去る春、君の声だけが在る2
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
>インターハイ前、手料理の話
事の発端は室内練のローラー待ち、「寮ではなかなか食べられない食べ物」の話題になって。
ローラーを降りた悠人に何かあるかと尋ねたら「苗字センパイの焼くアップルパイ、あれ美味しいんですよね。オレ毎年楽しみで」と言ったので、オレは沈黙した。あんまりイメージにない発言だったから。……名前がケーキを?あの、名前が?
今年のバレンタイン、名前はチョコレート風味のプロテインを部活で配っていた。「これならラクだと思ったのに〜!」と泣きながら、ぷるぷる震える腕で粉を計っていて馬鹿だなあと思った。懲りずに今年もそれの予定だと言う。
全員参加の合宿では「昼間マネージャーの仕事で走り回って、その上3食完璧に支度するのは、部員の手を借りても難しい」とユキちゃんに訴えて、3食とも外注していた。バッシーによると、調理実習でもニコニコ笑顔で皿洗いに徹しているらしい。
なので、部員からは料理のできない女だと思われてる。
「名前って料理できるんだな」
「え?どういう意味ですか」
悠人は不思議そうに丸い目を一層丸くして、オレを見上げた。
「あんまりそういうとこ見たことないから」
「そうなんですか?年末もうち来てたから色々作ってくれたし、バレンタインはいつも凝ったケーキとかくれ……ますけど……」
「はあ!?」
後ろでローラー回してたユキちゃんがすっとんきょうな声をあげた。許せなかったのだと思う。
かわいい後輩マネージャーが最初の年のバレンタインをプロテインですませたのは、オレたちにとっては結構なニュースだったわけで。新開さんは「名前らしいな」と笑ってたけど。ユキちゃんだけでなく、かねやんもシノも、もちろんオレも、かわいい女子マネージャーからの手作り差し入れというものには、人並みの憧れがある。ないものねだりってやつだ。残念ながら、これまで縁がなかったので。
「……やば、これ内緒のやつだった?」
不穏な雰囲気のオレたちを見て、悠人は恐る恐る呟いた。
ユキちゃんはキッチリ時間までローラーやってから、汗を拭くとすぐさま「行くぞ!拓斗!悠人、逃げんな!」とオレと悠人をひっ捕まえた。向かう先はもちろん名前のところ。レースの季節だから、毎週末どこかで開催される試合ごとの成績……その取りまとめに追われているはずだった。
勢いよくユキちゃんがドアを開けたので、データ処理で頭を抱えていた名前は飛び上がって驚いた。
「うわっ!?黒田さん!?顔怖っ!」
「お前、料理うまいらしいな……なんで隠してた?」
「ゲッうまくないです!人に食べさせるほどのものじゃないです!お腹壊しちゃいますよ!」
ユキちゃんの取調べさながらの厳しい追求に名前は思わず逃げ出そうとしたが、出入り口はオレが塞いでいる。何が起きたのか分からず混乱している名前を見下ろす。口を開けば、思いの外怨みがましい声が出た。
「悠人は食べたって」
「あ、葦木場さんまで!」
「クリスマスと誕生日でケーキを2個ずつ焼いて、おせちは3段らしいな?」
「どこでそれをっ!あれは隼人くんのママです!大物作るのは私じゃない!あっ」
情報元が悠人と気づき、名前は恨めしそうに悠人を睨んだ。悠人はごめん、と手を合わせて。
「隠してたの知らなくて……」
「隠してたんじゃなくて!できないんだってば!」
名前は白目を剥いて悠人を揺さぶった。そうやってすぐに白目剥くのはやめた方がいいと思う。
「そもそも食べたいですか!?手料理!私だったら絶対食べたくないですけど!」
「食いてえわ食いたいに決まってんだろ後輩女子の手料理だぞ」
「プロテインもカウントしてくださいよ!」
「知るか!飢えてんだよ!こっちは!料理上手なマネージャーの差し入れってモンに!」
「知りませんよ!そもそも料理上手じゃないので、巻き込まないでください!」
名前は悲鳴をあげてジリジリと後退しユキちゃんから距離をとった。このままだと頭から食われると思ったのかも。
ふたりのやりとりを見ていた悠人が口を挟む。
「苗字センパイ、バレたついでにオレそろそろあれ食べたいんですけど。梅のやつ」
「梅ぇ!?寮では無理だって!実家戻った時にお料理上手のお母様に頼んでくれる!?」
「え、何。それ、甘いやつ?」
「はい。紅茶のゼリーみたいな……めちゃくちゃうまいですよ」
「やめて!あれは!そんな大袈裟なものではないから!」
名前は一生懸命否定するけど、悠人は気にせずあれとこれと、と食べたいものを挙げていく。魚料理、肉、洋食和食、それからデザートまで。
名前は諦めたのか「うん……わかった、わかったってば……悠ちゃんの馬鹿……」と力なく項垂れた。なんだ料理できるんじゃん。なんで隠してたんだろ。ユキちゃんがめんどくさいから?
散々「悠人のせい」と責められて、悠人が恨みがましく名前を見た。
「っていうか苗字センパイ、去年追い出しレースでたくさんおにぎり用意したって言ってませんでした?だからオレ、てっきり知ってるのかと」
「でかいやつ?あれ握ったのはバッシーじゃなかった?」
「米と具用意して、あとはバシさんにやってもらったの。私がちまちま握るより、かわいい後輩が一生懸命握ったドデカおにぎりの方が嬉しいでしょ」
「フツーのでいいんだよ!マネージャーが握ったおにぎりとかいうものを食いたいんだよこっちは!」
「えっドデカおにぎり、嬉しくなかったですか?」
「いや喜んで食ったけども!」
「そうでしょう!嬉しいでしょう!なので今年もファンライドのおにぎりは1年生に握ってもらうつもりです!お楽しみに〜」
「引退する先輩への情けってもんはないのか!」
そもそもどうして、ユキちゃんがこんなに執念燃やしてるのかというと。
ユキちゃんが中学の頃、ハコガクの自転車部には美人マネージャーがいるって地元で有名だったらしい。オレたちが入部した時にはその人は卒業してしまっていたけど。なのでユキちゃんは人並み以上に女子マネージャーというものに憧れをいだいている。
せっかく強豪運動部に入ったのに、憧れの箱根学園に来たのに、「マネージャーの手料理」というものは一目見ることすら叶わない……
今年の春、本入部締切の日。ユキちゃんは全部の入部届に目を通して、漸く「……夢は夢ってことだな」と諦めた。
オレと塔ちゃんはユキちゃんの未練たらたらな姿を散々見ていたから、「ついに諦めたのか」と目配せし合った。「かわいそうに」と思ってその日はうんと優しくしてあげた。
それが、一度きっぱり(いや、渋々?)諦めたものが!手に入る可能性が出てきたのだ。執念深くもなる。バレンタインに柔道部のやつらが当時3年マネージャーから「最後だから」と手の込んだケーキをもらっているのを見て、ユキちゃんは本気で悔しがっていた。
「頼むっ!次のバレンタインだけは!」
「黒田さんあんなにもらってるのにまだほしいんですか?」
「ほしい!ほしいに決まってんだろ!」
そんなユキちゃんの事情を名前は当然知らない。「もう十分モテたでしょう……」と呆れかえってため息をついた。ユキちゃんが後輩女子を中心にたくさんチョコレートをもらって、自慢げにしていた光景を思い出しているのだと思う。
自分の失言のせいだという自覚があるのか悠人が「ま、まあまあ黒田さん落ち着いて……」とユキちゃんを宥めにかかり、逆に「どいつもこいつも!幼馴染だなんだと!」とキレられていた。悠人と名前もそうだし、真波も小さい頃から一緒の幼馴染がいる。
でも、まあ、普通にほしいよね。後輩マネージャーがくれる特別なチョコ。オレはここにいないもうひとりを思い浮かべていた。多分、塔ちゃんもほしいと思う。
「名前」
「はい」
名前はオレに呼ばれるといつもこう。パッと姿勢を正して、お行儀よくこちらを見る。身長差があるから、一生懸命上を向いて。
名前がこうやって一生懸命聞く姿勢を取るのは、遠すぎると声が聞こえないから。他の2年よりも悠人よりも、名前は背が低い。オレはいまだにじりじり伸びてるけど、名前はもう打ち止めだって言っていた。
だから、大事な話をする時はなるべく同じくらいの視線になるように。上から見下ろしていては、顔が見えないから。泣いていても手を伸ばさないとわからないから。
膝を折って視線を合わせると、名前は「これ以上何を言われるのか」と怯えた顔をした。
「ねえ、オレも手作りのチョコほしいな」
「ギャッ」
名前が顔をクシャクシャにして悲鳴を上げた。後輩たち……とは言っても主に名前と悠人だけど、とにかく後輩たちはオレのこういう態度に弱いらしい。ユキちゃん達に向ける口調が、どうやら特別に見えるらしくて。
ふたりが言うように、そこまで態とらしく態度を使い分けているつもりはないから(先輩に話しかけるのと、同級生にするのと、後輩にするのとではそれぞれ違って当然だと思う)、自分ではよくわからないけど。
「いや、でも……それは」
それでも名前が頷かないのでダメ押し。首を傾げる仕草は疑問を表現するのにわかりやすくて、でもユキちゃんからは「身長2メーターの男子高校生がするポーズじゃねえ!あざとい!わざとやってんのか!?」と不評だ。
「……何が嫌?」
拗ねた顔で、名前が俯く。落ち込んだ声。
「だって……食べないでしょう」
あ。ユキちゃんもオレも、思わず息を止める。それって。誰のことなんて、聞くまでもなく。
「それより!ですよ」
詳しく聞く前に名前はパンと手を叩いて無理やり話を変えた。
「バレンタインより先に葦木場さん!お誕生日ですよ。今年は盛大にやりますからね!なんでも言ってください」
「盛大にケーキでも焼いてもらおうかな?」
「わー結局手作りに戻ってきてしまった」
名前は顔を顰めたが、「なるべく頑張りますけど。早めにリクエストしてくださいね。黒田さんも」と案外あっさり引き下がった。オレはあまり関わらなかったけど、去年の10月、名前は部内の重苦しい空気に心を痛めていた。多分本当は去年「盛大に」やりたかったんだろうなと思う。
「オレ、悠人が言ってたアップルパイ食べたいな」
「……が、がんばります」
「楽しみにしてるね」
「あの、あんまり期待しないでください!」
「そんなこと言われても……期待するよね?ユキちゃん」
「するに決まってんだろ!こっちは……こっちはなあっ!オレにだって、カワイイ幼馴染のひとりやふたりいればこんな目には!」
「黒田さんのカワイイ幼馴染って泉田さんのことですか?いーなあ、きっとかわいかったんでしょうね……」
「ちょっと名前ちゃん余計なこと言わないで!黒田さん、絞まってる!首!絞まってますって!」
「絞めてんだよ!受け入れろ!」
「んな無茶な!」
……ユキちゃんの嫉妬はともかく、今年の誕生日は名前にケーキ焼いてもらってさ、好きなもの買ってきて盛大にやろう。去年最悪だったあの時期の空気、今年はどうなるかな。真波もバッシーもいるし大丈夫かな。オレらはその頃引退だし、インターハイの結果もどうなるかはわからないけど。
ともかく卒業までにユキちゃんの心残りと名前の懸念。どっちも上手に解消できたらいいんだけど……塔ちゃん次第だな、うん。
事の発端は室内練のローラー待ち、「寮ではなかなか食べられない食べ物」の話題になって。
ローラーを降りた悠人に何かあるかと尋ねたら「苗字センパイの焼くアップルパイ、あれ美味しいんですよね。オレ毎年楽しみで」と言ったので、オレは沈黙した。あんまりイメージにない発言だったから。……名前がケーキを?あの、名前が?
今年のバレンタイン、名前はチョコレート風味のプロテインを部活で配っていた。「これならラクだと思ったのに〜!」と泣きながら、ぷるぷる震える腕で粉を計っていて馬鹿だなあと思った。懲りずに今年もそれの予定だと言う。
全員参加の合宿では「昼間マネージャーの仕事で走り回って、その上3食完璧に支度するのは、部員の手を借りても難しい」とユキちゃんに訴えて、3食とも外注していた。バッシーによると、調理実習でもニコニコ笑顔で皿洗いに徹しているらしい。
なので、部員からは料理のできない女だと思われてる。
「名前って料理できるんだな」
「え?どういう意味ですか」
悠人は不思議そうに丸い目を一層丸くして、オレを見上げた。
「あんまりそういうとこ見たことないから」
「そうなんですか?年末もうち来てたから色々作ってくれたし、バレンタインはいつも凝ったケーキとかくれ……ますけど……」
「はあ!?」
後ろでローラー回してたユキちゃんがすっとんきょうな声をあげた。許せなかったのだと思う。
かわいい後輩マネージャーが最初の年のバレンタインをプロテインですませたのは、オレたちにとっては結構なニュースだったわけで。新開さんは「名前らしいな」と笑ってたけど。ユキちゃんだけでなく、かねやんもシノも、もちろんオレも、かわいい女子マネージャーからの手作り差し入れというものには、人並みの憧れがある。ないものねだりってやつだ。残念ながら、これまで縁がなかったので。
「……やば、これ内緒のやつだった?」
不穏な雰囲気のオレたちを見て、悠人は恐る恐る呟いた。
ユキちゃんはキッチリ時間までローラーやってから、汗を拭くとすぐさま「行くぞ!拓斗!悠人、逃げんな!」とオレと悠人をひっ捕まえた。向かう先はもちろん名前のところ。レースの季節だから、毎週末どこかで開催される試合ごとの成績……その取りまとめに追われているはずだった。
勢いよくユキちゃんがドアを開けたので、データ処理で頭を抱えていた名前は飛び上がって驚いた。
「うわっ!?黒田さん!?顔怖っ!」
「お前、料理うまいらしいな……なんで隠してた?」
「ゲッうまくないです!人に食べさせるほどのものじゃないです!お腹壊しちゃいますよ!」
ユキちゃんの取調べさながらの厳しい追求に名前は思わず逃げ出そうとしたが、出入り口はオレが塞いでいる。何が起きたのか分からず混乱している名前を見下ろす。口を開けば、思いの外怨みがましい声が出た。
「悠人は食べたって」
「あ、葦木場さんまで!」
「クリスマスと誕生日でケーキを2個ずつ焼いて、おせちは3段らしいな?」
「どこでそれをっ!あれは隼人くんのママです!大物作るのは私じゃない!あっ」
情報元が悠人と気づき、名前は恨めしそうに悠人を睨んだ。悠人はごめん、と手を合わせて。
「隠してたの知らなくて……」
「隠してたんじゃなくて!できないんだってば!」
名前は白目を剥いて悠人を揺さぶった。そうやってすぐに白目剥くのはやめた方がいいと思う。
「そもそも食べたいですか!?手料理!私だったら絶対食べたくないですけど!」
「食いてえわ食いたいに決まってんだろ後輩女子の手料理だぞ」
「プロテインもカウントしてくださいよ!」
「知るか!飢えてんだよ!こっちは!料理上手なマネージャーの差し入れってモンに!」
「知りませんよ!そもそも料理上手じゃないので、巻き込まないでください!」
名前は悲鳴をあげてジリジリと後退しユキちゃんから距離をとった。このままだと頭から食われると思ったのかも。
ふたりのやりとりを見ていた悠人が口を挟む。
「苗字センパイ、バレたついでにオレそろそろあれ食べたいんですけど。梅のやつ」
「梅ぇ!?寮では無理だって!実家戻った時にお料理上手のお母様に頼んでくれる!?」
「え、何。それ、甘いやつ?」
「はい。紅茶のゼリーみたいな……めちゃくちゃうまいですよ」
「やめて!あれは!そんな大袈裟なものではないから!」
名前は一生懸命否定するけど、悠人は気にせずあれとこれと、と食べたいものを挙げていく。魚料理、肉、洋食和食、それからデザートまで。
名前は諦めたのか「うん……わかった、わかったってば……悠ちゃんの馬鹿……」と力なく項垂れた。なんだ料理できるんじゃん。なんで隠してたんだろ。ユキちゃんがめんどくさいから?
散々「悠人のせい」と責められて、悠人が恨みがましく名前を見た。
「っていうか苗字センパイ、去年追い出しレースでたくさんおにぎり用意したって言ってませんでした?だからオレ、てっきり知ってるのかと」
「でかいやつ?あれ握ったのはバッシーじゃなかった?」
「米と具用意して、あとはバシさんにやってもらったの。私がちまちま握るより、かわいい後輩が一生懸命握ったドデカおにぎりの方が嬉しいでしょ」
「フツーのでいいんだよ!マネージャーが握ったおにぎりとかいうものを食いたいんだよこっちは!」
「えっドデカおにぎり、嬉しくなかったですか?」
「いや喜んで食ったけども!」
「そうでしょう!嬉しいでしょう!なので今年もファンライドのおにぎりは1年生に握ってもらうつもりです!お楽しみに〜」
「引退する先輩への情けってもんはないのか!」
そもそもどうして、ユキちゃんがこんなに執念燃やしてるのかというと。
ユキちゃんが中学の頃、ハコガクの自転車部には美人マネージャーがいるって地元で有名だったらしい。オレたちが入部した時にはその人は卒業してしまっていたけど。なのでユキちゃんは人並み以上に女子マネージャーというものに憧れをいだいている。
せっかく強豪運動部に入ったのに、憧れの箱根学園に来たのに、「マネージャーの手料理」というものは一目見ることすら叶わない……
今年の春、本入部締切の日。ユキちゃんは全部の入部届に目を通して、漸く「……夢は夢ってことだな」と諦めた。
オレと塔ちゃんはユキちゃんの未練たらたらな姿を散々見ていたから、「ついに諦めたのか」と目配せし合った。「かわいそうに」と思ってその日はうんと優しくしてあげた。
それが、一度きっぱり(いや、渋々?)諦めたものが!手に入る可能性が出てきたのだ。執念深くもなる。バレンタインに柔道部のやつらが当時3年マネージャーから「最後だから」と手の込んだケーキをもらっているのを見て、ユキちゃんは本気で悔しがっていた。
「頼むっ!次のバレンタインだけは!」
「黒田さんあんなにもらってるのにまだほしいんですか?」
「ほしい!ほしいに決まってんだろ!」
そんなユキちゃんの事情を名前は当然知らない。「もう十分モテたでしょう……」と呆れかえってため息をついた。ユキちゃんが後輩女子を中心にたくさんチョコレートをもらって、自慢げにしていた光景を思い出しているのだと思う。
自分の失言のせいだという自覚があるのか悠人が「ま、まあまあ黒田さん落ち着いて……」とユキちゃんを宥めにかかり、逆に「どいつもこいつも!幼馴染だなんだと!」とキレられていた。悠人と名前もそうだし、真波も小さい頃から一緒の幼馴染がいる。
でも、まあ、普通にほしいよね。後輩マネージャーがくれる特別なチョコ。オレはここにいないもうひとりを思い浮かべていた。多分、塔ちゃんもほしいと思う。
「名前」
「はい」
名前はオレに呼ばれるといつもこう。パッと姿勢を正して、お行儀よくこちらを見る。身長差があるから、一生懸命上を向いて。
名前がこうやって一生懸命聞く姿勢を取るのは、遠すぎると声が聞こえないから。他の2年よりも悠人よりも、名前は背が低い。オレはいまだにじりじり伸びてるけど、名前はもう打ち止めだって言っていた。
だから、大事な話をする時はなるべく同じくらいの視線になるように。上から見下ろしていては、顔が見えないから。泣いていても手を伸ばさないとわからないから。
膝を折って視線を合わせると、名前は「これ以上何を言われるのか」と怯えた顔をした。
「ねえ、オレも手作りのチョコほしいな」
「ギャッ」
名前が顔をクシャクシャにして悲鳴を上げた。後輩たち……とは言っても主に名前と悠人だけど、とにかく後輩たちはオレのこういう態度に弱いらしい。ユキちゃん達に向ける口調が、どうやら特別に見えるらしくて。
ふたりが言うように、そこまで態とらしく態度を使い分けているつもりはないから(先輩に話しかけるのと、同級生にするのと、後輩にするのとではそれぞれ違って当然だと思う)、自分ではよくわからないけど。
「いや、でも……それは」
それでも名前が頷かないのでダメ押し。首を傾げる仕草は疑問を表現するのにわかりやすくて、でもユキちゃんからは「身長2メーターの男子高校生がするポーズじゃねえ!あざとい!わざとやってんのか!?」と不評だ。
「……何が嫌?」
拗ねた顔で、名前が俯く。落ち込んだ声。
「だって……食べないでしょう」
あ。ユキちゃんもオレも、思わず息を止める。それって。誰のことなんて、聞くまでもなく。
「それより!ですよ」
詳しく聞く前に名前はパンと手を叩いて無理やり話を変えた。
「バレンタインより先に葦木場さん!お誕生日ですよ。今年は盛大にやりますからね!なんでも言ってください」
「盛大にケーキでも焼いてもらおうかな?」
「わー結局手作りに戻ってきてしまった」
名前は顔を顰めたが、「なるべく頑張りますけど。早めにリクエストしてくださいね。黒田さんも」と案外あっさり引き下がった。オレはあまり関わらなかったけど、去年の10月、名前は部内の重苦しい空気に心を痛めていた。多分本当は去年「盛大に」やりたかったんだろうなと思う。
「オレ、悠人が言ってたアップルパイ食べたいな」
「……が、がんばります」
「楽しみにしてるね」
「あの、あんまり期待しないでください!」
「そんなこと言われても……期待するよね?ユキちゃん」
「するに決まってんだろ!こっちは……こっちはなあっ!オレにだって、カワイイ幼馴染のひとりやふたりいればこんな目には!」
「黒田さんのカワイイ幼馴染って泉田さんのことですか?いーなあ、きっとかわいかったんでしょうね……」
「ちょっと名前ちゃん余計なこと言わないで!黒田さん、絞まってる!首!絞まってますって!」
「絞めてんだよ!受け入れろ!」
「んな無茶な!」
……ユキちゃんの嫉妬はともかく、今年の誕生日は名前にケーキ焼いてもらってさ、好きなもの買ってきて盛大にやろう。去年最悪だったあの時期の空気、今年はどうなるかな。真波もバッシーもいるし大丈夫かな。オレらはその頃引退だし、インターハイの結果もどうなるかはわからないけど。
ともかく卒業までにユキちゃんの心残りと名前の懸念。どっちも上手に解消できたらいいんだけど……塔ちゃん次第だな、うん。
