第一章
どういたしまして、と。
小さく──本当に小さな声で呆然と呟いた。
……なんだろう。
どうして、目が離せないのに例えば恋煩いのように心臓が内側から胸を叩かないのだろう。そんな違和感など気に留める必要ないはずなのに何故だか気を逸らせない。それとも僕がただ単に見えない魅力に取り憑かれているだけ──?
「くく」
失笑する声にルーティはそれまで自分が長く見つめすぎていたことを悟って我に戻ったかのように顔が熱くなるのを感じた。すみません、なんて吃り声で断りを入れた気がするけどもう覚えていない。
「……いや」
その人は何かを言いかけたところで袖を引く少年に気付くとさながら子を宥める母親のように。
「分かったよ。帰ろうか」
少年はその人の右手に髪を撫でられるのを心地よさそうに受け止めた後でルーティを見た。この世界の穢れなど一切知る由もない純粋無垢な赤と青の眸は何を思ったのか。
「では」
その人にぽんと肩を叩かれ促されて。少年はその後を遅れて追いかけたが表の通りに抜ける直前でふと立ち止まり振り返ると。
「ばいばい」
ああ。
この世界は今日も上手く回っている。
「兄さん」
「ん?」
「何してたんだよ」
行き交う人々は知る由もない。
「さっきそこから野良犬が出てきたんだけど」
「ああ。その犬どうした?」
「殺したよ。だって危ないもん」
日常に紛れ込んだ不純物の存在を。
「だと思った」
気付くはずもない。
「ごきげん?」
少年はじっと見つめて訊ねる。
「、……そうだな」
三日月に歪んだその右目の眸は。
蒼く沈んだ海のように。
「そう珍しくもなくなるさ」
失笑は喧騒に溶ける。
「これから先──そんな日が続くだろうからな」