英雄のプレリュード
……我ながら。
最低な言い分だとは思う。
それでも実際にそうだったのだ。いつも柔らかく笑って勉強も運動も好意も期待以上のものをそつなく淡々と。自身の生まれながらの環境が恵まれた立ち位置であると分かっていたからこそ間違った選択で引き摺り下ろされたくはなかったし道を踏み外さず安定を選んで、その上で向けられる特別な情に要領よく応えていれば欲しいものは支障なく得られた。
思い通りにならないことに対して我が儘を振り翳したいわけじゃない。第一に自分の望んだ通りにならなかったなんてことはこれが初めてじゃない。
忘れてしまえばいい。
目を背けて背中を向けて遠ざかればいい。
自分とは無縁の世界だった。
たったそれだけの話であるはずなのに。
「ラディス」
トキは静かに名前を呼んだ。
振り返れば真剣な面持ちの彼の姿がそこにあって。まるで先を見越して制しているかのようで。
「分かってるよ」
ラディスは微笑む。
「大丈夫」
表情を固定したまま口を動かす。
「何もしない」
何処までもきっと彼には読まれているのだ。
思考も。その先の未来も。
「そうは言ってない」
すとんと手刀を頭頂に落とされて目を丸くする。
「え……」
「お前の考えは危ういが正しい」
きょとんとするラディスにトキは続けた。
「だから、協力しよう」
茂みを揺らして木々を掻き分け鳥が飛び立つ。
一陣の風が吹いて木の葉が舞う。
「お前も私も監視がある。何も成果を得られなければ今度こそ事情を問い質されるだろう。理解を得られないようなら親の勘当も有り得ない話じゃない。単調な道を逸れるということはそういうことだ」
トキは改めて向き合うと目を見据えながら。
「チャンスはこの一度きりしかない」
「……うん」
「必ず成功させると約束出来るか?」
「うん、……うん」
ラディスは食い入るように繰り返した後で。
「絶対に彼を」
思わず握った拳に力を込めながら。
「クレシスを助ける……!」
何もしなかったことを後悔したくないのだと。
それで何も成し得なくてもいいのだとあの日彼女はそう話していた。その理屈に倣うのなら言葉や態度だけでなく行動に起こして突き放した彼のことなど全て忘れて日常に戻るべきだと思う。
初めから何も知らなければ違ったかもしれない。
でも"俺たちは"知ってしまったから。
掌から零れ落ちる絶望を。
遠ざかる希望を。
目の当たりにしてしまったから──
「分かった」
トキはそう返してラディスの手を握る。
「!……ここから?」
「行動に移すなら早い方がいい」
瞬間転移の前兆現象なのだろう、周囲の景色が揺らぎ次第に歪んでいくのを視界に捉えるとラディスも覚悟を決めたようにその手を握り返した。
「悪いことをしているみたいだね」
「そうだな。でも」
能力の使用を察知したであろう従者らの慌ただしい足音を余所に子どものように言って笑うラディスに釣られるようにトキは薄笑みを浮かべながら。
「……悪くない気分だ」