去る春、君の声だけが在る2
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「あーーっ!京伏!いた!御堂筋ー!!」
表彰式の後、撤収を前に大きな声が……女性の声が、御堂筋さんを呼んだ。それに煩わしそうにしながらも御堂筋さんが振り向いたので、「珍しいな」と思った。
人混みを「すみません!通してください!アッありがとうございます!」と騒々しく掻き分けて出てきたのは。
「……ハコガク」
「お疲れ様!御堂筋、見てたよ!!本部でだけど」
「……名前ちゃん」
御堂筋さんは嫌そうにその人の名前を呼んだ。その人が誰かは事前の調べで勿論知っていた。箱根学園のマネージャー、苗字名前。
「すごかったね、頑張ったね。マジすごかったよ、最後!気迫って感じで」
「やかまし、そんなんやないわ」
正直拍子抜けだ。自分のところが同着2位に終わったというのに、ニコニコ笑って御堂筋さんを褒める。苛烈な人だと聞いていたから、罵倒くらいされるかと思った。
一方の御堂筋さんはレースの後、いい感じに興奮も引いたのか大分落ち着いている。3校でのゴール争いを制する形で勝利を収めたせいか、きつい言葉をかけるようなことも……あ。
褒め称える苗字さんが流石にうるさかったのか、御堂筋さんがにっこり笑って、「やっぱりええなあ、そのTシャツ」と指差した。「ハコガク」と大きくプリントされたダサいTシャツ。
「箱根学園の名前ちゃん。いーのォ、こんなとこで敵ィと喋ってて」
「今日のレースは終わったからね、それにライバルとはいえ、友達の御堂筋と話す分には……ん?」
「キミのこと、友達なんて思ったことないけど」
「は、」
苗字さんは御堂筋さんの言葉なんて聞いていないように見えた。この身にまとう京都伏見のジャージに視線が釘付けになっている。
身を捻るようにして背を向けていたから、ゼッケンが見えたのだろう。唇が震えて、「きしがみ」と形作った。なんだ、知ってるのか。知ってるなら……ご挨拶くらいはしておいた方がいいかもしれない。真偽はどうあれ、御堂筋さんの自称「友達」らしいし。
にっこりと、首を傾げて見せ。
「あぱ♡」
「キッ岸神ィ!!!!!」
「どうしたのお、名前ちゃん。大声出して、指さして、ゴキブリでも見たん?そないかわいくない悲鳴、チームメイトに聞かれたら百年の恋もさめてまうよ?」
「き、貴様……」
「岸神です、はじめまして。苗字先輩♡」
相手はわなわな震えて、「初めまして」も言えないようだった。それをいいことに、上から下までじろじろ見る。
特筆すべきところのない薄っぺらな、にく。それから胸部と尻の無駄な脂肪。実用的でもないし、美しくもない。心踊るにくはやはりインターハイの最前線にしかいないのかもしれない。胸部の脂肪に視線をもう一度戻す。度重なる刺激的な勝負で我慢の効かなくなっている口から、感想が一言こぼれた。
「くず肉ですね」
真っ白な顔、そのこめかみに青筋が浮いた。他人の顔の美醜に関心はないが(所詮肉の上に張り付いた皮と露出した臓器だし)、その顔は確かに「百年の恋もさめてまう」だろうなと思った。
「おい貴様どこ見て言ってんだよバインバインのムチムチだろうが!ゴラ!!」
「汚らしいもの見せないでください……はあ、 最上筋肉 のハコガク……と思いましたが、大したことありませんね」
「黒田さんと泉田さんに手ェ出しといて大したことないですって!?!?」
「失礼しました、訂正します。大したことのないにくはマネージャーだけだと……」
「訂正より謝罪しろ!」
「謝罪の必要があるんですか?」
「あっあるでしょ、レース中の不用意な接触!危険行為!セクハラ!」
「ええ、 最上筋肉 、素晴らしかったです、本ッ当に……危険なまでに……!あ、今日のこの感触上書きしたくないので、握手は控えさせていただいてもよろしいですか?」
あっさりと挑発に乗ってくるところは皆同じか。ひくりとこめかみを震わせ、唾が飛ぶ勢いで苗字さんは叫んだ。
「こっちから願い下げだっ!!と言いたいところだがこのクソ変態野郎!上書きしてやるっ!っ!くらえッ!くず肉と握手っ!!」
「ああっ」
ビンタの如き勢いで手のひらを叩かれ、そのまま両手を力いっぱい握られる。少しばかりの手荒れや胼胝こそあれ、柔らかい手のひらだった。握力もないから握り潰すには程遠い。感触が失われることはショックだったがそれと同じくらい頼りない柔らかさが、不快で。
「名前ちゃん、かわいい1年生が負けたのにィ、思ったより平静やねえ」
御堂筋さんの機嫌の良さそうな声に苗字さんが吠える。「ハコガクの躾のなってない犬」……だなんだと不名誉な呼ばれ方は聞いていたけど、ここまでとは。慎ましくないし、美しくもない。その上、くず肉だ。
「どこがだっ!今日だけで、こっちの1年は泉田さんに暴行、お前ときたら悠人を侮辱するクソ演説までしといて!」
「侮辱ゥ?事実やよ」
「……私はここでお前と口論するつもりはない。私はお前の友達だけど、箱根学園のマネージャーだし、今日の大会運営委員だからね」
冷たい視線と共に僕の手を振り払った手は、暴れ回る心臓を抑えるように胸に。視線は彼女より背の高いこちらを見下し、屈服させんと強く見据え。ああ、比べるにも及ばないが、誰の真似かはすぐにわかる……!
「……!」
「しっかりと、報告させていただいたよ。仮にも京都を代表してきている、京都伏見高校の振る舞いについては、大会本部も大層がっかりしていた。明日こそは、選手達の走りが妨げられることのないよう隅々まで目を配ると言っていたわ」
「!!」
「楽しみだね、明日。きっと……」
苗字さんはにっこり微笑んだ。挑発的に大きな瞳を細め、口角を上げて、細く頼りなく短い両手を広げた。ああ、これも真似っこだ。わざとらしい演技で武装する意味は。
「今大会史上最もクリーンなレースが行われるだろう。スポーツマンシップに則った、高校生ロードレースの頂上決戦!その最終日に相応しい戦いだよ!」
こちらを見据える視線は1ミリも笑っていなかった。生ぬるい、その強さは彼女の尊敬する選手たちには少しも及ばない。が、ゾクゾクした。最上筋肉 の足元にも及ばない、脂肪とわずかな薄っぺらの筋肉。なのにこんなにも、胸が躍る。
この人の後ろに、あるもの。インターハイの最前線、至高のにく。この人はそれを示して見せたのだ!くず肉の分際で!烏滸がましいにも程がある!
「楽しみでしょう?」
「そうやね」
ぎらついた瞳が御堂筋さんを見た。包み隠すことを知らぬ、剥き出しの戦意!彼女のわざとらしい牽制は、京都伏見を押さえ込む効果は微塵もなかった。むしろ反対だろう。
「君も、でしょう?」
「ええ、とっても……!」
視線は間違いなくこちらを挑発している、ああ、ああ!羨ましい!「私はこんなにも近くで見てきた」と、意図せず見せつけてくる!
はやく、早く明日走りたい!興奮がおさえきれない。目の前の人間は、こんなに、くず肉なのに!こんなにも!一体このわずかな肉と脂肪で構成された人間の何が、いったい何を知っているというのか!この人は、「レースの最前線すら知らない」というのに!
だから、この身が感じたのはきっと嫉妬で。いけずをしてみたくなったのだ。興奮で緩んだ口に、「包み隠せ」と幼い自分が警鐘を鳴らす。でももう、この身は我慢を知らないから。
「乗ればよかったんですよ、貴女も」
「……何?」
煽り返そうと口にした言葉は、どれほど効果があっただろう。温度が下がったのは分かった。僕を置いてさっさと帰ろうとした御堂筋さんが足を止めた。
「貴女も、自転車に乗ればわかったかもしれないのに。そうしたら御堂筋さんや、箱根学園の人たちをいちばん近くで見られたのに。残念でしたね」
「岸神っ」
「……小鞠くぅん、もう行くよ」
「はい」
ああ、早く!早く走らせてください!叫び出したいのを堪えて、一礼する。苗字さんの瞳は最後に冷たくこちらを一瞥したが、怒らせたのは明らかだった。
くず肉の怒りなど、大したことはないけど。もし彼女が箱根学園の人たちに泣きついたら、きっと明日はもっと、近くでにくの躍動を見れるかもしれないと、少し思った。そうしたら、きっと……!ああ、ああ!
体の震えを抑え込むように、己の肩を抱く。それを見た御堂筋さんが「キミはほんっとうに我慢のできない男やねえ」と何度目かのセリフを繰り返した。
表彰式の後、撤収を前に大きな声が……女性の声が、御堂筋さんを呼んだ。それに煩わしそうにしながらも御堂筋さんが振り向いたので、「珍しいな」と思った。
人混みを「すみません!通してください!アッありがとうございます!」と騒々しく掻き分けて出てきたのは。
「……ハコガク」
「お疲れ様!御堂筋、見てたよ!!本部でだけど」
「……名前ちゃん」
御堂筋さんは嫌そうにその人の名前を呼んだ。その人が誰かは事前の調べで勿論知っていた。箱根学園のマネージャー、苗字名前。
「すごかったね、頑張ったね。マジすごかったよ、最後!気迫って感じで」
「やかまし、そんなんやないわ」
正直拍子抜けだ。自分のところが同着2位に終わったというのに、ニコニコ笑って御堂筋さんを褒める。苛烈な人だと聞いていたから、罵倒くらいされるかと思った。
一方の御堂筋さんはレースの後、いい感じに興奮も引いたのか大分落ち着いている。3校でのゴール争いを制する形で勝利を収めたせいか、きつい言葉をかけるようなことも……あ。
褒め称える苗字さんが流石にうるさかったのか、御堂筋さんがにっこり笑って、「やっぱりええなあ、そのTシャツ」と指差した。「ハコガク」と大きくプリントされたダサいTシャツ。
「箱根学園の名前ちゃん。いーのォ、こんなとこで敵ィと喋ってて」
「今日のレースは終わったからね、それにライバルとはいえ、友達の御堂筋と話す分には……ん?」
「キミのこと、友達なんて思ったことないけど」
「は、」
苗字さんは御堂筋さんの言葉なんて聞いていないように見えた。この身にまとう京都伏見のジャージに視線が釘付けになっている。
身を捻るようにして背を向けていたから、ゼッケンが見えたのだろう。唇が震えて、「きしがみ」と形作った。なんだ、知ってるのか。知ってるなら……ご挨拶くらいはしておいた方がいいかもしれない。真偽はどうあれ、御堂筋さんの自称「友達」らしいし。
にっこりと、首を傾げて見せ。
「あぱ♡」
「キッ岸神ィ!!!!!」
「どうしたのお、名前ちゃん。大声出して、指さして、ゴキブリでも見たん?そないかわいくない悲鳴、チームメイトに聞かれたら百年の恋もさめてまうよ?」
「き、貴様……」
「岸神です、はじめまして。苗字先輩♡」
相手はわなわな震えて、「初めまして」も言えないようだった。それをいいことに、上から下までじろじろ見る。
特筆すべきところのない薄っぺらな、にく。それから胸部と尻の無駄な脂肪。実用的でもないし、美しくもない。心踊るにくはやはりインターハイの最前線にしかいないのかもしれない。胸部の脂肪に視線をもう一度戻す。度重なる刺激的な勝負で我慢の効かなくなっている口から、感想が一言こぼれた。
「くず肉ですね」
真っ白な顔、そのこめかみに青筋が浮いた。他人の顔の美醜に関心はないが(所詮肉の上に張り付いた皮と露出した臓器だし)、その顔は確かに「百年の恋もさめてまう」だろうなと思った。
「おい貴様どこ見て言ってんだよバインバインのムチムチだろうが!ゴラ!!」
「汚らしいもの見せないでください……はあ、
「黒田さんと泉田さんに手ェ出しといて大したことないですって!?!?」
「失礼しました、訂正します。大したことのないにくはマネージャーだけだと……」
「訂正より謝罪しろ!」
「謝罪の必要があるんですか?」
「あっあるでしょ、レース中の不用意な接触!危険行為!セクハラ!」
「ええ、
あっさりと挑発に乗ってくるところは皆同じか。ひくりとこめかみを震わせ、唾が飛ぶ勢いで苗字さんは叫んだ。
「こっちから願い下げだっ!!と言いたいところだがこのクソ変態野郎!上書きしてやるっ!っ!くらえッ!くず肉と握手っ!!」
「ああっ」
ビンタの如き勢いで手のひらを叩かれ、そのまま両手を力いっぱい握られる。少しばかりの手荒れや胼胝こそあれ、柔らかい手のひらだった。握力もないから握り潰すには程遠い。感触が失われることはショックだったがそれと同じくらい頼りない柔らかさが、不快で。
「名前ちゃん、かわいい1年生が負けたのにィ、思ったより平静やねえ」
御堂筋さんの機嫌の良さそうな声に苗字さんが吠える。「ハコガクの躾のなってない犬」……だなんだと不名誉な呼ばれ方は聞いていたけど、ここまでとは。慎ましくないし、美しくもない。その上、くず肉だ。
「どこがだっ!今日だけで、こっちの1年は泉田さんに暴行、お前ときたら悠人を侮辱するクソ演説までしといて!」
「侮辱ゥ?事実やよ」
「……私はここでお前と口論するつもりはない。私はお前の友達だけど、箱根学園のマネージャーだし、今日の大会運営委員だからね」
冷たい視線と共に僕の手を振り払った手は、暴れ回る心臓を抑えるように胸に。視線は彼女より背の高いこちらを見下し、屈服させんと強く見据え。ああ、比べるにも及ばないが、誰の真似かはすぐにわかる……!
「……!」
「しっかりと、報告させていただいたよ。仮にも京都を代表してきている、京都伏見高校の振る舞いについては、大会本部も大層がっかりしていた。明日こそは、選手達の走りが妨げられることのないよう隅々まで目を配ると言っていたわ」
「!!」
「楽しみだね、明日。きっと……」
苗字さんはにっこり微笑んだ。挑発的に大きな瞳を細め、口角を上げて、細く頼りなく短い両手を広げた。ああ、これも真似っこだ。わざとらしい演技で武装する意味は。
「今大会史上最もクリーンなレースが行われるだろう。スポーツマンシップに則った、高校生ロードレースの頂上決戦!その最終日に相応しい戦いだよ!」
こちらを見据える視線は1ミリも笑っていなかった。生ぬるい、その強さは彼女の尊敬する選手たちには少しも及ばない。が、ゾクゾクした。
この人の後ろに、あるもの。インターハイの最前線、至高のにく。この人はそれを示して見せたのだ!くず肉の分際で!烏滸がましいにも程がある!
「楽しみでしょう?」
「そうやね」
ぎらついた瞳が御堂筋さんを見た。包み隠すことを知らぬ、剥き出しの戦意!彼女のわざとらしい牽制は、京都伏見を押さえ込む効果は微塵もなかった。むしろ反対だろう。
「君も、でしょう?」
「ええ、とっても……!」
視線は間違いなくこちらを挑発している、ああ、ああ!羨ましい!「私はこんなにも近くで見てきた」と、意図せず見せつけてくる!
はやく、早く明日走りたい!興奮がおさえきれない。目の前の人間は、こんなに、くず肉なのに!こんなにも!一体このわずかな肉と脂肪で構成された人間の何が、いったい何を知っているというのか!この人は、「レースの最前線すら知らない」というのに!
だから、この身が感じたのはきっと嫉妬で。いけずをしてみたくなったのだ。興奮で緩んだ口に、「包み隠せ」と幼い自分が警鐘を鳴らす。でももう、この身は我慢を知らないから。
「乗ればよかったんですよ、貴女も」
「……何?」
煽り返そうと口にした言葉は、どれほど効果があっただろう。温度が下がったのは分かった。僕を置いてさっさと帰ろうとした御堂筋さんが足を止めた。
「貴女も、自転車に乗ればわかったかもしれないのに。そうしたら御堂筋さんや、箱根学園の人たちをいちばん近くで見られたのに。残念でしたね」
「岸神っ」
「……小鞠くぅん、もう行くよ」
「はい」
ああ、早く!早く走らせてください!叫び出したいのを堪えて、一礼する。苗字さんの瞳は最後に冷たくこちらを一瞥したが、怒らせたのは明らかだった。
くず肉の怒りなど、大したことはないけど。もし彼女が箱根学園の人たちに泣きついたら、きっと明日はもっと、近くでにくの躍動を見れるかもしれないと、少し思った。そうしたら、きっと……!ああ、ああ!
体の震えを抑え込むように、己の肩を抱く。それを見た御堂筋さんが「キミはほんっとうに我慢のできない男やねえ」と何度目かのセリフを繰り返した。
