表情になった。

「そのベジータというサイヤ人が、私の手に負えぬ程の強固な精神力を持ち合わせているとすれば……、お前の願いを叶えることは不可能だ、そのときは諦める事だ」
「あんたなんでも叶えてくれるんじゃなかったの!?」
「何事にも限度がある。……あるんですよ、お嬢さん」
「ふっざけんじゃないわよこのイカサマ蛇」
「なるべく頑張ってみる。さらばだ」
「あっ、こらーー!」

神龍は消えた。

「やる気あんの?何が神の龍よバカ!」

ブルマが文句をいい続けていると、どこからともなく神龍の声が聞こえてきた。

“あーあ、まーた変な願い事されちゃったよ。なーんで地球の奴等って、こんなしょうもない事ばっかり願ってくるんですかねえ?ほんとに参っちゃいますよ、ポルンガ先輩”

「聞こえてんのよ!」

ブルマは、神龍の消えたあたりを狙ってマシンガンを延々とぶっぱなした。

「しょうがない。今は神龍を信じるしかないわ……」

さて、カプセルコーポに戻ったブルマ。
母に笑顔で迎えられ、夕飯の支度を手伝った。

「母さん、ベジータどこ?」
「ベジータちゃんならお部屋にいるわよ。今夜はブルマさんもいるから、夕食が賑やかになるわね~。ホホホ」
「今日はカレーだから、あいつたらふく食べるわよね、ほんっと好きよねあいつ、カレーが」
「さあさあ、サラダがたっぷり出来たわよ、苺のクレープもいい香り。ベジータちゃんを呼んできてくれる?」

ブルマはベジータの部屋に向かった。

「おーいベジータ、晩ごはんできたわよー。早く部屋から出てきなさーい。今夜はカレーよー、カレーがめちゃくちゃ美味しそうよー、おーいカレーの王子出てきなさーい、カレーが冷めちゃうわよー、ワーワーワー」

ドアの向こうで、うるせえ…、とベジータの苛立ち声がした。ドアがバン!と開いて、ベジータが現れた。ブルマの顔を、いつものように睨み付けて、

「一言声をかけりゃ済む事だろお前が好っ」

バーン!! 

ドアが凄い勢いで閉ざされた。
風圧で、ブルマの髪の毛が一緒に挟まれてしまった。

「痛たた!ちょっ…、ベジータ、もっぺんドア開けて!」
「……。どっか行け」
「い、行けないんだってば、ドアを見なさいよ、ほら、髪の毛」
「切れ。ハサミで切れ。そして一刻もはやくそこを立ち去れ」
「は、ハサミ貸して……」
「……」
「か、カレーが、カレーが冷めちゃうわ、大変よベジータ、あ、あんたの好きなカレーが、早く、ジャガイモがとけないうちに食べましょうベジータ、さあこのドアを開けなさい今すぐに!」
「……。お前、なんかしただろう」

ベジータがドアの向こうでそっと呟いた。疑惑でいっぱいの、低い声である。

「なんだ。一体オレに何をしやがった?」
「なにもしてないけど?」
「……。お前ここ数日、行方をくらましていたよな。どこで何をしていた?」
「珍しいダイヤがあったから買い付けに、あとついでに旅行も。お土産あるから、あとで見せてあげるわね」
「……」
「ねえ、どうしたの?あんた様子が変ね。顔を見せなさいよ」

ブルマは込み上げてくる笑いを堪えるのに必死だった。

(神龍あんた頑張ったわね。やるじゃないの。今度会った時に、でっかい食用蛙を一匹食べさせてあげるわね~)

「開けてよ。何よもう、私が何かした?あんたに」

ドアがうっすらと開いた。

「……髪」
「ん?」
「早く抜け、髪を!」
「あ、うんありがと、それでねえベジータ今日のカレーの付け合わせなんだけどぉ!」
「うおっ……」

このタイミングを待っていたのだ。
あらかじめ用意しておいた鉄パイプをドアの隙間に差し入れて、テコにしてドアをこじ開けた。
中に居たベジータと一瞬目があった。ベジータは目を大きく見開いたかと思うと、バチン!と口を手で覆って素早く後ろを向いた。
そして、そのままベッドへ行き、うつ伏せに倒れ込んでしまった。

「どうしたのベジータ!」

ブルマは心配するふりでベジータに駆け寄った。

「顔色が悪いんじゃない?」
「……うるせっ……出てい……」
「大丈夫?ねえ」

もうワックワクしながら、ブルマはベジータの背中をさすってやった。手をあてると、ドドドド、と心拍が速まっているのがわかった。
焦っている。
ベジータが焦っている。
ブルマは嬉しくて踊り出したくなった。

「あ、母さん?なんかベジータ、具合が悪いみたいだから、父さんとご飯食べててよ。私、しばらく様子みてみる」

部屋にある電話で、キッチンにいる母親に連絡をいれた。
しばらく静かにしてあげたいからお部屋には来ないでね、と念を押しておく。

「クソ、何をしやがった」

ベジータはベッドに臥せたままで唸った。

「何が目的で…、お前の望みはなんだ?」
「え?なに?なんのこと?」
「とぼけるなー!どう考えてもおかしい!なんだこれはー!」
「“これ”ってなあに?」

くすん、と笑ってブルマはベジータの体に「えいっ」とのっかった。

「どけェ~!」

鬼気せまる面をして、ベジータは体を起こした。崩れ落ちたブルマと目があう。その瞬間ベジータは、まるで凍りついたような、恐怖にとらわれた顔をして、

「好ッ………きじゃねえぞてめえなんかーーー!」

ギュッと目をつぶって怒鳴ると、またベッドに顔を押し付けた。息が、だんだん乱れてきている。ブルマは、喘ぎ苦しむベジータを見ていると、なんだかムラムラと変な気持ちになってきた……。

「なあに?なんでわざわざそんな事言うの?」
「黙れ、消えろぉ~~」
「目を、どうしたの。痛いの?」
「近寄るな……」
「見てあげるから目を開けてごらんなさい」
「なんでもない!どっか行け!」
「目薬さしたげようか」

ベジータが両手で目を覆った。

「もう、頑固なんだから。うふふふ」
「やっぱりお前……何かしたんじゃねえか」
「ちょっとね。神龍に願い事したのよ」
「何ぃ?」
「あんたがね、私の目を見て、愛の言葉を言ってくれるようにって」
「また……!またかよ!またお前はそういうくだらねえ事を……、なんべん繰り返す気だーー!」
「私にとっちゃ大事な事なのよねー」
「付き合わねえぞオレは絶対に!畜生、あんな蛇の呪いなんぞに負けてたまるか……!」
「あの孫くんだって、奥さんに言ってるのよ?好きだって」

その時、くっ、とベジータの喉仏が動いた。ブルマはそれをめざとく見つけると、ムカッと腹がたってきて

「孫くんの話になるとあんたってばいっつもそうね!孫くんに対しては真剣になるくせに、私にはちっとも……悔しい~~」
「やめろバカ!はなせ!」
「こんの……、パンツを脱ぎなさいよぉ~~ベジータ~~!」

一方キッチンではブリーフ夫妻がカレーを食べていた。

「あなた、美味しい?」
「うん、うまいよ、モグモグ」
「ベジータちゃん、体の具合が悪いみたいだけど、大丈夫かしら?」
「さあ?ブルマが見てるから大丈夫じゃないのかな。ドレッシング取ってくれんかね」
「はいどうぞ」
「しかしまあ、この家もうちょっと防音した方がいいかもしれんね。モグモグ」
「あらそう?」
「ベジータくんのプライバシーが殆ど保たれてないような感じがするんだよ、可哀想に」
「ホホホ、そんな細かい事気にしてたら禿げてしまうわよ、さあさあ、おかわりを召し上がれ」
「モグモグ」

ベジータの部屋では、ブルマが痴女モードとなり、全力で襲いかかっていた。ベジータは精神的には神龍の呪いと戦いながら、肉体的には青目の痴女から己の操を守るためにガードを固めねばならない、とても困難な状況に追い込まれていた。
パンツのゴムに真っ赤な爪をひっかけて、ブルマはズリズリと引き下ろしてゆくが、ベジータはブルマの顔を見るわけにいかず、暗闇にいながらの防御しかできなかった。

「目が見えないから隙だらけよ!観念しなさいベジータ!おほほほ!」
「この…ッ…」

ベジータは目をつぶったまま、気を高めた。カーテンがはためき、窓がパン!と割れた。更に気を高めると、夜空に向かって一気に飛び上がった。

「きゃあーー」
「ああっ!?バカ!」

パンツのゴムに、ブルマの手が引っ掛かっていたため、なんと一緒にくっついてきてしまった……。

「バカヤロー!ぬ、脱げちま!はなせこのアマ」
「ぎゃーー落ちる落ちる」
「クッソてめえ、どこまでも迷惑な…」
「ダメダメ離さないで~」

ベジータは、仕方なく目を閉じたまま、ブルマを抱えてやった。
パンツから手をはなせと言うとブルマは素直に従った。

「畜生、なんなんだお前は」
「ふう危なかった…。ねえベジータ、どこへ行くの?」
「知らん、出鱈目に飛んじまっただけだ、今どこだ、ここ」
「わかんない。下に光が見えないから、西の都ではないと思うけど……」

ブルマはちょっとションボリしている。ぐう、と蛙の鳴き声がした。ブルマはお腹をさすって、

「おなかが減ったわ。早く帰ってカレー食べたい……、ねえベジータ、もう帰りましょ?」
「目が見えない。方向がわからん。お前の声で家まで案内しろ」
「どっちが家なのか、わかんない」
「……」
「ベジータ、なんだか寒くなってきたわ…。早く家に連れてって?」
「目を開けたらお前の思うつぼだろうが!民家を探せ、そこに下ろしてやるからあとは自力で帰れ」
「うーー」

ブルマが、ベジータの首に腕をまわしてきた。
それは木にぶら下がるナマケモノみたいな危なっかしい格好だったので、ベジータはイライラしながら腰を抱き、体勢を安定させた。

「ふあー。あったか~い」

前向きのピッタリ抱っこになっているので、これではブルマに地上の様子を見せられない。ベジータはブルマの体の向きをひっくりかえそうとした。
すると、突然ブルマは暴れだした。

「ぎゃあ!スケベ!こんなとこで変な気を起こさないでよーー!」
「違う、ただ向きを」
「なにこれ、空中プレイってやつ!?いいかげんにしなさいよ変態王子!」
「……てめえ。いっぺん下に降りやがれ」
「うひゃーーー」

真下に急降下して、着地をすると、そこは暗くて深い森の中だった。

るるる……。ぐるる。

と低い唸り声がどこからか聞こえてくる。
ブルマは怯えてしまって、ベジータにますますしがみついた。

「なんかいるわ、虎か狼か…」
「お前はここで待ってろ。オレが方角を確かめてくる」
「ふぁっ!?」

ブルマはビックリ仰天し、猿のようにわめき出す。

「こんなとこで私一人?嫌よ!猛獣がいるかもしれないのに」
「すぐに戻ってくる」
「ダメ!私も連れて飛びなさい!」
「お前が居たら目が開けられんだろ、くそったれめ!」
「いやだちょっと、マジで怖いわこの森。じゃあこうしましょ、今すぐ帰らなくてもいいから、夜が明けるまで抱っこしてて?」
「そんな事やってられるか。……おいお前、この神龍の呪い、いつ解けるようになってるんだ?」
「ん?」

そういえば…期限など何も設定していない。ブルマは、ぐるりと考えを巡らせてみる。

「さあ、わかんないわね、神龍に聞いてみないと」

他人事のようにブルマが答える。

「なんだと?」
「いっぺん言えば解けるかもしんないし、言ってしまっても一生効き目が続くかもしんないし。まあ、一年後にボール集めりゃ直るから、大丈夫でしょ」
「一年だと~!?オイ冗談じゃねえぞ!」
「わかんないわよ、いっぺんだけ言ってみたら?解けるかもしんないじゃないの」
「よせ、寒気がする」
「目を開けてよ、ほら私を見て」

頭上から葉擦れの音が、どっと嵐のように降ってくる。それと同時に名も知らない鳥の声が、ぎゃあーぎゃあーと、けたたましくこだました。
枯葉の吹きすさぶ中で、ベジータがゆっくり目を開けた。
諦めたようにため息をつきながら。

観念している。

ブルマは、それを認めると、急にベジータの事がいとおしくなってきた。首を伸ばして唇を強く合わせた。ピッタリと塞いで、くぐもるベジータの声を封じ込めてやった。
よく考えてみれば、神龍の力を借りて強制的に言わせた言葉なんかに、ときめきようがないのだ。
こんな言葉に、価値はない。

「言えた?私の口の中で、好きだって、ちゃんと吐き出せた?」

ベジータは黙って、目を伏せた。拗ねたように唇を少し歪めている。木の葉の混じった風が、色んな方角から吹き荒れてきて、ベジータは鬱陶しそうに舌打ちをした。

「もう一度見て、神龍の効き目がどうなったか調べるから」

再びベジータは目を開く。
黙ったままだ。
ブルマの目を真っ直ぐに見てくる。
ベジータの口は静かに閉じたまま、動かなかった。せわしない木々の葉擦れの音、うるさい鳥の声の中で、時が止まったようにそこだけが静かだ。
ブルマは内心ほっとして、

「効き目がきれたのね。良かった」
「……」
「今どんな気持ち?」

ベジータは無言のままだった。ブルマから視線を外すと、冷たくそっぽを向いた。どこか一点をジッと睨み抜いている姿が何かを狙う豹のようで、この真っ暗な森の中で、よく似合うとブルマは思った。

「真っ暗な中に居るあんたが、一番好きよ。明るい所じゃ見えないのよ、本当のあんたって。暗闇を背負っているのが、一番素敵だわ、好きよ」

ブルマはベジータの胸に耳をくっつける。さっきは速く打っていたのに、心臓の音が平常に戻っていた。神龍ではなく、自分の力で、この心臓をもう一度、高鳴らせてやりたいと思った。ベジータをきつく抱き締めた。

「腹減ったから帰るぞ」
「いやよ、家の中は明るいからつまんないじゃないの」
「お前、帰りたいんじゃなかったのかよ!」
「えー?なあに?葉っぱの音で聞こえないわ~」

ブルマは笑って、ベジータの首筋に鼻を擦り付け、クンクンと子犬のように誘った。耳もとで小さく囁いてみると、ベジータが鋭い目をブルマに向けてきて呟いた。

「……猛獣がいるんじゃねえのか、このあたり」
「あんた以上のヤツはいないから大丈夫よ、ねえベジータ」

枯葉の堆積の下には、分厚い腐葉土が敷かれている。横たわるとベッドと似たような弾力があった。

「真っ暗の方が、やっぱり好きよ。私をめちゃくちゃに抱いてくれるから。でもあんたもうちょっと、優しくしてくんなきゃいやよ、私、また神龍使っちゃうかもよ」
「……。木の葉がうるさくってなんにも聞こえない」

そのうち、葉擦れの音も鳥の鳴き声も、ブルマには聞こえなくなった。

【完】

2016年5月28日
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