去る春、君の声だけが在る
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主将業務はそれなりに忙しい。それなりに、と言える程度なのは福富さんや新開さんが「次のために」と引継ぎ業務と仕事の分散を進めていたおかげだ。来年のインターハイ開催地が北関東なのも幸いした。関東より遠く、例えば海を渡るような場合は遠征費もかかる。マネージャー、学年幹部、それから全部員の協力を得て新生箱根学園は日々王座奪還に向けて走っている。しかし、これは。部誌を捲る手が止まる。
「どうしたの」
「いや、別に」
「別にじゃないでしょ。見せて」
拓斗が目敏く部誌を取り上げる。今日の部誌当番は苗字。最初は新入部員らしく不慣れなのが見て取れたが、最近は要点を抑えて筆致にも迷いがない。細かいところにもよく気がつく。成長ぶりに思わず口が緩む。最初は自分の書いたものを丸ごと真似して書いていたというのに。
「普通に部誌……に見えるけど。名前が書いてる」
端から目を通して「前から思ってたけど書き方一緒だよね」と一言。部誌の書き方に一緒も何もないだろう。……ないはずだ。
「……それは良くて」
「?じゃあ何」
「ここが気になっただけ。本人に聞くよ」
部誌の申し送り、最後に慌てて書き足したような「リョーボさんただいまを徹底してください」。字を当てるなら多分寮母。拓斗が首を傾げる。
「確かに名前最近男子寮よくいるみたいだけど……」
「……僕から注意しておこう」
「居室は流石に入ってないですよ!」
「当たり前だろ」
バタンとドアの開閉。洗濯籠を持って慌てた様子の苗字と銅橋が入ってきた。乾燥済みの洗濯返却。学生寮の出入りについては、苗字も厳しく指導されている。急ぎの用事があれば部員を玄関まで呼び出して、なるべく居住棟は入らないように。居室などもってのほか。入棟時は入退管理表の記入を徹底。何かあってからでは遅いと、福富さんから散々言い聞かされているはずだ。
「これは?」
「あ、おかえりて言われたらちゃんとただいまって言ってください。の意味です。週次の時に言おうと思って」
「なるほど」
「なるほど……?」
「寮の方、かなり無理言って給食対応してもらってるので。恥ずかしがらないで!ただいまって言って!恥ずかしがってもいいけど!ちゃんと言って!!ーッス!みたいなので済ませないで!の意味です」
「なるほど」
銅橋が絶対に関わり合いたくないの顔で洗濯物を片付けだす。朝晩の出入り、それから食事の時に意外と真面目に挨拶するのはすでに苗字にしつこく言われているのだろう。拓斗が合点を得たという風に手を叩く。
「無理って……アレやっぱり名前の仕業か」
「仕業って……元々理事会で決まってたんですよ。東堂さんが繋いでくれたので、元々来年度からのはずが導入が早まって」
「何のこと?」
「年度中なのに夕飯のメニュー改訂入ったでしょ。急な話だったけど、その少し前から名前が食堂に入り浸ってたから、もしかしたらと思って」
「入り浸ってはないです!日頃ごはんを作ってくれる人たちのご意見を集めようと思ってですね……」
拓斗の3段階くらい跳躍した説明にはだいぶ慣れた。寮の食事に思うところがある理事会と寮生の名前が東堂さん経由で繋がった結果、まず名前が運動部系の生徒が多い男子寮に入り浸り改訂の根回し。現場の賛同を得て先日の定期理事会で決裁。無事学期中の変な時期に導入された。思えば、予兆はあった。図書館で分厚い栄養学の本を何冊も借りていたのを見た。メニュー改訂が報告された先日の寮会議、ユキの隣には「ピーエフシー!P!F!C!」と謎の呪文を唱えながら名前が鬼気迫る様子で隣に座っていたらしい。男子高校生の腹を満たすメニューがやたら運動部向けのラインナップになって、随分急な方針転換だと思っていたが。
黙って聞いていた銅橋が鼻で笑う。
「まずは現場への根回し!って息巻いてたくせに」
「なっなんで馬鹿正直にいうの!泉田さんの前なんだからもうちょっと取り繕って!」
「お前のそういう性格は今更バレてるだろうが」
「バレてても誤魔化してほしい〜!」
苗字と銅橋がわあわあ言い合って、拓斗がため息をついた。退部騒動が落ち着いたと思ったら今度はこれだ。言い合いながら苗字は銅橋のTシャツを掴んだままで、いつものことながら異様に距離が近い。門限前とはいえ夜間に寮の外でふたりで話しているのを見たという部員がいる。ところ構わずひっ付いているのは、学内でもよく見る。銅橋に探りを入れても「アレはそういう生き物で」ぐらいの不確かな回答しか返ってこない。あまり、部内で余計な波風を立てるようなら、主将としては見過ごせないが。
「だって隣の人が常に飢えてるから〜」
「グッ」
「前はオレらも足りない時は食べてそのままコンビニ行ってた」
「葦木場さんって毎食結構米盛ってませんか?」
「走れる程度には、食べた方がいいかなって」
拓斗がちらっとこちらを見る。いいよ、余計な気は使わなくて。別に好き好んでたくさん食べていたわけではないし。……いや、あれは、好き好んで食べていたのか……?苗字は首を痛めそうな程に反らして拓斗を伺う。
「やっぱ燃費良くないんですか?」
「んー良くはないと思う」
「今の自転車部に燃費のいいやつなんて、全然いないんじゃないか」
「真波とか」
「アイツは例外だろ」
「逆に荒北さんほど燃費の悪い人もいない」
「アレすごいですよね。初めて見た時に何事かと思いました」
「あれはね、もう別次元だから。真似しようとか思わないように」
「さすがに無理です」
荒北さんが出るレースに初めて帯同した苗字が圧倒されていたのは記憶に新しい。エースアシストに相応しいレース展開よりもその後の……マンガみたいな量の米で唐揚げ定食を食べる姿に。荒北さんも面白がって「名前チャンもこれくらい食ってみろよ」と苗字をからかって。
「でも本当助かってる。みんなうまいうまいって食べてるし、すぐ腹も減らないし」
「予算はつけてもらえましたけど、作ってくれる方の負担は増えました……だから、寮生にできるのは、日頃の感謝と来年「勝てました」の報告だけなんです!そのためにも、まずはただいまを恥ずかしがらずに言えるようになってもらわないと……」
苗字はブツブツ言いながら、銅橋が空にした洗濯籠を受け取った。
「ほらよ」
「バシさんありがとう。先輩方、失礼します」
「お疲れ様」
今度こそ静かにドアを閉めて苗字だけ退出。ここ最近の妙な違和感に納得がいって、深くため息をつく。名前の呟いていた呪文、PFC。思わずため息。どうりで……
「どうりで最近あすけんの数値がいいと……」
「あいつ寮自治は部活と関係ないからって、わざと報告しなかったみたいで……」
銅橋が気まずそうにネタバラシ、拓斗があははと声をあげて笑った。東堂さんの手を借りたとはいえ、寮運営にまで手を出していたとは。
「で、本題なんすけど」
「そうだった」
銅橋が閉まったドアから視線を外す。今日はこの先のレースについて話そうと思っていたのだ。先立って復帰試合を終えた拓斗を交えて。暴力沙汰と強制退部を繰り返していたこの男。思いの外早く戦線合流に至ったのは、本人は見出した僕のおかげと主張するが僕はそれだけが理由とは思わない。銅橋の才能には気づいていた。正確には名前がやたらと銅橋を気にかけることに、「僕が気づいていた」。あの日声をかけたのは偶然ではなかった。悪名高い不良部員を陰で庇う人間がいたことを知っていた。名前。「気弱な新人マネージャーが健気に、裏で頭を下げている」姿、新開さんは当然知っていて「好きにさせてやれ」と言った。好きにさせてやれ、とは。なぜこんなにも気にかけるのか、庇い立てて部へ戻そうとするのか。実際に話して、走って、わかったのはめらめらと燃えるような闘志の存在。怒りは、憤りは、渇きは、勝利のエネルギーになる。
「春以降は近隣でのレースも増えるし、調子が良ければ制限なく出場させる。隠し玉扱いするつもりもない。存分に暴れ回って新生箱根学園の強さを喧伝してもらおう」
「はい」
期待している、そうしめくくるとと銅橋の目はギラっと光った。任せてほしい、とやる気に漲って。自軍の駒を育てねばならないとプレッシャーに感じていたが、思いの外順調だ。順調……ため息をつく。そう、期待しているのだ。銅橋には。今の状況を打破し、この膠着した現状を叩き割ることを。心から。
「どうしたの」
「いや、別に」
「別にじゃないでしょ。見せて」
拓斗が目敏く部誌を取り上げる。今日の部誌当番は苗字。最初は新入部員らしく不慣れなのが見て取れたが、最近は要点を抑えて筆致にも迷いがない。細かいところにもよく気がつく。成長ぶりに思わず口が緩む。最初は自分の書いたものを丸ごと真似して書いていたというのに。
「普通に部誌……に見えるけど。名前が書いてる」
端から目を通して「前から思ってたけど書き方一緒だよね」と一言。部誌の書き方に一緒も何もないだろう。……ないはずだ。
「……それは良くて」
「?じゃあ何」
「ここが気になっただけ。本人に聞くよ」
部誌の申し送り、最後に慌てて書き足したような「リョーボさんただいまを徹底してください」。字を当てるなら多分寮母。拓斗が首を傾げる。
「確かに名前最近男子寮よくいるみたいだけど……」
「……僕から注意しておこう」
「居室は流石に入ってないですよ!」
「当たり前だろ」
バタンとドアの開閉。洗濯籠を持って慌てた様子の苗字と銅橋が入ってきた。乾燥済みの洗濯返却。学生寮の出入りについては、苗字も厳しく指導されている。急ぎの用事があれば部員を玄関まで呼び出して、なるべく居住棟は入らないように。居室などもってのほか。入棟時は入退管理表の記入を徹底。何かあってからでは遅いと、福富さんから散々言い聞かされているはずだ。
「これは?」
「あ、おかえりて言われたらちゃんとただいまって言ってください。の意味です。週次の時に言おうと思って」
「なるほど」
「なるほど……?」
「寮の方、かなり無理言って給食対応してもらってるので。恥ずかしがらないで!ただいまって言って!恥ずかしがってもいいけど!ちゃんと言って!!ーッス!みたいなので済ませないで!の意味です」
「なるほど」
銅橋が絶対に関わり合いたくないの顔で洗濯物を片付けだす。朝晩の出入り、それから食事の時に意外と真面目に挨拶するのはすでに苗字にしつこく言われているのだろう。拓斗が合点を得たという風に手を叩く。
「無理って……アレやっぱり名前の仕業か」
「仕業って……元々理事会で決まってたんですよ。東堂さんが繋いでくれたので、元々来年度からのはずが導入が早まって」
「何のこと?」
「年度中なのに夕飯のメニュー改訂入ったでしょ。急な話だったけど、その少し前から名前が食堂に入り浸ってたから、もしかしたらと思って」
「入り浸ってはないです!日頃ごはんを作ってくれる人たちのご意見を集めようと思ってですね……」
拓斗の3段階くらい跳躍した説明にはだいぶ慣れた。寮の食事に思うところがある理事会と寮生の名前が東堂さん経由で繋がった結果、まず名前が運動部系の生徒が多い男子寮に入り浸り改訂の根回し。現場の賛同を得て先日の定期理事会で決裁。無事学期中の変な時期に導入された。思えば、予兆はあった。図書館で分厚い栄養学の本を何冊も借りていたのを見た。メニュー改訂が報告された先日の寮会議、ユキの隣には「ピーエフシー!P!F!C!」と謎の呪文を唱えながら名前が鬼気迫る様子で隣に座っていたらしい。男子高校生の腹を満たすメニューがやたら運動部向けのラインナップになって、随分急な方針転換だと思っていたが。
黙って聞いていた銅橋が鼻で笑う。
「まずは現場への根回し!って息巻いてたくせに」
「なっなんで馬鹿正直にいうの!泉田さんの前なんだからもうちょっと取り繕って!」
「お前のそういう性格は今更バレてるだろうが」
「バレてても誤魔化してほしい〜!」
苗字と銅橋がわあわあ言い合って、拓斗がため息をついた。退部騒動が落ち着いたと思ったら今度はこれだ。言い合いながら苗字は銅橋のTシャツを掴んだままで、いつものことながら異様に距離が近い。門限前とはいえ夜間に寮の外でふたりで話しているのを見たという部員がいる。ところ構わずひっ付いているのは、学内でもよく見る。銅橋に探りを入れても「アレはそういう生き物で」ぐらいの不確かな回答しか返ってこない。あまり、部内で余計な波風を立てるようなら、主将としては見過ごせないが。
「だって隣の人が常に飢えてるから〜」
「グッ」
「前はオレらも足りない時は食べてそのままコンビニ行ってた」
「葦木場さんって毎食結構米盛ってませんか?」
「走れる程度には、食べた方がいいかなって」
拓斗がちらっとこちらを見る。いいよ、余計な気は使わなくて。別に好き好んでたくさん食べていたわけではないし。……いや、あれは、好き好んで食べていたのか……?苗字は首を痛めそうな程に反らして拓斗を伺う。
「やっぱ燃費良くないんですか?」
「んー良くはないと思う」
「今の自転車部に燃費のいいやつなんて、全然いないんじゃないか」
「真波とか」
「アイツは例外だろ」
「逆に荒北さんほど燃費の悪い人もいない」
「アレすごいですよね。初めて見た時に何事かと思いました」
「あれはね、もう別次元だから。真似しようとか思わないように」
「さすがに無理です」
荒北さんが出るレースに初めて帯同した苗字が圧倒されていたのは記憶に新しい。エースアシストに相応しいレース展開よりもその後の……マンガみたいな量の米で唐揚げ定食を食べる姿に。荒北さんも面白がって「名前チャンもこれくらい食ってみろよ」と苗字をからかって。
「でも本当助かってる。みんなうまいうまいって食べてるし、すぐ腹も減らないし」
「予算はつけてもらえましたけど、作ってくれる方の負担は増えました……だから、寮生にできるのは、日頃の感謝と来年「勝てました」の報告だけなんです!そのためにも、まずはただいまを恥ずかしがらずに言えるようになってもらわないと……」
苗字はブツブツ言いながら、銅橋が空にした洗濯籠を受け取った。
「ほらよ」
「バシさんありがとう。先輩方、失礼します」
「お疲れ様」
今度こそ静かにドアを閉めて苗字だけ退出。ここ最近の妙な違和感に納得がいって、深くため息をつく。名前の呟いていた呪文、PFC。思わずため息。どうりで……
「どうりで最近あすけんの数値がいいと……」
「あいつ寮自治は部活と関係ないからって、わざと報告しなかったみたいで……」
銅橋が気まずそうにネタバラシ、拓斗があははと声をあげて笑った。東堂さんの手を借りたとはいえ、寮運営にまで手を出していたとは。
「で、本題なんすけど」
「そうだった」
銅橋が閉まったドアから視線を外す。今日はこの先のレースについて話そうと思っていたのだ。先立って復帰試合を終えた拓斗を交えて。暴力沙汰と強制退部を繰り返していたこの男。思いの外早く戦線合流に至ったのは、本人は見出した僕のおかげと主張するが僕はそれだけが理由とは思わない。銅橋の才能には気づいていた。正確には名前がやたらと銅橋を気にかけることに、「僕が気づいていた」。あの日声をかけたのは偶然ではなかった。悪名高い不良部員を陰で庇う人間がいたことを知っていた。名前。「気弱な新人マネージャーが健気に、裏で頭を下げている」姿、新開さんは当然知っていて「好きにさせてやれ」と言った。好きにさせてやれ、とは。なぜこんなにも気にかけるのか、庇い立てて部へ戻そうとするのか。実際に話して、走って、わかったのはめらめらと燃えるような闘志の存在。怒りは、憤りは、渇きは、勝利のエネルギーになる。
「春以降は近隣でのレースも増えるし、調子が良ければ制限なく出場させる。隠し玉扱いするつもりもない。存分に暴れ回って新生箱根学園の強さを喧伝してもらおう」
「はい」
期待している、そうしめくくるとと銅橋の目はギラっと光った。任せてほしい、とやる気に漲って。自軍の駒を育てねばならないとプレッシャーに感じていたが、思いの外順調だ。順調……ため息をつく。そう、期待しているのだ。銅橋には。今の状況を打破し、この膠着した現状を叩き割ることを。心から。
