第十一章-前編-



クレシスはそれきり何も言わなかった。

……それが救いだった。


ラディス。


そんな声がまだ焼き付いて離れない。

脳裏に思い浮かぶのは彼と過ごした思い出の日々。政府に提出するはずの資料を期日前夜まですっかり忘れて、お前は小学生かと呆れられながら一緒になって片してくれたことを覚えている。たまたま脱衣所に忘れ物をした時、浴室から鼻唄が聞こえたのを後日何の気なしに話したら顔を茹で蛸みたく真っ赤に染め上げたっけ。

……それから。


狡いよ。

こういう時、人が神様に語りかけるのを知ってるんだろ。こんなのが正義かと嘆けばそんなものだと笑い、これでよかったのかと問えばそれでよかったのだと。


――こんなはずじゃなかった、って認めてくれよ。

じゃなきゃ、こんな結果で救われるはずがないじゃないか……っ


「……ラディス」

クレシスが静かに呼んだ。


「兄さん」


その声に思わずぎくりとした。感傷に浸っていたのが、嘘みたいに。
 
 
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