去る春、君の声だけが在る
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新体制になってからというもの、黒田さんの戦略は冴えまくっていた。緻密に練られたレース計画と、ここぞで繰り出される度肝を抜く奇策。敗北は許さないとばかりに連戦連勝。
それから黒田さんは誰に何を吹き込まれたのか、選手じゃない私にレースの基礎を仕込み始めた。基本的なルールやマナーは習っていたけど、黒田さんが教えたのはもっとディープな方だった。観客の目の届かない道中どんな策略のぶつけ合いをやっているのか。最後の最後の競り合いで相手を出し抜く方法。今夏インターハイを期に塗り変わった全国の勢力図。それから王者陥落した箱根学園の人間の振る舞いについて。
あーだこーだ言いながらホワイトボードに書いて教えてくれるのだが、正直全く頭に入ってこない。頬の内側を噛んで、ホワイトボードペン特有のインク臭に意識を逸らすも、無駄。なるべく耳から入る音声を優先して、ノートに書き起こす。絵は見ない。絵見ると全部そっちに持ってかれる。それにしても、黒田さんの意外な画力……なんでもできる人のイメージだったから意外だった。本人にも自覚があり、選択科目は音楽を取ってるらしい。ふふ……だめだめ、こんな真剣に教えてくれてるのに。レースに出ない人間に時間を割いてくれてるのよ、だめだめ……
ホワイトボードに視線を戻すと、知らない間に絵が増えていた。やたら長いウサ耳が頭頂部から生えた……人間の絵。
「……すみません、黒田さんそのウサ耳の生えた人間なんですか?」
「……」
「ヤッ消さないでください!まだ写真撮ってないです!」
「撮らんでいい!」
ちょっと緩くて私は結構好き。できたら次は紙に書いてほしい。大事にとっておいて、退屈な授業中に眺めて楽しみたいので。
そんなこんなで黒田さんに仕込まれた箱根学園の部員にふさわしい振る舞い。舐められるな、付けいる隙を与えるな。荒北さんみたいにいつでも上手に助けてくれる人がいることを期待するな。私は荒北さんにそんな王子様みたく助けてもらったことはないのだが、話しぶりからして、黒田さんはあるらしかった。今度詳しく聞きたい。
シーズンオフまで後少しのある日。流し台でジャグを洗っていたら、大慌ての金子さんが走ってきた。通話中の携帯を片手に。
「シノから!」
「篠崎先輩が?」
今日、泉田さんと黒田さんとレース出てるはずだけど。優勝の報告だろうか。
「シノさん、名前ですけど」
呑気に電話を代わって背筋が凍った。黒田さんが優勝したが、レース中背中を強く打ち付けたらしい、ゴール直後貧血状態になって病院直行。
『悪いけど顧問に報告して、黒田の親と連絡とって。メモ取れるか?病院は……』
体が震えてしまってメモの字は汚い。シノさんは多分わざと淡々と話していて、それがひどく恐ろしかった。
『できるな?顧問に報告して、保護者に連絡してもらう。オレは病院に着いて行く、主将は先に戻る。頼むぞ、マネージャー』
「はい」
ガタガタ震える私を見て、金子さんは逆に落ち着いたらしかった。
「とりあえず顧問のところだな」
「はい」
汚い字のメモをノートから千切る。頼むから、どうか「大したことなかった」って、笑って帰ってきますように。
黒田さんが完全優勝にこだわっているのはわかっていた。戦績全部綺麗なままインハイで勝って、先輩方が間違っていなかったと証明する。それは、何度も聞いてわかっているつもりだった。
黒田さんはCT撮ってその日のうちに戻ってきた。顔も体も怪我だらけで、襟首から包帯がのぞいている。私は金子さんと部室にいて、ドアが開いた瞬間立ち上がって悲鳴を上げた。
「く、黒田さん!」
「大丈夫なのかよ」
「お前も金子も大袈裟だな」
黒田さんは「大したことねーよ」と鼻で笑ってパイプ椅子を引いた。いつもならしない、背中を庇うようなぎこちない動作に私は心配より怒りが勝った。
「……売られた喧嘩買って、転ばされて、大怪我して、怪我押して走って、それで勝って……それが黒田さんの思う箱根学園のレギュラーにふさわしい振る舞いってやつですか?」
震える声で尋ねる。金子さんが「やめろ苗字」と静かに私を咎めたが、止まるつもりはなかった。私は、多分怒っている。悲しむより、怒っているのだと思う。
聞いたところによると、すごくたくさん血が出て、ゴール直後にはもうバイク降りれないくらいフラフラしていたらしい。
「……ああ、そうだ」
パイプ椅子に座ったまま、黒田さんが私を見上げた。貧血でぶっ倒れていたはすが、視線はギラギラしている。こういう顔する人は絶対に引かない。
「それ、インターハイでもやるつもりですか?捨て身で走って、怪我して……3日で何キロあるかわかってますか」
「やるよ」
黒田さんが体重をかけた分、パイプ椅子が軋んだ。挑発的に私を睨む。
「オレは完膚なきまでの完全優勝目指してんだ。自分が怪我しようが足がちぎれようが、誰かしらウチの人間を先頭にブチ込めば勝ちだ。散々教えただろ、わかれよ」
「そんなことしてたら死んじゃいますよ、別に来年のインターハイの後も人生って続くんですよ。今日だって骨が無事なの奇跡ですよ、大怪我したり死んじゃったらどうするんですか」
話してるうちにボロボロ涙が出た。いつも私が泣くと真っ先に大慌てして慰めてくれる黒田さんは動こうともしなかった。
「それが新生箱根学園で、2番もらう覚悟のオレの振る舞いだ」
「いらないですよ、そんな覚悟!」
黒田さんは不機嫌そうな顔で何も言わなかったので、私は黙ってジャージの袖で涙を拭った。本当に、そういう覚悟はいらない。金子さんが「ふたりとも、続きは明日にしよう」と言って先に私を追い出した。私はべそべそ泣きながら靴を履き替え、一度だけ部室を振り返った。窓から黒田さんが見えたが、視線は合わなかった。
それから黒田さんは誰に何を吹き込まれたのか、選手じゃない私にレースの基礎を仕込み始めた。基本的なルールやマナーは習っていたけど、黒田さんが教えたのはもっとディープな方だった。観客の目の届かない道中どんな策略のぶつけ合いをやっているのか。最後の最後の競り合いで相手を出し抜く方法。今夏インターハイを期に塗り変わった全国の勢力図。それから王者陥落した箱根学園の人間の振る舞いについて。
あーだこーだ言いながらホワイトボードに書いて教えてくれるのだが、正直全く頭に入ってこない。頬の内側を噛んで、ホワイトボードペン特有のインク臭に意識を逸らすも、無駄。なるべく耳から入る音声を優先して、ノートに書き起こす。絵は見ない。絵見ると全部そっちに持ってかれる。それにしても、黒田さんの意外な画力……なんでもできる人のイメージだったから意外だった。本人にも自覚があり、選択科目は音楽を取ってるらしい。ふふ……だめだめ、こんな真剣に教えてくれてるのに。レースに出ない人間に時間を割いてくれてるのよ、だめだめ……
ホワイトボードに視線を戻すと、知らない間に絵が増えていた。やたら長いウサ耳が頭頂部から生えた……人間の絵。
「……すみません、黒田さんそのウサ耳の生えた人間なんですか?」
「……」
「ヤッ消さないでください!まだ写真撮ってないです!」
「撮らんでいい!」
ちょっと緩くて私は結構好き。できたら次は紙に書いてほしい。大事にとっておいて、退屈な授業中に眺めて楽しみたいので。
そんなこんなで黒田さんに仕込まれた箱根学園の部員にふさわしい振る舞い。舐められるな、付けいる隙を与えるな。荒北さんみたいにいつでも上手に助けてくれる人がいることを期待するな。私は荒北さんにそんな王子様みたく助けてもらったことはないのだが、話しぶりからして、黒田さんはあるらしかった。今度詳しく聞きたい。
シーズンオフまで後少しのある日。流し台でジャグを洗っていたら、大慌ての金子さんが走ってきた。通話中の携帯を片手に。
「シノから!」
「篠崎先輩が?」
今日、泉田さんと黒田さんとレース出てるはずだけど。優勝の報告だろうか。
「シノさん、名前ですけど」
呑気に電話を代わって背筋が凍った。黒田さんが優勝したが、レース中背中を強く打ち付けたらしい、ゴール直後貧血状態になって病院直行。
『悪いけど顧問に報告して、黒田の親と連絡とって。メモ取れるか?病院は……』
体が震えてしまってメモの字は汚い。シノさんは多分わざと淡々と話していて、それがひどく恐ろしかった。
『できるな?顧問に報告して、保護者に連絡してもらう。オレは病院に着いて行く、主将は先に戻る。頼むぞ、マネージャー』
「はい」
ガタガタ震える私を見て、金子さんは逆に落ち着いたらしかった。
「とりあえず顧問のところだな」
「はい」
汚い字のメモをノートから千切る。頼むから、どうか「大したことなかった」って、笑って帰ってきますように。
黒田さんが完全優勝にこだわっているのはわかっていた。戦績全部綺麗なままインハイで勝って、先輩方が間違っていなかったと証明する。それは、何度も聞いてわかっているつもりだった。
黒田さんはCT撮ってその日のうちに戻ってきた。顔も体も怪我だらけで、襟首から包帯がのぞいている。私は金子さんと部室にいて、ドアが開いた瞬間立ち上がって悲鳴を上げた。
「く、黒田さん!」
「大丈夫なのかよ」
「お前も金子も大袈裟だな」
黒田さんは「大したことねーよ」と鼻で笑ってパイプ椅子を引いた。いつもならしない、背中を庇うようなぎこちない動作に私は心配より怒りが勝った。
「……売られた喧嘩買って、転ばされて、大怪我して、怪我押して走って、それで勝って……それが黒田さんの思う箱根学園のレギュラーにふさわしい振る舞いってやつですか?」
震える声で尋ねる。金子さんが「やめろ苗字」と静かに私を咎めたが、止まるつもりはなかった。私は、多分怒っている。悲しむより、怒っているのだと思う。
聞いたところによると、すごくたくさん血が出て、ゴール直後にはもうバイク降りれないくらいフラフラしていたらしい。
「……ああ、そうだ」
パイプ椅子に座ったまま、黒田さんが私を見上げた。貧血でぶっ倒れていたはすが、視線はギラギラしている。こういう顔する人は絶対に引かない。
「それ、インターハイでもやるつもりですか?捨て身で走って、怪我して……3日で何キロあるかわかってますか」
「やるよ」
黒田さんが体重をかけた分、パイプ椅子が軋んだ。挑発的に私を睨む。
「オレは完膚なきまでの完全優勝目指してんだ。自分が怪我しようが足がちぎれようが、誰かしらウチの人間を先頭にブチ込めば勝ちだ。散々教えただろ、わかれよ」
「そんなことしてたら死んじゃいますよ、別に来年のインターハイの後も人生って続くんですよ。今日だって骨が無事なの奇跡ですよ、大怪我したり死んじゃったらどうするんですか」
話してるうちにボロボロ涙が出た。いつも私が泣くと真っ先に大慌てして慰めてくれる黒田さんは動こうともしなかった。
「それが新生箱根学園で、2番もらう覚悟のオレの振る舞いだ」
「いらないですよ、そんな覚悟!」
黒田さんは不機嫌そうな顔で何も言わなかったので、私は黙ってジャージの袖で涙を拭った。本当に、そういう覚悟はいらない。金子さんが「ふたりとも、続きは明日にしよう」と言って先に私を追い出した。私はべそべそ泣きながら靴を履き替え、一度だけ部室を振り返った。窓から黒田さんが見えたが、視線は合わなかった。
