去る春、君の声だけが在る
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
髪を切りたい。夏場の部活で外を走り回ってわかったのはとにかく暑い。それにやっぱり男所帯に女がいるのは好奇の目で見られる。
冬は寒いらしいと聞いて、入学前にスラックスは買ってある。母には渋られたけど、やっぱり隼人くんが「雪降ると冷えるから」とか上手いこと言って、「履かなかったら悠人が履くよ」なんて意味のわからない言いくるめ方で男子用の太めのを買ってもらった。悠ちゃんの方が断然足が長くて細いのは、言わない約束だ。まだ秋にもさしかからないがもう履こうか……
とりあえず、インターハイ後の休みのうちに髪を切った。本当は黒田さんくらいにしたいけど、絶対あんなきれいにまとまらない。黒田さんいつもどうしてるんだろう。元々の髪質がいいのかも。私の場合、寝坊して苦しむのが容易く想像できたので、肩につかない、なるべくセットが楽そうなショートカットにしてもらった。
髪を切ったあと、夏休み明け(これは自転車部の夏休み)最初の部活前。その日一番最初に会ったのは真波だった。ミーティングはどうするつもりか、山でも行くのか自転車を引いていた。インターハイ前と違う、冷たく荒んだ雰囲気に一瞬声をかけるのを躊躇われたが、なるべく平常通りに挨拶した。真波は静かな目で上から下まで私を見て、「へえ」と言った。声音は冷たく無関心で、わざとらしくて、すごく嫌だなと思った。
「で、”次”に向けての本気モードの表明ってこと?見た目から入ったんだね」
「そうだよ」
「オレは、そういう風にはなれないけど」
私が単純だとでも言いたいのか?私はわずかに沈黙したが、「そうだね」と返事をするにとどめた。隼人くん相手にあんな啖呵を切ったが、当の真波相手にどんな言葉をかけるべきかわからない。クライマーのことはクライマー同士で解決する、今まではそうやって頼れる東堂さんに任せてきた。でも、東堂さんはもう引退するのだ。そうすると、これからは、誰が真波を?
「私ね、言ったの」
「何を?」
「次は真波が勝ちますって」
「……」
「だからご心配なく、安心して引退してねって」
真波は虚を突かれたように、僅かに息を呑んだ。丸い目玉が、伺うように私を見る。
「それって、」
「それで、いいよね?」
真波は頷かなかった。逃げるように視線を逸らし、そのまま自転車に乗ると、軽快にペダルを踏んで去って行った。追いかけることも、声をかけることもしなかった。選手に追いつけるはずがないし、今日は新体制発表のみとはいえ、部活の前に色々準備があるので。
現行体制と新体制のはざま、現行体制が旧体制になるその日とあって、3年生は揃っていた。なるべく元気に挨拶して部室に入る。唖然、隼人くんの口からパワーバーがぽろっと落ちた。3年の先輩方の一様にひきつった顔を順に見る。
「名前、髪……」
「あ、暑くて……」
へへっと笑って言い訳してみる。さて、準備準備っと……まずはレギュラー陣のロッカー、ネームシールの貼り替えから。いつも頼もしい先輩方はどんより沈んだ雰囲気で、短くなった髪を呆然と見た。
「お前なあ……」
隼人くんが頭を抱えている。目測だが、だいたい同じくらいの長さだろうか。自転車部は長髪男が多い。
自転車部長髪代表、東堂さんはかろうじて絞り出した「似合ってるぞ」の後黙り込んでしまった。「しかしそう来たか……」と言いたそうな顔。「あまり思い詰めるなよ」、ってそれは真波に言ってほしい言葉だ。私は思い詰めて髪を切ったわけでない。
荒北さんは呆然とした後、「好きにさせろ、それで士気が上がるっていうならどんなアタマで何着てもお前の自由」って先を見通したような発言。さすがわかってる……と思ったけど普通に、落ち込んでる。責任を感じているのかもしない。だから落ち込む必要ないんですって。
寿一くんがいちばんショック受けていたのが意外だった。イヤ、本当に禊のつもりとかじゃないんで……やめてくださいよ、負けたら禊みたいな文化になったら、私嫌ですからね。これフラグとかじゃないですからね。
ロッカーシールを貼り終えてため息。まさか、頼もしい3年生の先輩方のこんな姿を見る羽目になるとは思わなかった。
「でかい男の中にひとり女がいると目立つし、不要なトラブルも絶対無いとは言えません。バシさんが髪伸ばすみたいだし、長髪枠はバシさんに譲ります」
「そうか」
寿一くんと目が合う。いつもの鉄仮面、何考えてるかわからない顔だ。そうか、って何?
「新開から聞いてはいたが、続ける気があるんだな」
「は」
すっかり忘れていた。先輩方は一様に穏やかな表情で頷く。寿一くんが私の入部を「認めさせた」、3年生の先輩方。最初はきっと迷惑だった。戦力にもならない自転車初心者、男子部員ばかりの中できっと不要な気も使わせた。でも、今は。
「あんな条件つけて、入部した身ですけど……」
声が震える。東堂さんが鷹揚に頷いて続きを促した。頼れる、山のリーダー。ハコガク随一の鋼メンタルで、いつも救われていた。真波が孤立しなかったのはこの人のおかげだ。
「来年に向けて頑張りたいと思ってます……えっと、今日からの新体制でお役御免の可能性もまだありますけど」
「何弱気になってんだ、んなワケねーだろ」
荒北さんが檄を飛ばす。入部した時は本当に怖かった。私の入部に反対してたのは、おそらく荒北さんと東堂さん。やる気ないならさっさと辞めろって、こんなとこ来んなって、至極真っ当な意見が本当に怖かった。でも、2人とも知れば知るほどいい人だとわかった。3日目、荒北さんは全部真波にかけてくれた。真波も負けて、今どう思ってるかはわからないけど。
「先に言っておくが、1年の代表は銅橋と名前に任せるつもりだ。真波はまだだと、東堂が言っていた」
「え」
寿一くんの思いもよらぬ発言に変な声が出た。まさかの展開だ。てっきり真波かと。
「オレが先に寿一に話したんだ。そしたら、名前に任せようって」
「でも、真波がまだって」
「お前もわかるだろう?」
「まあ、荒れてるなって思いましたけど」
全くあいつは……と東堂さんが額を抑えた。引退する人に申し訳ないけど、真波のことだけは最後の仕事だと思ってどうにかしてほしい。私は「まずは来年のために頑張ります」と先輩方に宣言するほかなかった。
冬は寒いらしいと聞いて、入学前にスラックスは買ってある。母には渋られたけど、やっぱり隼人くんが「雪降ると冷えるから」とか上手いこと言って、「履かなかったら悠人が履くよ」なんて意味のわからない言いくるめ方で男子用の太めのを買ってもらった。悠ちゃんの方が断然足が長くて細いのは、言わない約束だ。まだ秋にもさしかからないがもう履こうか……
とりあえず、インターハイ後の休みのうちに髪を切った。本当は黒田さんくらいにしたいけど、絶対あんなきれいにまとまらない。黒田さんいつもどうしてるんだろう。元々の髪質がいいのかも。私の場合、寝坊して苦しむのが容易く想像できたので、肩につかない、なるべくセットが楽そうなショートカットにしてもらった。
髪を切ったあと、夏休み明け(これは自転車部の夏休み)最初の部活前。その日一番最初に会ったのは真波だった。ミーティングはどうするつもりか、山でも行くのか自転車を引いていた。インターハイ前と違う、冷たく荒んだ雰囲気に一瞬声をかけるのを躊躇われたが、なるべく平常通りに挨拶した。真波は静かな目で上から下まで私を見て、「へえ」と言った。声音は冷たく無関心で、わざとらしくて、すごく嫌だなと思った。
「で、”次”に向けての本気モードの表明ってこと?見た目から入ったんだね」
「そうだよ」
「オレは、そういう風にはなれないけど」
私が単純だとでも言いたいのか?私はわずかに沈黙したが、「そうだね」と返事をするにとどめた。隼人くん相手にあんな啖呵を切ったが、当の真波相手にどんな言葉をかけるべきかわからない。クライマーのことはクライマー同士で解決する、今まではそうやって頼れる東堂さんに任せてきた。でも、東堂さんはもう引退するのだ。そうすると、これからは、誰が真波を?
「私ね、言ったの」
「何を?」
「次は真波が勝ちますって」
「……」
「だからご心配なく、安心して引退してねって」
真波は虚を突かれたように、僅かに息を呑んだ。丸い目玉が、伺うように私を見る。
「それって、」
「それで、いいよね?」
真波は頷かなかった。逃げるように視線を逸らし、そのまま自転車に乗ると、軽快にペダルを踏んで去って行った。追いかけることも、声をかけることもしなかった。選手に追いつけるはずがないし、今日は新体制発表のみとはいえ、部活の前に色々準備があるので。
現行体制と新体制のはざま、現行体制が旧体制になるその日とあって、3年生は揃っていた。なるべく元気に挨拶して部室に入る。唖然、隼人くんの口からパワーバーがぽろっと落ちた。3年の先輩方の一様にひきつった顔を順に見る。
「名前、髪……」
「あ、暑くて……」
へへっと笑って言い訳してみる。さて、準備準備っと……まずはレギュラー陣のロッカー、ネームシールの貼り替えから。いつも頼もしい先輩方はどんより沈んだ雰囲気で、短くなった髪を呆然と見た。
「お前なあ……」
隼人くんが頭を抱えている。目測だが、だいたい同じくらいの長さだろうか。自転車部は長髪男が多い。
自転車部長髪代表、東堂さんはかろうじて絞り出した「似合ってるぞ」の後黙り込んでしまった。「しかしそう来たか……」と言いたそうな顔。「あまり思い詰めるなよ」、ってそれは真波に言ってほしい言葉だ。私は思い詰めて髪を切ったわけでない。
荒北さんは呆然とした後、「好きにさせろ、それで士気が上がるっていうならどんなアタマで何着てもお前の自由」って先を見通したような発言。さすがわかってる……と思ったけど普通に、落ち込んでる。責任を感じているのかもしない。だから落ち込む必要ないんですって。
寿一くんがいちばんショック受けていたのが意外だった。イヤ、本当に禊のつもりとかじゃないんで……やめてくださいよ、負けたら禊みたいな文化になったら、私嫌ですからね。これフラグとかじゃないですからね。
ロッカーシールを貼り終えてため息。まさか、頼もしい3年生の先輩方のこんな姿を見る羽目になるとは思わなかった。
「でかい男の中にひとり女がいると目立つし、不要なトラブルも絶対無いとは言えません。バシさんが髪伸ばすみたいだし、長髪枠はバシさんに譲ります」
「そうか」
寿一くんと目が合う。いつもの鉄仮面、何考えてるかわからない顔だ。そうか、って何?
「新開から聞いてはいたが、続ける気があるんだな」
「は」
すっかり忘れていた。先輩方は一様に穏やかな表情で頷く。寿一くんが私の入部を「認めさせた」、3年生の先輩方。最初はきっと迷惑だった。戦力にもならない自転車初心者、男子部員ばかりの中できっと不要な気も使わせた。でも、今は。
「あんな条件つけて、入部した身ですけど……」
声が震える。東堂さんが鷹揚に頷いて続きを促した。頼れる、山のリーダー。ハコガク随一の鋼メンタルで、いつも救われていた。真波が孤立しなかったのはこの人のおかげだ。
「来年に向けて頑張りたいと思ってます……えっと、今日からの新体制でお役御免の可能性もまだありますけど」
「何弱気になってんだ、んなワケねーだろ」
荒北さんが檄を飛ばす。入部した時は本当に怖かった。私の入部に反対してたのは、おそらく荒北さんと東堂さん。やる気ないならさっさと辞めろって、こんなとこ来んなって、至極真っ当な意見が本当に怖かった。でも、2人とも知れば知るほどいい人だとわかった。3日目、荒北さんは全部真波にかけてくれた。真波も負けて、今どう思ってるかはわからないけど。
「先に言っておくが、1年の代表は銅橋と名前に任せるつもりだ。真波はまだだと、東堂が言っていた」
「え」
寿一くんの思いもよらぬ発言に変な声が出た。まさかの展開だ。てっきり真波かと。
「オレが先に寿一に話したんだ。そしたら、名前に任せようって」
「でも、真波がまだって」
「お前もわかるだろう?」
「まあ、荒れてるなって思いましたけど」
全くあいつは……と東堂さんが額を抑えた。引退する人に申し訳ないけど、真波のことだけは最後の仕事だと思ってどうにかしてほしい。私は「まずは来年のために頑張ります」と先輩方に宣言するほかなかった。
