去る春、君の声だけが在る2
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インターハイ1日目を終えてオレは至って好調だった。
口を開けばため息と共に「疲れた」って出てくるけど、大体先輩方にくっついて走り、大きく戦況に関わることはなかったからかどこか余裕がある。
ミーティングの後心配そうな様子の名前ちゃんに捕まった。マネージャーとしてそこらじゅう走り回った名前ちゃんの方がよっぽど疲れているように見えた。
それでもマネージャーとして幼馴染として、言っておきたいことは山ほどあるらしく、腕を掴まれて廊下の椅子に座らされる。
ミーティング中に名前ちゃんと真波さんがふたりで深刻そうな顔をしていた。オレはそれを斜め後ろから眺めていたのだけど、名前ちゃんはそのことを知らない。お疲れ様って労われた後、本題に入るのは早かった。腕時計をチラリと見て。
「悠人、体調とか、他のことでも何か気になることがあったら先輩達に言うんだよ」
「大丈夫だって。苗字センパイ、心配しすぎですよ」
口調はいつもの。余裕ぶって、先輩からも同級生からも「新開くんってかっこいいね」と言われる冷静かつ軽い調子で。なのに、それを聞いて名前ちゃんはギュッと眉を寄せた。怒ってる風に見えるけど、オレは知ってる。泣くのを我慢している顔だって。
「先輩に言って、それで大したことなかったらいいけど、見過ごして大事になったら大変だから。見てたんでしょう、今日の総北」
「ええ」
総北の名前に反応してしまうのは仕方ないだろう。
「山王と闘いたい」と度々口にしていたから、葦木場さんも黒田さんもはっきりいいとは言わなかったけど、いざという時対山王でオレを出す気はあるらしかった。今年のハコガクはクライマー多めだが、先輩方にはそれぞれ役割がある。だから、単にクライマー勝負をするならオレがいちばん使い勝手がいい。明日明後日でやれる可能性はまだ残ってる。
名前ちゃんのお説教は続く。
「……私たちもコースの外にいるけど、いつでも必ず助けに行けるわけじゃない。悠人はひとりで長い間走ることはあんまりないだろうけど……誰かといる時は遠慮せずに言うんだよ。それが、チームのためだからね」
「わかってますって」
「本当に?」
名前ちゃんは泣きそうな声で念を押した。待ってよ、そんな重い話だった?
「具合が悪くなったり少しでも違和感を感じたら一緒に走ってる人に必ず言うこと」
「うん」
「お願い、約束して。心配だよ、悠人は頑張りすぎちゃうから」
「ここで頑張らなきゃ勝てないでしょ」
思わずセンパイ相手の敬語が抜けても名前ちゃんは咎めなかった。
立ちあがろうとしたオレのTシャツの裾を掴む。あー、こういうのはもっと、違う場面でやってほしかったな。そう思って顔を見たら、大きな目には今にも溢れそうなほど涙がたまっていた。嘘でしょ?「部活では全然泣かないんだから」って豪語してたじゃん。
「そ、そんな泣きそうな顔しなくてもオレは絶好調だし、鏑木みたいな無茶する時もなかったの見てたでしょ。インターハイは3日間あるし、最後の最後まで勝負はわからない……さすがにオレも配分考えてるって」
だんだん冷静になって、最後に残ったのはあまりに悲しい確信だけだった。
名前ちゃんが泣きそうなのは、オレが心配だからじゃない。よその1年生が倒れたり、よその3年生が力を使い果たして限界なのを見たからだ。
心は冷えて、心臓だけが逸る。名前ちゃんはオレを見てくれるって、オレが大事だって、そう言ったじゃん。なのになんで、そんなよそ見ばっかりして。
「大丈夫だよ、オレ強いし。山王にも勝つよ。だから泣かないで」
「泣いてないよ」
「嘘、泣きそうでしょ」
ハッとして名前ちゃんが顔を上げる。多分、今のは名前ちゃんの知ってる「かわいい幼馴染」の声ではなかった。突き放すような、冷たい声が出た。
成長期に入って背が伸びたのはきっと喜ぶべきことで。かっこいいと褒められる声も、顔も、全部望んで手に入れたものでなくても、手放せるものではなくて。
でもずっとオレは羨ましかった。名前ちゃんは小さくてやわらかくて可愛い女の子で、隼人くんは昔から名前ちゃんに甘かった。「本当の妹みたいに大事に思ってるよ」っていう言葉が心底羨ましかった。比較されず、ただ愛情だけを与えられるその居場所が。
優しい名前ちゃんが好きで、それで、嫌いだった。「オレじゃなくて名前ちゃんが妹だったらよかったのに」と言った時、オレは心の底では「名前ちゃんがいなければよかったのに」と彼女を呪い、それと同時に名前ちゃんが欲しい言葉をくれるだろうと期待していた。
そう、名前ちゃんはいつだってオレの望む言葉をくれる。
「……泣きそうだよ。だって、悠人のことが大事だから」
「名前ちゃん」
「悠人が1年生のうちに代表に選ばれて、こうして近くで応援できて、すごく嬉しいよ。でも……やっぱり心配なの。変だね、去年の真波にはそういう風に思わなかったのに」
だから、オレ以外の誰かのために、そういう顔しないで。かわいいオレの頼み事なんだから、答えは勿論YESでしょう?
口にするのは既 のところで止まった。言ったらもう、後戻りできなくなる。かわいい幼馴染だって思ってくれなくなる。名前ちゃんの周りの他のやつらと同じになる。誰にも譲ってやらないこのポジションは、隼人くんでも手に入らないオレだけのもの。生意気でもわがままでも、放っておけないただひとりの幼馴染。
「明日、オレだけ見てよ。心配も、不安な思いもさせないから。山王倒して山岳獲るし、頼まれればゴール前だって完璧に引いて見せるから」
「悠人……」
「レース経験の浅い1年じゃ信じられない?」
「ううん。ありがとう。信じるよ。悠人の走り、部でいちばん長く見てるのは私なんだから」
名前ちゃんは無理して笑って、でも泣きそうな顔よりは少しだけマジだった。なのにオレの心臓が少し痛いのは見ないふりをする。「オレだけ見てて」なんて、それは無理な願いだって、ハコガクに来てから痛いほど知ったはずだったのにな。
口を開けばため息と共に「疲れた」って出てくるけど、大体先輩方にくっついて走り、大きく戦況に関わることはなかったからかどこか余裕がある。
ミーティングの後心配そうな様子の名前ちゃんに捕まった。マネージャーとしてそこらじゅう走り回った名前ちゃんの方がよっぽど疲れているように見えた。
それでもマネージャーとして幼馴染として、言っておきたいことは山ほどあるらしく、腕を掴まれて廊下の椅子に座らされる。
ミーティング中に名前ちゃんと真波さんがふたりで深刻そうな顔をしていた。オレはそれを斜め後ろから眺めていたのだけど、名前ちゃんはそのことを知らない。お疲れ様って労われた後、本題に入るのは早かった。腕時計をチラリと見て。
「悠人、体調とか、他のことでも何か気になることがあったら先輩達に言うんだよ」
「大丈夫だって。苗字センパイ、心配しすぎですよ」
口調はいつもの。余裕ぶって、先輩からも同級生からも「新開くんってかっこいいね」と言われる冷静かつ軽い調子で。なのに、それを聞いて名前ちゃんはギュッと眉を寄せた。怒ってる風に見えるけど、オレは知ってる。泣くのを我慢している顔だって。
「先輩に言って、それで大したことなかったらいいけど、見過ごして大事になったら大変だから。見てたんでしょう、今日の総北」
「ええ」
総北の名前に反応してしまうのは仕方ないだろう。
「山王と闘いたい」と度々口にしていたから、葦木場さんも黒田さんもはっきりいいとは言わなかったけど、いざという時対山王でオレを出す気はあるらしかった。今年のハコガクはクライマー多めだが、先輩方にはそれぞれ役割がある。だから、単にクライマー勝負をするならオレがいちばん使い勝手がいい。明日明後日でやれる可能性はまだ残ってる。
名前ちゃんのお説教は続く。
「……私たちもコースの外にいるけど、いつでも必ず助けに行けるわけじゃない。悠人はひとりで長い間走ることはあんまりないだろうけど……誰かといる時は遠慮せずに言うんだよ。それが、チームのためだからね」
「わかってますって」
「本当に?」
名前ちゃんは泣きそうな声で念を押した。待ってよ、そんな重い話だった?
「具合が悪くなったり少しでも違和感を感じたら一緒に走ってる人に必ず言うこと」
「うん」
「お願い、約束して。心配だよ、悠人は頑張りすぎちゃうから」
「ここで頑張らなきゃ勝てないでしょ」
思わずセンパイ相手の敬語が抜けても名前ちゃんは咎めなかった。
立ちあがろうとしたオレのTシャツの裾を掴む。あー、こういうのはもっと、違う場面でやってほしかったな。そう思って顔を見たら、大きな目には今にも溢れそうなほど涙がたまっていた。嘘でしょ?「部活では全然泣かないんだから」って豪語してたじゃん。
「そ、そんな泣きそうな顔しなくてもオレは絶好調だし、鏑木みたいな無茶する時もなかったの見てたでしょ。インターハイは3日間あるし、最後の最後まで勝負はわからない……さすがにオレも配分考えてるって」
だんだん冷静になって、最後に残ったのはあまりに悲しい確信だけだった。
名前ちゃんが泣きそうなのは、オレが心配だからじゃない。よその1年生が倒れたり、よその3年生が力を使い果たして限界なのを見たからだ。
心は冷えて、心臓だけが逸る。名前ちゃんはオレを見てくれるって、オレが大事だって、そう言ったじゃん。なのになんで、そんなよそ見ばっかりして。
「大丈夫だよ、オレ強いし。山王にも勝つよ。だから泣かないで」
「泣いてないよ」
「嘘、泣きそうでしょ」
ハッとして名前ちゃんが顔を上げる。多分、今のは名前ちゃんの知ってる「かわいい幼馴染」の声ではなかった。突き放すような、冷たい声が出た。
成長期に入って背が伸びたのはきっと喜ぶべきことで。かっこいいと褒められる声も、顔も、全部望んで手に入れたものでなくても、手放せるものではなくて。
でもずっとオレは羨ましかった。名前ちゃんは小さくてやわらかくて可愛い女の子で、隼人くんは昔から名前ちゃんに甘かった。「本当の妹みたいに大事に思ってるよ」っていう言葉が心底羨ましかった。比較されず、ただ愛情だけを与えられるその居場所が。
優しい名前ちゃんが好きで、それで、嫌いだった。「オレじゃなくて名前ちゃんが妹だったらよかったのに」と言った時、オレは心の底では「名前ちゃんがいなければよかったのに」と彼女を呪い、それと同時に名前ちゃんが欲しい言葉をくれるだろうと期待していた。
そう、名前ちゃんはいつだってオレの望む言葉をくれる。
「……泣きそうだよ。だって、悠人のことが大事だから」
「名前ちゃん」
「悠人が1年生のうちに代表に選ばれて、こうして近くで応援できて、すごく嬉しいよ。でも……やっぱり心配なの。変だね、去年の真波にはそういう風に思わなかったのに」
だから、オレ以外の誰かのために、そういう顔しないで。かわいいオレの頼み事なんだから、答えは勿論YESでしょう?
口にするのは
「明日、オレだけ見てよ。心配も、不安な思いもさせないから。山王倒して山岳獲るし、頼まれればゴール前だって完璧に引いて見せるから」
「悠人……」
「レース経験の浅い1年じゃ信じられない?」
「ううん。ありがとう。信じるよ。悠人の走り、部でいちばん長く見てるのは私なんだから」
名前ちゃんは無理して笑って、でも泣きそうな顔よりは少しだけマジだった。なのにオレの心臓が少し痛いのは見ないふりをする。「オレだけ見てて」なんて、それは無理な願いだって、ハコガクに来てから痛いほど知ったはずだったのにな。
