side, She 「Mon loup」

花薫る風よ。
どうか彼を攫わないで。
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『He is like the sun rising in the eastern sky.』
𖣔Self Fan fiction.
side, She 「Mon loup」
Episode:儚桜
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萼を離れた花弁たちが風に舞う。
肌寒さは日に日に遠のき、気温の和らぎに呼応して蕾を咲かせた花々はわたし達に春の訪れを告げてくれる。枝から溢れんばかりに開いた花弁は、新たな季節の始まりにはしゃぐ無邪気な春嵐によって季節はずれの吹雪のように空を霞ませた。
───四月。
『花残月』とも呼ばれるこの季節には、新しい生命のきらめきと終わりゆく物悲しさとが両立するものだ。
「綺麗ですね。」
咲きこぼれる桜の樹の下で、わたしは思わず感嘆の言葉を漏らしていた。青々と茂るやわらかい芝生の上を歩きながら、枝葉の隙間から差し込む陽の光の眩しさに目を細める。頭上を彩る花の天井を見上げ、うっとりとため息をこぼしながら、まるで夢の世界にでもいるかような心地がしていた。
「……わ、」
───ふいに風が吹く。花弁が舞い踊り、靡いた髪にやがてそのひとひらがじゃれつきくっついたけれど、花見に夢中になっているわたしはまったく気がつかない。頭に花を乗っけたまま上を見上げていると、すぐ後ろで可笑しそうに笑う低い声が聞こえた。
「可愛らしい髪飾りだな、お嬢さん。」
「髪飾り…?」
振り返り、はたと首を傾げる。すると大きな手がこちらに伸びてきて、梳くように髪に指をくぐらせた。花びらだけを器用に摘んでみせ「ほら。」と差し出してくれる。……たったそれだけなのに、彼のさりげない優しさを感じて胸がきゅんと甘く締めつけられた。
「あっ、ありがとうございます…!」
「似合ってたけどな。」
アズマさんは茶化すようにそう言い、微笑んだ。彼の瞳に滲んだ桜色がその眼差しをいつもより柔和に見せている。とても穏やかでリラックスした表情。……わたしと二人きりでいるときにしか見せない、特別な顔だった。
今日は少し遠出をした。SNSで有名な花見の名所が丁度見頃を迎えていると伝え聞き、ぜひ一度見に行きたいと思ったのだ。
わたしは迷うことなくアズマさんを誘った。なにせ急だったからすでに予定があるかもしれないと思ったけれど、話をしてみると二つ返事で「いいぜ」と了承してくれた。花に興味はないけれど、花を見て喜ぶオマエが見たいと言って。
貴重な休日であるにも関わらず当たり前のようにわたしの我儘に応えてくれる彼が愛おしくてたまらず、気づいたら「アズマさん、大好き。」と愛の告白をしていた。春を迎えた花々がその蕾を開くことを止められないように、わたしもこの人への募る恋心をとどめておくことなど出来なかった。
アズマさんはわたしの言葉に一瞬面食らったような顔をしたあと「急にどうした?」と肩を竦めて笑った。人からの好意を受け取ることがまだ少し不慣れなようで、どう反応するべきなのか戸惑っているみたいだったけれど、出会ったばかりの頃の反応と比較するとかなりぎこちなさが目立たなくなったように思う。……以前の彼であったらあからさまに眉を顰めて「なに言ってんだ?」という顔をしたと思うから。こうして二人で過ごす時間が長くなるにつれて、いつかわたしの言う「好き」や「愛してる」がアズマさんにとって当たり前になりますようにと願ってやまない。
「嬉しいです。今日、一緒に来られて。」
「そうか。」
彼が目を細める。スカイグレーの瞳が春の陽差しを受けて水晶のようにきらめいた。喜びに頬を染めたわたしを優しい眼差しで見つめ、それからふいに両の瞼を伏せる。
「だったら、よかった。」
心許ない声だった。普段の冷静な物言いとは違う。心の片隅に残った一抹の憂いを拭い去ることが出来ずに、かすかに震えている。彼の口もとに浮かべられた微笑みが喜びだけではないほかの感情を孕んでいるような気がして、わたしは思わず彼の傍らへと駆け寄った。
「アズマさん。」
「…ん?」
「アズマさんも、嬉しいですか?」
「オレ?」
「はい。」
「…なんで?」
「わたしも、アズマさんに『嬉しい』って思ってほしいから。」
彼を誘った理由は、わたしが桜を見たかったからだけじゃない。二人で花を愛でて、綺麗な景色を見て、一緒に笑い合うことが出来たらきっと幸せだと、そう思ったからだ。自分が暮らす街にも桜は咲いているけれど、いつもより少しだけ遠出をして、非日常の中で美しい花々を眺めながら特別な時間をともにする。ほかでもない、愛する人の隣で。
見るもの、聞くもの、感じるもの、それらを二人で分かち合えること。それがわたしの一番の喜びであり『幸せ』だった。そして、アズマさんも同じ気持ちであればいいと、一縷の願いを抱いて今日此処に来た。
「『辛い』や『悲しい』だけではなくて、『嬉しい』も『楽しい』
も、……『幸せ』も、アズマさんと一緒に感じていたいんです。」
わたしがこの人の痛みや苦しみを肩代わりすることは出来ない。けれど、これから先彼に降りかかるであろう悲しみや困難をともに乗り越えることは出来る。齎される喜びや幸せを分かち合うことは出来る。───だから今日、二人で一緒に桜を見たいと思った。
わたしの言葉を聞いてアズマさんがわずかに目を見開く。スカイグレーの瞳が小さく揺らぎ瞼の奥へと閉じ込められる。……まるでなにかに思いを馳せるように伏せられた両目を、わたしはただ見つめていた。風と光に踊る桜吹雪の中で。
「……悪い。」
彼が謝罪を口にする。先ほどよりさらに小さな、消え入りそうな声をしていた。
この人の癖だった。わたしが向ける思いや言葉、行為に対して、なにをどのように返したらいいかわからなかったり言うべきことが見当たらないとき、彼はわたしに謝る。自分を責めることを止められずにいる。まるで刷り込まれたみたいに。
「オレはただ、オマエの望みを叶えただけだ。……オマエが笑うなら、花でも星でもなんだって見せてやる。」
「アズマさん…、」
「けど、オレにはまだよくわからねぇ。……『嬉しい』ってのが、どういう気持ちなのか。」
大きな手で自分の衣服をぐしゃりと掴む。皺になるほどの強い力で、胸を掻き毟るような手つきで。
わたしは思わず手を伸ばしていた。そうして苦しげに力む甲から伝わってくる体温を感じたとき、胸の奥がかすかな痛みを帯びる。心臓に無数の細い針を突き立てられたみたいな感覚だった。
わたしは直感する。
───この痛みは、彼のものだ。
「アズマさんがわからなくても、わたしが教えます。」
「…教えても、わからなかったら?」
霞がかった空のような色の瞳がわたしを見下ろしている。静かで凪いでいるけれど、なぜか泣きそうに見えた。
アズマさんは苦痛に強い人だ。けれどもそれは生まれ持った特性などではない。幼い頃から受け続けてきた体罰や精神的虐待、リストカット等により、本人の意思とは関係なく後天的に耐性がついただけのことだ。───否、耐性を『つけざるを得なかった』と言うべきだろうか。
アズマさんの肉体と精神は長く苦痛を受け続けたことで自ら感覚を閉ざしてしまったのだと思う。或いは、頭の中の感情を自覚する機能そのものが麻痺したのか。彼が苦痛だけではなく喜びや幸せを感じにくいのもおそらくそのせいだろう。
「では、次は五月に藤の花を見に行きましょう!」
「…藤?」
「はい!何事も反復練習は大切です。ですから、これからも色んな場所に二人で行って、綺麗な景色を見たり、美味しいものを食べたりしましょう?」
「……なんで、そこまでする?」
「わたしも、アズマさんを理解したいから。」
アズマさんは以前わたしにこう言った。
「自分は人の気持ちがわからない人間だ」と。
目の前の相手がなにを考えているのか、心に思いを馳せるだけでは理解が出来ないのだと。だからいつも顔色や口調、声音、瞬き、視線、呼吸、仕草等ありとあらゆる兆候を観察して心理を分析することで『最適解』を導き出しているのだと、そう言っていた。
その話を聞いたとき、わたしは真っ先に思った。
───事情聴取みたいだ、と。
相手のことをもっと知りたいとか深く理解したいとか、そういう寄り添いの意図はそこにはない。まるで、容疑者の供述の中に巧妙に隠れされた犯行動機を見極め、事件の真実を突き止めようとするかのような行為だ。
事情聴取には凄まじい集中力を要する。容疑者一人にかける時間が長引くほど、聴取を担当する刑事も確実に疲弊していく。つまりアズマさんは人と関わることで少なからず精神をすり減らしているということだ。
だから彼は一人でいることを好むのだろう。他人と関わることに積極的でない理由は、疲れるからだ。人一人との関係を築くとき、相手の気持ちをわかろうとするために消費される精神エネルギーのようなものが彼はわたし達よりもはるかに大きいのだと思う。
喩えるならスマートフォンのカメラのようなものだ。
端末のスペックは同等でも、標準装備のアプリケーションが高機能であれば高画質・高精細な写真が撮影出来る。
逆に標準装備の機能が低ければ写真の画質も荒くなってしまう。不足した能力を補うためにはほかのアプリケーションを一からインストールしなければならず、そうなると本体の容量もどんどん圧迫されてゆく。……結果、通信速度の低下やバッテリーの過度な消耗、最悪端末そのものの劣化にも繋がりかねない。
他者の心を景色だとするなら、わたし達はそれを映すカメラだ。
わたし達は無意識に相手の心にレンズを向け、その機微を察知し切り取りながら生きている。意識していないということはさほど難しく感じていない証拠だ。人の気持ちを考えるという一見複雑に見える行為を、自分達は案外簡単にやってのけている。目の前の景色を手元のスマホで気軽に撮影するみたいに。勿論、写真の画質や解像度には個人差があるけれども。
「…なんで、理解してぇの。」
「あなたが好きだから。」
「……じゃあ、オレは?」
アズマさんがわたしに寄りかかる。項垂れるみたいに自分の額をわたしの肩に押しつけて、弱々しく縋りついてくる。
「オレは、オマエの気持ちがまだよくわからねぇ。自分がどう思ってるかさえ、曖昧なままだってのに。」
きっと、わたし達にとっては簡単に思えることでも、アズマさんにはこの上なく難しいのだと思う。
彼のカメラには、高機能なアプリケーションもついていなければ相手の心を高画質で映せる高精細レンズも備わっていない。だからやむなくほかの機能を代用しているのだ。刑事として培った心理分析能力を駆使して最適解を導き出す。……まるで、撮影した画像をアプリに読み込ませて類似情報を検索するみたいに。
アズマさんが「疲れる」と言った理由がよくわかる。体ではなく心が疲弊するのだろう。想像以上にエネルギーを浪費する行為だ。言ってみれば、四六時中容疑者を事情聴取しているようなものなのだから。
───けれど。
「ちゃんとわかるようになりてぇんだ。……けど、ちっとも上手くやれねぇ。オマエの言う『嬉しい』も、『好き』も、オレにはわからねぇ。」
「…はい。」
「それでも、オマエには笑っててほしい。オマエが望むならどんなことだって叶えてやりたい。」
「アズマさん、」
「その役目はオレだけのものであってほしいって、……そう、思ってる。」
耳元で彼が囁く。寂しげに震える、切ない声。
彼は、わかろうとしてくれている。
悩みながら、戸惑いながら、わたしと同じ景色が見られるように懸命に最適解を求め続けている。そうして必死にかき集めたものを余すことなくわたしに与えようとしてくれる。心許ない手つきで。
本当は怖くてたまらないのだと思う。
間違ってはいないか。歪ではないか。受け取ってもらえるのか。恐れ、躊躇いながらも勇気を出してわたしに差し出そうとしてくれている。
「……そう思うのは、オマエのことが好きだからか? 」
顔を上げた彼が泣きそうに笑った。
桜に攫われてしまいそうな、儚い微笑みだった。
花びらを空へと舞い上げる風が彼の金色の鬣を揺らす。わたしはアズマさんがどこにも連れて行かれぬようその大きな手をぎゅっと強く握った。春風でも、目が霞むほどの桜吹雪であろうとも、この人をどこにも連れて行かせはしない。
「はい、きっと。」
わたしは祈るような気持ちで頷いた。
───ねぇ、アズマさん。
あなたはきっと気づいていないのでしょうね。
あなたがそうやっておそるおそるくれる言の葉が、わたしをどれだけ喜ばせているかなんて。
「わたしも、アズマさんには笑っていてほしいです。わたしにあげられるものは、あなたにぜんぶあげたい。」
わたし達はすべてを理解しあうことは出来ない。
けれども、本当に尊いものは相互理解ではなく、わかり合えないことを受け入れながら相手を尊重し、寄り添い続けることだ。
そうやって分かち合ってゆきたい。心を苛む苦痛も。散りゆく花の美しさも。薫る風の心地良さも。光の眩さも。
あなたと、ずっと。
この桜を二人で眺めた今日のように。
「わたしの望みはとっくに、あなたなしでは叶わないんですよ。」
風に揺れる枝からこぼれた桜花が、やっと安堵の笑みを見せた彼の肩にふわりととまった。
- END -