去る春、君の声だけが在るIF
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約束の時間に合わせて駅に迎えに行くと、名前はいつも笑顔で向かってくる。改札を挟んでもわかるくらいに大きく手を振るから、最初は嬉しいのと同じくらい恥ずかしかった。が、それも2年目ともなれば、慣れた。
そのまま名前が見つけてきたカフェに行って、席に着くなりボクの口から出たのは不満そうな「最近忙しいのか」と言う言葉だった。名前は首を傾げる。大学生になってまた短くなった髪が頬にかかる。何か色々考えているんじゃないかと思い、どういうつもりか尋ねたら「かわいくないですか?長い方が好きですか?」と質問で返されてしまったので、それ以上の追求は許されなかった。なぜなら、ボクは過去の経験から「かわいいですか?」に対して「かわいいよ」以外の返答をするつもりがないから。
「えーっと、忙しくないです。知ってるでしょ、履修登録は考えてしてるし、サークルも緩いし、飲み会もそんなに行かないし……バイトも8時閉院だし」
名前は入学当初、サークル見学で知り合ったとか言う「同学部で、フル単かつGPA4」の先輩に時間割を組んでもらったらしい。無理なく進級できるように必修を組んであると胸を張っていたのが4月。サークルや学科の集まりは「だって酒も飲めないのにつまんない」と言って断りがち、アルバイトは楽しいそうだがあんまり遅くなると次の日起きれないからほどほど。本人はそう口にするけど、実態は不明だ。連絡が来ないから。とにかく、連絡がこない。きっと、不満なのだと思う。自分のことなのに、うまく言い表せない不安と焦燥が常に薄らと付きまとう。せっかく遊びにきてくれた恋人に棘のある言い方をしてしまうほど。とにかく、連絡がなさすぎる。
「わー美味しいです!やっぱ当たりでしたね」
名前はのほほんとコーヒーを啜る。名前はこの辺りの店にも詳しい。多分、行動範囲が決まっているボクよりも。
「……お口に合いませんでした?」
「いや、おいしいよ」
それは本当。名前の情報収集能力の高さには高校の頃から幾度となく助けられたが、それはこんなところでも発揮される。煮え切らない態度に思うところがあるのか、名前は姿勢を正した。
「先輩の方こそ忙しそうです。私、無理してないか心配で」
「いや、そういうわけでは。あんまり連絡が来ないから、忙しいのかと。ほら、前はもっと……」
付き合ったらもっと、べたべた甘えてくるものだと思っていた。名前は心を許した相手には、特に容赦なく甘えてくる印象だったから。例えば、銅橋や福富さんなど。
もっと……と言った手が何か表現しようとしてやめた。そのままテーブルの上に着地させて。もう、何を言ってもかっこ悪い気がした。「年下の恋人の行動をあれこれ束縛したり詮索するのはダサい」とは、ボク達の交際を知ったユキにしつこく言われたことだ。
……たとえ講義の間にすれ違った田所さんから「おい!苗字から聞いたか?ほたて、さくら鶏!値引きだ!練習終わりに行くぞ!」と声をかけられるようなことがあっても、怒ったり問い詰めたりしてはいけない。らしい。あの時は本当にどうしようかと思った。なぜ最寄りの大型スーパーの特売情報を名前が知っていて、しかも田所さん経由で知らされなければいけないのか。いつのまに連絡先を交換していた?名前が1年生の時のインハイを除いて、顔を合わせたことすらなかったはずだ。ボクに連絡すればいいのに。
名前が大学生になってから、忙しいのか何をやっているのか、全然連絡がこない。互いに高校生だった頃、朝から晩まで泉田さん泉田さんとまとわりついてきたのはなんだったのか。釣った魚に餌をやらないタイプなのか。田所さんには連絡できるのになぜボクにはしてこないのか。東堂さんも「ああそういえばこの間苗字が……」とか知らない情報を口にすることがある。なぜ。
「ごめん、なんでもないよ。ボクの想定が少し誤っていたというだけ。忘れてくれ」
名前がカップを下ろして、丸い目玉がこちらをじっと見ていた。言葉以外の何かを読み取ろうとしているのか、昔からこういう風に見てくる時がある。主将になってからは弱いところを見せてはならないと、堂々と見返すように心がけ、視線は逸さなかった。が、今は少し難しい。探られて痛い腹しかないからだ。
「……前はもっと……なんだろう……しつこかった?うるさかった?……あんまり悪い意味じゃない?期待外れ?うーん」
名前は答えを絞りにかかる。名前は何をどうやっているのか、思考を跳躍させて正解に辿り着くことがある。ぎくり。
「もっと甘えてくるものだと思って、ました?」
「……名探偵だね」
ほとんど当たりだと認めてしまったに等しく、誤魔化すようにコーヒーに手をつける。結構好みの味だと、思った。こういうのを名前はどこで見つけてくるんだろう。飲食店も市内のイベント情報もボクより詳しい。特売情報しかり。いや、別に根に持っているわけでは。
「……だって」
消え入りそうな小さい声だった。それでいて、甘えるような響きの。
顔を上げると向かいの席で名前が顔を覆っていた。指の間から覗く頬も、耳も赤い。え。
「あ、あんまり連絡したらうるさいかなって……」
「えっ」
「ほ、ほんとは何してますかとか聞きたいけど、今日は何してますかって聞いて、学科の女の子と飲み会だよとか言われて嫉妬するのもやだし、重いってバレたらやだし、そういうのすごく子供っぽいっていうか、釣り合わないっていうか……」
「いやいやいや」
名前の口は止まらず、止める間もなく本音が。
「東堂さんは全然教えてくれないし、となるともう田所っち先輩に聞くしかないと言うか……」
だってだってと唸っているのは、高校生の頃を思い出させた。あの頃。思わず笑ってしまう。じっとりと睨む視線に慌てて表情を正す。
「な、何を今更……今更すぎるだろう」
「ちょっと!マジで笑ってるじゃないですか」
「ごめん、何を今更って思って。面白がってるわけじゃないよ」
「……それはさっきも聞きました!」
名前は頬を膨らませて、そっぽを向いた。
「あのね、ボクは君に無理してでもいい子でいてほしいわけじゃないんだよ」
「だって……」
「今だから打ち明けるけど、」
「何?大事な話ですか」
「うん。高校生だった頃、キミの銅橋たちに見せる気安い態度と、ボクに見せるような1枚猫を被った態度と……」
「ねえっ猫って言った!?」
「あれはあれで、かわいい猫被りだったけど。自分ばっかり本当の顔を見せてもらえないっていうのは、距離を置かれてるようで結構寂しいものだったよ」
「エッ」
「名前は全然甘やかされてくれないし」
「そ、それは」
名前はもうあんまり日本語が喋れてなくて「うう」と唸って顔を伏せた。
「福富さんとの力の差にまさか主将を引退してからも、悩まされるとは思わなかったけどね」
「だって、だって……!寿一くんにするのとは訳が違うじゃないですか!あれは!」
2人が知り合ったのは、箱根学園も自転車競技部も、それどころか勝ち続けることの難しさも、何も知らない頃だったと聞く。当時のことを「生意気でわがままで、忘れて欲しいくらいですよ」と名前は恥ずかしがるが、福富さんはだからこそ1年の冬、頑張りすぎていた名前を甘やかしたのだと思う。羨ましくはあったけど、あの時ボクは主将の責の重さでそれどころではなかった。それどころか、近づけば弱くなることを恐れるかのように、名前を突き放してばかりで。今になって思えば、そんなはずはなかったのに。
料理が来て、話し合いは一旦中止。気合いの入った名前が開店時間に合わせて入店したので他にお客さんはいないけど、あんまり大声で騒ぐのは良くなかった。ふたりですみませんと肩をすくめて料理を受け取る。
「つまり、言いたかったのは悩んでたのは君ばかりじゃないってことだよ」
……君が悪いどころか、だいたいボクの問題だけど。それを言うのはカッコ悪い気がしてこの話は終わり。
「そうだったんですね。全然知らなかった……」
息を詰まらせ、その声はひどく甘ったるい。申し訳なさそうな顔をしつつも頬を染めて、でも表情は明るく……あまりにもわかりやすくて笑ってしまう。
「えへへ、なんだかちょっと嬉しいです!片思いだと思ってたので!」
「……一応交際中という認識だったのだけど」
「あ?えっとなんか表現の問題というか!?お付き合いの認識はあります!」
一応最終段階で交際を提案したのはボクの方で、名前がそれに応じたのだと記憶していたが、覚えていないのだろうか?あの頃は一切進展のない関係と卒業までのタイムリミットに焦り、直接的な物言いをしてみたり、大人気なく嫉妬もしたのだけど、その辺り名前にはあまり伝わっていないようだ。確かにキラキラした目で先輩先輩って寄ってくる姿しか記憶にない。色々未熟だった自分も案外上手くやれていたんじゃないかと一安心というか、やっぱり思いが伝わっていなかったのはちょっと悔しいというか。
名前はプレートの卵を突いてへらへら笑う。可愛いのだけど。可愛いのだけど、嫌な予感しかしない。散々振り回されてきたから、このあたりの勘は鋭い。
「私ばっかり好きで、それに付き合わせてるって思ってました。なーんだ、安心しました」
閉口。訂正、今も全然伝わっていなかったようだ。まさか付き合ってからこんな情けない思いをする羽目になるとは。一体これ以上何をすればわかってもらえるのか?
「え?私まずいこと言いました?」
「いや?お姫様に合わせようと思うあまり、ちょっとペースが「ゆっくり」過ぎたかなと思っただけだよ」
「怖!気に障ったならちゃんと言ってくださいよ!何?名前の何が今だめでした!?」
「『自分ばっかり好き』とか、寂しいこと言うところがだめだと思う」
「あっ!?だって、でも、それは……」
名前が顔を真っ赤にして俯いた。スプーンを手放して、「食べないのかい」と聞けば「それどころじゃ」と呻いた。ここに来るのをあんなに楽しみにしていたのだから、この話は食事の前にするべきではなかったな。
「だって、だって、私が押して押して、最終的に付き合ってくれたみたいなものじゃないですか」
実際のところ、そういうわけではないのだが、なぜだか彼女はずっとそう思ってるらしい。割と色々な形で好意を示したつもりだけど、案外伝わらないものだなと、何度目かの落胆。ユキ曰く名前の目は「憧れの先輩フィルターで曇ってる」らしいが、未だそれを破壊することはできていないようだ。うまくいかないものだな。名前のように「押して押して」、押しまくるしかそのフィルターを破壊する方法はないのかもしれない。
「認識に相違があるらしいね。それなら、ボクもこれからは積極的に口に出していくことにしよう」
ボクの顔色を伺って、紅潮していた名前の顔からさっと血の気が引いた。普通逆だろう。
「待って待って待って!」
「待たない」
「なんでぇ!」
「だって、待った結果がこれしゃないか。これでも、結構気長に見守ったつもりなんだけど」
「嘘!死んでしまう、本当に、予告してくれなきゃ」
「今したよ」
「1週間前にして!」
自分が何を言っているかわからないくらいの慌てぶりに呆れてしまう。愛の言葉ひとつ捧げるのに1週間前に予告?そんなことしたらきっと君は生活すら滞るんじゃないか。これは思い上がりだろうか。そんなこと繰り返したらいつか、慣れてしまうのだろうか。
「……好きだよ」
「わあっ」
さくらは喜ぶどころか完全にお手上げ状態で、半泣きで頭を抱えた。本当にひどい。恋人から好きだと言われた人の反応ではないなと笑いが漏れた。「さすがに今のは傷ついたよ」と言えばもっと動揺するのかもしれないが、可哀想だからやめた。
代わりにせっかくの料理が冷めるよと指摘すればのろのろと身を起こしてスプーンを再び手に取った。その間にもずるい、ずるいと唸っているから笑ってしまう。ずるいのはどっちだ。こんなに翻弄しておいて。
こちらもすっかり放置してしまった料理に手をつける。よかった、まだ十分温かい。厚切りのトーストにのせられる具が選べるとあって名前は決める時に散々頭を悩ませていた。
「もうだめだ、どうしよう、心臓が保たない……!」
「そこまで過剰に反応されるとこちらも照れるね」
「言ってることと顔が合ってない!」
推察するに、「運動部の先輩と後輩」として出会ったせいか、名前はその枠を超えて来ることを過剰に恐れている。というより受け入れられていない。もう1年も経つというのに。ボクも今まではかわいい「わがままプリンセス」のペースに合わせてきたが、このままじゃいつまでたっても進展しないだろう。名前には悪いが、今後強硬手段で慣れさせていくしかあるまい。なぜならボクは名前の「無理!」に合わせて2年も3年も待ってあげられるような、穏やかな人間ではないからね。
そのまま名前が見つけてきたカフェに行って、席に着くなりボクの口から出たのは不満そうな「最近忙しいのか」と言う言葉だった。名前は首を傾げる。大学生になってまた短くなった髪が頬にかかる。何か色々考えているんじゃないかと思い、どういうつもりか尋ねたら「かわいくないですか?長い方が好きですか?」と質問で返されてしまったので、それ以上の追求は許されなかった。なぜなら、ボクは過去の経験から「かわいいですか?」に対して「かわいいよ」以外の返答をするつもりがないから。
「えーっと、忙しくないです。知ってるでしょ、履修登録は考えてしてるし、サークルも緩いし、飲み会もそんなに行かないし……バイトも8時閉院だし」
名前は入学当初、サークル見学で知り合ったとか言う「同学部で、フル単かつGPA4」の先輩に時間割を組んでもらったらしい。無理なく進級できるように必修を組んであると胸を張っていたのが4月。サークルや学科の集まりは「だって酒も飲めないのにつまんない」と言って断りがち、アルバイトは楽しいそうだがあんまり遅くなると次の日起きれないからほどほど。本人はそう口にするけど、実態は不明だ。連絡が来ないから。とにかく、連絡がこない。きっと、不満なのだと思う。自分のことなのに、うまく言い表せない不安と焦燥が常に薄らと付きまとう。せっかく遊びにきてくれた恋人に棘のある言い方をしてしまうほど。とにかく、連絡がなさすぎる。
「わー美味しいです!やっぱ当たりでしたね」
名前はのほほんとコーヒーを啜る。名前はこの辺りの店にも詳しい。多分、行動範囲が決まっているボクよりも。
「……お口に合いませんでした?」
「いや、おいしいよ」
それは本当。名前の情報収集能力の高さには高校の頃から幾度となく助けられたが、それはこんなところでも発揮される。煮え切らない態度に思うところがあるのか、名前は姿勢を正した。
「先輩の方こそ忙しそうです。私、無理してないか心配で」
「いや、そういうわけでは。あんまり連絡が来ないから、忙しいのかと。ほら、前はもっと……」
付き合ったらもっと、べたべた甘えてくるものだと思っていた。名前は心を許した相手には、特に容赦なく甘えてくる印象だったから。例えば、銅橋や福富さんなど。
もっと……と言った手が何か表現しようとしてやめた。そのままテーブルの上に着地させて。もう、何を言ってもかっこ悪い気がした。「年下の恋人の行動をあれこれ束縛したり詮索するのはダサい」とは、ボク達の交際を知ったユキにしつこく言われたことだ。
……たとえ講義の間にすれ違った田所さんから「おい!苗字から聞いたか?ほたて、さくら鶏!値引きだ!練習終わりに行くぞ!」と声をかけられるようなことがあっても、怒ったり問い詰めたりしてはいけない。らしい。あの時は本当にどうしようかと思った。なぜ最寄りの大型スーパーの特売情報を名前が知っていて、しかも田所さん経由で知らされなければいけないのか。いつのまに連絡先を交換していた?名前が1年生の時のインハイを除いて、顔を合わせたことすらなかったはずだ。ボクに連絡すればいいのに。
名前が大学生になってから、忙しいのか何をやっているのか、全然連絡がこない。互いに高校生だった頃、朝から晩まで泉田さん泉田さんとまとわりついてきたのはなんだったのか。釣った魚に餌をやらないタイプなのか。田所さんには連絡できるのになぜボクにはしてこないのか。東堂さんも「ああそういえばこの間苗字が……」とか知らない情報を口にすることがある。なぜ。
「ごめん、なんでもないよ。ボクの想定が少し誤っていたというだけ。忘れてくれ」
名前がカップを下ろして、丸い目玉がこちらをじっと見ていた。言葉以外の何かを読み取ろうとしているのか、昔からこういう風に見てくる時がある。主将になってからは弱いところを見せてはならないと、堂々と見返すように心がけ、視線は逸さなかった。が、今は少し難しい。探られて痛い腹しかないからだ。
「……前はもっと……なんだろう……しつこかった?うるさかった?……あんまり悪い意味じゃない?期待外れ?うーん」
名前は答えを絞りにかかる。名前は何をどうやっているのか、思考を跳躍させて正解に辿り着くことがある。ぎくり。
「もっと甘えてくるものだと思って、ました?」
「……名探偵だね」
ほとんど当たりだと認めてしまったに等しく、誤魔化すようにコーヒーに手をつける。結構好みの味だと、思った。こういうのを名前はどこで見つけてくるんだろう。飲食店も市内のイベント情報もボクより詳しい。特売情報しかり。いや、別に根に持っているわけでは。
「……だって」
消え入りそうな小さい声だった。それでいて、甘えるような響きの。
顔を上げると向かいの席で名前が顔を覆っていた。指の間から覗く頬も、耳も赤い。え。
「あ、あんまり連絡したらうるさいかなって……」
「えっ」
「ほ、ほんとは何してますかとか聞きたいけど、今日は何してますかって聞いて、学科の女の子と飲み会だよとか言われて嫉妬するのもやだし、重いってバレたらやだし、そういうのすごく子供っぽいっていうか、釣り合わないっていうか……」
「いやいやいや」
名前の口は止まらず、止める間もなく本音が。
「東堂さんは全然教えてくれないし、となるともう田所っち先輩に聞くしかないと言うか……」
だってだってと唸っているのは、高校生の頃を思い出させた。あの頃。思わず笑ってしまう。じっとりと睨む視線に慌てて表情を正す。
「な、何を今更……今更すぎるだろう」
「ちょっと!マジで笑ってるじゃないですか」
「ごめん、何を今更って思って。面白がってるわけじゃないよ」
「……それはさっきも聞きました!」
名前は頬を膨らませて、そっぽを向いた。
「あのね、ボクは君に無理してでもいい子でいてほしいわけじゃないんだよ」
「だって……」
「今だから打ち明けるけど、」
「何?大事な話ですか」
「うん。高校生だった頃、キミの銅橋たちに見せる気安い態度と、ボクに見せるような1枚猫を被った態度と……」
「ねえっ猫って言った!?」
「あれはあれで、かわいい猫被りだったけど。自分ばっかり本当の顔を見せてもらえないっていうのは、距離を置かれてるようで結構寂しいものだったよ」
「エッ」
「名前は全然甘やかされてくれないし」
「そ、それは」
名前はもうあんまり日本語が喋れてなくて「うう」と唸って顔を伏せた。
「福富さんとの力の差にまさか主将を引退してからも、悩まされるとは思わなかったけどね」
「だって、だって……!寿一くんにするのとは訳が違うじゃないですか!あれは!」
2人が知り合ったのは、箱根学園も自転車競技部も、それどころか勝ち続けることの難しさも、何も知らない頃だったと聞く。当時のことを「生意気でわがままで、忘れて欲しいくらいですよ」と名前は恥ずかしがるが、福富さんはだからこそ1年の冬、頑張りすぎていた名前を甘やかしたのだと思う。羨ましくはあったけど、あの時ボクは主将の責の重さでそれどころではなかった。それどころか、近づけば弱くなることを恐れるかのように、名前を突き放してばかりで。今になって思えば、そんなはずはなかったのに。
料理が来て、話し合いは一旦中止。気合いの入った名前が開店時間に合わせて入店したので他にお客さんはいないけど、あんまり大声で騒ぐのは良くなかった。ふたりですみませんと肩をすくめて料理を受け取る。
「つまり、言いたかったのは悩んでたのは君ばかりじゃないってことだよ」
……君が悪いどころか、だいたいボクの問題だけど。それを言うのはカッコ悪い気がしてこの話は終わり。
「そうだったんですね。全然知らなかった……」
息を詰まらせ、その声はひどく甘ったるい。申し訳なさそうな顔をしつつも頬を染めて、でも表情は明るく……あまりにもわかりやすくて笑ってしまう。
「えへへ、なんだかちょっと嬉しいです!片思いだと思ってたので!」
「……一応交際中という認識だったのだけど」
「あ?えっとなんか表現の問題というか!?お付き合いの認識はあります!」
一応最終段階で交際を提案したのはボクの方で、名前がそれに応じたのだと記憶していたが、覚えていないのだろうか?あの頃は一切進展のない関係と卒業までのタイムリミットに焦り、直接的な物言いをしてみたり、大人気なく嫉妬もしたのだけど、その辺り名前にはあまり伝わっていないようだ。確かにキラキラした目で先輩先輩って寄ってくる姿しか記憶にない。色々未熟だった自分も案外上手くやれていたんじゃないかと一安心というか、やっぱり思いが伝わっていなかったのはちょっと悔しいというか。
名前はプレートの卵を突いてへらへら笑う。可愛いのだけど。可愛いのだけど、嫌な予感しかしない。散々振り回されてきたから、このあたりの勘は鋭い。
「私ばっかり好きで、それに付き合わせてるって思ってました。なーんだ、安心しました」
閉口。訂正、今も全然伝わっていなかったようだ。まさか付き合ってからこんな情けない思いをする羽目になるとは。一体これ以上何をすればわかってもらえるのか?
「え?私まずいこと言いました?」
「いや?お姫様に合わせようと思うあまり、ちょっとペースが「ゆっくり」過ぎたかなと思っただけだよ」
「怖!気に障ったならちゃんと言ってくださいよ!何?名前の何が今だめでした!?」
「『自分ばっかり好き』とか、寂しいこと言うところがだめだと思う」
「あっ!?だって、でも、それは……」
名前が顔を真っ赤にして俯いた。スプーンを手放して、「食べないのかい」と聞けば「それどころじゃ」と呻いた。ここに来るのをあんなに楽しみにしていたのだから、この話は食事の前にするべきではなかったな。
「だって、だって、私が押して押して、最終的に付き合ってくれたみたいなものじゃないですか」
実際のところ、そういうわけではないのだが、なぜだか彼女はずっとそう思ってるらしい。割と色々な形で好意を示したつもりだけど、案外伝わらないものだなと、何度目かの落胆。ユキ曰く名前の目は「憧れの先輩フィルターで曇ってる」らしいが、未だそれを破壊することはできていないようだ。うまくいかないものだな。名前のように「押して押して」、押しまくるしかそのフィルターを破壊する方法はないのかもしれない。
「認識に相違があるらしいね。それなら、ボクもこれからは積極的に口に出していくことにしよう」
ボクの顔色を伺って、紅潮していた名前の顔からさっと血の気が引いた。普通逆だろう。
「待って待って待って!」
「待たない」
「なんでぇ!」
「だって、待った結果がこれしゃないか。これでも、結構気長に見守ったつもりなんだけど」
「嘘!死んでしまう、本当に、予告してくれなきゃ」
「今したよ」
「1週間前にして!」
自分が何を言っているかわからないくらいの慌てぶりに呆れてしまう。愛の言葉ひとつ捧げるのに1週間前に予告?そんなことしたらきっと君は生活すら滞るんじゃないか。これは思い上がりだろうか。そんなこと繰り返したらいつか、慣れてしまうのだろうか。
「……好きだよ」
「わあっ」
さくらは喜ぶどころか完全にお手上げ状態で、半泣きで頭を抱えた。本当にひどい。恋人から好きだと言われた人の反応ではないなと笑いが漏れた。「さすがに今のは傷ついたよ」と言えばもっと動揺するのかもしれないが、可哀想だからやめた。
代わりにせっかくの料理が冷めるよと指摘すればのろのろと身を起こしてスプーンを再び手に取った。その間にもずるい、ずるいと唸っているから笑ってしまう。ずるいのはどっちだ。こんなに翻弄しておいて。
こちらもすっかり放置してしまった料理に手をつける。よかった、まだ十分温かい。厚切りのトーストにのせられる具が選べるとあって名前は決める時に散々頭を悩ませていた。
「もうだめだ、どうしよう、心臓が保たない……!」
「そこまで過剰に反応されるとこちらも照れるね」
「言ってることと顔が合ってない!」
推察するに、「運動部の先輩と後輩」として出会ったせいか、名前はその枠を超えて来ることを過剰に恐れている。というより受け入れられていない。もう1年も経つというのに。ボクも今まではかわいい「わがままプリンセス」のペースに合わせてきたが、このままじゃいつまでたっても進展しないだろう。名前には悪いが、今後強硬手段で慣れさせていくしかあるまい。なぜならボクは名前の「無理!」に合わせて2年も3年も待ってあげられるような、穏やかな人間ではないからね。
