節制

『身体状態、詳細求む』

とだけ書いたメモを、ブルマの部屋のドアに挟み込んだのが、ブルマ妊娠5ヶ月の頃だった。
色々と、限界が来ていた。
ブルマの気を探り続ける事にも疲れていたし、ブルマの『私に近づかないで』という禁止命令は見事に逆効果を発揮し、様子が気になってしょうがない心理状態を作り出していた。 メモを挟んだその日、適度に訓練した後に図書館へ行き、夜になって帰ってくると、キッチンのテーブルの上に、食事と手紙と変な機械と2冊の本が置いてあった。

『ああベジータ……、気がつかなくてごめんなさい。私の事がそんなに心配だったのね……。そうよね、愛する女と同じ建物の中にいるのに会えないなんて、苦しいに決まってるわよね。私だって苦しいもの、早くベジータに会いたいわ。ベジータは私の事をとても愛してるから……』

「ふ、ざ、け、や、がっ、てェ~~~~~~~~」

愛、好き、運命、情熱、会いたい、等の恋愛系単語がザクザク出てくる便箋を、イラつきながらすっ飛ばしてゆくベジータ。
便箋は全部で10枚あったが、そのうちの9枚はそのような乙女チックなバラ色の文面でビッシリと覆われていた。
そしてやっと10枚目に、

『あ、そうそう、私は変わらず元気よ。赤ちゃんも元気でーす!とりあえず連絡用の通信機を作ったから、説明書読んで暗号を覚えてね。あと、私の写真集をあげるわ。16歳の頃に作ったものだけど、寂しい時はこれを見て寝てね、うふふん♪ ブルマより』

とサラリと書いてあった。
「説明書……?」
ベジータは、背表紙に『暗号解読書(秘)』と記された、厚さ6センチにも及ぶ本をチラ見して、冷たい汗を書いた。
……非常に面倒くさい事が、増えただけのような気がした。
その横に置かれている大判の写真集の表紙には、バイクにまたがってピースサインをしているポニーテールの少女が載っている。
写真の端っこには、なぜかサルの尻尾だけが映りこんでいた。
……非常にくだらないモノが、増えただけのような気がした。

ピーピピ、ピピピ、ピピーピピー……

「なんでこんな原始的な機械なんか作りやがるんだーー!!畜生ーー!!」

その晩からベジータは、部屋に持ち帰った変な機械から発せられる信号音を、必死に解読するハメになる……。
が、そこは明晰なベジータの事。
ブルマの作った『暗号解読書(秘)』をあっというまに頭の中に叩き込み、難なく通信ができるようになった。
そして毎夜、ブルマから、その日の出来事や健診の結果などの報告が入るようになり、ベジータからは、了解の言葉や、重力室の状態等の報告を返して、最低限の連絡のやり取りが可能となった。

『ベジータ、食事は足りてる?怪我とかしてない?大丈夫?』
『問題ない。それより、そっちの身体と重力室の点検しっかりしとけ』
『ベジータ会いたいよ~…』
『もう0時だ。身体に障る。寝ろ』
『うん。おやすみベジータ、好きよ。また明日ね』

と、こんな具合である。
その変な機械は小さくて持ち運び可能だったので、いつでもブルマの通信を受けることができた。
ようやく心理的余裕を取り戻すことが出来たベジータ。
これで訓練に集中出来そうだ、と安堵したのだが、ある時ふと、部屋の椅子に置きっぱなしにしていた写真集が目に入った。
そして、表紙に映りこんでいる猿の尻尾が、やけに気になりだしたのである。

「……なんか似てるな……サイヤ人の尾に……まさか……」

まさか、まさか、まさか、と思い、写真集を開いてその猿の正体を探し始めた。
この時点では、16歳のブルマの写真などどうでも良かった。まだ身体の線も細い童顔のブルマは、小便臭いガキにしか見えなかったからだ。

「まさかこの尾は……まさか、カカロットの………ああッ!?」

ベジータが突然素っ頓狂な声をあげた。
頁を5、6回めくった所で、子供っぽいカジュアルな服装だったブルマが、いきなりハイヒールに網タイツのブラックバニーガールに変わったのだ。
頭には黒いウサギ耳がついており、尻には白いポンポンがついていて、真紅のソファーにけだるそうにもたれかかり、流し目を向けてセクシーポーズをとっている。

「…な……なんだコレは……」

これが本当に16のガキ……?と恐ろしげに呟きながら、ベジータは次の頁をめくった。
次もブラックバニーであった。
銀色の、蔦模様の施された美しい檻の中に閉じ込められて、不思議そうに首をかしげている。
ピンクの愛らしい首輪がつけられていて、ボールチェーンを指にまきつけていじくりまわしているポーズだった。 『ワタシハ、ダアレ?ココハ、ドコ?』という奇妙なタイトルがついている。

照明のあて方や、使用されている小物類、構図、表情の捉え方を見るに、これはセルフショットではなく、誰かプロの写真家に撮らせたものだという事が分かった。

猿の尻尾の正体のことなど、すぐに頭から消えうせてしまった。
ベジータは本格的に作りこまれている美しい写真集に、どんどんのめりこんでいった。
妖しいブラックバニーはやがて、水着姿に変わった。
水着は、花模様などの可愛らしいものから、胸元にえぐい切れ込みの入ったきわどいものまである。
そのあたりから、M字開脚ポーズがチラチラと出てくるようになって、ベジータの頁をめくる手は俄然のろくなった。
海で撮られていたので、若い肌が海水を綺麗にはじいているのが、宝石を纏っているようで美しかった。
夢中で頁をめくっていくと、今度は高級な下着姿に変わった。

「……オレは何をしてるんだ?」

ここでベジータは我に返った。

「オレは何を……クソッ!!なんだこんなもの!!ガキの身体なんか……しかも写真なんかに見とれる訳がねえだろうが!!このオレ様をなめるなぁーーー!!!」

何に対して激怒しているのかよく分からない混乱状態で、写真集を壁に叩きつけると、ベジータはさっさとベッドの中にもぐりこんだ。

「………」

……眠れない。
閉じた瞼の裏に、ブルマの写真がちらついて全く眠れない。
特に、ブラックバニーがちらついて眠れない。
10分程、羊を数えてみたが、とうとう睡魔を召喚するには至らず……。

「これは、あの尻尾のヤツの正体を突き止めるのが目的なんだ、別に16のガキの身体が見たいんじゃない」

と独り言を言いながら写真集の鑑賞に逆戻りしてしまった……。
つまりベジータは負けたのだ。
ブルマの体に触れられない日々が続いていたので、欲求が高ぶって仕方がなかったのである。男の性はどうしようもない。王子だろうがなんだろうが、どうしようも無い時はあるんだからどうしようもない……。

写真集の続きには、16歳ブルマの下着姿が次々と出てきて、その露出度やポーズはどんどん過激になっていった。
明らかに、男の欲望を煽りたてる事を目的とした淫らな格好が連続し、ベジータは変な汗をかいてガタガタと震え出した。
とうとう、上半身の裸が出てきた。
16歳の瑞々しい乳房が、隠されること無くそこにあった。
誰にも踏み込まれていない、真っ白な雪原のように見えた。今に比べるとやや小さめだが、形と色は完璧だった。
処女だ、と思った。
まだ誰にも侵入を許していないのが、顔の表情や体つきで分かる。
震える指で頁をめくると、全身素っ裸でベッドに横臥し、股間を手で隠しているポーズが出てきた。
残りの頁を確認すると、まだ写真は1頁余っている。
……という事は、順番からいって、次は“完全なマッパ”に違いない。
見てもいいのだろうか、とベジータは迷った。
次を見てしまったら、自分はサル以下のゲスに成り下がるのではないか、とベジータは今更になって猛烈に不安になってきた。

指が、そこでストップしたまま、30分が過ぎた……。



すでに、時間は26時をまわっている。
写真集を見始めてから、裕に3時間は経っていた。
いい加減、眠い。
厳しい訓練で、身体は疲れきっている。
だが目を閉じると、スライドのようにブルマの写真が次々蘇ってきて、神経が高ぶり、眠れない。
不眠が、どれ程訓練に支障をきたすか身を持って知っているベジータは、出来る限りの理知を働かせ冷静に考えたあげくに、次のように結論付けた。

「……この写真集……、このクソ忌々しい写真集を読破しない限りオレ様に安寧は訪れん……。ここは、さっさと終わらせるが得策だ。……何を躊躇することがある?たかだか16のガキの裸を見た所で、しかも写真ごときで、何を迷うことがあるのだ?よく見てみろ、ただのガキの写真だ。小便くせえガキだ!……故に、これから行う行為は、決して性的な、ゲスな覗き見などではない。オレが日頃から厳守している、“読みかけた本はその日のうちに最後まで読み終える”というルールに従った、ごく単純な終了作業だ。繰り返すが、今から行う作業は、断じて下劣な覗き見などではない。断じて…!!なあそうだろ!?貴様もそう思うだろカカロットーーーーー!!!!」

汗ばんだ指が、頁の端をしっかりと捕獲した。
猛烈な気合のためか、瞳の色に黒と翠の点滅が起こり、髪が金髪になりかけたり黒髪に戻ったりした。
歯を食いしばったベジータは、思い切って頁をめくった。
素早くめくったにも関わらず、目の前に新たな写真が現れるまでが超スローモーションに感じられた。

艶のある肌色が、目に飛び込んできた。
ブルマは最後の写真の中で、全裸でベッドに仰向けになり、片脚をすこし曲げて、優しく微笑んでいた。
その脚の根元にすかさず視線をうつすと、股間が何か四角いもので隠されていた。

「……んん?」

ベジータは目をこらした。
四角く見えたそれは、張り剥がしのできる一枚の付箋であった。
そこには、ちっちゃい文字で、

『きゃあ~ベジータのエッチ!そんなに見たいの?うふふ…いいわよ~特別に見せてあげる。これを剥がせば、あんたの見たいモノがバッチリ見れるわよ。ああんじれったいわねえ!悩んでないで早く剥がしなさいったら!』

と、ボールペンで書かれていた。

「ぬああああ~~~~~~!!!!!!」

死の間際の、断末魔だった。
雷鳴のような鋭い絶叫が、部屋いっぱいに響きわたった。
ベジータは写真集を勢い良く閉じ、その手の中で一気に燃やした。
ボワッ!と高い炎が立ち上り、黒い煙を感知した天井の火災用放水器から、滝のようなシャワーが降り注いだ。
降りしきる消火シャワーの中、超サイヤ人に変身したベジータの頬を伝う水の中に、果たして、涙は混じっていたのだろうか……。

その後ベジータは、ぐしょ濡れの部屋にありったけの扇風機を置き、自身はよろめきながらリビングに赴き、ソファーで睡眠をとった。

こうして、写真集との壮絶な闘いは終わった……。



『今日は外へ行く。飯はいらない』

変な機械でブルマに通信を送り、キッチンの食糧カプセルを掴むと、ベジータはカプセルコーポを出た。
写真集の最後で、ブルマにはめられた悔しさと、付箋の中を見れずに終わった悔しさとが、グッチャグチャになって物凄い欲求不満になっていた。
寝不足も手伝って、イライラは最高潮。
とりあえず腹いせに、誰かを殺してやりたいが、それは地球では『事件』として扱われて面倒なことになりかねないとブルマに忠告されていたので、グッと我慢する。

我慢、我慢、我慢。
どこに行っても我慢ばっかりだ。

いいかげん楽になりたいものである。

「畜生……」

地獄の方がまだマシだ、と呟きながら、少々ふらつきながら晴天の空をあてもなく舞空していると、非常にいや~な“気”を下方に感じてストップした。

「何だあれは」

高速で地上に降りると、岩と砂ばかりがひろがる不毛の地に、その人物は大の字になって突っ伏していた。

橙色の道着を身につけた、変てこな髪形の男。
悟空であった。
ベジータは思いがけぬ偶然の再会に驚いたが、すぐに真顔に戻ると、スタスタと悟空のそばまで歩いていった。

「オイ、カカロット」

と声をかける前に脚が出ていた。
無意識のうちに、悟空の背中を、ブーツの裏でふんづけていた。

「ぐっ、その声……ベジータか?」

と悟空が地面につっぷしたまま言った。
声が、カサカサにかすれている。

「貴様、こんな所で何をしてやがる。昼寝か?呑気なものだな……」
「いてて!!」

無意識のうちに、ベジータの脚に力がこもり、悟空の肋骨をきしませた。

「どうしたカカロット。気がどんどん小さくなってるぞ」
「ベジータ、その足、どけろおお!!ぐあああ!!」
「オイ!大丈夫かカカロット!ふははははは!!しっかりしやがれカカロットーーーー!!!!」

はーっはっはっはっは!!!

ベジータは高らかに笑いながら、悟空のわき腹にガンガン蹴りを入れ始めた。
「いてえ!やめろーー!」と、苦悶の表情を浮かべる悟空を見ていると、血がザワザワと騒ぎ、戦闘民族特有の脳内快感物質が膨大に放出されて、狂笑が止まらなくなった。

5分ほど悟空を嬲った所で、ようやく気が済んだベジータは、ズタボロになった悟空を見下ろし、

「一体どうしたのだカカロット。こんな所でぶっ倒れて」

と改めてたずねた。
悟空は目をつぶって苦しげに答えた。

「オラ修行に夢中になりすぎて……は、腹減りすぎて……喰いモン探しに行こうにも、飛べなくなっちまって……」
「へっ。マヌケな野郎め。ざまあみろ」

悟空の失態が嬉しくて嬉しくて、ベジータはニヤニヤが止まらなかった。 悟空は乾いた笑いをもらした。
「……ははは。ほんとだあ……オラなんてマヌケなんだろ。こんなんで、終わっちまうなんてなあ……。せめて、強えヤツと思いっきり戦ってる最中に、死にたかったなあ……」
「なにっ!?」

ベジータは、急速に激減していく悟空の気に、目をみはった。
悟空は本当に、空腹のために死にかけているのだ。

「はは……ベジータ……オラ残念だよ……最後におめえと、勝負できなくてよ……」
「待て!!死ぬなカカロット!!貴様に死なれたらオレは!!くそっ…!!」

ベジータは慌てて、持っていた食糧カプセルを5つばかり地面に放り投げた。

「コレを食え!!口をあけろカカロットーーー!!」
「うう……モグモグ……」

悟空の身体を仰向けにして、頭を支え、スプーンを用いて、食事を口に運ぶ。
傍から見ると、介護の風景である。
食糧を全て食べ終わると、悟空はひょっこりと上体を起こし、「おお!?リキがもどったぞ!!」と言ってガッツポーズをした。

「サンキューベジータ!なんだおめえ、性格わりいヤツかと思ったら、案外優しいとこあんだなあ~!」
「勘違いするな!貴様を殺すのはこのオレなんだ!その前に餓死なんかされてたまるか!」
「わはは、サンキューサンキュー」
「それよりも、食糧をきらして死にかけるなど……。なんだその備えの怠りようは」
「いやあ、いつもはチチの弁当持って遠出するんだけどよ。チチのやつ、悟飯連れて家出しちまって……弁当無くてよ。しょうがねえから、そこらへんのイキモン捕まえて食えばいいかと思って気楽に考えてたらよ、このあたり、イキモンが一匹もいねえの。気づくの遅すぎたなあ…。きっと弁当の習慣に慣れすぎてたんだなあ……」

この馬鹿が、と吐き捨てて、ベジータはきびすを返した。とりあえず悟空の一命はとりとめたので、もう用はねえとばかりに舞空しようとした瞬間。

「はあ……チチに会いてえなあ……」

と、悟空がひとりごちた。
いつもの、めでたい能天気さ、元気一杯の明るい声とはほど遠い、哀愁さえ感じられる声だった。
ベジータがピクリと耳を動かした。
心の奥から、なにやらムクムクと、真っ黒い好奇心がわきあがってきた。
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