side, She 「Mon loup」

あなたが夜を彷徨う孤独な狼なら、
わたしは、あなたを導く星になろう。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
『He is like the sun rising in the eastern sky.』
𖣔Self Fan fiction.
side, She 「Mon loup」
Episode:Sirius.
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
とある日の真夜中。
誰かに呼ばれたような気がしてわたしは目を覚ました。
ふわふわの掛け布団にくるまったまま、ふかふかの枕にのせた頭をおもむろに動かす。……寝ぼけ眼でまばたきをしながらヘッドボードに置いたデジタル時計で時間を確認しようとして───今いるのが自分の部屋ではなかったことを思い出し動きを止めた。
ここはアズマさんの部屋だ。昨夜、仕事終わりにお邪魔してお夕飯を一緒に作って食べたあと、使い終わった食器を片付けていたら後ろからぎゅっと抱きしめられて「遅いから泊まっていけよ。」とお許しを頂戴したのだ。
お付き合いを始めたばかりの頃はご自宅にお邪魔しても日付が変わる前には必ず送り届けられていた。アズマさんは他人を家に上げることにあまり積極的ではないようで、ましてやお泊まりなんてもっての外だった。ではわたしが彼を自宅に招待すれば問題ないのでは!?と閃き意気揚々と提案したら、険しい顔で「男をほいほい家に上げるな。」と言われてしまい、わたしのプレゼンテーションは失敗に終わったのである。
けれども月日を重ねた今は違う。
わたし達はともにお互いを尊重しながら少しずつ距離を縮めてゆき、信頼を築きあってきた。アズマさんが心を許してくれるまでは絶対に彼のパーソナルスペースを侵さなかった。アズマさんが帰ってくれと言ったら我儘を言わずに帰る。彼が嫌がるときは無理に家に上がらない。どんなに一緒にいたくてもその気持ちが彼の負担になるようなら無理強いはしたくなかった。わたしの『好き』を伝えるより、アズマさんの『不安』を和らげてあげたかったから。
人を信じることが怖いと言った、彼の不安を。
それはまるで傷を負った狼に「わたしは敵じゃないよ。あなたを傷つけないよ。」と根気強く言い聞かせるみたいな日々だった。アズマさんから「悪い」と謝られるたび、彼が心に負った傷の深さを思い知らされて苦しくなった。けれどそれでも諦めなかった。大好きなアズマさんの傍にいたかったから。
そしてアズマさんも同じくらいわたしを受け入れようと努力してくれていた。わたしが伸ばした手におそるおそる鼻先をくっつけて、匂いをかいで、顔を擦り寄せてくれるみたいに。彼が、わたしの思いを受けとめて、応えようとしてくれている。そのことがたまらなく嬉しくて、この人をずっとずっと好きでいたいと思った。
わたしの愛しい狼の、心安らぐ居場所でありたかった。
(……眠れません。)
目が冴えて寝つけなくなってしまったわたしは、ふと窓の外に視線を向けた。
夜空では星たちが内緒話をしているみたいにちかちかと瞬いている。その光は宝石の欠片のように美しいけれど、ひとときの夢のように儚い。……今夜は月が瞼を閉ざしているから、星明かりだけでは心許なさを覚えてしまう。
暗闇が苦手なわたしは思わず隣で眠るアズマさんに身を寄せていた。彼のスウェットの袖をきゅっと掴んでさらに近づけば、嗅ぎ慣れた香りとあたたかいぬくもりがふわりと包まれる。おそろいのボディーソープを使っているから同じ香りを纏っているはずなのに、わたしのそれとは全然違う。アズマさん自身の匂いと混ざりあっているからなのか傍にいるだけですごく気持ちが落ち着いて、ぎゅっと抱きしめてほしくなる。───そんな不思議な香りだった。
(アズマさん。)
心の中で彼の名前を呼ぶ。星に祈りを捧げるように。
そのときだった。……彼が苦しげに身を捩らせたのは。
「ッ、……、は、」
大きな体が寝返りをうった。こちらに向けられた背中が辛そうに丸められ、肩が浅く上下している。わたしは半身を起こすと背中越しにアズマさんの顔を覗き込んだ。
「……、ぅ、 ッは、…ぁ、……ぐ、っ、」
「アズマさん…?」
肩を揺すって呼びかけてみるけれど、目覚めない。星明かりだけでは彼の顔がはっきり見えず表情を確認出来ないが、悪夢に魘され苦しんでいるのは明白だった。浅く不安定な呼吸を繰り返しながら首もとを掻き毟るみたいに鷲掴み、全身を強ばらせている。そして時々唇が戦慄いて、今にも消え入りそうな声で譫言を零す。
「………は く、 ……、て ……くれ、」
アズマさんがなにを言ったのかはわからない。
ただ、浅いだけだった彼の息遣いがぜえぜえと喘ぐような荒い呼吸へと変わり始めたことで、わたしは直感的に『今すぐ彼を起こさなければならない』と思った。でなければ、この人の魂が悪夢に囚われて二度と目覚めなくなってしまうような気がしたから。
「アズマさん、アズマさん!」
彼の腕を両手で掴み、強く揺さぶりながら名前を呼ぶ。何度も何度も。彼を悪い夢の中に閉じ込めようとしている悪魔を追い払うために。
そうして激しく体を揺すりしつこく呼びかけ続けること数十秒。きつく閉ざされていた彼の瞼がふっと開き、スカイグレーの瞳が暗闇を映して虚ろな光を宿した。その瞳孔は緊張のあまり大きく散大しており、なにもない虚空を呆然と見つめている。眼球が小刻みに揺れていて視点が定まっていない。
「アズマさん、しっかりして。……わたしのこと、わかりますか?」
「 、───…、 ……ッ、…?」
顔を覗き込んで懸命に呼びかけると、しばらくしてようやく彼の目がわたしを見た。開いていた瞳孔がゆっくりと小さくなり、眼振もおさまる。呼吸は依然として不安定なままだけれど、わたしの姿を視界に認めたことで悪夢から現実に戻ってきたのだと頭が理解したのか、少しずつ安定してきているようだった。
わたしはほっと胸を撫でおろした。鬣のような彼の金色の髪に指をとおし、優しく掻きわける。……前髪は冷や汗で湿っていた。シャワーを浴びた後みたいに。たったそれだけでも、この短時間でアズマさんがどれだけの苦痛に見舞われたのか推し量るにあまりある。目が覚めたにも関わらず彼の大きな手はいまだ自分の首もとを掴んで離そうとしなかった。
「アズマさん。……もう、だいじょうぶですよ。」
彼の頬を手のひらで包み込む。
自分の首を絞めつける指を一本ずつ、ほどいてゆく。
彼に纏わりついた悪夢の残穢を拭い去るみたいに。
「…………な ん、…?」
「ひどく魘されていました。苦しくないですか?」
「…………ああ、 もう、…なんとも、……ねぇ、」
「よかった。」
わたしが安堵し微笑むと、アズマさんがおもむろにわたしに手を伸ばした。その震える指先ごと大きな手のひらを引き寄せてぎゅっと強く握り、そのまま頬擦りをする。お互いの表情さえ鮮明に見ることが叶わない暗闇の中にいても、だいじょうぶ、わたしはここにいるよと彼に伝えたかった。
アズマさんはわたしの存在を確かめるみたいに何度も何度も頬に触れた。そしてその手がわたしのそれごとゆっくり下へ下へと下がってゆき、横たわったアズマさんの首筋へ誘われる。汗ばんだ彼の膚は触れるだけでしっとりと吸いついてきて、かすかな背徳感に駆られてしまった。
しかしふいに、つかまえられたわたしの指先が彼の太い首にするりと回されたことではっと息を詰める。
「あ、アズマさん…!?」
慌てて手を離そうとした途端彼の虚ろな瞳がぐらりと揺らいで、ひどく苦しげな声で「……離すなよ、」と縋られてしまい抗うことが出来なくなる。わたしはやむにやまれず、アズマさんのしたいようにさせてあげることにした。
彼は本当に自分の首を絞めようとしているわけではないようだった。ただわたしの手を離すことはせず、夢から覚醒したばかりの輪郭がぼやけた思考を弄びながらわたしを見つめてくる。……けれどその瞳にわたしは映っていないような気がした。「…アズマさん?」と呼びかけてもなんの反応も示さないからだ。
しかししばらくしたとき、うっすらと開いた唇からかすれた声が紡がれた。
「………いやか?」
いつもの彼に似つかわしくない、拙い口調だった。
わたしは質問の意図が汲み取れず、アズマさんが言いたいことを理解しようと懸命に言葉を返す。
「いや、というのは?」
「…………こうするの、」
「首を絞める、ということでしょうか?」
「…そう、」
嫌かと問われ、考え込む。
少し前、確か何度目かのセックスのときにも同じことを聞かれたような気がする。自分の上に跨り、手加減せずに首を絞めてほしいと強請られ、驚愕と動揺のあまり思わず強く拒んでしまった。アズマさんの命を危険に晒すような行為はしたくないと。
狼狽えるわたしを見た彼は可笑しそうに肩を竦め「オマエの腕力じゃオレは殺せねぇよ。」と言って笑っていた。……けれどもその言動がわたしにとってはあまりに不謹慎に思えてしまって。
『殺すとか死ぬとか、そういうことを軽々しく言わないでください』といつもより強い口調でそう訴えたとき、アズマさんははっと口を噤んだあと、形のいい柳眉をしゅんと引き下げて「……悪い。もう二度と言わねぇから、」と素直に謝ってくれた。だからわたしもそれ以上彼の真意を追及することはしなかった。
「アズマさん、」
「……悪い。」
なだらかな瞼がなにかを諦めるように閉ざされる。
力のない自嘲的な笑みを浮かべたアズマさんがかすれた声で静かに独りごちた。
「いやだって、わかってて聞いた。」
「どうして…?」
「夢、……見たから。」
「…どんな夢ですか?」
「オマエが……願いを叶えてくれる夢。」
そこまで言うと彼は深く息を吐き出した。ひどく疲れているみたいだ。悪夢を見たから心身ともに休まっていないのだろう。……心做しか顔色も優れない気がする。一刻も早く眠らてあげないといけない。
わたしは小さな子どもを宥めるみたいにアズマさんの頭を優しく撫で、出来るだけ穏やかな声で語りかけた。
「アズマさん、もう寝ましょう…? まだ真夜中です、夜は体を休める時間ですから。」
「……起こして、わるかった。」
「謝らないで。…ね?」
「……ん、」
意外にもアズマさんはすんなり頷いてくれた。しかしほっと息をついたのもつかの間、わたしの手に自分のそれを重ねて上から力を込め、今度こそ本当に首を絞めあげる。
「アズマさん、だめ…!」
懸命に抵抗するけれど、太い腕も、大きな手も、わたしの力ではびくともしない。さっきまで悪夢に魘されて茫然自失としていたとは思えない凄まじい力だ。
ただ、わたしをとらえる眼差しはひどく弱々しく、虚ろで。
「…………オマエが、 終わらせてくれ、」
星明かりを宿した瞳が、仄かな狂気に揺れる。
「オレの ことが、………いらなくなったら、オマエが、 オレを……こわして、」
神に祈る信者のように。
母に縋る幼子のように。
自らのすべてを捧げ、希う。
「……なぁ、 ───…、」
声なき声が、わたしを呼んでいる。
彼が望むのは救済か。或いは、破滅か。
そのどちらかを、わたしはこの人に与えてあげられるのだろうか。
「……どこにも、いかないで。 ───おねがい、」
その願いを、叶えてあげられるのだろうか。
(……アズマさん、)
彼の心に巣食う、真っ黒な闇。
その闇はどんな希望の星明かりも覆い隠してしまうほど深く、暗い。孤独な狼を幾度となく惑わせ、迷わせ、絶望の深淵へと追いやってきたに違いない。そしてそのたびに彼は大いなる代償を払い、自らを傷つけながら前へと進んできた。それ以外に自分を守る術を知らなかったから。
そうするうち、苦痛そのものを感じなくなっていった。それこそが『強さ』なのだと、アズマさんは自分を洗脳して生きてきたのだ。
わたしに出逢うまで、ずっと。
アズマさんの力がふっと弱まり、手が解放される。彼の首まわりには赤い鬱血痕がくっきりと浮かんでいた。……まるで、わたしが彼に首輪を嵌めたかのように。
「アズマさん、───あのね。」
彼にそっと口づける。
右の前腕。左の眉尻。───愛しい彼の体につけられた、消えない傷痕たち。残酷な悪魔に喰らい尽くされた、哀れな願いの残骸。彼が苦痛と戦い続けてきた証。
そしてアズマさんは自らの過去に心をとらわれ続けている。
彼を縛りつける呪縛にはなりたくない。
わたしは守りたい。心を呑み込まんとする闇から、体を苛む痛みから、降りかかるすべての苦しみから、わたしの愛する人を。
「わたし、あなただけの青星になりたい。」
青星(シリウス)。
夜空でもっとも明るく輝く星。旅人を導き誘う道標。
あなたが光を見失っても、暗闇に追い詰められようとも、わたしが傍にいて必ず救い出す。絶望から掬いあげてみせる。この手を絶対に離さない。離れない。
たとえ太陽と月が堕ちて世界が終わるとしても。
どうかわたしに願うことをやめないで。愛しいあなたの腕の中で輝き続けていたい。
「わたしが絶対に、終わらせたりしません。なにがあってもあなたを一人にしないと、約束します。……ですから、この先もずっとあなたの傍にいさせてください。」
それが、星(わたし)が瞬く意味。たったひとつの願い。
叶えられるのは、あなただけだから。
鼻先が触れあうほどの至近距離からアズマさんがわたしを見上げている。その眼差しは悪夢から覚めた直後よりも幾らかはっきりとしていて、空虚さや狂気はすでに失われつつあった。あの破滅願望にも似た得体のしれない感情はもう、どこにもみられない。
ふいに彼の手がわたしの髪を掻きあげ、器用に耳の後ろにかけた。そのまま指先をそっと毛先へとくぐらせ、その柔らかさを堪能するかのようにゆっくりと梳きながら、うっとりと魅入った声でわたしを呼ぶ。
「……なぁ、」
「はい。」
「もっと、……近くに来てくれ、」
来てくれとねだりつつ、今度は後頭部に手を回して強く引き寄せる。わたしはアズマさんの胸もとに体を委ねた。彼のぬくもりも、香りも、声も、眼差しも、すべて自分だけのものにしたくてたまらなかった。窓の外の星々にさえ見せたくない。
「ぎゅってしてもいいですか?」
「…ああ、いいよ。」
「アズマさんも…、」
「……ん。」
腰に回された腕に一際強く抱きしめられる。だからわたしも両手をめいっぱい回して彼の体を包み込んだ。
衣服越しに触れあう肌の奥から、命がまたたく音が聞こえる。
それは、わたし達が生きている音。ともに在るという証。
「おやすみなさい、アズマさん。」
「……ああ、おやすみ。」
わたし達はふたたび目を閉じた。
だいじょうぶ、きっともう悪夢はやってこない。
空に光る星影が眠りにつくまで、ふたり一緒に優しい夢を見よう。
「アズマさん、大好き。」
明日も、明後日も。
───星のまたたきが止まろうとも。
- END -
side He ‣‣ Episode:Étoile d’espoir.