青く光っている
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高校2年生の夏休み。夏休みに入ってすぐ開催されたインターハイで、弓射くんはまたしても優勝した。次で3連覇だ。本当にすごすぎる。来年も応援に行きたいが、一応受験生になるわけだしインターハイを見に行く以外で遊んでいる余裕はないだろう。となると今年が実質最後の夏休みだということで、久しぶりに父のゴルフに着いていく。今日は千葉。
駐車場で自転車を下ろす。小学生の頃乗り回していたお下がりのMTBは卒業した。実は中学生になったお祝いに、ロードバイクを買ってもらって5年程それに乗っている。弓射くんはMTB仲間が減って残念そうにしたが、ビビりの私が弓射くんのああいうデンジャラス走行についていくのは無理だと早々に分かっていたようで、割と早く諦めた。
逆にロードバイクに誘おうにも、弓射くんは私のロードバイクに乗らない。サドルを限界まで上げれば乗れそうだけど「無理。踏んだら壊しそう」と首を振る。そこまで繊細な乗り物では無さそうだけど、ゴツいMTBと比べたらそう見えるのかも。
学校には自転車で通っている。さすが自由な校風で知られる明早大学花園女子学院。そこは皆シルバーのママチャリに乗る地元の中学校と違って、自転車の厳しい決まりはなかった。ハートのマークのロゴか、かわいい空色の車体かで散々悩んで、今は白地に空色のロゴの自転車に乗っている。人気があるから、街中で同じメーカーの自転車にすれ違うことも多い。
私の身長は中学生になると同時に160手前ですっかり止まってしまい、弓射くんのようにサドルの調整すらいらない。弓射くんは……昔はあんなに可愛かったのに、今や超デカい。175を超えた辺りから話す時に見上げないと目が合わないし、私の声を聞こうと弓射くんが身を屈めることも珍しくない。顔を近づけ長いまつ毛を伏せる姿はとんでもなくかっこいいし、それから声が耳元でダイレクトに響くので最初はめちゃくちゃ困ったけど、今は慣れた。だって、弓射くんは絶対そういうの気にしてない。弓射くんってモテる自覚は多少あるみたいだけどちょっと天然だから、その辺の距離感がおかしいのに気づいてない。あの顔が近いのに慣れなくて悲鳴あげてた頃に「……大丈夫?」って心底不思議そうな顔をされたのを、私は忘れてない。そうやって私だけ意識してるなんて、馬鹿みたいだ。大層おモテになる弓射くんにとっては日常茶飯事と言い聞かせる。だって、せっかく小学5年生から続いてる友情が今更変なことになっても嫌だし。
……今はいない弓射くんのこと考えて、なかなか出発できない。馬鹿らしいな。弓射くんは今日も、いつものところで練習してるらしい。たまにお呼びがかかれば見に行くけど、MTB無いしその辺に座って見学したりおやつ食べたりぼんやりしたりしかしていない。弓射くん的にはそれでいいのか、休憩しにきては満足そうな顔で見下ろされる。それでまた走りに行く。昔からの友情を大事にするのはいいけど、かわいい後輩くん達のことももう少し大事にしてあげてほしい。
……また弓射くんのせいで脱線した。ゴルフは今日も夕方までかかるみたいだし、調べておいたカフェにでも行ってみようかな。自転車歓迎の雰囲気はGoogleマップで確認済みだ。昔、弓射くんと出会った頃はまだ折りたたみ式の携帯で、地図は事前にコピーしていた。便利な時代になったな。白と空色の自転車、水筒には水が満タン、あの頃はお小遣いがなくていつもサンドイッチを持っていたけど、高校生になって自由に使えるお金も少しある。もう一度アプリで道を確認してから、私は愛車で走り出した。
坂である。「見晴らしのいいカフェ」はだいたい坂の上にある。せっせと坂を登りながら私はすでに後悔し始めていた。千葉って、千葉って関東平野のはずなのに結構山だな……!息を切らして立ち漕ぎしていると、耳は遠くの音を捉えた。シャカシャカと自転車のペダルを漕ぐ音、それも複数。限界近いし、抜かしてもらおう。前後確認の上、自転車を降りる。ガードレール沿いに歩き、車の邪魔にならないよう待避所の脇に。自転車集団はシャカシャカ近づいてくる。声も聞こえる。部活か、弓射くんたちみたいな自転車仲間かな。こないだのインターハイクロカン部門に千葉の子はいたっけ……
ぼんやり来た道を眺めていると、すぐに集団が見えた。黄色が先頭に数人、それからいろんな色のサイクルジャージが数人続く。
「前方注意ー!!おねーさんおるからな!!」
「ウス!!」
関西弁で叫ばれる。おねーさんって、多分私のことだ。んなでっかい声出さなくても……と恥ずかしくなるが、集団で走ってると後方の人は気づくのが遅れることもあるのかもしれないな。にしても声大きいけど。
追い越す時に先頭が減速、それから軽く手を挙げてありがとうの挨拶をしてくれる。おかげでロゴが読めた。レース仕様なのかめちゃくちゃメカぽいし、ピカピカでカッコいい。続く人たちがシャス!と大きな声で挨拶してくれる。これは部活動かなあ。
「すみません、ありがとうございました!!」
最後の子がシャコシャコペダルを漕ぎながら、ペコっと頭を下げた。この子だけやたら足がクルクルしてるな。この子も黄色ジャージ。
「頑張ってね」
「はい!」
抜かした後は徐々に加速して先頭はあっという間に遠くへ去った。気迫がすごい。それにしても、弓射くんもそうだが、みんな速すぎる。最後の黄色いジャージを見送って口が開いた。足が震える。唇が乾く。あの子、背中に、総北って書いてある。
「お、小野田坂道……!」
ん?という顔でいちばん後ろの子が振り向く。やばい、聞こえた?しかしあの丸いメガネ、間違いない。小野田坂道だ。小野田坂道(推定)はもう一度ペコーっとしてからまた漕ぎ始める。
あれ、シャコシャコとかクルクルとかいったけど、ちがう。あれ、「ぐるぐる」だ。小野田坂道の、独特のペダリングは……高回転登坂 は、作中でも超必殺技扱いで。私は呆然と見送ることしかできない。
なんで、忘れてたんだろう。なんで今、思い出したんだろう。
今まで全然気づかなかったけど、ここ、弱虫ペダルの世界ってこと?弱虫ペダルって、「漫画」じゃなかった?私はそんな漫画読んだことなかったはず。いつ読んだの?前世とか?つまりこれって「転生」ってこと?
総北集団が完全に見えなくなったところで震える脚を引っ叩いて、自転車にまたがる。このかわいい空色自転車は街中でもよく見かける、世界的に人気のメーカーだ。でも「弱虫ペダル」でビアンキといえば、アラキタヤストモだ。1年目の小野田坂道を引っ張る姿がとにかくカッコよくて、めちゃくちゃ人気があった。ハートマークが可愛くて最終候補に残ったデローザ、あれは御堂筋くんの愛車。勝利にこだわる理由、彼のプライドの証明でもある。なんでカタログ見てる時に思い出さなかったんだ。
……小野田くんは今何年生なんだろう?私は小野田くんが2年生までの話しか知らない。あの頃別の連載目当てで週チャンを兄から借りていた。弱ペダはアニメにもなったし、人気だからなんとなく読んでいた。そういうわけで、私は小野田くんが2年連続優勝したくらいしか覚えてない。そのまま2年のインターハイの後なんとなく読むのをやめたが、その後MTB編が始まったとか、なんとか。なんとか……
雑念を振り払うように漕ぎまくったら、坂のてっぺんはすぐだった。念のため見渡しても、黄色のサイクルジャージ集団はどこにもいない。坂を登り切ってバクバクする心臓を落ち着けるように大きく息を吐く。あんなに速いのだから、とっくに走り去ったに決まっている。自転車を止め、しっかりとロック、目当てのカフェに入る。あんなに楽しみにしていたのに、メニューを即決でオーダーしてすぐにSNSを開く。検索窓に思いつくワードを打ち込んでいく。目当てはもちろんロードの、今年のインターハイの結果だ。指先は動揺で震えていた。……調べ方が悪いのか、全然ヒットしない。料理が来たので一度スマホを置く。食べてる間も脳内は大忙しだ。今何年生なのか、「何編」なのか、確かめたいだけなのに。
自転車競技、栃木県大会、渋峠、千葉県代表、インハイ、二連覇、小野田、総北……ハコガク、真波、スプリントリザルト、色々試した頃にはアイスティーの氷もひとかけらを残しすっかり溶けていた。薄くなったそれを静かにすする。
何ひとつ出てこなかった。本当に、何ひとつ。わかったのは、さっきすれ違ったのはインターハイを数日後に控えた、総北。当然今の時点でリザルトは何も出てこない。もうすぐ、坂道2年目のインターハイが、昨年優勝者としてのプレッシャーを背負って、夏が始まる。
……どうする?インターハイを見に行く?ラッキーなことに栃木県大会といいつつ、2日目3日目はほぼ群馬県だ。ルートを調べると、当日片道封鎖されるようだが、朝のうちのバスに乗れば2日目ゴールの榛名湖まで行けなくもない。箕郷方面から登るルートなら自転車でもいける……理屈上はいけるけど絶対無理。レース見る前に力尽きる。確かOB含む応援勢は車で参加してたくらいだし、普通に無理だ。合流を巡る対決、因縁に抗うスプリント勝負、3校で争う山岳からゴール前のバトル……見たい。ファンとしてはかなり。ゴールの辺りで張っておけばいい?それとも親に車出してもらって片品でスプリンター勝負を……悩ましい。3日目はたしか榛名湖から長野原経由の草津・万座方面に向かう結構ハードめ(県民のイメージ)な山のルートで……終盤など、人間が自転車で到達できるの?と言いたくなるような山登りだ。ゼッケン確定はすなわち完走を意味し、ゼッケンを手にしたスプリンター勢のすごさは前世でも話題になっていたような。そんな道だから当然アクセスも悪い。長野原より先は電車の通ってないルートだから、親に車を出してもらうか早朝に電車で向かってバスを乗り継ぐか。そもそも、山道で酔う体質の人間にとって、いろは坂も金精峠も渋峠も進んで行きたい道ではない。私は軽井沢に行くにも碓氷峠経由は避けたいレベルの乗り物酔い体質だ。となると、やはり自力で観に行けそうなのは2日目……
インターハイを見に行ったとして、それからどうしたらいいんだろう。奇しくも、私の知っている展開はこの数日後まで。そこから先は完全に知らない、坂道3年生編。いやその前にMTB編だっけ。MTBなら、弓射くんの独壇場なんだけどな。……まさかね。
まさかと思いつつ、否定しきれないのはなぜだ。じわりと汗が浮く。溶け残った氷の最後の一つがカランと音を立てる。
弓射くん、もしかして、弱ペダの登場人物なの?来年3年生になったら、小野田くんの前に立ち塞がるライバルになるの?
その仮定は、思いついてしまえば至極納得がいった。だって、弓射くんはあんなにかっこよくて、強い。性格は癖があるし、特徴的な喋り方してる。他校の選手として出たら、絶対に人気が出そう。いや、最初から名前付きのパターンもありえる。それに何よりMTBだ。小野田坂道2年目のインターハイ編の次はMTB編だ。事情はわからないけど、小野田くんに新しい世界を、MTBの可能性を見せるのがきっと、高校生MTBの覇者である彼なのだ。
……弓射くん、弱ペダの登場人物なんだ。やっぱり特別な人なんだ。なんだ、そういうこと。幼い頃から感じてた謎の特別感の正体がようやくわかった。そっか、弓射くんってやっぱり、特別すごいんだ。
駐車場で自転車を下ろす。小学生の頃乗り回していたお下がりのMTBは卒業した。実は中学生になったお祝いに、ロードバイクを買ってもらって5年程それに乗っている。弓射くんはMTB仲間が減って残念そうにしたが、ビビりの私が弓射くんのああいうデンジャラス走行についていくのは無理だと早々に分かっていたようで、割と早く諦めた。
逆にロードバイクに誘おうにも、弓射くんは私のロードバイクに乗らない。サドルを限界まで上げれば乗れそうだけど「無理。踏んだら壊しそう」と首を振る。そこまで繊細な乗り物では無さそうだけど、ゴツいMTBと比べたらそう見えるのかも。
学校には自転車で通っている。さすが自由な校風で知られる明早大学花園女子学院。そこは皆シルバーのママチャリに乗る地元の中学校と違って、自転車の厳しい決まりはなかった。ハートのマークのロゴか、かわいい空色の車体かで散々悩んで、今は白地に空色のロゴの自転車に乗っている。人気があるから、街中で同じメーカーの自転車にすれ違うことも多い。
私の身長は中学生になると同時に160手前ですっかり止まってしまい、弓射くんのようにサドルの調整すらいらない。弓射くんは……昔はあんなに可愛かったのに、今や超デカい。175を超えた辺りから話す時に見上げないと目が合わないし、私の声を聞こうと弓射くんが身を屈めることも珍しくない。顔を近づけ長いまつ毛を伏せる姿はとんでもなくかっこいいし、それから声が耳元でダイレクトに響くので最初はめちゃくちゃ困ったけど、今は慣れた。だって、弓射くんは絶対そういうの気にしてない。弓射くんってモテる自覚は多少あるみたいだけどちょっと天然だから、その辺の距離感がおかしいのに気づいてない。あの顔が近いのに慣れなくて悲鳴あげてた頃に「……大丈夫?」って心底不思議そうな顔をされたのを、私は忘れてない。そうやって私だけ意識してるなんて、馬鹿みたいだ。大層おモテになる弓射くんにとっては日常茶飯事と言い聞かせる。だって、せっかく小学5年生から続いてる友情が今更変なことになっても嫌だし。
……今はいない弓射くんのこと考えて、なかなか出発できない。馬鹿らしいな。弓射くんは今日も、いつものところで練習してるらしい。たまにお呼びがかかれば見に行くけど、MTB無いしその辺に座って見学したりおやつ食べたりぼんやりしたりしかしていない。弓射くん的にはそれでいいのか、休憩しにきては満足そうな顔で見下ろされる。それでまた走りに行く。昔からの友情を大事にするのはいいけど、かわいい後輩くん達のことももう少し大事にしてあげてほしい。
……また弓射くんのせいで脱線した。ゴルフは今日も夕方までかかるみたいだし、調べておいたカフェにでも行ってみようかな。自転車歓迎の雰囲気はGoogleマップで確認済みだ。昔、弓射くんと出会った頃はまだ折りたたみ式の携帯で、地図は事前にコピーしていた。便利な時代になったな。白と空色の自転車、水筒には水が満タン、あの頃はお小遣いがなくていつもサンドイッチを持っていたけど、高校生になって自由に使えるお金も少しある。もう一度アプリで道を確認してから、私は愛車で走り出した。
坂である。「見晴らしのいいカフェ」はだいたい坂の上にある。せっせと坂を登りながら私はすでに後悔し始めていた。千葉って、千葉って関東平野のはずなのに結構山だな……!息を切らして立ち漕ぎしていると、耳は遠くの音を捉えた。シャカシャカと自転車のペダルを漕ぐ音、それも複数。限界近いし、抜かしてもらおう。前後確認の上、自転車を降りる。ガードレール沿いに歩き、車の邪魔にならないよう待避所の脇に。自転車集団はシャカシャカ近づいてくる。声も聞こえる。部活か、弓射くんたちみたいな自転車仲間かな。こないだのインターハイクロカン部門に千葉の子はいたっけ……
ぼんやり来た道を眺めていると、すぐに集団が見えた。黄色が先頭に数人、それからいろんな色のサイクルジャージが数人続く。
「前方注意ー!!おねーさんおるからな!!」
「ウス!!」
関西弁で叫ばれる。おねーさんって、多分私のことだ。んなでっかい声出さなくても……と恥ずかしくなるが、集団で走ってると後方の人は気づくのが遅れることもあるのかもしれないな。にしても声大きいけど。
追い越す時に先頭が減速、それから軽く手を挙げてありがとうの挨拶をしてくれる。おかげでロゴが読めた。レース仕様なのかめちゃくちゃメカぽいし、ピカピカでカッコいい。続く人たちがシャス!と大きな声で挨拶してくれる。これは部活動かなあ。
「すみません、ありがとうございました!!」
最後の子がシャコシャコペダルを漕ぎながら、ペコっと頭を下げた。この子だけやたら足がクルクルしてるな。この子も黄色ジャージ。
「頑張ってね」
「はい!」
抜かした後は徐々に加速して先頭はあっという間に遠くへ去った。気迫がすごい。それにしても、弓射くんもそうだが、みんな速すぎる。最後の黄色いジャージを見送って口が開いた。足が震える。唇が乾く。あの子、背中に、総北って書いてある。
「お、小野田坂道……!」
ん?という顔でいちばん後ろの子が振り向く。やばい、聞こえた?しかしあの丸いメガネ、間違いない。小野田坂道だ。小野田坂道(推定)はもう一度ペコーっとしてからまた漕ぎ始める。
あれ、シャコシャコとかクルクルとかいったけど、ちがう。あれ、「ぐるぐる」だ。小野田坂道の、独特のペダリングは……
なんで、忘れてたんだろう。なんで今、思い出したんだろう。
今まで全然気づかなかったけど、ここ、弱虫ペダルの世界ってこと?弱虫ペダルって、「漫画」じゃなかった?私はそんな漫画読んだことなかったはず。いつ読んだの?前世とか?つまりこれって「転生」ってこと?
総北集団が完全に見えなくなったところで震える脚を引っ叩いて、自転車にまたがる。このかわいい空色自転車は街中でもよく見かける、世界的に人気のメーカーだ。でも「弱虫ペダル」でビアンキといえば、アラキタヤストモだ。1年目の小野田坂道を引っ張る姿がとにかくカッコよくて、めちゃくちゃ人気があった。ハートマークが可愛くて最終候補に残ったデローザ、あれは御堂筋くんの愛車。勝利にこだわる理由、彼のプライドの証明でもある。なんでカタログ見てる時に思い出さなかったんだ。
……小野田くんは今何年生なんだろう?私は小野田くんが2年生までの話しか知らない。あの頃別の連載目当てで週チャンを兄から借りていた。弱ペダはアニメにもなったし、人気だからなんとなく読んでいた。そういうわけで、私は小野田くんが2年連続優勝したくらいしか覚えてない。そのまま2年のインターハイの後なんとなく読むのをやめたが、その後MTB編が始まったとか、なんとか。なんとか……
雑念を振り払うように漕ぎまくったら、坂のてっぺんはすぐだった。念のため見渡しても、黄色のサイクルジャージ集団はどこにもいない。坂を登り切ってバクバクする心臓を落ち着けるように大きく息を吐く。あんなに速いのだから、とっくに走り去ったに決まっている。自転車を止め、しっかりとロック、目当てのカフェに入る。あんなに楽しみにしていたのに、メニューを即決でオーダーしてすぐにSNSを開く。検索窓に思いつくワードを打ち込んでいく。目当てはもちろんロードの、今年のインターハイの結果だ。指先は動揺で震えていた。……調べ方が悪いのか、全然ヒットしない。料理が来たので一度スマホを置く。食べてる間も脳内は大忙しだ。今何年生なのか、「何編」なのか、確かめたいだけなのに。
自転車競技、栃木県大会、渋峠、千葉県代表、インハイ、二連覇、小野田、総北……ハコガク、真波、スプリントリザルト、色々試した頃にはアイスティーの氷もひとかけらを残しすっかり溶けていた。薄くなったそれを静かにすする。
何ひとつ出てこなかった。本当に、何ひとつ。わかったのは、さっきすれ違ったのはインターハイを数日後に控えた、総北。当然今の時点でリザルトは何も出てこない。もうすぐ、坂道2年目のインターハイが、昨年優勝者としてのプレッシャーを背負って、夏が始まる。
……どうする?インターハイを見に行く?ラッキーなことに栃木県大会といいつつ、2日目3日目はほぼ群馬県だ。ルートを調べると、当日片道封鎖されるようだが、朝のうちのバスに乗れば2日目ゴールの榛名湖まで行けなくもない。箕郷方面から登るルートなら自転車でもいける……理屈上はいけるけど絶対無理。レース見る前に力尽きる。確かOB含む応援勢は車で参加してたくらいだし、普通に無理だ。合流を巡る対決、因縁に抗うスプリント勝負、3校で争う山岳からゴール前のバトル……見たい。ファンとしてはかなり。ゴールの辺りで張っておけばいい?それとも親に車出してもらって片品でスプリンター勝負を……悩ましい。3日目はたしか榛名湖から長野原経由の草津・万座方面に向かう結構ハードめ(県民のイメージ)な山のルートで……終盤など、人間が自転車で到達できるの?と言いたくなるような山登りだ。ゼッケン確定はすなわち完走を意味し、ゼッケンを手にしたスプリンター勢のすごさは前世でも話題になっていたような。そんな道だから当然アクセスも悪い。長野原より先は電車の通ってないルートだから、親に車を出してもらうか早朝に電車で向かってバスを乗り継ぐか。そもそも、山道で酔う体質の人間にとって、いろは坂も金精峠も渋峠も進んで行きたい道ではない。私は軽井沢に行くにも碓氷峠経由は避けたいレベルの乗り物酔い体質だ。となると、やはり自力で観に行けそうなのは2日目……
インターハイを見に行ったとして、それからどうしたらいいんだろう。奇しくも、私の知っている展開はこの数日後まで。そこから先は完全に知らない、坂道3年生編。いやその前にMTB編だっけ。MTBなら、弓射くんの独壇場なんだけどな。……まさかね。
まさかと思いつつ、否定しきれないのはなぜだ。じわりと汗が浮く。溶け残った氷の最後の一つがカランと音を立てる。
弓射くん、もしかして、弱ペダの登場人物なの?来年3年生になったら、小野田くんの前に立ち塞がるライバルになるの?
その仮定は、思いついてしまえば至極納得がいった。だって、弓射くんはあんなにかっこよくて、強い。性格は癖があるし、特徴的な喋り方してる。他校の選手として出たら、絶対に人気が出そう。いや、最初から名前付きのパターンもありえる。それに何よりMTBだ。小野田坂道2年目のインターハイ編の次はMTB編だ。事情はわからないけど、小野田くんに新しい世界を、MTBの可能性を見せるのがきっと、高校生MTBの覇者である彼なのだ。
……弓射くん、弱ペダの登場人物なんだ。やっぱり特別な人なんだ。なんだ、そういうこと。幼い頃から感じてた謎の特別感の正体がようやくわかった。そっか、弓射くんってやっぱり、特別すごいんだ。
