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なす、しそ、さつまいも、えび……油の新しいのも必要かな。それから素麺と麺つゆ、ねぎ、茗荷、面倒だし生姜はチューブですませちゃおう。これくらい楽してもいいよね。
「名前さん?何書いてるの」
「ああ、お買い物のメモです。お盆だし、天ぷらくらいは揚げようかなって」
「へえ……もうそんな時期だっけ」
亥清さんが私の手元の汚い字をまじまじと見た。あんまり見ないでほしい。これは買い忘れのないよう、スーパーに行った時「何が書いてあるんだ?」ってならないくらいの字で読めればいいんだ。
「名前さん、お盆やるの?」
「ええ、まあ……台風来そうだしお墓の片付けはもうしてあって、あとは簡単に。ですけど」
「あのさ、無理だったら断って」
亥清さんが言いづらそうに視線を逸らした。日頃から「何か困ったことがあったらなんでも言って、あなたは大人と同じように働いていてえらいけど未成年で、周りの大人は、虎於もトウマも、宇都木さんも勿論私も、みんなあなたを助けたいと思っているよ。忘れないでね」と折に触れて伝えているせいで、亥清さんの「小さなお願い事」にはもう慣れっこだった。
「帰りにスタバの新作が飲みたい」というささやかなものから、「大阪で行われたコンサートの翌日、朝イチの学校行事に出たい」「調理実習があるから、この日は休むとクラスメイトに迷惑がかかる」というスケジュール調整が必要なもの、それから「和泉と四葉と遊びに出かけたい」など、亥清さんの日頃の頑張りにこたえるように、出来る限り叶えてきた。
あなたの願い事はどんなものでも出来る限り叶えるから、「できれば」とか「無理だったらいい」とかいう枕詞をつけるのはやめましょう、と伝えてから久しく、そしてなるべく実現してきたこともあって、それは最近は聞くことのない言葉だった。
私はパソコンの画面をスリープ状態にして、亥清さんの顔を見た。意識して口角を上げる。アイドルのみんなからしたら全然不恰好でも、頼れる大人の演技をする時に効果は絶大だ。
「何でも言ってください」
「あの、お盆……一緒にやってもいい?ばあちゃんが入院してるから、うち今年ひとりで……」
亥清さんのお祖母様はこの暑さで体調を崩し、今は検査も兼ねて長めに入院していらっしゃる。大事をとっての長い入院なのは亥清さんも承知の上で、最近はŹOOĻのお兄さんたち(この場合、虎於とトウマを指す)が亥清さんの家に泊まりにいったり反対にお兄さんたちの家に泊まったりして、亥清さんは例年と異なる夏休みを過ごしている。そんな中でひとりで頑張って天ぷらをあげたり素麺を茹でるのは、危険なのでこうして声をかけてくれてよかったと思う。
「勿論いいですよ。素麺と、天ぷら……他に何かやりましょうか。亥清さんのお家はほかに何か用意しますか?」
「団子食べるよ。でも団子はうち、好きなの食べて良いって決まってるんだ。名前さん、みたらしでいい?」
「みたらし食べたいです!あ、餅の入ったハーゲンダッツも団子カウントに入れていいですか?」
「え?いいんじゃない」
亥清さんが買い物メモのいちばん最後に団子とアイスを書き足してくれた。
@@@
亥清さんと簡単にお盆の支度をすることに決まったが、亥清さんは「みんな家族と過ごすだろうし、きっと気を使うから」と言ってお兄さんたちを誘わないことにした。きっと、誘えば皆で楽しく過ごせるだろうに、亥清さんは「万が一湿っぽい空気になったらやだな」と思っているらしかった。お兄さんたちも亥清さんの気持ちを汲んで無理は言わなかった。幼い頃になくした家族のことを、今どうやって受け止めているのか、その後を知っている身としては何も口出しできない。
その亥清さんが巳波を誘ったというのだ。私は巳波が行きますというなら、大歓迎する気持ちでいた。巳波が昨年大事な人をなくして、その傷が癒えていないことを皆が知っている。
「名前さん」
「巳波。何かあった?次回の台本は、今朝もうデータで送ったよ」
「ええ、受け取りました……それであの、お盆のことなんですけど」
「うん」
「ご一緒してもいいですか。亥清さんは……その、亥清さんが誘ってくださって、もう了承は取れてるんですけど」
「どうぞ。自分ひとりで天ぷらするのもどうかと思ってたから、一緒に食べてくれるなら大歓迎」
「……よかった」
巳波の声がわずかに震えた気がして視線を顔にあわせたが、表情はいつもの通りミステリアスな微笑を浮かべたままだ。でも私は、彼がとんでもない演技派俳優で、嘘を隠すのが上手で、泣きたくても泣かないように頑張ってるのを、決して長く無い付き合いの中で知っている。
「巳波、嫌だったら断っていいんだよ」
「嫌じゃないです、あの人はそんなこと、そんな風に普通の人みたいに、供養してほしいなんて、私にそうしてほしいなんて、ちっとも望んでないでしょうけど」
あの人が誰かなんて、聞かなくてもわかる。巳波はもう声の震えを隠せてなくて、去年に死んだ人を思い出しているのは明らかだった。こっちは巳波がこうして時折癒えない傷を思い出したように、苦しむ姿を見ているのだ。
「でも、私がしたいんです」
桜春樹はどんなつもりでこの人を振り回して、慕われて突き放して、それで何を思って死んだんだろう。少なくとも、巳波がどれほど悲しむかなんてことは頭の中になかった。そうでなきゃあんなことしない。私は考えるのをやめた。
「やろうよ。葬式も盆も、自分のためにやるんでいいよ。私は先祖の供養というより、もはや自分の満足のためにやってる」
「……そう思うと、気が楽になります」
「何かいるものある?ここに書いたものは亥清さんと買うんだけど」
巳波は涙の溜まった目で買い物メモを上から下まで見た。一度瞬きをして、顔を上げる。
「きゅうりと茄子、持っていってもいいですか」
「あ、忘れてた。楊枝はうちにあるよ」
「よかった。それから……」
巳波はボールペンを持ち上げて、私の書いた汚い「そうめん」の字に横線を引いた。
「おそうめん、貰い物が沢山あって。持っていきます」
「いいの?」
「ええ。それに私、多分、たくさん食べるので……もちろん名前さんはご存知でしょうけど」
わずかに頬を染めて巳波は微笑んだ。年相応の照れ笑いに安堵して「みたらしもあるんだけどさ、ハーゲンダッツの餅のやつ、買ったら食べる?」と話題を変えた。巳波の答えは勿論「食べます」の即答だった。
@@@
当日ふたりを迎えにいってスーパーで買い物してから私のマンションに向かう。エアコンはつけたままだから、きっと揚げ物にピッタリの気温になってるはずだ。
いつも通り楽しようとネギと茗荷のパックを買おうと思ってたけど「絶対足りなくなる」という若者ふたりの意見を受けて丸ごと買って、家に着いてから巳波がせっせと刻んだ。
亥清さんはきゅうりと茄子に上手に足を生やして、今日のために空けておいた我が家のチェストのいちばん良いところにご家族のと、巳波が持ってきた桜春樹の遺影と並べて飾った。きゅうりは亥清さんと巳波がスーパーで頭を寄せ合って選んだ「いちばん速そうなきゅうり」で、茄子は「いちばん乗り心地の良さそうな茄子」だった。
それから巳波が一生懸命山盛りの素麺を茹でて、亥清さんが山盛りのエビの殻を剥くのを横目に、私が天ぷらを揚げた。私ひとりなら要らないけど、若者がふたりいるから今日はウインナーも山ほど揚げた。じんわりと油の浮くウインナー天とイモ天、それから亥清さんが頑張ってワタを取ったエビ天は特に人気で、揚げたそばから亥清さんと巳波がつまみ食いして減っていく。若いって、胃が強いって素晴らしいことだ。ŹOOĻと知り合ってから、私は彼らの食欲に感嘆するばかりである。
「今年、ひとりでどうやって過ごそうかと思ってました」
山盛りの素麺を水に浸しながら巳波が呟いた。亥清さんは小さい素麺と天ぷらをお供えしにリビングに行ってしまって、キッチンはふたりきりだった。
「別に特別信心深いわけじゃないし、普通の平日だからって知らないふりもできたけど……」
流水と油のパチパチという音でかき消されそうな小さい声だった。ひとりごとのつもりなのか、素麺をじっと見てこちらには目もくれない。巳波が桐箱ごと持ってきた高級素麺が巳波の手で一人前にまとめられて次々ガラスの皿に移されていく。
「……亥清さんと名前さんが一緒にいてくれてよかった」
一生懸命泣くのを我慢した声だった。私は何も返す言葉を持たず、さつまいもを全て油から引き上げ火を止めて、キッチンペーパーを1枚千切る。さつまいもは予熱が通るから放っておいてもいい。
「巳波」
「うぅ……」
キッチンペーパーに涙を吸わせてから、巳波は耐えかねたように嗚咽を漏らして私にしがみついた。今年はまだ、早かったかもしれない。もっと傷が癒えてから、笑って思い出話ができるようになってから、呼ぶべきだったかもしれない。でも今年、亥清さんが巳波を招かなければ、巳波はひとりで部屋で泣いたかもしれないから、呼んでよかったとも思う。巳波は一生懸命声を殺して、私のエプロンを握りしめて泣いた。
お供えに行った亥清さんはまだ戻ってこない。
@@@
素麺は私が1束、亥清さんが私が見ているだけでも少なくとも5束は食べて、巳波は残りを全部食べた。これは、パックの刻みネギと茗荷じゃ足りないとふたりが言うわけだ。巳波の貰い物の高級素麺も、亥清さんおすすめのみたらし団子もとても美味しくて、いつも以上に食べてしまった。
ふたりは今夜泊まっていくと宣言して、順番に風呂に入った。私がベランダで麦茶片手に涼んでいると(これが虎於とトウマならふたりに合わせて酒なんだけど)、風呂から戻ってきたばかりでほかほかのまま、亥清さんが「アイス食べていい?」と声をかけた。亥清さんも巳波も、着替えどころかスキンケアの一式を持参していて、最初から泊まる気満々だったらしい。なんとなくそんな予感がしたから、昼間にひいひい言いつつも布団を2組干しておいてよかった。
「はい、名前さんの分」
「ありがとう」
亥清さんが後ろからやってきて、冷凍庫でカチカチになったアイスを私の頬に押し当てた。冷たくて気持ちいい。寝室はエアコンを効かせておいたけど、今夜は窓から入る風だけで十分涼めそうな気温だった。亥清さんが背後でアイスの蓋をめくってから、息を静かに吐いた。それが話し始める合図だと気づいて、私はアイスを床に下ろした。
「名前さん、無理きいてくれてありがとう」
「全然無理じゃないですよ。一緒に料理できて楽しかった」
「……年に1回だもん、オレだけでも……ちゃんとしてあげたかったんだ」
亥清さんが何を考えているのかはわからない。幼い頃に死に別れたご家族のことを、彼はほとんど私に話さない。大事なご家族の思い出を無理に聞き出そうとは思わないし、今お祖母様のことやŹOOĻの仲間の話を私にしてくれる、それだけで十分だと思っている。
亥清さんが一生懸命凍ったアイスにスプーンを立てたがまだ早かったのか諦めて、小さく息を吐いた。
「オレひとりじゃ揚げ物も素麺も両方できないし、早く自分ひとりでできるようになって、ばあちゃんを安心させたいって思ってたけど……今年は巳波と名前さんが一緒にやってくれてよかった」
「私も、今年亥清さんが来てくれてよかったです」
「そっか」
カチコチのアイスを押し除けて、亥清さんが隣に座る。珍しく亥清さんから肩に寄りかかってきて、風呂上がりのほかほかの身体が触れた。髪は持参したヘアオイルでさらさらだし、ハーフパンツから伸びた両足は白くてすらっとしている。亥清さんはしばらく星どころか、月も雲に隠れているのに上を見上げた。それから、金色の瞳が私を映した。
「オレも、名前さんがいてくれてよかったと思ってるよ。いつもね」
彼が何を思って私を見るのか、私は返答の言葉を持たない。せめてもの答えとして、黙って視線を合わせて静かに頷いた。亥清さんが満足そうに金色の瞳を細めて笑う。
放り出したままの餅入りのハーゲンダッツを2つ、後ろに手を伸ばして回収して、亥清さんにひとつ渡す。
「あ、柔らかくなってる」
亥清さんのその言葉の通りにアイスは生温い室温で程よく溶けて、今度こそ食べ頃だった。
素麺に天ぷら、みたらし団子まで食べて私はかなりお腹いっぱいだったけど、亥清さんは嬉しそうにハーゲンダッツを食べた。その後風呂から出てきた巳波も余裕の様子で完食してしまって、私はまたしても若者の食欲というものに感心したのだった。
「名前さん?何書いてるの」
「ああ、お買い物のメモです。お盆だし、天ぷらくらいは揚げようかなって」
「へえ……もうそんな時期だっけ」
亥清さんが私の手元の汚い字をまじまじと見た。あんまり見ないでほしい。これは買い忘れのないよう、スーパーに行った時「何が書いてあるんだ?」ってならないくらいの字で読めればいいんだ。
「名前さん、お盆やるの?」
「ええ、まあ……台風来そうだしお墓の片付けはもうしてあって、あとは簡単に。ですけど」
「あのさ、無理だったら断って」
亥清さんが言いづらそうに視線を逸らした。日頃から「何か困ったことがあったらなんでも言って、あなたは大人と同じように働いていてえらいけど未成年で、周りの大人は、虎於もトウマも、宇都木さんも勿論私も、みんなあなたを助けたいと思っているよ。忘れないでね」と折に触れて伝えているせいで、亥清さんの「小さなお願い事」にはもう慣れっこだった。
「帰りにスタバの新作が飲みたい」というささやかなものから、「大阪で行われたコンサートの翌日、朝イチの学校行事に出たい」「調理実習があるから、この日は休むとクラスメイトに迷惑がかかる」というスケジュール調整が必要なもの、それから「和泉と四葉と遊びに出かけたい」など、亥清さんの日頃の頑張りにこたえるように、出来る限り叶えてきた。
あなたの願い事はどんなものでも出来る限り叶えるから、「できれば」とか「無理だったらいい」とかいう枕詞をつけるのはやめましょう、と伝えてから久しく、そしてなるべく実現してきたこともあって、それは最近は聞くことのない言葉だった。
私はパソコンの画面をスリープ状態にして、亥清さんの顔を見た。意識して口角を上げる。アイドルのみんなからしたら全然不恰好でも、頼れる大人の演技をする時に効果は絶大だ。
「何でも言ってください」
「あの、お盆……一緒にやってもいい?ばあちゃんが入院してるから、うち今年ひとりで……」
亥清さんのお祖母様はこの暑さで体調を崩し、今は検査も兼ねて長めに入院していらっしゃる。大事をとっての長い入院なのは亥清さんも承知の上で、最近はŹOOĻのお兄さんたち(この場合、虎於とトウマを指す)が亥清さんの家に泊まりにいったり反対にお兄さんたちの家に泊まったりして、亥清さんは例年と異なる夏休みを過ごしている。そんな中でひとりで頑張って天ぷらをあげたり素麺を茹でるのは、危険なのでこうして声をかけてくれてよかったと思う。
「勿論いいですよ。素麺と、天ぷら……他に何かやりましょうか。亥清さんのお家はほかに何か用意しますか?」
「団子食べるよ。でも団子はうち、好きなの食べて良いって決まってるんだ。名前さん、みたらしでいい?」
「みたらし食べたいです!あ、餅の入ったハーゲンダッツも団子カウントに入れていいですか?」
「え?いいんじゃない」
亥清さんが買い物メモのいちばん最後に団子とアイスを書き足してくれた。
@@@
亥清さんと簡単にお盆の支度をすることに決まったが、亥清さんは「みんな家族と過ごすだろうし、きっと気を使うから」と言ってお兄さんたちを誘わないことにした。きっと、誘えば皆で楽しく過ごせるだろうに、亥清さんは「万が一湿っぽい空気になったらやだな」と思っているらしかった。お兄さんたちも亥清さんの気持ちを汲んで無理は言わなかった。幼い頃になくした家族のことを、今どうやって受け止めているのか、その後を知っている身としては何も口出しできない。
その亥清さんが巳波を誘ったというのだ。私は巳波が行きますというなら、大歓迎する気持ちでいた。巳波が昨年大事な人をなくして、その傷が癒えていないことを皆が知っている。
「名前さん」
「巳波。何かあった?次回の台本は、今朝もうデータで送ったよ」
「ええ、受け取りました……それであの、お盆のことなんですけど」
「うん」
「ご一緒してもいいですか。亥清さんは……その、亥清さんが誘ってくださって、もう了承は取れてるんですけど」
「どうぞ。自分ひとりで天ぷらするのもどうかと思ってたから、一緒に食べてくれるなら大歓迎」
「……よかった」
巳波の声がわずかに震えた気がして視線を顔にあわせたが、表情はいつもの通りミステリアスな微笑を浮かべたままだ。でも私は、彼がとんでもない演技派俳優で、嘘を隠すのが上手で、泣きたくても泣かないように頑張ってるのを、決して長く無い付き合いの中で知っている。
「巳波、嫌だったら断っていいんだよ」
「嫌じゃないです、あの人はそんなこと、そんな風に普通の人みたいに、供養してほしいなんて、私にそうしてほしいなんて、ちっとも望んでないでしょうけど」
あの人が誰かなんて、聞かなくてもわかる。巳波はもう声の震えを隠せてなくて、去年に死んだ人を思い出しているのは明らかだった。こっちは巳波がこうして時折癒えない傷を思い出したように、苦しむ姿を見ているのだ。
「でも、私がしたいんです」
桜春樹はどんなつもりでこの人を振り回して、慕われて突き放して、それで何を思って死んだんだろう。少なくとも、巳波がどれほど悲しむかなんてことは頭の中になかった。そうでなきゃあんなことしない。私は考えるのをやめた。
「やろうよ。葬式も盆も、自分のためにやるんでいいよ。私は先祖の供養というより、もはや自分の満足のためにやってる」
「……そう思うと、気が楽になります」
「何かいるものある?ここに書いたものは亥清さんと買うんだけど」
巳波は涙の溜まった目で買い物メモを上から下まで見た。一度瞬きをして、顔を上げる。
「きゅうりと茄子、持っていってもいいですか」
「あ、忘れてた。楊枝はうちにあるよ」
「よかった。それから……」
巳波はボールペンを持ち上げて、私の書いた汚い「そうめん」の字に横線を引いた。
「おそうめん、貰い物が沢山あって。持っていきます」
「いいの?」
「ええ。それに私、多分、たくさん食べるので……もちろん名前さんはご存知でしょうけど」
わずかに頬を染めて巳波は微笑んだ。年相応の照れ笑いに安堵して「みたらしもあるんだけどさ、ハーゲンダッツの餅のやつ、買ったら食べる?」と話題を変えた。巳波の答えは勿論「食べます」の即答だった。
@@@
当日ふたりを迎えにいってスーパーで買い物してから私のマンションに向かう。エアコンはつけたままだから、きっと揚げ物にピッタリの気温になってるはずだ。
いつも通り楽しようとネギと茗荷のパックを買おうと思ってたけど「絶対足りなくなる」という若者ふたりの意見を受けて丸ごと買って、家に着いてから巳波がせっせと刻んだ。
亥清さんはきゅうりと茄子に上手に足を生やして、今日のために空けておいた我が家のチェストのいちばん良いところにご家族のと、巳波が持ってきた桜春樹の遺影と並べて飾った。きゅうりは亥清さんと巳波がスーパーで頭を寄せ合って選んだ「いちばん速そうなきゅうり」で、茄子は「いちばん乗り心地の良さそうな茄子」だった。
それから巳波が一生懸命山盛りの素麺を茹でて、亥清さんが山盛りのエビの殻を剥くのを横目に、私が天ぷらを揚げた。私ひとりなら要らないけど、若者がふたりいるから今日はウインナーも山ほど揚げた。じんわりと油の浮くウインナー天とイモ天、それから亥清さんが頑張ってワタを取ったエビ天は特に人気で、揚げたそばから亥清さんと巳波がつまみ食いして減っていく。若いって、胃が強いって素晴らしいことだ。ŹOOĻと知り合ってから、私は彼らの食欲に感嘆するばかりである。
「今年、ひとりでどうやって過ごそうかと思ってました」
山盛りの素麺を水に浸しながら巳波が呟いた。亥清さんは小さい素麺と天ぷらをお供えしにリビングに行ってしまって、キッチンはふたりきりだった。
「別に特別信心深いわけじゃないし、普通の平日だからって知らないふりもできたけど……」
流水と油のパチパチという音でかき消されそうな小さい声だった。ひとりごとのつもりなのか、素麺をじっと見てこちらには目もくれない。巳波が桐箱ごと持ってきた高級素麺が巳波の手で一人前にまとめられて次々ガラスの皿に移されていく。
「……亥清さんと名前さんが一緒にいてくれてよかった」
一生懸命泣くのを我慢した声だった。私は何も返す言葉を持たず、さつまいもを全て油から引き上げ火を止めて、キッチンペーパーを1枚千切る。さつまいもは予熱が通るから放っておいてもいい。
「巳波」
「うぅ……」
キッチンペーパーに涙を吸わせてから、巳波は耐えかねたように嗚咽を漏らして私にしがみついた。今年はまだ、早かったかもしれない。もっと傷が癒えてから、笑って思い出話ができるようになってから、呼ぶべきだったかもしれない。でも今年、亥清さんが巳波を招かなければ、巳波はひとりで部屋で泣いたかもしれないから、呼んでよかったとも思う。巳波は一生懸命声を殺して、私のエプロンを握りしめて泣いた。
お供えに行った亥清さんはまだ戻ってこない。
@@@
素麺は私が1束、亥清さんが私が見ているだけでも少なくとも5束は食べて、巳波は残りを全部食べた。これは、パックの刻みネギと茗荷じゃ足りないとふたりが言うわけだ。巳波の貰い物の高級素麺も、亥清さんおすすめのみたらし団子もとても美味しくて、いつも以上に食べてしまった。
ふたりは今夜泊まっていくと宣言して、順番に風呂に入った。私がベランダで麦茶片手に涼んでいると(これが虎於とトウマならふたりに合わせて酒なんだけど)、風呂から戻ってきたばかりでほかほかのまま、亥清さんが「アイス食べていい?」と声をかけた。亥清さんも巳波も、着替えどころかスキンケアの一式を持参していて、最初から泊まる気満々だったらしい。なんとなくそんな予感がしたから、昼間にひいひい言いつつも布団を2組干しておいてよかった。
「はい、名前さんの分」
「ありがとう」
亥清さんが後ろからやってきて、冷凍庫でカチカチになったアイスを私の頬に押し当てた。冷たくて気持ちいい。寝室はエアコンを効かせておいたけど、今夜は窓から入る風だけで十分涼めそうな気温だった。亥清さんが背後でアイスの蓋をめくってから、息を静かに吐いた。それが話し始める合図だと気づいて、私はアイスを床に下ろした。
「名前さん、無理きいてくれてありがとう」
「全然無理じゃないですよ。一緒に料理できて楽しかった」
「……年に1回だもん、オレだけでも……ちゃんとしてあげたかったんだ」
亥清さんが何を考えているのかはわからない。幼い頃に死に別れたご家族のことを、彼はほとんど私に話さない。大事なご家族の思い出を無理に聞き出そうとは思わないし、今お祖母様のことやŹOOĻの仲間の話を私にしてくれる、それだけで十分だと思っている。
亥清さんが一生懸命凍ったアイスにスプーンを立てたがまだ早かったのか諦めて、小さく息を吐いた。
「オレひとりじゃ揚げ物も素麺も両方できないし、早く自分ひとりでできるようになって、ばあちゃんを安心させたいって思ってたけど……今年は巳波と名前さんが一緒にやってくれてよかった」
「私も、今年亥清さんが来てくれてよかったです」
「そっか」
カチコチのアイスを押し除けて、亥清さんが隣に座る。珍しく亥清さんから肩に寄りかかってきて、風呂上がりのほかほかの身体が触れた。髪は持参したヘアオイルでさらさらだし、ハーフパンツから伸びた両足は白くてすらっとしている。亥清さんはしばらく星どころか、月も雲に隠れているのに上を見上げた。それから、金色の瞳が私を映した。
「オレも、名前さんがいてくれてよかったと思ってるよ。いつもね」
彼が何を思って私を見るのか、私は返答の言葉を持たない。せめてもの答えとして、黙って視線を合わせて静かに頷いた。亥清さんが満足そうに金色の瞳を細めて笑う。
放り出したままの餅入りのハーゲンダッツを2つ、後ろに手を伸ばして回収して、亥清さんにひとつ渡す。
「あ、柔らかくなってる」
亥清さんのその言葉の通りにアイスは生温い室温で程よく溶けて、今度こそ食べ頃だった。
素麺に天ぷら、みたらし団子まで食べて私はかなりお腹いっぱいだったけど、亥清さんは嬉しそうにハーゲンダッツを食べた。その後風呂から出てきた巳波も余裕の様子で完食してしまって、私はまたしても若者の食欲というものに感心したのだった。
